第5話 夏(でも、その前に梅雨)

リカと明日香とその人。


3人は砂浜で、しばらくじっとしていた。


その人の髪は細くて長く、弱い風にもサラサラとなびいている。


「ワンッ」


特に意味は無いが、リカは1回吠えた。


「クスクス」

「ハハハ」


それを見て二人は笑った。


太陽の光が、ゆっくりとボリュームを下げるみたいに弱くなって行く。


「夏がまた来るのね」


「はい……」


その人が言うのに答えて明日香が言った。


それが嫌だったのか、その人は少し暗い顔になる。


「あっでも…」


慌てて明日香が言う。


「その前に、梅雨が来ます…」


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「そうですね。夏はその後ね」


その人が、そう答えると今度は明日香が影をおびるように俯いた。


確かに梅雨は来る。そして、その後に夏が来る。


春のうちにムクムクと生い茂った草が、雨に濡れてむせるような匂いを放ちだす。


それは夏の始まりの始まりだ。


デタラメに降り注ぐ日差しと、アチコチに放射される熱がうるさい季節の訪れだ。


そんな季節に…。


「征司がいなくなって、もうすぐ一年か…」


その人が呟くと、明日香は悲しそうな顔をあげた。


そう、それは夏のある日の出来事だったのだ。


「征司さんは…」


明日香が呟く。


「征司さんは、みんなの憧れでした」


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吹く風は優しくても季節はまだ早く、それはとても冷たい風だった。


「あの波に…。征司さんならきっと出来るって…」


あげた顔をまた俯かせ、トロトロとこぼすみたいに明日香は呟く。


「みんな。みんな信じてしまって…」


「私は嫌だった」


その人がそう言うと、明日香は何かに叩かれたみたいに背中を固くした。そして黙った。


「誰かに止めて欲しかった。あんな海に入る事を。止めて欲しかった」


烈しく続く言葉を聞いて、リカはムクリと顔をあげた。そしてその人を見た。


その人もまた、悲しそうな目でリカを見た。


その時吹いた風に、リカは雨の匂いを感じた。


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「別に責めてる訳じゃないのよ…」


リカの目を見ながらその人は言った。


「だって…」


言葉の続きを待って、明日香も顔をあげた。その目は涙で濡れていた。


「征司は、自分で海に入ったんだから…」


その人の目は、もう何も見ていないようだった。ただ海の方を向いていた。


「私も征司をとめられなかったんだから…」


「ごめん…なさい…」


ふいに、明日香が呟いた。


「ごめんなさい。ごめんなさい」


その人はただ黙って、それを聞いた。


「ごめんなさい……」


最後にそう呟くと、明日香は子供みたいに、わんわんと泣き出した。


ただひたすら。わんわんと。


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ぽつりと大きな雨粒が砂浜に落っこちて、黒い染みを作った。


「雨…。」


全ての時間が収束するみたいに、辺りが暗くなっていった。


リカは立ち上がり、明日香の側に寄った。


「そうね、雨宿り…」


明日香の背中を優しく撫でると、その人も立ち上がった。


3人が防波堤の影に隠れると、途端に雨はザーッと降り出した。


明日香はヒクヒクと声を抑えて泣いている。


悲しそうな顔をそのままに、その人はまたしゃべりだす。


「もう、海はイヤ。そう思ってた」


聞いているのかいないのか、明日香はなおしゃくりあげる。


「でも…。ここじゃない何処にも征司はいなかった」


その言葉に、リカの耳がピクリと動いた。


「ずっと、会いに来たかった。」


その人のその言葉は小さくて、雨音にかきけされそうだった。


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