第07話『笑顔の証明』
「……ついにこの時が来てしまった」
寝起きのテンションは最悪と言ってもいい。
巡に起こされる前に授業の終わりを告げるチャイムに起こされた俺は机に両肘をついて手を組んでいた。
本日最後の授業の担当の先生と入れ替わるように担任が教室に入ってくる。
「ん?」
教卓の前に立った担任は明らかに不穏なオーラを纏ってる俺に気づき、一瞬目を合わせたものの瞬間的に視線を逸らした。
関わるべきではないと頭の中で警鐘が鳴り響いたのだろう。年齢には添わない的確な判断は賞賛に値する。野生の勘……というよりは女の勘が働いたのかもしれない。なるほど。ただの年増という考えは改めた方が良さそうだ。
帰りのホームルームは何事もなく終了し、静まり返っていた教室に活気が戻り始める。
ちらりと隣の席の巡の様子を伺うと、鼻歌を歌いながら帰りの支度を整えていた。椛と葵雪は既に準備完了らしく、二人揃ってこちらへやってくる。
「浮かない顔してるけど寝不足?」
「いや、睡眠は授業中にたっぷり取った」
「じゃあどうしてそんな顔してるのよ」
「これから地獄が待っているからだよ……」
ひよりのことを考えると頭が痛い。
根に持つタイプでは無いような気がするがしばらくの間はグチグチと文句を言われるのは目に見えている。
「昼休みのことまだ引きずってるの?」
「お前は気楽でいいな巡」
「私には関係ないことだもん。でもまぁ話を聞いた限りだと修平くんに否は無いんだしそこまで思い詰めなくてもいいんじゃないかな? そんな顔してたら楽しい放課後が台無しだよ?」
「……それもそうだな」
気持ちを切り替えよう。新鮮な空気を吸えば少しは気が紛れるはずだ。
立ち上がって近くの窓を開け放つ。教室内の淀んだ空気が窓の外に流れ出し、代わりに新鮮な空気が入り込んでくる。
この町の澄んだ空気を大きく吸い込めば心が満たされるのはまず間違いない。
「しゅーへーさーん!!」
そう。この俺を呼ぶ声すら無ければ。
ひよりの声に気づいた三人が窓の下を覗き込む。
「修平くん呼ばれてるね〜。あの子が小夏ちゃんなのかな〜」
「違うと思うよ。小夏ちゃんは修平くんのことお兄ちゃんって呼んでたから」
「てことはあの子が噂に聞くひよりって子か。元気そうないい子だね」
「あの子も私たちのグループに入れよっか。可愛いし、修平くんとセットで面白いことになりそうだよ」
「わたしは賛成だよ〜」
「あたしも」
頭を抱える俺の隣で話が進んでく。
もはやツッコミを入れる気力すら無かった。もうなるようになっちまえ……。
ひよりの馬鹿でかい声は教室に残っている奴らにもはっきりと聞こえているらしく、先程からチクチクと視線が突き刺さる。
転校生がまた何かしただの、女の子をはべらせてるだの……あることない事噂が飛び交っているこの状況どうにかならないだろうか……。
ため息を吐きながら視線を落とす。
返事も無いのに懲りずに叫び続けるひよりを周りの人は怪訝な瞳で遠巻きに眺めていた。
小夏は……あー、いるな。完全に面白がってる。止める気は無さそうだ。
木陰に身を隠し、ひよりとこちらを交互に見て様子を伺っている小夏。その紅い瞳は好奇心によって火が付いていた。
「返事してあげないの?」
葵雪の言葉に俺は首を振る。
「無視しておけばあいつが怪しい人になるだけだからな。俺に被害はない」
「名前連呼されている時点で被害は受けてると思うんだけど……?」
「葵雪ちゃん。修平くんにとって名前が広まることは願ったり叶ったりなんじゃないかな?」
「お。さすが巡。分かってるな」
「? どういうことなの〜?」
椛と葵雪は意味が分からないらしく頭に疑問符を浮かべていた。答えを言わずに黙り込んでいると二人は少し考えるような仕草をし、やがて葵雪の方がぽんと手を鳴らす。
