第4話
ひらひらと舞うものがある。
鮮やかな青を称えた一匹の蝶々だ。
――あれ? 昨日の今日で、またいる。
青い蝶々はよく現れる。
でも、連日で同じ場所に現れるのは珍しい。
「文さん? どうかしましたか?」
先生が板書を止めてこちらに向き直る。
ぼんやりと窓の外を眺めていたのがばれてしまったようだ。教室中の目が黒板から離れ、何事かと私に注目する。
「あ、はい。外に“青”がいます」
返事をすると先生はすぐに窓の外を確認し、青い蝶々を発見する。さっと先生の顔が変わった。
無音の信号をキャッチした小型警備ドローンがやって来て、身をよじるようにして暴れる青い蝶々を簡単に捕まえ、自爆する。
粉々になったドローンと機械の蝶々は、駆けつけた清掃員によって片付けられてしまった。
「授業を続けます」
顔を戻した先生は、何事もなかったかのように板書した古文の文法についての解説を始める。
いつもの教室に戻っていた。
――あの蝶々、今、ドローンから逃げようとしてなかった?
ちょっと不思議には思ったけれど、私もいつも通りにノートを取り、授業に集中する。
それから昼休みになるまでに、少なくとも爆音が八回以上はしていた。どれも学校の敷地外からだったけれど、教室の窓からでもいくつか煙が上がっているのを確認できる。
先生は何の説明もしないし、何の指示も出さず、教室はいつも通りのんびりした雰囲気だ。
「フーミ。お昼しに屋上行こー」
「ねえ、リョウ。今日、なんか変じゃない?」
「変? 何が?」
「何って……」
「今日も天気良いし、外は絶対気持ちいいよ!」
行こう行こうと上機嫌で腕を引っ張るリョウ。
しぶしぶランチバックを手に持ち、連れだって屋上へ移動する。
視界をさえぎるものがほとんど無い屋上から見渡す街は、酷い状況だった。
あちこちから煙が上がり、倒れているたくさんのアンドロイドたち。そしてひらひらと舞い狂う青い蝶々の群れ。
「ところでフミさんや?」
「いや、あのさリョウ。これって……」
「人間がいないなんてさ、フミは本気で思ってたりする?」
爆発音がした。
かなり近い。
「え? リョウ、何?」
「アンドロイドが何のために行動するのかなんて、決まってるじゃん」
「……」
リョウの肩の上に、いつの間にか鮮やかな青がくっついている。
瞬きした途端に消えてしまう幻みたいにきれいだけど、青い蝶々はいくら瞬きしてみても消えてはくれず、リョウの肩の上にくっついている。
――あ、そっか、きっとあのたくさんの倒れているアンドロイドたちは、巻き込まれたんだ。
ドローンは青い蝶々と一緒に近くにいるアンドロイドたちも巻き込んで自爆しているんだ。だから、このままだと……。
また音がする。今度は別の方向から。
こんなこと初めてだった。
だからわからない。
状況も、青い蝶々のことも。
だけど、わからないけれど、このままリョウの肩に青い蝶々をとまらせておくのはまずい、ということだけははっきりとわかる。
「人間のためだよ、フミ。私たちは人間のために、人間の真似をするの」
軽く手でリョウの肩を払った。これで逃げていくだろうと思ったのに、青い蝶々は動かない。
しかたなく、今度は羽をつまんで引っ張ってみる。それでも青い蝶々はリョウの肩にしがみついて離れない。つまむ指先に少し力を入れたら、ぽきりと左の羽が半分折れた。
「リョウ、これ、ちょっと……」
「フミは大丈夫だよ。そのためにこの街があって、私たちがいるんだから」
「何言ってるの、とにかくその蝶々どうにかしないと……」
「だからね、フミ。私たちが人間の真似をするのは、人間の……フミのためなんだってば!」
人間は滅んでなんかいないよ。
確かに激減したけどね。
理由? 簡単だよ。人間がうっかり絶滅しかけるくらいに減っちゃう理由なんて一つしかないじゃん。
戦争だよ。
もう、大戦争。一気に数が減ってね、途中から戦争どころじゃなくなってたけど。環境汚染も進んじゃって、文明ごと人間も滅びかけたんだけど、ていうか今もじわじわと数は減ってるんだけど、とりあえずは休戦ってことでね。まずはなんとかして生き残ろうってことになって、私たちの出番。
人間って群れで生活する生き物でしょ?
少ないけど新たにうまれた人間が、成長・繁殖しやすいように安心安全快適な場が必要だったわけ。それがここ。危険もなく仲間も多く衣食住完備。
あー、いやね、フミさん。
だから、ここはお偉いさんたちが造った……えーっと、箱庭? 楽園? わかんないや、こーゆうの表現するの、私よりフミのが得意じゃん?
