第06話『騒がしい昼休み』

「――あはは! 何それ! あはははっ!」


その日の昼休み、朝の出来事を小夏に話したら案の定爆笑された。俺は腹を抱えて笑い続ける小夏を不満げに見ていたが、当の本人は一切気にした様子なく笑い続けている。


葵雪に小夏の紹介を頼まれていたが、それはどうせなら時間がいっぱいある時の方がいいということで放課後に行うことになっていた。


「うお!? おいバカ!! 紙パック握り潰すな飛び散るだろ!!」


「だってお兄ちゃんがバカすぎてあはははっ!」


だからこの昼休みも昨日同様二人で青空の下、レジャーシートを広げてのんびり……のんびり? まぁいつも通りに過ごしているわけだ。

ちなみに俺と小夏が今いる場所は屋上。生徒立ち入り禁止って書かれた貼り紙は見なかったことにしている。


「風が気持ちいいねー」


「この季節はやっぱここで飯を食うのが一番だわ。景色もいいしな」


「ただの108円のサンドイッチがこんなにも美味しく感じるなんて。景色がご飯を美味しくするって本当のことだったんだね」


「これからは毎日ここで食べようぜ」


「賛成!」


都会の景色と自然に囲まれている景色とではやはり雲泥の差がある。

何処を見渡してもビル群しかない都会。それに比べて虹ヶ丘町は森や川などがあり、都会慣れしていた俺たちにとっては新鮮な景色だった。


「ところでさ」


「んー?」


「お兄ちゃんは学校の屋上にどうしてフェンスが設置されているか知ってる?」


コーヒー牛乳を噴き出した。

茶色の液体が霧状になって小夏に降り注ぐ。


「うわっ。汚いなぁ……。お兄ちゃんは妹をコーヒーまみれにする趣味があるの?」


「この話の流れでどうしてそんな暗い話題を持ってくる!?」


「落下防止というよりは自殺防止の為に設置されているんだって」


「知ってるよ!?」


「じゃあさ、あれ、何しようとしているように見える?」


おもむろに小夏は真横を指さす。

汚れた口元をハンカチで拭いながら視線を移すと、そこにはフェンスによじ登っているオレンジ色の髪の少女がいた。

あーあ、スカートでそんなことしたら下着見えちゃうだろ……。


「自殺でもしようとしているだけだろ」


「やっぱりお兄ちゃんもそう思う?」


「屋上でわざわざフェンス乗り越えてまでやる事なんてそれくらい。結局フェンスがあってもこういう奴がいるから意味無いと思うんだよな」


「せめて有刺鉄線で作れば防止になるけど、やっぱこれじゃダメだね」


「有刺鉄線とか監獄かよ」


「だよねー、あはは」


「はははっ」


「……」


「……」


「……って!! 冷静に分析してる場合じゃないだろこれ!!?」


俺と小夏は同時にフェンスによじ登る少女の元へ全速力で駆け寄る。

少女はもう一番上まで登りきっていて、掴んでいる手を離したら真っ逆さまに地面に落ちていってしまうであろう状態だった。


「バカな真似はやめろ!!」


そう叫ぶと、少女はまるで今俺たちの存在に気づいたかのように驚きの表情を浮かべる。


どうする? どうすればいい? ああクソ!! 自殺しようとしている人の対処法なんて産まれてこの方考えたことがねぇ!! とりあえず説得か? 何が一番効果的なんだ!? ええい何でもいい!! とにかく今は止めることが先決だ!!


「――おい!! パンツ見えてるぞっ!!」


「変態ですか!?」


自殺少女はスカートの端を握りしめ、羞恥で真っ赤になった顔で俺を睨みつける。

うん。土壇場とはいえ俺は何を叫んでいるんだろうか? 他にもっとかけるべき言葉があっただろ俺。

まぁいい。結果オーライだ。とりあえず動きを止められただけ良しとしよう。問題はこの後だ。どうする俺!?


「……って、あれ? 誰かと思えば小夏さんじゃないですかー」


「……あ?」


そんな気の抜けたような声に俺のフル回転させていた頭は当然のようにフリーズする。

少女は俺ではなくその隣の小夏を嬉しそうな表情で見ていて、呑気に手まで振っていた。


「……花澤はなざわさん?」


小夏もその能天気さに釣られたのか手を振り返していた。


「小夏、知り合い……なのか?」


「クラスメイト……一応」


「一応じゃなくてもひよりは小夏さんのクラスメイトですよ!」


……ひより? 名前か?


