第2話
「フミ、だめじゃん。“青”を見つけたらすぐ報告しなきゃ!」
休み時間に親友のリョウが話しかけてきた。
リョウとは高校一年の時から同じクラスで、名前が同じ
「えー、だってさー」
「だってじゃないよー。まったくフミってさ、頭良いのに変なところで抜けてるよね、ホント」
「うっわ、抜けてるとか、リョウにだけは言われたくないんですけど」
リョウは明るくて前向きで体を動かすことが得意だけど、勉強やものごとを深く考えるのが苦手だ。忘れ物も多く、しょっちゅう宿題を写しに来る。
「次から古典の現代語訳、他の子に写させてもらったら?」
にやにやしながらからかうように言ってみたけど、リョウは真剣そのものといった表情を崩さない。
「いやいや、それはそれ、これはこれ。私はさ、フミのこと、本気で心配して言っての!」
もちろん、わかっているつもりではあった。
青い蝶々は得体が知れないから危険なもので、危険なものを見つけたらすぐに報告しなければならない、というのは、そう、わかっている、つもりではあるんだけど……。
「うーん、でもさ、あの蝶々、なんか、ずーっと見てたいなー、なんて思っちゃうっていうか……だって、綺麗じゃん?」
「キレイ? あー、ごめん、それ、私にはわかんないや」
リョウはものごとをあまり深くは考えない。
ダメなものはダメだし、わからないものはわからない、とハッキリきっぱりしている。だから安心して喋ることが出来るのだ。間違っても、わからないからと言って先生や親に尋ねたりなんかしない。
センセー、“青”のことを文さんがキレイって言っていたけれど、キレイってなんですかー? なんて質問されでもしたら、処分とまではいかずとも、あまり良い結果にはならないと思う。
「いいよねフミは。えーっと、ほら、なんだっけ? カンジュセイ? とかいうのがあって。私、そーゆうの全然ダメだからさ」
「リョウはスポーツできるし、スタイルもいいし。私、そっちの方がうらやましいよ」
「ふふん、いいだろー。もっとうらやめ、うらやめ」
「あーはいはいうんうんすごいすごいちょーうらやましーそろそろ予鈴鳴るよ?」
「あ、ヤバ」
あわてて席に着き、授業の準備を始めるリョウ。
予鈴が鳴り、教室に先生が入ってくるのを見ながら、ずっと続けばいいのにな、と思う。全ては多分、決まり切った設定の範囲で行われている人間ごっこに過ぎないんだろうけれど、それでも、こんな楽しい時間がずっと続けばいい、と思う。
昼休みはいつも、リョウと屋上で過ごしている。
立ち入り禁止というわけでもないけれど、他の生徒がここに来ることはまず無く、ヒミツの話をするにはもってこいだった。
「それで? 例のアレ、どこまで進んだの?」
リョウが昼食の化石燃料をごくごくと飲みながら、わざと声をひそめて聞いてくる。
「うん、例のアレね、実は今ここにあるんだけど」
持ち上げた卵焼きをいったん置いて、私もリョウに調子を合わせて声をひそめた。そしてお弁当箱を入れていたランチバックから、B6サイズのノートを取り出す。
「おおフミさん、お主もやりおる」
「いやいやリョウさん、私なんてまだまだ」
二人で目を合わせ、くすくすと笑った。
本当は笑い事ではないんだろうな、とは思うものの、バレさえしなければ大丈夫だしきっとバレはしない、という気持ちの方が大きい。
リョウが残りの昼食をぐびっと飲み干し、ノートを読み始める。
私はお母さんが作ってくれたお弁当をパクパクと口に入れて、咀嚼し、嚥下する。甘い卵焼き、タコさんウインナー、唐揚げ、ブロッコリー、うん、今日もおいしい。
エネルギー補給の方法は人によってばらばらだ。
化石燃料で済ます人もいれば、私のように昔々の人間たちがしていたような食事をしてエネルギーに変換させる人もいる。
リョウはその日その日で違い、今日は化石燃料だったけど、菓子パンだったりカップ麺だったりすることもあった。
私はお母さんの方針で、毎日三食きっちり人間の食事をしている。補給の効率は悪いけれど、お母さんの料理はおいしいから文句なんてなかった。
お母さんは主婦でお父さんはサラリーマン。兄弟姉妹はなく、私は一人っ子だ。確かリョウも一人っ子で、お母さんはいない。お父さんは仕事で家を空けることが多く、いわゆる鍵っ子ってやつだったはず。
私とリョウ以外の生徒にだって、さまざまな個性があり、家族がある。父親も母親も、兄弟も姉妹も、いる人もいればいない人もいて、親は家事や仕事なんかをしてるし、私たち子どもは学校に通って授業を受け、段々に大人になって仕事をしたり結婚したり子どもをもって育てたりするようになるのかもしれないけれど、実のところ、いまいちよくわからない。
あまりにもプログラムからはみ出し過ぎた思考は、故障とみなされて処分されてしまうのだから、それってつまり、私たちアンドロイドはものを考えずひたすら決められたレールの上を走って、人間様の猿まねでもしてろって言われているようなものなんじゃないだろうか。
でも、それってなんのために?
一体誰がそんなことを私たちにさせているの?