ホント、フミがうらやましーよ。私たちにはないカンジュセイとかゆうのがあってさ。
リョウの声が遠くに聞こえる。
何か言っているのに、そんなに難しい言葉を使っているわけではないはずなのに、ずっと知りたかったことのはずなのに、私にはリョウが何を言っているのかわからない。
「時間ないよ、フミ」
「え?」
「ほら、行こう」
笑っている。
リョウが、こんな意味不明な状況で笑ってる。
見回せば、あちらこちらに鮮やかな青がひらりはらり。
「フミさんや、ほらほらはやく!」
「あ、そっか、“青”のこと先生に伝えに……」
「違うよー。フミは変なところで抜けてるなあもう。先生もお巡りさんも警備員もドローンも、みんな止まっちゃったし」
「え」
「でもどうせすぐ動き出すから。その前にちゃちゃっと移動しないと」
「え……え?」
「外だよ。外に出るの!」
「あ、え? 外って、あの外……?」
「あの外もこの外も外は外だよ! ほらほらはやくー」
羽の欠けた青い蝶々を肩に張り付かせたリョウが私の腕を取る。
いつものリョウだ。
こんな状況で、いつも過ぎるリョウだ。
引っ張られるようにしてのろのろとついていく。他にどうしていいかわからなかったし、こんな状況なのに、少し好奇心が出た。今なら外に出られる、らしい。海か山か、はたまた予測不可能な危険がうじゃうじゃしているのか、いないのか。
校内は静まりかえっていた。どこに目を向けても鮮やかな色の蝶々がひらひらと視界に映り込む。上級生も同級生も下級生も先生も、みんな電源が落ちたみたいに停止いている。
校門を出ると、一台のバスが私たちを待っていた。
「はいはい、乗った乗った」
バスの車内にも、蝶々たちは我が物顔でひらひらと舞っていた。運転席には蝶々にたかられて青い塊になり果てた運転手さんらしき姿もある。
一番後ろの座席にリョウと並んで腰を下ろすと、扉が閉まってバスが出発した。
「あー、あのさ、リョウ?」
「んー?」
「聞きたいこと山ほどなんだけど、とりあえず確認。君はリョウですか?」
「フミはまどろっこしいなあ。私以外にフミをフミって呼んだりする?」
「……しない?」
「聞かれても困るけど。それより、成績優秀なフミさんが万年赤点なこのリョウさんに聞きたいことって?」
「いっぱいありすぎて、どこから聞けばいいのやら……」
「あ、じゃあ私からもフミに質問!」
「うん?」
「フミは、どうしたい?」
バスががたんと揺れる。
■■■
おじさんが壊されてから数ヶ月経っても、私はショックから立ち直れないでいた。
私が余計なことを言ったせいだとわかったから。同時に、小学生の時同級生が壊されたのも、私のせいだったと気付いてしまった。
私のせいだという罪悪感と、壊されずに済んだという安堵感、それからなぜ壊されなかったのかという疑問と、いつか壊されるのではないかという恐怖心。
私はすっかり参ってしまっていた。
参ってしまっている私に気付いてくれたのが、親でも友だちでもなく、先生だった。
「アヤさん、ちょっと」
放課後の下駄箱で呼び止められ、そのまま空いた教室の一つに連れて行かれる。
「あなた最近顔色悪いけど、何があったの?」
椅子に座って開口一番、先生はこう言った。何かあったの、ではなく、何があったの、と。
いきなりの断定口調に、私は安心してしまった。そんなはずはないのに、先生は全部知っているのだと、そう思ってしまったのだ。
私は喋ってしまった。壊されたおじさんのこと。壊された同級生のこと。二人が壊された原因は私にあるということ。しかしなぜ二人が壊されなくてはならなかったのかわからない、なぜ私が壊されなかったかもわからない……。
先生はフリーズしなかった。
壁の外がどうなっているか疑問に思っていること、幸せの意味が知りたかったこと、みんながなぜフリーズしてしまうのかいつも不思議に思っていたこと、全て吐き出したのにも関わらず、先生はうんうんと黙って最後まで聞いていてくれた。
「それで、あなたはどうしたい?」
私が話し終えるのを待って、先生は言う。今思い返せば、先生はその瞬間にはもう、覚悟を決めていたんだと思う。
私は答えられなかった。
喋りすぎて頭がぼうっとしていたし、質問の意味を捉えきれなかった。
少し待ってから、先生は言う。
「故障したから、処分された。それだけだから、あなたが気にすることではないんだよ」
「故障……? そんなふうには、見えませんでしたけど」
「あまりにもプログラムからはみ出し過ぎた思考は、故障とみなされるの。故障すれば処分される。いい? 余計なことは考えてはいけないし、もし考えてしまっても、考えているということがばれてはいけないよ」
わかった? と先生が目で聞いてくる。
私はわからなかった。納得がいかなかった。
でも先生は、もうそれ以上は何も言ってはくれなかった。席を立ち、つかつかと窓に近づくと、大きく窓を開け放つ。一度だけ私を振り返り、それから飛び降りた。三階だった。
驚いて窓際に近づくけれど、覗き込む勇気まではない。誰かに知らせなければと思って振り返ると、廊下に先生がいた。先生、ということだけはハッキリしているのだけれど、目玉が飛び出してアゴが外れているせいで、どの先生かまでは見分けがつかない。
視界の端を何かがさっと横切った。直後、下から爆音がする。危険信号を発信し続ける先生から引きはがすように目を逸らして、窓から下を覗き込んでみた。
粉々になったドローンと頭部を壊された先生は、駆けつけた清掃員によってさっと、まるでゴミでも扱うように片付けられてしまう。
振り返れば、もう廊下には誰もいなくなっていた。
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