第4話 あの人

勢い良く走り出したものの、明日香はその後、海に浮いているだけだった。


凪いだ海はやたらと静かで、その水平線はくっきりと真っ直ぐに見える。


空には、誰かが上げているカイトがぐるぐると旋回している。


リカはそんな景色のなかで、まるで大きな円盤の上に乗って、ゆっくりと回っているような気分になっていた。


これが時間の流れなのだとしたら。


その割にはやたらとゆっくりで、もしかしたら、地球の時計が壊れてしまったのかも知れない。


リカから見たら、世界の仕組みなんてそれぐらい、いい加減なものではあった。


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たとえば、海に浮かんでいる明日香だって、今はボードの上に乗っているけれど、本当はいつでもひっくり返る。


空に浮かんでいるカイトだって、風の力をいつか失って、本当は真っ逆さまに地面に落ちる。


でも、それらの本当も本当はデタラメで、それこそ時間を止めていつまでも浮いている。


こんな必然を失った円盤の上で、リカは毎日ぐるぐる回っている。


そこにはもちろん征司もいて、タップリとした満足は、どれだけでもリカを満たす。


でも、だから。


だから今、リカの中にはポッカリと穴があいてる。


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それが必然だとして。


必然なんてひどく残酷だからリカは理解なんて出来ない。


海は大きくて全てを包む。


海は巨大で全てを飲み込む。


「だから、しょうがないんだよ…」


明日香がリカにそう言った。


「征司さんは、海が好きだったから…」


その時の明日香は泣いていた。


それは結局、どうしようもなく残酷な必然というものだった。


時折起こるこの必然は、円盤を急加速させて、おさまる頃には何かを振り落としている。


こうやって、リカの乗った円盤から征司はこぼれ落ちてしまったのだ。


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そんな事を考えていたリカだったが、不意に耳をピクンと動かすと、ムクリと頭をあげた。


「リカ、久しぶり」


その人の事はよく覚えている。


いつだったか、海へと入る征司を一緒に見ていた”あの人”だ。


吠えてみようか?とリカは思いもしたが、つい面倒だと思いやめた。


リカはそのまま頭を落とし、遠くの海を眺めた。


「もう、ここには来ないつもりだったけど…」


そう言いながら、その人はリカの隣に腰を降ろした。


リカは、その様子を上目遣いで見ている。


「ようやく、気持ちが落ち着いたんだ…」


その人はそんな風に話しているが、リカは微かにその人から征司の臭いが漂うのを感じていた。


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「お久しぶりです」


いつの間にか明日香が現れて、その人にアイサツをした。


「お久しぶりです」


その人も、そんなふうにアイサツを返した。


「元気でしたか?」


馴れ合いにも感じるセリフだったが、明日香は本当に心配して、そう言っているようにリカは思った。


「どうにか…。元気でした」


その人はそう言うと、目に涙を浮かべた。


「辛かったですけどね…」


遠い昔の出来事を思い起こすようにその人は言った。


「だけど、なんとかここに来る事が出来ました」


悲しみが砂に溶けて、それでもリカの円盤はゆっくり回り続ける。










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