鳴かぬ蛍が身を焦がす
考えていた。
若葉の言った言葉の意味を。
考えて考えて、それから思い出していた。
若葉と出会った頃のこと。
新宮という村で人間に化けて暮らす日々も悪いものではなかったけれど、ちょっと遠出して新しい場所でも見て回ろうかと。小旅行気分で足を伸ばした先でのことだった。
わぁんわぁんと泣いている人の子の声が聞こえてきた。
様子を見に向かえばぐしゃぐしゃな泣き顔で森の奥へ奥へと進んでいく娘子の姿があり、見目にして齢三つか四つのまだまだ幼い彼女を遠目に伺っている動物たちの話によれば山菜採りで山に入ったはいいが道に迷ってしまったんだとか。麓に村があるそうだが、日は落ちてしまって橙色の光が余韻を残している程度だ。暗くなるのも時間の問題だろう。
親は心配しているに違いない。
わぁんわぁん。
子供は自分の居場所を知らせるように泣き続けている。
あれじゃ人の血肉を好む輩に食ってくれと言っているようなもんだぞ。
……仕方ない。
恩を売っときゃ供え物として何か恵んでもらえるかもしれねぇし。先日、倅が出来たと大層喜んでいた弥栄(やさか)――新宮村に住む知人の男――の顔を思い出せば、余所の娘子と言えど放っておくのは憚られる。
少し悩んでから、警戒心が和らぐよう年の頃を似せた子供の姿に化けて進み出た。
「こっちへ来ても村へは帰れないぞ」
ひっと短く悲鳴を漏らした彼女は後退った拍子に尻餅をついた。
「だっ、だあれ?」
「送ってやるから、ほら立て」
化け狸だなんて馬鹿正直に言える筈もないので、質問には答えず手を差し出す。
硬直した彼女は俺の顔を見詰めるばかりで一向に立ち上がる気配がない。
そんなに驚かせたか?
「……もしかして」
「あ?」
「もしかして、ヤマガミサマ?」
ヤマガミサマ? 誰だそれ。
よく分からんが期待するような目でいるので頷いておいて間違いはないだろう。
「ああそうだ。だからもう安心していいぞ」
「わあ! ほんとうに? ほんとうにヤマガミサマ?」
さっきまで泣いていた娘子はどこへやら。
興奮した様子で俺の手を掴むと引っ張るようにして、その反動で立ち上がった。
頭のてっぺんからつま先までまじまじと観察してくる。
「そ、そう言ってるだろ!」
「なんだか……どこにでもいるこどもみたい」
言うなり今度は肩を落としてあからさまにがっかりしてみせた。
そりゃあ、そう見えるように化けたからな!
聞けばヤマガミサマとやらに対して、もっと分かりやすく神様らしい姿を想像していたらしい。
あ、ヤマガミサマって山神様か。
「そのままの姿で出たらお前を驚かせると思ってのことだ」
ここらを根城にしている御神の顔は知らねぇが期待には応えてやろう、と姿を変える。
人の形は崩さないまま、体は大人のそれにして見目をこれ以上ないくらい良くしつつ。髪の色も黒から白へ。白髪の美男子なんて、そうはいない姿なら文句は言われないだろう。
服は新宮村の氏神のものを真似ておいた。
わあ、と今度は感嘆を漏らした娘子をついでに抱き上げる。
彼女に歩かせるよりこっちの方が断然早い。
そう思ってのことだったが、幼いながらに女の自覚があるのか、先程とは違った意味合いで身を固くすると頰を赤く染めた。
「ほぉら、驚いたろ?」
にやりと笑えば赤みが増した。
彼女が俺に見惚れている間に狸火を出して辺りを照らす。
橙色の余韻も消え、すっかり暗くなり始めている。
歩き出せば何処に向かうのかと不安そうにするので村へ送ってやるって言ったろうと返した。
それから、闇夜の中を進むのに彼女が再び泣き出してしまわないよう、とりとめもなく色んな話を聞かせてやった。
無事に送り届けた後は狸の姿に戻って供え物を貰い受けに向かうついでにまた迷っていないか様子を見てやっていた。
寝込みがちな父と産まれたばかりの弟の世話で忙しい母の負担が少しでも減るように彼女は山に入ることをやめないでいたから。
時が経つにつれて幼子は成長し、森で迷うような子供ではなくなった。毎日のように続いた供え物は毎週、毎月とその数を減らしていった。
けれど、その頃になると俺は姿を見られて捕まっていて――撒くのは簡単でも、それで道を迷わせたら元も子もない。なんて考えていたら逃げそびれたのである――狸として彼女の話に耳を傾けながら見守っているのも悪いものではないかと考えるようになっていた。
暮らしは楽ではなかったろうに笑顔を絶やさないでいる娘で、その笑顔というのがまあ愛らしくて。
ずっと見ていたかった。
何もとって取って食おうって訳じゃねーんだから、通う理由が変わったっていいだろう?
ちゃんと弁えてる。
側に置こうなんて考えない。
ただ幸せであってくれたらそれでいいからって……。
そう思ってきたのに、いきなり告白紛いなこと言われて混乱するなって方が無茶ってもんだ。
惚れさせてくれたら問題ないってなんだよ問題だらけだよ畜生。
俺は狸だし。森は危険だし。俺は狸だし。
どう頑張ったって俺は狸なんだよ!
分かってんのかばーか! ばーか!
だいたい、欲ってのは一度出したらキリがない。
あれが欲しい、これが欲しいと自分勝手に暴れ出す。
望んでいいなら側に置いておきてぇよ。
俺のもんにしちまいたい。
そんで側で笑っていて欲しい。
……だけど、無理をさせるだろう。
苦労を掛けるだろう。
それは嫌なんだ。
選んだことを後悔させないなんて言える程、自信過剰にもなれねぇし。
どこをどうすりゃ折り合いが付く?
分かんねぇ。
ああ、さっぱり分かんねぇ。
悩みに悩んでいたらいつの間にか意識が遠のいて、眠りに落ちていたらしい。
夢の中で幼い頃の若葉が泣きながら言った。
「君はなんなの」
狸だよ。それも化け狸。
だけど、幼いお前に答えるんならこっちの方が正しいだろう。
「俺は山神だ!」
だからどうか泣かないで。
ちゃんと送り届けてやるから。
安心してくれ。
昔のように抱き上げたら彼女は照れるではなく呆れ顔を見せた。
「狸でしょ、ばか」
一瞬で成長し、大人の姿になったかと思うと今度は眉を下げて困り顔で笑う。
なんだよ、分かってんじゃねぇか。
だったら勘違いさせるようなこと言うじゃねーよ。
……勘違い。
いや、勘違いだったら俺はこんなに悩んでねぇだろう。
惚れさせてくれたらなんて言葉も出てこないに違いない。
しかし本当、何なんだよ惚れさせてくれたらって。
狸に無茶言ってんじゃねーよ!
宥めるように頭を撫でられて俯き気味になっていた顔を上げる。
抱き上げたままの若葉を見上げれば彼女はにっこり、花が綻ぶような笑顔を見せた。
困り顔じゃない。
無理に張り付けたものでもない。
俺が見たいと望んでいた笑みだ。
……夢ってやつは都合のいいように出来てんなぁ。
起きてしまうのが惜しいと、擦り寄って催促すればまた撫でてもらえる。
こんな幸せが現実のものであればいいのに。
夢へと逃げた俺への天罰とでも言うように、それは避けようもない勢いで近付いてきた。
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