第3話

 おかしいな、と最初に思ったのはいつだったか。

 同級生が壊されてしまった、あの時?

 いや、ちょっとした違和感みたいなものはそれよりもずっと前からあったように思う。

 人間は完璧ではないと、何かの本に書いてあった。完璧でない人間につくられた私たちが、完璧でない人間の真似をしているんだから、穴だらけだと言ってもいいくらいに不完全なのも、当たり前だと言えば当たり前なのかもしれない。

 だからこの違和感は、その不完全さからくるものなのだと、最近はそう納得するようになっていた。

 例えば、青い蝶々。

 街は二十四時間年中無休で守られている。

 外敵からの防御として高い壁に囲われ、昼夜問わずに警備員が壁を見張っているし、街の中は中で交番もあれば巡回する警備ドローンだっている。

 どこにも危険が入り込んだり潜んだりする場所なんてないと、私たちの住む街の中は安心安全なんだと、そう学校で習った。

 なのに、正体不明の蝶々はどこからともなくやって来て、そのたび壊されている。

 どこから、なんの目的でやってくるのか、いつまで経ってもわからないままだ。本当に危険性があるのかどうかも不明なまま、ただ得体が知れないなんて理由で壊されてしまう。


「危険なんかじゃないのに……」

 私は自室の鍵を掛けて、卓上のペン立てに止まる青い蝶々に目を向ける。帰宅してから、すぐに部屋の窓を開けておいて正解だった。

 いつも、というわけではないけれど、窓を開けてしばらく放っておくと、鮮やかな青を称えた蝶々はごくごく自然な様子で私の部屋に入り込んで、くつろいでいることがある。

 特に、今日みたいに落ち込むことがあった日なんかには、必ずと言っていいほど入り込んでいる。

 ――優しいんだよね、たぶん、この蝶々は。

 勝手な解釈だとは思うけど、そう考えた方がしっくりきた。たぶんきっと、私を慰めに来てくれているんだと。濡れた髪をタオルで拭きつつ、椅子に座って蝶々に話しかける。

「フリーズせずに私の話聞いてくれるの、君だけだよー。今日も私の愚痴、聞いてくれる?」

 食事と入浴を済ませ、今日はもう部屋から出る用事はなかった。

 すぐ目の前にいる鮮やかな青は無音でひらりと、一回だけ羽を開いて閉じる。


 先生の顔が変わるのと、アンドロイドが故障とみなされて処分されるのを初めて見たのは、小学生の時、職場見学の帰りのバスでだった。

 見学したのは街を守る壁で、その壁を守る警備員さんから教科書に書いてあることとほとんど同じ内容のお話を聞いた。

 一日中壁づたいに歩かされ、面白くもない話を聞かされ、へとへとに疲れてしまった帰りのバス車内。

 どんどん遠のいていく壁を見ながら、私はふと、思ったことを思ったまま、口にしてしまったのだ。

「でも、壁の外って本当のところ、どうなってるのかな? 海があるの? それとも、山とか?」

 人間が生きていた時代と比べ、どれだけ街が安全になったか、というお話なら散々聞かされていた。

 街の安全を守る為、壁はありとあらゆる危険なものを外に締め出し、中に入れないようにしている。例えば、害虫とか、疫病とか、放射線とか……。

 危険が中に入ってこないようにどのような工夫が壁にされていて、その工夫を維持するために警備員さんが日夜どれだけ活躍しているか、ということならいっぱい聞いたけど、壁の外が実際どんなところなのか、というのは聞いたことがない。

 海も山も、本でなら読んだことはあるけれど、実物は見たことがなかった。ただ、どちらもとてつもなく大きく、美しく、またとんでもなく危険でもあるらしい。危険だから、という理由で街の中に入れなかったのだとしたら、きっと外にあるはずだと、そう思ったのだ。

 私の言葉に、隣の席に座っていた同級生は一瞬で無表情になった。

「文ちゃん、知らないの?」

「え?」

 てっきりなにかまずいことを言ったのだと思って慌てたけれど、同級生はフリーズする様子もない。

 ただ、いつもとは明らかに様子が違っていて、私はどうすればいいのかわからなかった。

「文ちゃん、壁の外にはね――」

 バスが急ブレーキを踏む。

 甲高い音と生徒たちの悲鳴で、隣の子の言葉はかき消された。

 驚いて、何が起こったのかと先生を見る。いつもなら何か説明するなり指示をくれるなりするはずの先生が、なぜかバスの最前列で壊れている。飛び出た目玉、外れたアゴ。どう見てもそれはただ壊れているようにしか見えなかった。

 なだれ込むようにしてバスの中にお巡りさんが入ってくる。そして真っ直ぐに私の所までくると、隣に座る同級生を引っ張って無理矢理立たせ、そのまま外へ連れて行ってしまう。