「いやでも自殺願望のあるクラスメイトなんて私知らない」


「なんかさっきから誤解しているようですけど……ひよりは別に自殺しようとしているわけじゃないですよ……?」


言いながら自分のことを名前で呼ぶ少女はフェンスの向こう側に降りて何かを拾い上げる。

あれは……ハンカチか?


「これを取りたかったんです。外でご飯食べていたら風に飛ばされちゃって」


笑顔で答えてくれるのはありがたいが、少女が立っている場所は幅20cmも無い細い場所。

自殺ではないからと一瞬安心したものの、踵は宙に飛び出ている状態は見ているだけで冷や汗が背筋を伝うほどだった。


「……よっと」


しかし、少女は落ちてしまうのではないかという俺たちの不安を綺麗さっぱり拭い去ってくれるほど見事な身のこなしでこちら側へ飛び降りる。

無邪気な笑顔を浮かべてピースサインをする。そこで俺と小夏はようやく緊張で心臓が破裂してしまいそうな時間から解放された。


「ご心配をおかけしました! でも自殺とかする気は無いので安心してくださいっ」


「……おう。それはよかったよ」


無駄に気を張ったせいで疲れたわ……。


「ところでところで小夏さん」


「……何ですか」


小夏も気疲れしているせいか返事に覇気が無かった。本気で心配したあげくオチがこれじゃあそうなるのも無理ない。


「そちらのイケメンさんはどちら様です? はっ、まさか小夏さんの彼氏ですか!?」


「兄です」


「お名前は!!」


「小夏です」


「それは知ってます! さっきから名前で呼んでるじゃないですか!? 小夏さんじゃなくてお兄さんの方です!」


ビシッと効果音が鳴りそうな勢いで俺を指さす少女。よく見るとかなり可愛い。全体的に明るく、万人受けしそうなタイプだ。

風が吹く度に揺れるオレンジ色のサイドテール。自然を秘めたようなエメラルド色の瞳は葵雪程ではないが見とれてしまいそうなほど綺麗だった。


「俺は修平だ。気軽に修平様と呼んでくれ」


「では修平さんで! ひよりの名前は花澤はなざわ ひよりです! 気軽に超絶可愛いひよりんって呼んでください!」


「んじゃひよりで。よろしくな」


「よろしくです!」


握手を交わして親睦を深める。

明るくて元気いっぱいの女の子。こういう子が一人でもいると日常に花が咲くし、頑張らなきゃいけない時、辛い時、泣きたい時――側にいて励ましてくれればそれだけで暗い気持ちなど吹っ飛ぶ。


「外で飯食ってたんだっけ? 戻らなくても大丈夫なのか?」


「大丈夫ですよー。友達がひよりのお弁当箱を持って先にクラスに戻っていますから。それよりも! ひよりは二人ともっとお喋りがしたいですよ!」


「別に構わないぞ。小夏もいいよな?」


「全然いいよ。それで? 何か聞きたい事でもあるんですか?」


昼食を食べている途中だったからレジャーシートまで戻って話を再開する。

さっき咄嗟に投げたサンドイッチはもう食べれないな……。ああ、貴重な食料が……。


「色々聞きたいことはあるんですけど、やっぱりこれから聞きたいと思います!」


言いながらひよりは視線を横に逸らす。

その時点で俺と小夏はひよりが何を聞きたいのか理解した。

先に述べたと思うが、本来であればこの屋上は生徒立ち入り禁止。貼り紙を無視して侵入してくるバカに備えてご丁寧に鍵まで掛かっていた。ここに通う生徒ならば屋上に入れないことは知っていて当たり前。

にも関わらず、俺と小夏は何事も無かったかのようにこうしてここにいる。疑問に思うのは当然のことだろう。

仕方ない。分かりやすくひよりに説明してあげるか。


「ポケットの中には針金が一つ♪」


「ポケットを叩くと針金は二つ♪」


小夏と共にかの有名な歌に合わせて説明を始めると、生ゴミに集(たか)るハエを見るような目でひよりは身を引いた。


「ピッキングしたんですね、分かります」


あれ? 予想以上に反応がつまらん。もう少し続けてみることにしよう。


「もう一つおまけにハンマーが一つ♪」


「ハンマーで叩くと鍵はバラバラ♪」


「砕いたんですか!?」


そう! そういう反応が欲しかったんだよ!


