データ9 他人の家は違う空気がした(後編)

「な、なぁ。陽平? そろそろ勉強しないか?」


「却下する。ほらさっさと次のラウンドに進めるぞ」


「もう、勘弁してくれ・・・」


 現在、約24ラウンド目。24戦2勝22敗である。このまま負けたらなんだか無性に腹がたつ。


「にしても意外だな、お前がこんなにゲームにハマるなんて」


「別にハマってはいない。このままどうやってお前を負かせるかを試行錯誤しているわけであってこれは研究だ」


「それはハマってるって言わないのか?」


「断じて違う」


 隣で隆介は呆れたような表情を浮かべているが、これは研究だ。決してオタクのそれとは違う。


 そして、奥のベットでは今まで隆介の相手と俺にゲームの説明をしていたミユキが再び横になって寝息を立てている。


「なぁ、隆介。一つ聞いていいか?」


「あぁ、別にいいけど」


「以前彼女がジャズの話をした時、サックスの話をしたろ」


「あぁ、それが?」


 その表情はゲームをプレイしていて話しかけられたから強張っているわけではない。何か触れたくないものに触れられた。そんな表情を隆介はしていた。


「一体彼女に何があったんだ」


「・・・まぁ・・・お前なら誰にも話さなそうだしな」


 そう言ってチラリと、ベットの方を見やり、彼女がしっかり寝ているのを確認すると改めて俺に念を押して話し始めた。


 話は三年前にさかのぼる。


 当時大学三年生だった彼女は地方が運営する吹奏楽団に入団しておりそこでサックス奏者として活躍していたそうだ。元々高校で吹奏楽部だった彼女は一目置かれる存在だったらしい。


 だが、それをよく思わない人物もいた


 そして、同じパート内でいざこざが起き始める。そこまではまだ良かった、しかし果ては彼女のストーカーを行う者まで現れた。


 そして大学三年生終了間際、彼女は道端でそのストーカーにナイフで襲われることになった。幸いにもたまたま手に持っていたサックスのケースが盾になり無事ではあったものの、とっさに自分の命に等しい楽器を盾にしてしまった罪悪感とその衝撃で壊れてしまったサックスを見て悲観にくれた彼女は楽器を、主にサックスをみると拒絶反応が起きてしまうようになってしまった。


 そして最近になって普通にジャズなどの曲が聴けるようになったらしい。しかしサックスの曲以外ではあるが。


「・・・なるほどな」


「あぁ、犯人は捕まったが未だにあいつの心は傷を負ったままだ」


 犯人は同じ団員のサックス奏者、27歳の男性だったそうだ。動機は嫉妬、それに加えて歪んだ愛情だったらしいがなんとも下らない。


「こんなことを聞いて悪かった」


「いや、むしろこんなことを勝手に話した俺が悪い」


 そう言いながらため息を吐く隆介だが、こいつは本当にミユキのことを考えているのだと理解した。


「まぁ、男嫌いになった時期もあってなぁ・・・大変だったんだぜ」


「そうか」


 ラウンド終了、敗北。


「とにかくだ、お前に女っ気がある風には見えないけどよ。少しは他人に興味を持てって、人間一人で生きていけねぇんだからさ」


「・・・いや、案外うまく生きていけるものだ。ほらキリがいいし、そろそろ勉強を始め・・・今何時だ?」


 辺りを見渡すが時計がない、掛け時計の一つでもあればいいもののと少し怪訝に思ったが、隣で隆介がスマートフォンを取り出し時刻を確認する。


「今は・・・ちょうど10時を回ったくらいだな」


 外を見ると完全に夜だった。


 まずい、家には・・・っ。


「すまん隆介、俺はもう帰る」


「え?おい、どうしたんだよ急に」


「邪魔したな」


 机に広げられた教科書、参考書の類を持参したカバンに無造作に突っ込んで行く。まずい、とにかく早く。


「なぁ、なんか俺が悪いことをしたのか?」


「いや、お前は決して悪くない。コーヒーご馳走様」


「なら理由教えてくれよ」


 悪い、飯の時間に遅れた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 街灯に照らされた道をただひたすら走る。多くの人が怪訝そうにこちらを見るが知ったことではない。


