第17話 霜台

 それからは奥向きの雑用は皆、彼女の仕事になった。公方くぼうの家とも思えない程、使用人は少なかった。

 段々、内所家計のこともわかってきた。

 小侍従はりにかなり苦労しているらしかった。つまり人を雇う余裕が無い。その結果、紅の負担は、外で仕事していた時よりと増した。

 そのかわり、良いこともあった。

 それまで端女はしためたちと一緒に大部屋で雑魚寝ざこねしていたのが、小さいながら一部屋与えられたのだ。夜、侍女たちに呼ばれたら、すぐ駆けつけられるようにとのことであった。

 屋敷の北側の奥まった隅にあり、格子こうしはまった小さなあかり取りの窓がひとつ付いているだけの、部屋とよぶのもためらわれるような、不要な物がごちゃごちゃと積んである物置ものおきである。

 実際、昼間の仕事で疲れきって寝ていても、夜の夜中にたたき起こされて、つまらない用事を言いつけられることも度々たびたびだった。でも夜、一人で手足を伸ばして眠ることができるのは何より嬉しいことであった。

 この部屋には、ちょっと不思議なおまけも付いていた。

 一日の仕事が終わり、疲れきって部屋に戻ってくると、夜具やぐの上に小さな紙の包みが置いてある。小さな白い星が散りばめられているけるような薄紫の美濃紙みのがみに包まれたそれは、ほこりっぽい部屋に咲いた一輪の花のようだった。

(何だろう)

 開いてみた。

 半透明の桃色、だいだい色、黄、白、緑、色とりどりの小さな粒々が五つばかり入っていた。粒からは、ぎざぎざした小さな突起とっきが不規則に突き出している。

 匂いをかいでみた。

 何の匂いもしない。

(何だろうか)

 なんとなく食べ物じゃないかという気がした。

 表面をちょっとめてみて、待った。

 少し甘いような気がした。

 しばらく待っても具合が悪くならないので、思い切って一粒、口にした。

 毒じゃないかしら。

 死ぬかもしれないけど。

 死んでも、いいや。

 味わった。

 ほんのりと甘い味が、口の中に広がった。

 楽しい気持ちが身体いっぱいあふれた。

 今度は三つ、続けざまに味わった。最後の一つは又、紙に包んで、枕元に置いて寝た。

 贈り物はこれきりではなかった。忘れた頃に、思い出したように置いてあるようになった。

 いつも決まって粒々が五つ。

 誰がくれたんだろう。

 小侍従や笹舟がくれたとも思えなかった。

 魔法、なんだろうか。

 いつしか紅は、贈り物を心待ちにするようになった。



「どうしている、あれは?」

 義輝よしてるは言った。

 小侍従の部屋でのんびり寝転ねころんでいる。

「ちゃんと面倒めんどうを見てやってくれているか。」

「面倒、といいますと?」

 小侍従はつくろい物の手を休めない。

「どうなさりたいのです?いつものように、一時いっときの気まぐれのお相手になさりたいのですか?それとも、末永くお使いになりたいのですか?どちらですか?」

「どちらがいいと思う?」

 義輝は逆に聞き返した。

「そなたなら、どうする?」

「さあ」

 そっけなく言った。

「私は公方くぼうさまではございませんもの。」

 義輝は鼻で笑った。

「申してみよ。」

「いつものように、お遊びのお相手になさればよろしかろうと存じます。」

「おいおい、そう怒るな。」

「怒ってなぞおりませぬ。あれほどの美貌びぼうです。それも人形のような冷たく硬質な美しさではなく、血の通った、触れたくなるような、男心おとこごころをそそる美しさ。年頃としごろになったら、騒がれて大変でしょう。殿方とのがたならどなたでも、御自分のものになさりたいはず。」