「修平は美少女に名前を叫ばれることに快感を覚えるのね」
「ちげーよ!! 俺にそんな特殊な趣味はねぇ!!」
「え?」
「真顔で返すな!! ほら見ろ!! 椛が信じちまったじゃねーか!!」
納得したような表情で頷く椛を指さして俺は事実無根だと訴える。その思いが届いたのか椛はほんわかとした笑顔でグッと親指を立てる。
良かった。数少ない友達に変態レッテルを貼られたら俺としてもこれからどう生きていけばいいか分からなくなるところ――
「大丈夫だよ〜。わたしはどんな修平くんも受け入れるからね〜」
「全ッ然分かってねぇ!!」
ガンッと机に頭を打ち付ける。
ああ……この痛みだけが俺が生きていることを実感させてくれる。
もうこのまま拗ねてふて寝してやろうか……。そうすればみんなもう少しくらいは俺のことを大切に扱ってくれるかもしれない。
「みーなーぎー!! しゅーへーさーん!! 無視ですかー!! ひよりのパンツの中覗いたしゅーへーさーん!!」
「おいこらひよりぃぃぃいいい!!? てめぇ何でまかせ叫んでやがる!?」
飛び起きて窓の外に向かって叫んだ。
途端にクラス中がざわつく。軽蔑と非難の視線の嵐が巻き起こり容赦なく俺を襲ってくる。
嵐の根源であるひよりはこっちの状態なんてお構いなしに叫ぶ。ちなみに小夏は笑い転げていた。叫んでいるひよりよりも地面でゴロゴロと転げ回る小夏の方が視線を集めているのだが……これ如何に。
「でまかせじゃないですよー!! 昼休みのこと忘れたとは言わせませんよー!! 修平さんの覗き魔ー!!」
「俺が覗いたのはスカートの中であって、断じてパンツの中ではねぇだろうがぁぁぁぁぁあああああ!!?」
「や、修平。それ弁解になってないから」
「……」
失言を悟り、俺は教室を見渡すとクラスメイトはおろか、廊下にいた下校中の生徒や担任までもが俺のことを見ていた。
軽蔑? そんな生易しいものじゃない。これはゴミを見る目だ。真夏のゴミ捨て場に放置された生ゴミにでもなった気分だ。
「……椛。お前はどんな俺でも受け入れてくれるんだよな?」
期待と不安の眼差しを向けると、椛は変わらずほんわかと笑みを浮かべていた。
「男の子だもんね〜。そういうお年頃ってわたしは分かってるよ〜。だから気にしない〜」
椛が天使に見えた。
たった一人理解者がいるだけでこんなにも心が軽くなるのか。もう俺に向けられている視線なんて何一つ気にならなかった。
「巡、葵雪。お前らも俺の味方か」
「えと、敵対した覚えはないから味方だよ?」
「なら手伝ってくれるよな?」
「楽しくなりそうなことなら喜んで」
巡はニコッと微笑む。
「あたしは別に何でもいい。何か企んでいるなら乗るよ」
「わたしも〜」
「なら行こう――」
身を翻して俺は廊下へと向かう。
隊列を取るように同士は俺の背中に続く。
ひより、小夏……俺を馬鹿にしたことを後悔するがいい。
「――さぁ、狩りの時間だ」
口元を吊り上げ、俺は手元のスマホの送信ボタンをタップした。
※
「なんでぇぇぇぇ!? こんな事になってるんですかーーーーーっ!!」
それから数分後。ひよりの絶叫が校舎全体に響き渡っていた。
校舎にはまだ大勢の生徒が残っており、ひよりの絶叫に何事かと目を丸くする生徒もいれば物珍しそうにスマホで写真を撮っている生徒も多々いる。
そんな群衆の中を全力ダッシュで駆け抜けるひよりと、それを鬼気迫る形相で追いかける俺。傍から見れば奇っ怪な光景に違いない。
さて、現在の状況を説明しよう。
詳しい説明は省くとして、簡潔に言ってしまえば鬼ごっこをしている。理由? ただ捕まえるだけじゃつまらないからゲーム形式にしただけだが何か問題でも?