 ともかく急ぐことだ。


 食事の時間は毎日午後7:00と決めている。それは彼女に伝えてあり、毎日この時間に食事が出すように指示を出している。


 にもかかわらずだ。


 自分で指示を出したことを自分で破るとはどんな人間なんだ。俺は


「....くそっ」


 10分ほど走っただろうか、見慣れた町並みが見えてくる。ちょうど雨が上がった頃なのだろうか、アスファルトを街灯の光がキラキラと反射させており、ひどく濡れているのがわかった。


 そして、路地を抜け自分の見慣れた家を見ると、相変わらず玄関の明かりはついたままだった。


「結さん....やっぱり待っててくれたのか....」


 玄関の植木を抜けて、玄関の鍵を扉に差し込み、その扉を開くと、夕食の香りがほのかに鼻腔をくすぐる。


 やっぱり遅れてしまったか。


「結さん....ただいま戻りました」


 玄関の方で声をかけるが、返事がない。


 いつもなら、出迎えてくれるというのに出てこないということは....怒らせてしまったのだろうか?


 靴を脱ぎ、玄関から家へと上がる。奥のリビングの引き戸の隙間から明かりが漏れており、誰かがいるのかと思った。


「結さん?」


 リビングの引き戸を開けると見慣れたリビングが見える。変わらないテーブル、椅子、そして最近出した蓄音機。


 だが、二人分の食事が用意されているテーブルと、椅子の上にいる人物だけはいつも通りではなかった。


「....えっと....」


 うつ伏せになっている。見れば分かった、そしてこの呼吸音は明らかに熟睡しているのだろうと思った。


 エプロンをつけたまま、うつ伏せになって眠るその姿は、自分の記憶の片隅にあるほんのわずかな記憶、母の姿にも見えた。


「....」


 さて、これは起こすべきなのだろうか。しかし、自分が夕食の時間に遅れてきた分際でわざわざ健気に待っていてくれた人を起こすべきなのだろうか。


 ならばこのまま寝かせるべきか? しかし、こんなテーブルの上に寝かせてしまっていいのだろうか。だとしたら....


 寝室まで運ぶ。


 これ以外の選択肢はない。


「....失礼します」


 果たして起きているのかどうかもわからない、彼女に無駄に礼をした後。軽く椅子を引いて、彼女の足と体を自分の腕にかける。一応大学の授業の一環で介護の経験はある。


 しかし、顔が彼女に近づくと、この家で使っているシャンプーの香りがして、でもそれとは違う甘い何かの匂いがして....


 そして、女性の体ってのはこんなにも....


 いろいろと自分の精神を削りながら、彼女抱えあげる。確か、彼女の寝室は、この廊下の一番手前だ、少なからず数歩で済む。

 

 抱き上げて、廊下の入り口にさしかかった。


 その時だ。


「....っ....おか....さん」


「っ....」


 突如寝言を言いだし彼女が自分の胸に顔をすり寄せる。思わず起きたのかと冷や汗をかいたが、どうやらそうではないらしい。再び寝息を立てて眠ってしまった。


 少し息を吐くと、廊下の手前の部屋の引き戸を足で開ける。初めて彼女の部屋に入ったが、綺麗に整理されて、退去用のダンボールが端に積まれていること以外は綺麗に使ってくれているようだった。


 部屋の壁側には簡易ベットが置かれており、そこに彼女を静かに寝かせる。彼女の長い髪がなるべく体の下にならないよう注意して寝かせる。にしても、なんでこんなにも軽いのか、介護士施設の人たちはもっと重かったのにと、変なことを考えながら部屋を出た。


「....さて....飯を食べるか」


 再びリビングに来ると、自分用の食事はカバーが掛けられており、いつでも食べられるように準備ができているようだった。


 蓄音機の隣に置いてあるボックスの中から、一枚レコードを取り出す。


『星に願いを』


 なんとなく、ちょっと感傷的な気分になった自分だった。こんな気分で食べる飯にはこの曲が一番だろう。


 レコードをかけると、ピアノの音ともに、サックスの透き通った音が流れてくる。女性ボーカルがなんとも悲しげに歌う。


 隆介の家で聞いた話....どうも他人事ではなかった。


 作り置きの肉じゃがを口に入れながらそう思った。


 そして....


 彼女が寝言で言っていた、お母さんという単語。不思議だ、なんで自分には縁のないものばかり気になってしまうのだろうか。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る