見えない昼間のお星さま
古賀
第1話『前編』
ああほんとうに屑だなあ、と、千鳥足で俺は夜の街を行く。
真夏のコンクリート群はクソ暑い。まとわりつく湿気が嫌で緩めたネクタイは、いつの間にかどこかに消え去っていた。
人並みをすり抜けることも出来ず、あちらこちらにぶつかった。嫌な顔ばかり嫌な顔ばかり。そりゃあそうだ、泥酔者がぶち当たってきたらそりゃあ気分も悪くなるだろう。
泥酔していなくても俺は鼻つまみものだったが。
今日も会社でねちねちと。
あれをした、これをした、あれもしなかった、これもしなかった。
もうすこしなんとかならないのかねきみは、と溜息をつかれた。
そう思うならいっそクビにしてくれよ。出来ねえな。出来ねえんだもんな。俺みたいなのが割合いい会社にいられるのはコネにコネを重ねた結果だ。俺を辞職させたらほうぼうに角が立つ。
ほんとうにゴミじゃねえか。
吐き気を催して、路地裏に潜り込んだ。嘔吐には至らなかったけれど、そこにあったのはゴミ捨て場だった。
俺も仲間だ。
酒に任せて、ゴミ袋の山にダイブする。
生ゴミとか鉄屑とかの、そういうにおいがした。
そのまま俺は眠ってしまった、らしい。
最高に相応しい寝床なんじゃねえのか? と夢うつつ、思った。
寒くて目が覚めた。
格好はくたびれたスーツ。
ネクタイはどこに行った。
ゴミが臭い。自分も臭い。
ここはどこだ。どこのゴミ集積場だ。
薄らぼんやりと頭痛が襲い来る。
ポケットを探った。財布は無事だった。無事じゃないのは昨夜の俺の脳味噌だ。
流石にやらかしすぎだ、と頭を振って、目を開く。
──上等そうな革靴の爪先が、目に入った。
それはいやに、ちいさかった。
そのまま視線を上げていく。
小学生がそこにいた。中学生かもしれない、十二、三才の。カッターシャツにサスペンダーに半ズボン、清潔なソックス。半ズボンなんだから小学生だろう、これはどう見てもどこかの制服だ。
見世物じゃねえぞ、と怒鳴ってやろうと思った瞬間、少年のほうが口を開いた。
「……おじさん、どうしてゴミになってるの」
揶揄するようにでもなく。さりとて不思議そうにでもなく。淡々と、少年は唇を動かした。
気を削がれて、俺は息をつきうなだれる。
「ゴミだからだよ」
他になんとも説明出来ない、この状況では。
「ゴミとひととの境目ってなんだと思う?」
矢張り淡々と、問うてくる。
おかしなことを言うガキだ。
というか烏しか起きていないような時間に何故こんなところにいる。
頭が痛い。
「要らないものなら、ゴミって言うのかな。でも、誰かにとって要らないからって、誰にでも要らないなんて限らない」
「あ? 生ゴミほっといたらえらいことになるだろ、そういうこった」
「食べられる前は生きていたのに」
押し問答は続いて、もう嫌になって行ってしまおうとした。
ガキは一歩もその場を動かず、けれど視線で俺を見送った。
けったいな出会いもあったものだ。
そのときは、それで終わりなのだろうと思っていた。
今日は比較的酔っておらず、したがってひとにぶつかる回数は極端にすくなかった。
どういうわけだか、飲む気になれなかったのだ。家に帰れば酒はある、飲みたくなったらそれをかっ食らえばいい。
ああそうだそういえばネクタイをなくしたのだった。あれはどこにいったんだろう。落としたのか、捨てたのか。
捨てた。
ちらり見えた路地裏の奥に、指定ゴミ袋の山。
少年が、ゴミ捨て場に、落ちていた。
そんな光景は見慣れてもいないし見慣れるべきでもないし見慣れるはずもないのだが──既視感は、あった。
倒れ込んでいる少年には、確かに見覚えが、あった。
「……何やってんだ」
「ああ、おじさん」
上等そうな制服に羽虫をたからせて、少年は黒い眼をすっと開いた。
「ゴミの気持ちが分かるかなって」
「分かってどうするんだ」
ぼくはゴミになりたいんだ。少年は、幾分うっとりとさえした表情で、そう言った。
「そんなお上品ななりして何言ってやがる、どうせいいとこの坊ちゃんなんだろ」
少年はなおもゴミごっこを続けている。
このまま去るのも寝覚めが悪い。
「おじさん?」
ぐいと二の腕を引いて、立ち上がらせた。驚くほどに、細く冷たかった。
「満腹ってわけじゃねえだろう」
その辺の、手ごろな居酒屋に連れ込んでやった。このくらいの餓鬼なら逆に入り口で止められない、こんな街では。
「好きなもん頼みな」
生中を頼んだあとで、メニューを投げる。
「……ぼく、お金は持ってないよ」
「ガキにたかってるわけねえだろ。俺が出すから好きなだけ食え」
「おじさん、お金、あるの?」
「一部上場の正社だぜこっちは」
少年は、極めてきれいにつまみを食べた。安居酒屋が、そこだけレストランか何かのようだった。
「ぼんじりってなに?」
「鶏のケツ。脂っこいのが好きなら美味いぞ。食うか」
うん、と答えられたので、チャイムを押して店員を呼び、ぼんじりと鶏皮、つくね、それにハイボールを頼んだ。
「おじさんは、僕が知らないことを知ってるね」
「そりゃそうだ、伊達にお前より生きてねえよ」
「でも、ゴミなんだ」
「そうだよ」
俺は、会社の愚痴を、人生の愚痴をしこたま聞かせてやった。
思えば餓鬼のころからろくなことはなかったな、と語っていて悲しくなってくる。
とはいえ、この餓鬼のような不可思議な思いでいたこともたぶんない。
他人の腹の中など見えるものではないが、明らかに、俺とこいつは、生きている人生の舞台がちがう。
酒は口をなめらかにして、何でもかんでも喋っていた。
少年は興味もなさそうに聞いていた。
「おじさんの家が見たい」
不意に、少年はそう言った。
「親が心配すんだろ」
「しないから、大丈夫」
「……」
今度はこいつの話を聞いてやる番かもしれない。
というよりも、何だか心配になってきた。
この餓鬼は、『大丈夫』なのか?
見えない昼間のお星さま 古賀 @syouji_kami
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