女三人寄れば姦しい

 禊のことを思い出したか指摘を受けたか、急ぎ足で戻って来た菫とお咲紀さん、二人に案内されて禊場に向かう。

 道中、私が笑顔でいたから菫は何があったのかと不思議そうに首を傾げていたけれど、しばらくすると彼まで嬉しそうにし始めるものだから不意に山中で言われた台詞が脳裏をよぎって気恥ずかしさを覚えることになった。

 笑ってて欲しいって。それだけだって。

 今思い返すと、我ながらよく照れもせず言葉を返せたものである。


 村の外れに構えられた禊場は荘厳に佇む木々の合間に整えられた小道を数分ほど、側を流れる川のせせらぎに耳を傾けながら歩いていると見えてくる。

 同時にせせらぎは滝の流れ落ちる音へと変わり、ひんやりとした空気に背筋が伸びるようだった。

 滝下に広がる水辺を横断する形で架けられた橋には三ヶ所ほど張り出しの足場がある。

 そこで禊を行なうようだ。

 白装束に身を包んだ方々が順次、係の者から桶を受け取って両肩と頭に一度ずつの計三回水を被っている。

 毎朝一番に村人総出で、となるとどうしても略式となるらしい。

 どうりで。昔習った手法より簡易な訳だ。

 当然のように身一つの私は着替えなど持っていないのだが……。

 お咲紀さんにその旨を伝えるとすぐ側に建てられた小屋に更衣室が誂えられており、禊用の白装束は皆、そこで借り受けることになっているので問題ないとのこと。

「それより、着替えがないってことはずっと同じ着物で過ごしていらしたの?」

「ええ、まあ……」

「今すぐにでも洗った方が良いわ」

 酷いしかめ面で断言された。

 小屋では古着の保管も行なっているらしく、皆が着なくなったものであるから好きに借りて良いのだそう。

「至れり尽くせりですね」

「そうかしら? 私は村から出たことがないから外のことは分からないけれど……ここでは普通のことよ」

 言わば村全体が穂付姫神の治めるところにある神域であり、穢れを嫌うが故の風習で、一人一人が清潔を保つことも村の大切な務めなのだという。

 小屋の裏口に足を向けるお咲紀さんの後を付いて歩きながら表口にチラリと視線をやると私の疑問を察した菫が理由を教えてくれた。

「表口は禊を終えた者が使うんだ。まだ済んでいない者は裏口から入る決まりになってる」

「ああ、なるほど」

 せっかく清めた体に穢れが移るのを避ける為か。

 紙垂の垂らされた戸口を潜る。

 中は銭湯の番台を思わせる造りで、番頭の者に名前を告げる二人に倣うと物珍しそうな視線を向けられた。

「見ない顔だと思えば君が……お咲紀には色々と心ないことを言われたろう。昔から幸之助っ子でね。悪い娘ではないから大目に見てやってくれ」

「ちょっと康平こうへいさん!」

 顔を赤くしたお咲紀さんが咎めるように番頭さんを呼ぶ。

「そのようなこと。むしろよく気を配っていただいてありがたいくらいです」

「おや、そうかい?」

「あなたも適当なことを言わないでちょうだい」

 じとりと睨まれ肩を竦める。

 嘘は言っていないのに。

 そんな私たちのやり取りに番頭さんがははっと笑い声を上げた。

「なんだ、もう仲良くなったのか」

「そんなんじゃありません! もう、中の説明をしますから行きますよ」

 ピシャリと否定したお咲紀さんに急かされる。

 番台を中心に二手に分かれている通路には暖簾が掛けられており、それぞれに分かりやすく男と女の文字が記されている。

 菫とは一時お別れのようだ。

 番頭さんに頭を下げて、更衣室へと続く扉の前で律儀に待って下さっているお咲紀さんを追い掛ける。


 更衣室の中は人が三人並べるか並べないかという幅で、横に長い造りをしていた。

 よくよく詰めて入ったとして、一度に着替えを行なうのは二十人が限度といったところだろうか。

 入ってすぐ正面の棚に綺麗に畳まれた白装束が重ねて置かれている。

 そこから自分の体に合った大きさのものを取って着替えるのだそう。

「あら、お咲紀ちゃん。今日はいつもより遅いのね」

 棚の向こう側から声が掛けられる。

 ――はめ込み式となっている壁一面の棚には、一部を除いて背がなく対面の部屋と通じているらしい。

「おはようございます、およりさん。昨日、幸之助さんがお戻りになられましたので、そちらに寄ったものですから」

「ああ……毎度のことながらあなたも大変ね」

「いえ」

 今、こちら側にいるのは私とお咲紀さんだけだが禊を済ませた方々が対面の部屋で白装束から着替えている様子が伺える。

 棚を挟んで部屋が繋がっていることで邪魔となる荷をここに残したまま禊を受け、表口から入っても回収できるようになっているようだ。

 ついでに、挨拶を交わしつつ、始まった世間話に井戸端のような交流の場ともなっているのだと知る。

 受け答えに必死になっていると着替えが疎かになってしまって、いつの間にやら装束の変わっていたお咲紀さんに指摘され慌てて着物の帯に手を掛けることになった。

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