ちなみにスタートの合図は先ほどスマホで送信したメッセージだ。
分かっているとは思うがあえて説明しておくと鬼は俺たち三年組で、逃げるのはひよりと小夏の二年組。
戦力差があるんじゃないかと思っているそこの君。実力がはっきりしていないひよりはともかく、小夏のことを甘く見てはいけない。あいつの足の速さと持久力は女子高生の平均を軽く上回っている。
その理由はおいおい話すとして……今はひよりを取っ捕まえることを最優先にしよう。
「ひよりちゃん足速いね〜」
「……椛って意外と体力あったんだな? 絶対序盤で力尽きると思ってたんだが」
俺に併走する椛は呼吸一つ乱れていない。
まだまだ全然余裕のある表情で走っていた。
「こう見えてわたし元陸上部だから〜。体力なら巡ちゃんや葵雪ちゃんよりもある自信あるよ〜」
「……マジか。人選ミスったわ」
一番動けなさそうな椛が一番動けるとは思いもよらなかった。人は見かけによらないってこういう事を言うんだな。
「ちなみにね、わたし達の中で一番体力無いのは巡ちゃんだよ〜」
「まぁそうなるよな……。早いとこひよりを捕まえて巡たちを助けに行こうぜ」
「了解なんだよ〜」
椛と話している間もスピードは一切落としていないのだが、ひよりとの距離はなかなか縮まらない。
様子を見る限りひよりの体力もまだ有り余っているようだった。このままじゃ平行線のまま埒が明かない。
「……っ」
おそらく同じことを考えていたであろうひよりが先に行動を起こす。突然加速して角を曲がった。
反応が遅れたせいで僅かとはいえ距離が開いてしまう。俺たちが角を曲がった時には既にひよりの姿は無く、静寂に包まれた階段の踊り場が出迎えてくれた。
「上か下か……どっちだ」
耳を澄ましてみても返ってくるのは耳が痛いほどの静寂だけ。おそらく上か下のどちらかに行ったあと、俺たちが音で追ってこれないように歩いて逃げるか、止まって様子を伺っているのだろう。
「修平くん〜。ひよりちゃんって馬鹿なんだよね?」
「唐突だな……。多分馬鹿だと思うが」
「馬鹿となんちゃらは高いところが好きっていうから上に行ったんじゃないかな〜」
「ひよりは馬鹿じゃないですよ!? ……あ」
「あ」
上の階からひょっこりと顔を出すひより。
数秒間見つめ合った末、同時に駆け出した。
「うわーん!! 名前も知らない先輩に馬鹿にされた挙句見つかったー!!」
「ばーかばーか!!」
「修平さんはちょっと黙っててくれませんか!?」
「馬鹿に馬鹿と言って何が悪い」
「なっ!? 馬鹿って言う方が馬鹿なんでよー!!」
「テンプレ会話だね〜」
一向に速度の落ちる気配が見えないひより。
こちらの体力に余裕があるうちにケリをつけてしまうのが得策だが、何か企んでいることを考慮すると下手に動くことができない。
夕日が山の向こうに消えかけていた。
校舎は徐々に夕焼けの色に染まっていき、美しくも儚い幻想的な空間に案内されたような気分になる。
この幻想的な空間が終わり常闇が訪れた時、それは
「巡ちゃん達の方はどうなってるかな〜?」
「正直言って期待してない。小夏に弄ばれているのが目に見えている」
「追いかける側が弄ばれるって……悲しいね〜。ところでふと思ったんだけど」
「ん? どうした?」
「ひよりちゃんを捕まえた後はどうするの〜?」
「決まってるだろ。俺を侮辱した罪を体に刻みつける」
「……止めないけど警察沙汰だけはやめてね〜」
止めないんかい。
心の中でツッコミを入れながらこの状況をどうするべきか考える。
「椛。全力を出したら何秒でひよりに追いつける?」
「ひよりちゃんがどれだけ走れるか分からないから何とも言えないけど、このペースなら五秒かな〜」
「よし。ならどうにかしてひよりを上の階に誘導してくれ。捕まえても構わない。とにかく優先すべきは上の階への誘導。おけ?」
