データ6 観察


「おはようございます、陽平さん」


「おはようございます」


 彼女こと家政婦こと「新田 結」は必ず毎朝5:30に起きる。


 することはさまざまだが、朝食づくりと昼は学食しか利用しない俺に弁当を作ってもらってる。


 彼女を雇って約一週間がたった。その間彼女についてわかったことは家事全般を得意としているということ、見かけによらず几帳面だということ、そして最近ではこの人は俺よりも賢いのではないかと思ったことだ。


「朝食ができるまで少しかかるので、顔を洗ってきてください」


「すみません、ありがとうございます」


 彼女を雇う上にあたって、いくつかのルールを設けた。


 1・ 食品、生活用品に関してはそれぞれ自分に必要なものを取りそろえ、互

   いに干渉しない。


 2・ 互いのプライベートな空間には必要な時以外は入り込まない。なお新田

   結に関しては自分の部屋、および月島 陽平の部屋とキッチン以外の立ち入

   りを許可しない。


 3・ 給料を支払い、自立生活ができるようになったら必ず報告すること。


 4・ 以上1・2・3のいずれかを守れなかった場合は即刻退室させる。


 そのほかにも様々なルールを設けたが、大まかなところはこんな感じだ。少なからず最低限プライバシーは守れるだろう。


「今日はシャケですか」


「お嫌いですか?」


「いえ、好きですよ」


 目の前には綺麗なピンクの色をしたシャケと味噌汁にご飯、まるで絵に書いたかのような朝食だ。


 以前の自分だったら想像できない。


「それでは、いただきます」


「いただきます」


 食事の挨拶は、自然と彼女の担当になってしまった。


 だが、こう誰かと向き合って食事をすることに慣れるのはまだ時間がかかると思った。


「そういえば陽平さん、大学では何をなさってるんですか?」


「薬学部です、今は6年生で研究と卒業論文の作成をしているところです」


「へぇ〜、何の研究をなさってるんですか?」


「お話ししてもわかりませんよ」


 どこか不満げな表情をしているが、説明したところで朝食の時間で収まる話ではない。


 それに薬剤知識のない人に話しても理解されないだろう。


 そして、朝食の時間は過ぎ。


「それでは今日は何をすればいいですか?」


 朝食の時間のあとに必ず今日、彼女がするべきことを伝えておくというのは自分の義務になっている。


「今日は家の全体的な掃除と洗濯物をお願いします。あと砂糖が切れていたようなので買い足しといてください。お金は帰ってから渡します」


「わかりました。あっ、陽平さん。ちょっと待ってください」


 そう言って、食事を終えた食器類を片付けながら小走りに廊下の方へと消えた彼女である。


 この前までは自分の着た服なんかを女性に洗濯させるのはかなり抵抗があったが、『このままでは失業する』などと訳のわからない理由で無理やりさせられている。


 さすがに自分の下着は自分で洗っているが。


 しばらくして、廊下の方から足音がして、そちらの方に目をやると手に何かを持った彼女が戻ってきた。


「昨日修理が終わりました、恐らく以前と変わりなく使えると思います」


 そう言って差し出してきたのは初めて彼女と会った時に壊されたウォークマンだった。


 受け取ったウォークマンの見た目は確かに所々傷ついているものの、イヤホンを耳にさし、再生ボタンを押すと彼女とぶつかった時に聞いていたガーシュインのラプソディーインブルーの続きが耳に流れてきた。


「大丈夫です、聞こえます」


「ハァ〜、よかったです」


 だが、


「これ、修理の道具は壊れてたのに・・・どうやって直したんです?」


「あぁ・・・それですか」


 少しバツの悪いように肩にかかったエプロンの紐を少しいじってうつむいていたが、やがてボソっ、と。


「あの・・・買っちゃいました。道具」


 やっぱり、おそらくそうだと思った。しかし今回このウォークマンの壊れた原因は彼女にもあるが自分にもある。


「いくらですか?道具代」


「えっ?いえいえっ、そんな大丈夫ですよっ。大したことありませんでしたし」


「ですが」


 自分の中でも、道具代は払うと決めていた手前。なんだか少し居心地が悪い。


 すると、そんな様子を感じ取ったのか「でしたら」と彼女が話し開けてきた。


「約束してください」


「?何をですか?」


「もう道で音楽を聴きながら歩かないって、約束してください」


 ・・・結構死活問題だ。だが今回の原因というのは自分が音楽を聴きながら歩いていたため、注意力散漫になってたことにも原因がある。


 ここは、素直になるべきだろう。


「・・・わかりました、約束しましょう」


「本当ですね?言質は取りましたよ」


 そう言ってにっこり笑った後、「食器、片付けちゃいますね」と言って再び台所に戻った。


 そして、家を出る時間になった頃。


「では、行ってきます」


「はい、気をつけて」


 曇り空、俺はウォークマンをポケットに入れて大学に向かった。



[[[STANNUM 7.365 g/cm・cm・cm 231.9℃ 50 Sn]]]