「え?」

 何が起こっているのか、全くわからなかった。

 その子とお巡りさんが車外に出ると、何事もなかったようにバスが発進する。先生の顔もいつのまにか元通りに直っていた。

「え? え?」

 何の説明もなく、誰も何の説明も求めない。

 バスが走り出してすぐ、後ろから爆発音がした。

 驚いて窓に張り付くようにして見ると、後方でめちゃくちゃに飛び散った同級生だったものが、黒こげになって崩れ落ちるところだった。


 青い蝶々はふわりと飛んで、ペン立てから本棚に場所を移動する。

 私はB6ノートを開き、ペン立てからシャープペンを一本取ると、まだなにも書かれていないページをじいっと睨み付けた。

 うっかり失言してリョウをフリーズさせた上、今度こそハッピーエンドにするだなんて口から出任せを言ってしまったが、何のネタもない……。

 物語の主人公は、どうしても未来に行きたいと思っている。だってあんまりにも将来が見えないものだから、不安で不安で仕方がない。未来の自分を見て、ああ大丈夫、ちゃんとやれていると安心したかった。

 なのに、何度挑戦しても未来ではなく過去に行ってしまう。そして、過去を変えてはいけないし、過去の自分とも関わってはいけないという決まりがあるのに、毎回必ず過去の自分に見つかっては接触してしまい、現代に帰ってくると、少しずつ何かが変わってしまっている。

 愛用していた緑色の帽子が青色になっていたり、付き合っていたはずの友人二人がそれぞれ別々の人と付き合っていたり……。

 ある日、懲りずにまた未来へ行こうとして失敗し、過去に行ってしまう。過去の幼い主人公が、隠れていた現在の主人公を目ざとく発見して、話しかける。

「あんた、だあれ?」

「誰だと思う?」

「知らない。でも、あんたは物知りな人?」

「物知りかどうかはわからんが、君よりは物を知っているつもりだよ」

「そう。じゃああんた、知ってたら教えてよ。幸せって、何?」

 

 ここまで書いて、はっとする。

 同じ失敗をするところだったと、慌てて会話文を数行消しゴムにかけた。

 通りすがりのおじさんに同じ質問をぶつけてみたことがある。あれは中学生の時のことだ。

「幸せになるって、一体どうゆうことを言うんですか?」

 本当に知りたかったわけじゃない。聞いたって、どうせみんなフリーズするに決まっている、と思っていたから。実際、学校の友達も、親も、先生も、みんなフリーズした。

 その頃私は、昔々の人間たちが残していった本、とりわけ小説に猛烈に惹きつけられていて、今以上に無駄に偏屈だった。我ながら無鉄砲なことをしたなぁと肝を冷やすけれど、当時の私はやり場のない感情を持て余してしまい、どうにでもなれと思っていたのだ。

「幸せかい? そうだね……」

 おじさんはいかにも人の良さそうな顔をしていて、生意気な中学生相手にも邪険にせず、穏やかな表情で接してくれた。

「幸せになるっていうのは、きっと……」

 でも結局、答えを教えてはもらえなかった。最後まで言い終わらない内に、巡回していた小型警備ドローンがおじさんの顔に張り付き、自爆したから。

 近くにいた私は、爆風と飛び散った破片で少しよろけた。でもそれだけ。

 おじさんの顔は半壊した。それでもなお、おじさんは何かを言おうとしていたような気がする。言葉ではなくただの音になってしまったおじさんの、意味を成さない声が、何かを言おうと。

 私は怖くなって逃げた。どうにでもなれ、と思っていたはずなのに。何体かのドローンとすれ違い、後ろから何度も爆音がしたけれど、振り返らなかった。振り返ることが出来なかった。


「幸せって、なんだと思う?」

 本棚からオスカー・ワイルドの『幸せな王子』を抜き取って、パラパラとめくる。何度読んでも、この王子が幸せだとは思えないのは、私がお子さまだから、わからないだけなのだろうか?

 青い蝶々は私の言葉にフリーズすることも返答することもなくひらりと飛んで、今度はベットの縁に止まった。

「今日、リョウに余計なこと聞いて、フリーズさせちゃったの。本当に私って、進歩ないよねー」

 無音の蝶々にそっと近寄って、隣に座る。蝶々は私が近づいても逃げずに、大人しくベットの縁を彩っている。好奇心がムクりと湧いて、私は軽く羽に触れてみた。すべすべした感触。触れた指を確認してみるけれど、なにも付着していない。本物の蝶々の羽なら、たぶん鱗粉が付くはずなのに。

「君はどこから来るの? 壁の外? ……だとしたら、うらやましいな」

 リョウに聞いてしまったのは、本当に失敗だったと思う。

 幸せの意味も、将来への不安も、壁の外がどうなっているかも、なんで絶滅した人間の真似を続けているのかも、誰にも聞いてはいけない。

「うらやましい。だって壁の中って、なんだか圧迫されて息が詰まりそう」

 聞けばみんなフリーズするし、答えてくれようとしたアンドロイドはみんな壊される。

「出たいな。私も、壁の外に」

 隣を見ると、青い蝶々はいつの間にかいなくなっていた。

 私はうすく開けていた窓を閉め、電気を消してベットに潜り込む。

 先生でさえもそうだった。

 私の疑問に答えて、壊されてしまった。


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