「合点承知だよ〜。それじゃあ……行くよ」
椛がアクセル全開にするのと同時に俺は来た道を反対に走り出す。
単純な話、いつまでも追いつけないのなら挟み撃ちにしてしまおうという訳だ。飛ぶように走り続け、階段を一気に駆け上がる。
「――なぁ!?」
タイミングぴったり。階段を登りきると同時にひよりが俺の前に姿を現した。
咄嗟に踵を返して反対に逃げようとするがそちらは椛が押さえている。逃げ場は残されていなかった。
「チェックメイトだ、ひより」
「ぐぬぬ……。挟み撃ちなんて卑怯です……」
「勝負の世界は非情なんだよ。潔く諦めるんだな」
ジリジリとひよりに詰め寄る。
抵抗する気が無いのか何か考えているのか、その場にしゃがみ込んでひよりはジッと俺を見据えている。
あと数歩で手が届く――そのタイミングでひよりは唐突に窓の外を指さした。
「あ、UFO」
「なに!? って、そんな古典的なトラップに引っかかるか!!」
手を伸ばすがそれよりもワンテンポ早くひよりが後ろに駆け出す。しゃがみ込んでいたのは諦めたからではなくスタートダッシュを決めるためだったらしい。
けど残念だったな。反対側は椛が押さえているから結局詰んでるんだよひよりぃ!!
「UFOどこどこ〜」
「椛ぃぃぃぃぃいいいいい!!?」
椛は窓に張り付いて、いもしないUFOを探していた。
邪魔されることなく最高のスタートを切ったひよりの背中はあっという間に見えなくなってしまった。
「……おい、椛」
「修平くん、UFOどこ〜? 全然見つからないよ……って、怖い顔? あれれ? ひよりちゃんはどこ〜?」
「とっくに逃げたわ!!」
「あはは〜。嘘ってのは分かってたんだけどね。もしかしたらって思って〜」
「もしかしたらってお前なぁ……」
……分かっていたなら尚更どうしてひよりを捕まえなかったんだ……。はぁ、こりゃもう俺たちの負けだな。
ため息を吐くと同時に最終下校の鐘が鳴り、ポケットの中のスマホが震える。送り主は確認するまでもなく小夏だろう。
「校門前で待ってるとさ。行こうぜ」
メッセージを確認して椛に声をかける。
「うん〜」
赤黒く染まっていく校舎の壁。廊下に響く足音がやけに大きく感じる。一歩一歩足を進める度に周囲は闇に包まれていく。この町の夜の訪れは早そうだった。
※
校門の前には俺と椛以外の全員が集まっていた。日は完全に落ちていて、街頭の無いこの辺りは近くまでいかないと誰が誰なのか分からないくらいだった。
「あ、お兄ちゃん。遅かったね」
「……誰のせいだと思ってるんだ」
この場にいる全員分のカバンを地面に置く。
鬼ごっこをしている最中はカバン等々は教室に置きっぱなしだった。小夏に持ってきてと言われ渋々教室巡りをしていたのだ。
「……」
「……」
顔を上げた拍子にひよりと目が合う。
すぐに逸らされるかと思いきや、ひよりは俺を見据えたまま動かない。
昼間とは違った冷たい風が吹き抜け、微妙な空気だけが残る。
「……楽しかったか?」
気づけばそう口にしていた。
俺の意志とは関係無しに出てきたその言葉はひよりの表情を変える。
一瞬驚いた表情に。けれど後に残ったのはまだ見たことないひよりの表情だった。
「修平さんって変わってますよね。勝手に人を巻き込んで迷惑かけたくせに、真っ先に出てくる言葉がそれですか」
「楽しくなかったか?」
「はい。全ッ然楽しくありませんでした。でも――」
まだ見たことないひよりの表情。それは――
「悪くはなかった、です」
向日葵のように明るく、そして猫のようにいたずらっぽい、実にひよりらしい魅力的な笑顔だった。
to be continued
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