第5話 夏(でも、その前に梅雨)
リカと明日香とその人。
3人は砂浜で、しばらくじっとしていた。
その人の髪は細くて長く、弱い風にもサラサラとなびいている。
「ワンッ」
特に意味は無いが、リカは1回吠えた。
「クスクス」
「ハハハ」
それを見て二人は笑った。
太陽の光が、ゆっくりとボリュームを下げるみたいに弱くなって行く。
「夏がまた来るのね」
「はい……」
その人が言うのに答えて明日香が言った。
それが嫌だったのか、その人は少し暗い顔になる。
「あっでも…」
慌てて明日香が言う。
「その前に、梅雨が来ます…」
#########################
「そうですね。夏はその後ね」
その人が、そう答えると今度は明日香が影をおびるように俯いた。
確かに梅雨は来る。そして、その後に夏が来る。
春のうちにムクムクと生い茂った草が、雨に濡れてむせるような匂いを放ちだす。
それは夏の始まりの始まりだ。
デタラメに降り注ぐ日差しと、アチコチに放射される熱がうるさい季節の訪れだ。
そんな季節に…。
「征司がいなくなって、もうすぐ一年か…」
その人が呟くと、明日香は悲しそうな顔をあげた。
そう、それは夏のある日の出来事だったのだ。
「征司さんは…」
明日香が呟く。
「征司さんは、みんなの憧れでした」
#########################
吹く風は優しくても季節はまだ早く、それはとても冷たい風だった。
「あの波に…。征司さんならきっと出来るって…」
あげた顔をまた俯かせ、トロトロとこぼすみたいに明日香は呟く。
「みんな。みんな信じてしまって…」
「私は嫌だった」
その人がそう言うと、明日香は何かに叩かれたみたいに背中を固くした。そして黙った。
「誰かに止めて欲しかった。あんな海に入る事を。止めて欲しかった」
烈しく続く言葉を聞いて、リカはムクリと顔をあげた。そしてその人を見た。
その人もまた、悲しそうな目でリカを見た。
その時吹いた風に、リカは雨の匂いを感じた。
#########################
「別に責めてる訳じゃないのよ…」
リカの目を見ながらその人は言った。
「だって…」
言葉の続きを待って、明日香も顔をあげた。その目は涙で濡れていた。
「征司は、自分で海に入ったんだから…」
その人の目は、もう何も見ていないようだった。ただ海の方を向いていた。
「私も征司をとめられなかったんだから…」
「ごめん…なさい…」
ふいに、明日香が呟いた。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
その人はただ黙って、それを聞いた。
「ごめんなさい……」
最後にそう呟くと、明日香は子供みたいに、わんわんと泣き出した。
ただひたすら。わんわんと。
#########################
ぽつりと大きな雨粒が砂浜に落っこちて、黒い染みを作った。
「雨…。」
全ての時間が収束するみたいに、辺りが暗くなっていった。
リカは立ち上がり、明日香の側に寄った。
「そうね、雨宿り…」
明日香の背中を優しく撫でると、その人も立ち上がった。
3人が防波堤の影に隠れると、途端に雨はザーッと降り出した。
明日香はヒクヒクと声を抑えて泣いている。
悲しそうな顔をそのままに、その人はまたしゃべりだす。
「もう、海はイヤ。そう思ってた」
聞いているのかいないのか、明日香はなおしゃくりあげる。
「でも…。ここじゃない何処にも征司はいなかった」
その言葉に、リカの耳がピクリと動いた。
「ずっと、会いに来たかった。」
その人のその言葉は小さくて、雨音にかきけされそうだった。
#########################
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます