第15話 武衛陣

 四辻よつつじでは、公家の娘として恥ずかしくない行儀作法も習ったのだが。

 ここに来てから、水汲みやたきぎの片付けなど力仕事を、もう二週間もさせられている。 

(何で養女になんか、ならされたの?こんな仕事するのに、ハクなんか必要なの?)

 だが都どころか、日本全国何処どこにもの無い身としては、文句を言う筋合すじあいはなかった。ここを追い出されたら、行くところが無い。言われた仕事はきちんとやった。

 今まで、人に世話されるのが当たり前の生活を送ってきたから、人に追い使われる生活というのは、想像以上にこたえた。剣や薙刀なぎなたを振るって、馬に乗ったり走ったり、普通の女より身体は鍛えているつもりだったが、それでもあっという間に手はガサガサとひび割れ、ひじひざは固くなって、足も傷だらけになってしまった。

 それでも慣れというのは恐ろしいもので、二週間もするともう、生まれてからずっとこの仕事をしてきたような、このまま一生やっていてもいいような気持ちになってきた。

(頭も気も使わなくっていいから、かえって楽)

 朝起きて仕事に出、夜は寝床に入った途端に眠ってしまえば、何も考えなくて済む。もし暇で、かたすえを考えていたら、あまりの覚束無おぼつかなさ、頼りなさに、気が変になってしまうだろう。

 夕方になると、痛んだ手に翡翠ひすいを握り締めて、

「喜平二さまが今日もおすこやかでありますように。」

と小さな声でつぶやいて、北の空に向かって祈る。

 あこがれのお屋形やかたさまのご養子になられて、きっとお忙しいに違いないと思う。

(あたしが『板額はんがく』になる日はもう来ないけど)

 つきらず一緒だっただけの女の子のことなんか、とっくにお忘れかもしれない。

 でも彼女にとって、故郷ふるさとしのよすがはもう、彼しか無かった。

 毎日欠かさず、すがるように翡翠ひすいを握って祈った。

 彼は彼女の心の支えだった。

 ところが二週間たつと、笹舟という名の年配ねんぱい侍女じじょがやってきて、

「この仕事は出来るようになったようだから。」

 今度は別の仕事を言い付かった。

 屋敷中のあかりの世話をしろ、という。

 朝になるとが消えているかどうか点検し、燈心とうしんを替え、汚れた油皿あぶらざら綺麗きれいにし、油を補給し、夕方になると手燭てしょくを片手に、必要なところに灯をつけて回った。

 屋敷は部屋数が多く、迷路のようにわかりにくい造りで、最初は迷子になって自分が何処にいるかさえわからなかった。一人でまごまご彷徨さまよっていると、を全部消したと思ったらけなくてはならない時間になっていたりした。

 他のわらわで、こんなことをさせられている者は居なかったが、文句は言えなかった。

 言いつけられた仕事は黙ってやろう。

 それでも又、二週間もすると、屋敷の内部が手に取るようにわかってきた。何処に何があって、どういう人たちが何をしているかも。

 又、笹舟がやってきて、別の仕事を言い付かった。

 今度は台所に行くように、という。

 水仕事みずしごとをさせられるかと思ったが、裏の事務を扱っているところへ連れて行かれた。台所のみならず、この屋敷で入用いりような物全てが次々に搬入されてくる。

 係りの役人は、

「何で女の童が……。」

と渋った。

「小侍従さまの御命令です。」

「えっ、小侍従さま?仕様が無いなあ。」

 笹舟は、紅を置いて行ってしまった。

「うーん、邪魔ジャマになんないように、その辺の隅っこにでも座ってな。」

「あの」

 紅はずっと気になっていたことを、思い切って口にした。

「小侍従さまって……あたしに仕事の命令を出していらっしゃるのはその方なんですか?どういう方なんでしょう?」

「命令を受けているのはあんただけじゃない。この家全体を取り仕切っていらっしゃるんだ。何でも公方さまの幼馴染おさななじみで、一緒に育てられたんだそうだ。」

 役人は言った。

「さ、もういいだろう。大人しくしてな。」

「あの、覚書メモをとってもよろしいですか?」

「ああ、構わないよ。」

 それから十日ばかり、毎日ずっと隅っこにいた。時々何か覚書を書く以外は、ただ黙って置物のように座っている。

 ある朝、小侍従は台所役人を呼んで言った。

「昨晩は大風おおかぜが吹いて雨が降ったけど、何か変わったことは無かったかい。」

「はい、何も。」

「いつも、大風が吹いたり雨が降ったりした翌朝は、あれが壊れた、ここで困っているって言ってくるじゃない。」

「それが、昨日はあの娘が」

 にこにこと手招きして、言ったという。

「今夜は天気が荒れるようです。資材置き場の材木が少し乱れているようですので、しっかり縛っておおいを掛けておいたほうがいいんじゃないでしょうか。雨が降ったら工事中の築地ついじあたりは水が出るようですが、修繕は間に合わないでしょうから、土嚢どのうか何か応急で対処できるものを用意しておいたほうがいいような気がします。」

「どうしてそんなことがわかるんだい、と聞いてみたところ」

 役人は、

「西の山のに夕方笠がかかると、大抵たいてい夜には大風が吹いて、雨が降るから。」

と彼女が言った、という。

 小侍従はうなずいて、かたわらに控えていた笹舟に言った。

「あの娘を奥向きの用に使うように。」

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