「あれは山内{上杉謙信}からの預かり物よ。」

 義輝は言った。

「山内はあれを大層気に掛けておる。ま、そうはいっても、側女そばめにしたところで、構わんだろうが。」

「本人は、そういう扱われ方は嫌でしょうね。」

 小侍従は、ぴしゃりと言った。

「わかりました。仕込んでみます。」

「使い物になりそうか?」

「田舎者、ですね。」

「相変わらず手厳てきびしいな。いくら田舎でも、ああいうのは珍しかろう。」

「危ういですね。本人はこころざし野心やしんもあるようですが、男心をかき乱すたぐいの美貌が、いざというとき足を引っ張りそうな気がします。最後までまっとう出来れば良いのですが。」



 こぼさないように、懸命けんめいにお茶を運んでいるときだった。

「お姉さまっ!」

 誰かが叫んだかと思うと、首にかじりついてきた。

 茶碗ちゃわん天目台てんもくだいが宙を舞った。

(茶碗はみんからの到来物とうらいものだっ!)

 とっさに手を伸ばして、茶碗を救った。

 天目台のほうは、

(床に落としたら傷がつく!)

「はっ!」

 掛け声と共に、ぽんっと軽く蹴飛けとばした。

 もう一度高く舞い上がった天目台はを描いて、びっくりして離れた相手の手の中にすっぽり納まった。

「すっごい、蹴鞠サッカーみたい。」

 相手は、ぼうっとしている。

「さっすが、お姉さま。」

 紅より一つ二つ年下か、肩の下で切りそろえたつややかな黒髪、くりくりした黒眼くろめがちな目、小さなサクランボのような唇、血色の良い薄紅うすべに色の肌、ぷっくりした桃色のほほ、にこにこして立っている。

(可愛い) 

 一目ひとめ見て、思った、けれど。

(なんか、変)

 変、なのは。

(一体、いつの時代?)

 つぼみ菊の細長ほそながを身にまとい、片手に天目台、もう片方の手には袙扇あこめおうぎを握っている。

(ここは宮中きゅうちゅうじゃないし)

 牛車ぎっしゃにも乗ってたし。

 なんか源平合戦の頃のお姫さまみたい。

あわてて帰ってしまわれるから」

 興奮して話しかけてくる。

「何処のどなたかわからなくって……。こんなところでお会いできるなんて!」

「ええと。あなたは、確か……。」

まりですっ、鞠って呼んでください、お姉さま!」

 松永まつなが霜台そうたい弾正だんじょう久秀ひさひで}の娘、と聞いた。

 松永弾正は、この都を牛耳ぎゅうじっている三好みよし長慶ながよし家宰かさいだ。でも幕府の相伴衆しょうばんしゅうも勤めているから、この館にも毎日のように顔を出している。

 もう年だが、かつては美男だったろうと思われる顔立ちだ。押し出しも立派だが、とにかく如才じょさいない。弾正だんじょう少弼しょうひつという主・長慶と同じ地位にありながら、紅のような小娘にも何かと声をかけては、皆が見ていないところで、さりげなく助けてくれたりする。でもそれが果たして親切でしてくれているのかというと、その辺はよくわからない。

 一番最初会ったとき、

無念むねんじゃのう。」

と言う。

「わしが今少し若ければ、自ら手を取り足を取り、花開かせてみせるものを。」

 周りの人たちはちょっと笑った。何だかイヤな雰囲気だった。老人の上品な顔のお面がぱかっと外れて、中の混沌こんとんが一瞬だけ、顔を出した感じだった。

 出自しゅつじは、あまりはっきりしたところはわからない。三好の一門ではないことは確かだ。低い身分の出で、がりだと聞いている。それも納得の、下で使われていた者だからこそわかる機敏きびで、物事を要領よくさばいていく。有能な人間であることだけは確かであった。

 何の予備知識も無く、いきなりこの館に放り込まれた彼女にとって、毎日のように来る訪問客がどういう人間かは、さっぱりわからない。

「余計なこと考えずに、お茶だけ運んでいればいいの。」

 と小侍従に言い渡されている。

「それ以上のことは、だあれもそなたに期待していないんだから。」

 だけど。

 こうやって、否応無いやおうなしに巻き込まれることもある。

「ええと、鞠さま。」

 仕方なく言った。

 相手は玉を投げてくれる主人を待つちんのように、期待にを輝かせて、彼女を見つめている。

「天目台をお返し下さい。」

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