データ7 ・・・?


 現状報告。


 目の前には一人の女性。


 名前は『新田 結』。


 自分との関係は家政婦として雇っている人物。


 その人物は見るに風呂に入っていたことを予想される。


 その証拠に濡れたショートの髪


 そして


 腰にしかタオルを巻いていない。


 腰にしかタオルを巻いていない。


 

 コシニシカタオルヲマイテイナイ。


 

 彼女の視線は自分の乗っている体重計の目盛りだろう。


 あっ、目が合ってしまった。


 今の自分の状態を報告。


 普段家で風呂に入るときにはタオルを使用しない。


 しかし。


 今回は梅雨の影響により振られた雨で濡れた体を拭うため、片手にタオルを持ってはいる。


 

 だが。



 大切な部分は隠していない。


「・・・へ?」


「・・・は?」


 ここまでの思考におよそ0.5秒


「ひゃ・・・っ!」


 彼女の軽い悲鳴の後


 特に何も言うことはなく。


 いつの間にか俺はリビングにいた。


 そして。



 いつの間にか腰にタオルを巻いて床に正座をしていた。



 なぜ自分をそうさせたか。


 理由はない、ただ椅子に座りたくなかった。


 廊下の奥が慌ただしい。


 それは当然だ。


 さて、出てきた彼女にどうするか。


 そんなことは決まってる。



 土下座だ。



 すれば済む話ではない。


 だが、しなきゃいけない。


 だが、しなきゃいけない。


 手をついて謝れ。


 廊下の方から足音が聞こえて来る。


 なんて言ったらいい。


 なんて言ったらいい。



「あ、あの・・・陽平さん?」


「本当に、申し訳ございませんでした」



 冷たい床に頭がくっつく。


 月並みの言葉だがこれしか思いつかない。


 こんなこと言って許されるわけじゃない。



「そ、そんなやめてくださいっ。それに、そんな格好でいたら風邪を引きますよ」


「本当に覗く気なんてありませんでした。ですが入る前に中に人がいるかどうかを考えておくべきでした。これは自分の責任です」


「大丈夫ですって。あれは本当に事故ですから気にしないでくださいっ」


 頭の上から優しい声でそう言ってくるものの、すでに自分はルールにもある通り、他人のプラバシーを侵害してしまった。


 となったら・・・


「すみません・・・すぐ荷物をまとめて出て行きます」


「えっ!?急に何・・・っ」


 ルールその4、1・2・3を守れなかった場合は即刻退室させる。


 自分とて例外じゃない。


「何言ってるんですか陽平さんっ、だってここはあなたの家じゃないですか」


「自分はルールを作った張本人です。守るのも自分の義務かと・・・」


「何でそんな堅いこと言ってるんですか、別に私は平気だと言ってるので平気ですっ!」


 堅い?


 自分の決めたことを捻じ曲げる、もしくは破る。


 そんな自分を律することは決して堅いことではない。


 と、思う。


「ほらっ!本当に風邪をひいてしまいますからっ、お風呂に入ってきてくださいっ!」


「あっ・・・はい・・・」


 さすがに彼女も怒っているのか、少し怖そうな顔をしている。


 よくよく考えてみれば子供みたいなことをした。


 と、思いながら廊下を渡り風呂場へと向かう。


 タオルをとって湯船に浸かると様々な考えが頭をよぎる。


 女性の人肌なんて初めて見た。


 母の裸も知らない。


 そんな自分が他の女性の裸を見てしまった。


 罪悪感で死んでしまいたい・・・


 頭が重さで水の中へと浸かる、水中で思った。


 この湯に・・・彼女が入っていたんだ。


 と


「うっ・・・ぷはっ!・・・」


 何やってるんだ、俺はっ、変態なのかっ!


 早く出よう・・・っ


 手短に体と髪を洗い、すぐさま体を拭いて風呂場を出る。見れば外の籠に着替え一式は置いてあり、おそらく彼女が用意しておいてくれたのだろう。着ると洗濯したての洗剤のいい匂いがした。