「陽平、そんでよ。本当に勉強会どうする?」


「なんでお前は僕の食事を邪魔したがる、趣味か?」


「にしても、お前の弁当うまそうだな。なぁ、一口くれよ」


「一口100円だ」


 ケチ言うなって、と言いながら相変わらずなこの男だが今日はなぜか隣に女性が座ってる。


「おい、その隣の女性は?」


「あぁ、こいつは幼馴染のミユキってんだ」


「こんにちは、ミユキです」


 そう言って頭を下げた女性は隆介に比べ、随分とおとなしそうな人だった。腰まで伸びた黒髪とぱっちりした黒目は、どこか理系というよりか文系のイメージを強く感じた。


「こいつは文学部でな、たまに飯を一緒に食うんだよ」


「そうなのか、やっぱりね」


 人は口ほどに見た目が多くを語る。


「隆介くんから話はいつも聞いてます。ジャズがお好きなんですよね?」


 少し微笑を浮かべ、話しかけた彼女に対して少し苦笑してしまう。そしてその隣でヘラヘラしている隆介を流し目で睨みつけた。


「えぇ、好きですよ」


「私も好きなんですよね、アームストロングとかベニー・グットマンとか」


 ほぉ、なかなか話が分かりそうだ。


「何か楽器をなさってたんですか?」


「あっ、私実は少し前にサックスをかじってて」


「なのにクラリネットとトランペットなんですか?」


 アームストロングと言ったらトランペット、グットマンと言ったらクラリネットだ。


「えぇ、でもちょっと色々あって・・・」


「まぁ、そこは色々聞かないでやってくれ」


 珍しく隆介が真面目な顔をしている、別に言及するつもりもない。人の過去にはこだわりはない。


「あっ、雨」


「おっ、降ってきたな」


 二人が俺の後ろの窓を眺めてそう言ったため、すかさず振り返り窓の方を向くと確かに、雨粒が窓を叩いておりパラパラと降り始めたのがわかった。


「どうしよう、傘持ってきてない」


「俺持ってきてるから貸すよ」


 二人のやり取りを聞いて、そういえば折りたたみは持ってきてたよなと少し不安になる、だがどうにかなるかと思い再び弁当に手をつけようと・・・おい。


「なんだ?陽平」


「お前、後で100円よこせ」


「えっ!?なんでっ」


 とぼけるんじゃない、白々しい。隣の女性も少し口の端がつり上がっている、となったらこいつしかいない。


「お前、俺の楽しみに取っておいた卵焼きを盗ったろ」


「お、おい何言ってんだかさっぱり?」


「ならば勉強会の件は無しだ、一人寂しくCBTの勉強をするんだな」


「すみませんでした」


 そう言って差し出してきた100円を俺は奪い取るようにして取った後、果たして折りたたみ傘を持ってきたかと心配になってきた。


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 さて、外は午後4:00を過ぎても土砂降りで、頑張って走って帰るにしても5分かかるだろう。


 例によって折りたたみ傘は鞄の中になかった。


「・・・ハァ・・・いくかっ」


 鞄を頭の上に乗せ、土砂降りの中をかけだした。


 プリントや教科書の類入れてない、全てロッカーの中に入れてきた。


 そしてポケットに入れたウォークマンが絶対濡れないようにと教授に頼んでラップで巻いてきてある。


 家までには予想どうり5分で着いた、しかし服が雨に濡れぐしょぐしょになり鞄でガードしていたのにもかかわらず髪はぐしょ濡れだった。


「ひどいな・・・」


 こんなことになるんだったら折りたたみ傘があるかを確認しておくべきだったと後悔した。


 だが、家の玄関の明かりがついていて、普段誰も家に誰もいないのだというの考えるよりかはずっといいことなのかもしれないと思えてしまった。


「すみません、ただいま帰りました」


 玄関の鍵を開け、家の中に入ると明かりはついているものの返事がない。


「ん?いないのか・・・」


 そういえば砂糖の買い出しを頼んだが、この雨の中行かせてしまったのは少し不憫に思った。


 それよりもだ。


 とにかく体を拭かないと。


 タオルは脱衣所に置いてあったはずだ、そう思い廊下を渡り突き当たりを曲がると少しわかりにくいが脱衣所がある。


 昔はよく間違えた。


 脱衣所の中に入り、タオルを探すと普段と同じ場所に洗濯されて綺麗に折りたたまれたタオルの束が重なっており、彼女がやっておいてくれたのだと思った。


 まず、濡れた服を脱いで洗濯機の中に放り込んでおく。そして上半身裸になった後タオルで濡れた体を拭っていたら、このまま風呂に入ってしまおうと考えズボンなども脱いで洗濯機に放り込んだ。


 タオルを片手に脱衣所を出るが、この家の変わっているところでなぜか脱衣所と風呂場が別々になっており、少し廊下をでないと風呂場には行けない。


 理由は定かではないが、昔ここが学生相手に民宿をやっていた名残だというが、よくはわからなかった。


 さて、ひとっ風呂浴びてさっぱりしよう。


 そう思って風呂場の入り口にかかる暖簾を勢いよく開けた。



 それがまずかった。



「・・・え?」


「・・・は?」



 若干湯気のこもる風呂場。



 腰にタオルを巻き、体重計に乗っている新田 結の姿。



 本当に腰にしかタオルを巻いてない。



 あれ?

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