前のエピソード――第5話　越後

「それで」

　時宗（ときむね）は訊（たず）ねた。

「その娘とは会えたのか？」

「庭に居ました。」

　喜平二は答えた。

「何で、イ……。」

　皆まで言わせず被（かぶ）せるように、

「澄（す）まして。」

　紅はむくれて言った。

「冷たい目をして。」

「そっちこそ。」

　何だ、向こうもそう思っていたのか。

　彼女の頭に、コツンと拳（こぶし）を当てた。

「コラ、機嫌（キゲン）を直せ。」

「それから？」

　兄が聞く。

「色々話をしました。」

　思わず知らず、笑顔になった。

「良かったな、誤解が解けて。」

　兄も笑った。

「面白そうな娘だ。」

「結局、人参が見つからなかったのが残念だ、と申しておりました。だから私も、兄上の話をしました。そうしたら、ぜひお会いしたいと。」

　喜平二は熱心に言った。

　姉妹とは話は合わないが、たった一人の兄のことは大好きだった。

　何でも話せる。

　兄の時宗は病（やまい）がちで、いつも臥（ふ）せっている。

　優しい、思いやり深い人柄（ひとがら）で、喜平二は、この兄と共に居ると、心が落ち着く。

「元気な娘（むすめ）御（ご）に病をうつしては申し訳ないから。」

　兄は淋しそうに微笑（ほほえ）んだ。

　喜平二ががっかりしているのを見て、言い添えた。

「そのうちに、な。」

　今日はお城に上がる、と言われた。

　正装して、父に連れられて家を出た。

　道すがら『天女（てんにょ）さま』について尋ねた。

　彼女の祖父が、府中のお屋形さまのお師匠（ししょう）であることを知った。

「へえ、すごいな。」

　考えながら歩いていると、父が心配そうに言った。

「これ、与（よ）六（ろく）。そなた又、妙なことを考えているのではあるまいな。分（ぶん）をわきまえろ、分を。いつも言っておるであろう。」

　父、樋（ひ）口（ぐち）兼豊（かねとよ）は分をわきまえた見本のようなお人だ、と与六は思う。

　頭も良く、性格も穏やかで公平で、本当は身分の低い台所役人の薪炭（しんたん）奉行（ぶぎょう）なんかでなく、もっと上の役職についてもいいようなお人なのに、分をわきまえた結果、地味（じみ）で質素な暮らしに甘（あま）んじて、何の不満も無い。

　世の中、不公平だ。

　もっと人それぞれ、能力に応じた地位につければいいのに。

　俺（オレ）はその辺の洟（ハナ）垂（た）れ小僧（こぞう）どもとは違う、と彼は思っている。

　自分には世の中がわかっている。

　その上で、自分には、もっと自分に合った世界がある、と思っている。

　城に着くと広間に通された。

　待っていると、城主が部屋に入ってきた。

　傍（かたわ）らに、こないだお会いした若君（わかぎみ）が座る。

　上座（かみざ）に、細長い顎髭（あごひげ）を生（は）やした老人と、

（あっ、天女（てんにょ）さま）

　少女が座った。

　左右に御家来衆（ごけらいしゅう）が居並（いなら）ぶ。

　殿が、先日の働き、見事（みごと）であった、褒美（ほうび）を取らせる、と言い、かしこまった。

　三宝（さんぽう）に載（の）っているのは金の包みと反物（たんもの）らしい。

「恐れながら申し上げます。」

　発言を求めた。

「こっ、これっ！」

　周（まわ）りはざわざわし、父は真っ青になって与六を制した。

「まあ、よい。聞こう。」

　殿が仰（おっしゃ）った。

　有難うございます、と一礼してから言った。

「お金も反物も要（い）りません。」

　ざわざわが、もっと大きくなった。

　ちら、と横目で父を見た。

　今度は真っ赤になっている。今にも失神（しっしん）しそうだ。

「ふむ。褒美を要らぬと申すか。」

　殿は興深（きょうぶか）そうに与六を見た。

「この褒美は要りません。他（ほか）にお願い致したき儀（ぎ）がございます。」

　周（まわ）りの大人たちはもう遠慮無（えんりょな）しに、声高（こわだか）に言い合っている。

　物議（ぶつぎ）の的（まと）になってしまった。

　どうせ後で散々（さんざん）怒られるなら、言いたいことを言ってしまったほうが良い。

「申せ。」

「私は遊び仲間からよく殴（なぐ）られます。」

　少女が、自分を見つめているのがはっきりわかった。

「よく生意気（ナマイキ）だ、とか、へ理屈をこねて、といわれます。自分では道理（どうり）を言っているつもりなのですが、皆には道理には聞こえないようです。自分では何処が間違っているのかわかりません。どうしたら皆を説得できるか知りたいのです。そこで考えました。畢竟（ひっきょう）、これは、自分に学（がく）が無いからだ、と。」