 廊下に出ると、和食のいい香りとレコードの音が聞こえてくる。


 これは・・・『But Not For Me』か・・・


 毎回食事の時にはこの前出したレコードプレイヤーで埃をかぶったレコードをかけている。


 選曲は彼女だが、センスがいい。彼女自身ジャズの知識は無いと言っていたが、だとしてもどうでもよく思えた。


「陽平さん、今日は煮付けですよ」


「あっ・・・はぁ・・・」


 いつもと変わらない対応、あんなことをしてしまったのに何も変わらない態度でいてくれるだなんて・・・


「うまく作れたと思いますよ、今日はお砂糖買いに行ったらお魚がお買い得で」


 見るとどうやら鰤の煮付けらしい、そして目の前に並べられてゆく飯と味噌汁。俺はまたいたたまれない気持ちになって謝ろうとする


 が


「すみません、あんな姿見せてしまって・・・」


「えっ?」


 食事を並べ終えた彼女は目の前に座り、少し申し訳なさげに顔を伏せているが悪いのは確実に自分だ。


「その・・・えと・・・見て・・・ませんよね?」


「えっ、いや・・・その・・・」


 がっつり見てしまってる。


 下半身はタオルで隠されていたから別にいい。だが上半身は・・・っ


 その姿を思い出し、なぜだか顔を伏せてしまう。理由はわかっている、今の自分はおそらく恥ずかしいくらいに顔が真っ赤だろう。


 少し顔を上げると彼女も少し頬を染めて、こちらから視線を外している。


 トランペットソロが怠そうにピアノとコントラバスと軽快なリズムを合わせている。そして澄んだ歌声で歌詞が流れてゆくがお互いしばらく無言の状態でいた。


 なんなんだこの状況は・・・カオスにもほどがある。


「いえ・・・みっともない姿を見せてしまって」


 先に口を開いたのは彼女だ、だがさっきと同じことを言っている。


 それにみっともない姿って・・・


「あっ・・・そんなことは・・・綺麗・・・だったと思います」


 何を言ってるんだ俺は。


「えっ・・・えと、それって・・・どういう?」


 この人は俺をそんなに苦しめたいのか?


「いえっ、その・・・肌が綺麗だったとか・・・女性のを・・・見るのが・・・初めて・・・で・・・して」


 そしてなんで答えているんだ俺は。


「・・・っ!・・・な、ならよかった・・・です・・・」


 そして再び沈黙、相変わらずレコードはジャズを奏でていてそれが唯一の救いだった。




「「あっ、あの」」




 二人の声が重なる、どうやら同じことを考えていたのだろう。


「・・・食べましょうか」


「そう、ですね。せっかく美味しくできたので食べちゃいましょうか」


 

 それでは



「いただきます」


「いただきます」



 外では未だに雨が降り続いていて、それが庭の紫陽花に当たる音、窓に当たる音、そして家の中でジャズを聴いている時もお互い終始無言だ。


 鰤煮付けの鰤はとても柔らかく、口に入れると少し甘くしょっぱい味が口の中に広がる。それでもって魚にのった油がいい感じにご飯と合い、箸がすすむ。


 その他に何か料理があるわけではないが味噌汁もとてもおいしいし、ご飯だって美味しかった。


 しばらくすると彼女が口を開きだして語ってくれたのは、どうしてこうなってしまったかの経緯だった。


 まず彼女は今日頼まれた砂糖の買い出しに、そして帰ろうかと思ったところ雨に降られ家に帰って風呂に入って出ようとしたところをばったり俺と会ってしまったということだった。


 だが、彼女が雨に降られたというのなら若干おかしい。なぜなら雨に降ってきたのはだいたい午後の1:00くらいでそこから俺が帰ってきたのが午後の4:00だ、だとすると彼女は3時間くらい家を空けていたということになる。


 なぜだ?


「あっ、え〜っとですね。いつも私が寮生活をしていた時にお世話になっていたお買い得のお店がありまして・・・そこでお買い物をしていたんですけど・・・」


 なるほど、そのお店がとても遠いからということなのだろう。だが行き帰り合わせて約2時間はあまりにも遠すぎる。食費のことを心配してくれているのだろうが、そんな思いをさせて買い出しに出て行かせようとも思わない。


「買い出しのことでしたら近くのスーパーでも構いません、今度からそっちを使ってください」


「いいんですか?」


「そんな遠いところまで行かせてお買い得品を買わせるほど、うちは家計には困ってないので安心してください」


「そうですか・・・」


 でも・・・


「あの・・・ありがとうございました」


 そんな遠いところまで行って安い食品を手に入れて、雨に濡れたということはおそらく歩いて行ったということなのだろう。


「今度は自転車も使ってください、使えるかどうかはわかりませんが・・・」


「・・・ありがとうございます、助かります」


 夜は更けてゆく。


 いつの間にか、今日起きたことについては笑い話になり、食卓は以前とは違う賑わいを持って終わった。


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