「ちょいとフミさんや」
「ひいっ!」
耳元でいきなりリョウの声がして、びくっとした。
いつの間にか、結構真剣に考え込んでしまっていたみたい。
「フミさん、こりゃないよ。俺達の戦いはこれからだ! っていうのはさ、一番やっちゃいけないことなんじゃないんですかー?」
不満顔のリョウがB6サイズのノートを私に返してくる。どうやら読み終えたようだ。
「ふふふ、実はですねリョウさん、ここだけの話、続きが思いつかなかったんですよ」
「うわ、こいつ開き直りやがった」
受け取ったB6サイズのノートをランチバックに押し込んで、別のノートを取り出す。
「だって、なんかどう転んでもバッドエンドにしかならないんだもん。だったらこの辺でうち切っちゃった方が潔いと思わない? バッドエンドって書いててテンション下がるしさ。……それより、新作あるけど、読んでもらってもいいかな?」
「おっ、読む読む。今度はどんな話なの?」
「今度はタイムトラベルもの。未来に行きたい主人公が……」
「はいストップ! ネタバレ禁止!」
「わーマジっすか、自分から聞いておいて……」
リョウは私から新しいノートを受け取って、さっそく読み始める。
ノートの中身は、私の書いた小説だ。
最初はただの日記だった。夏休みの宿題で書いていたものを、なんとなく惰性で続けてみた、それだけだった。それが、ただ日々起こったことを書き連ねているのにも飽きてきて、ちょっとしたアクセントを加えるようになった。晴れの日だったのに延々と雨が降っている様子を描写してみたり、食べてもいないお菓子を山ほど食べたことにしてみたり。
気付いたら、実際あったことよりもアクセントの方が日記の割合を占めるようになっていて、そのうち起こったことなんかこれっぽちも含まれない、拙いながらも立派な創作物に変わっていた。
アンドロイドにも創作なんてことが出来るものなのかと驚いていた時期もあったけれど、考えてみれば、性能的には不可能ではないんだろうな、と思う。問題は性能的に可能か不可能かではなく、それをやってしまったということだ。
禁止事項ではない、けれどもこれはたぶん、プログラムからはみ出し過ぎた思考や行動だ。
止めるべきだと頭ではわかっていたのに、私は創作を止められなかった。書くことが楽しくて、一作品書き上げるごとに、他にはない達成感を得ることができた。
そして、魔が差したんだと思う。
あれは何作品目だったかは覚えてないけれど、一つ物語を書き上げた瞬間だった。
――誰かに読んでもらいたい。
たった今書いたばかりの最後の一行を見ながら、突然湧いて出た気持ちに戸惑った。
――誰かに、読んでもらいたい。
創作を止められなかったのと同じように、書き上がった小説を隠し通すことも、私にはできなかった。
楽しそうにノートを読むリョウの隣で、恥ずかしいような誇らしいような、ちょっと落ち着かないそわそわした気持ちになる。
打ち明ける相手にリョウを選んだのは正解だった。
リョウは、きっとリョウだけは、私の味方なんだと思う。
胸にじんわりと温かいものが広がって、すっと、視界が広がったような気がした。
「あのさ、リョウ?」
「んー?」
ノートから目を離さず、リョウが相槌を打つ。
私は思いのままに、さっきから考えていたことを口に出す。
「私たちってさ、なんで人間の真似事なんかしてるんだろうね」
「ん?」
リョウが虚をつかれたような顔で私を見る。
「だって、これってさ、一体どんな意味があるんだろう? 街一つ、まるまるアンドロイドで溢れかえってて、人間なんてもういないのに、人間の社会をそのまま真似して、何のためにこんなこと……」
「――認識できませんでした。もう一度、言い直してください」
リョウからリョウではない声がした。
どこか人を不安にする、キンキンとした合成音。
「あっ、その、リョウ、あの……」
「認識できませんでした。もう一度、言い直してください。認識できませんでした。もう一度、言い直してください。認識できませんでした。もう一度、言い直してください。認識できませんでした。もう一度、言い直して」
虚をつかれたような顔のまま、リョウはリョウでない声で機械的にアナウンスを繰り返す。
やってしまった。
「あ、あのねリョウ」
「ませんでした。もう一度、言い直してください。認識できませんでした。もう一度、言い」
「未来に行きたい主人公は、結局未来にはいけないの。過去にばっかり行っちゃって、でもね、今度こそハッピーエンドにするつもりだから、続きも書けたら読んでね?」
アナウンスが止まり、ポカンとしたリョウの表情がみるみる怒ったものに変化する。
いつも通りのリョウの声で、いつも通りのリョウの口調で、声を上げた。
「ちょっ、フミ! ネタバレ禁止って言ったじゃん!」
リョウが戻ってきた。
私は震え出しそうになるのを何とか堪え、ごめんごめんと平謝りする。
リョウだけではなく、みんなそうだった。
みんな、ちょっとでも踏み込んだ話になるとフリーズしてしまう。
話題を変えればすぐに戻ってくるけれど、これって、私がプログラムからはみ出し過ぎた思考を外に漏らしてしまっている、ということなのではないのだろうか? だから、みんな反応できずにフリーズしちゃうのではないか?
――でも、だとしたら、私はなんで、まだ故障とみなされて処分されてないんだろう?
「もう、フミってホント変なところで抜けてる!」
「うん……そう、かも」
ギリギリセーフ、ということなのかもしれない。
しっかりしてよねーと言いながらノートを返してくるリョウ。
「まったく、私はうらやましいよ、こーゆーの書けるってのがさ。続きも読ませてもらうから、はよ書いて」
「……」
私は、創作ともはみ出し過ぎた思考とも無縁でいられるリョウのことがうらやましい、と思った。
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