「ハンマーは非常手段。私がピッキングしたんだよ」


得意気に鼻を鳴らす小夏。

学校の鍵くらいなら朝メシ前だ。その手先の器用さを活かして裁縫などもしていて、うちにあるエプロンやら小さなぬいぐるみやらは全部小夏が作ったものだったりする。


「普通に開いてるからラッキーと思って入ったひよりが言うのもあれですけど、無断で入ったら怒られますよ……?」


「え? 私、大抵の事はバレなきゃ何でもしていいと思っているから大丈夫だよ」


「修平さん!! あなたの妹さんの発想危なすぎですよ!?」


身を乗り出して抗議してくるひよりに俺は冷静に言葉を選んで返す。


「ひより。この世にはバレなきゃ犯罪じゃないって言葉があるの知ってるか?」


「ひよりにバレてるから犯罪ですよ!!」


それもそうだなと小夏と顔を見合わせる。

ならばどうするか。当然答えは決まっていた。


「ほえ?」


一瞬の早業。俺はひよりの後ろに回り込みガッチリとホールドし、小夏は地面に置いておいたハンマーを片手に正面に立つ。


「……えーっと、見られたからには生かしておけねーって感じです?」


「分かってるなら話は早い。ひより、お前は良い奴だったよ」


「出会って10分も経ってないうちに良い人認定されたのは嬉しいですけどひよりはまだ死にたくないです!!」


「遺言はある? 一応聞いておくよ」


「無視ですか!?」


自分の訴えをガン無視した小夏の発言にひよりは悲痛な叫びをあげる。


「それが遺言でいいんだね。それじゃあ――」


「わー! わー!! ストップ!! ストップです小夏さん!! まだ死にたくないのでハンマーを振り下ろす前にひよりの話を聞いてください!!」


小夏がハンマーを振り上げたところで、ろくに動かせない体を必死にばたつかせて命乞いを始めるひより。


「聞き終わったら振り下ろしていいの?」


「ダメですよ!!」


「まぁ冗談はこれくらいにして」


小夏がそう言うのと同時に俺はひよりを解放する。


「こ、小夏さんの冗談はタチが悪いですよ……」


自由になったひよりは何かを警戒して俺たちから半歩身を引く。

そんなに警戒しなくても今は何もしないのにな。


「思ったんだが、俺はともかくどうして小夏にまで敬語を使うんだ? クラスメイトだろ?」


「あー、これは昔からの癖です。特に理由は無いんですけどね」


「いいと思うけどな。話し方なんて人それぞれだし。俺なんて前の学校じゃ年上にもタメだったぞ」


「それはそれでどうかと思いますけど……」


髪をくるくると弄りながらひよりは苦笑いを浮かべる。

女の子のこういう何気ない仕草ってグッと来るよなぁ。髪を結ぶ為にゴムを口で咥えた姿とか結構好きだったりする。


「なんかお兄ちゃんがよこしまなこと考えている気がする」


「邪? 俺は単にひよりが可愛いなと思っていただけだ」


「ほえ!? 」


一瞬でひよりは赤面する。

真っ赤な顔であたふたする姿が小動物のように可愛く、俺も小夏も温かい眼差しでひよりを眺めていた。


「か、可愛いなんて言われたの……初めてです。こ、ここここんな事言ってひよりをどうするつもりですか!?」


「逆ギレ!?」


「ひよりを食べちゃうんですか!?」


「話が飛躍しすぎてる!! とりあえず口を閉じろ!!」


「閉じた口にキスするんですね!? ひよりのファーストキスが修平さんに!?」


「そんなのいらねーよ!!」


「そんなの!? ひよりのファーストキスはそんなので済まされるほど価値のないものだって言うんですか!?」


「そういう訳じゃねーよ!! とりあえず落ち着け!!」


「口じゃなくて身体で語れって言うんですか!? この変態!!」


「そんなこと一言も言ってないだろ!?」


「あははははっ!!」


「小夏も笑ってないでフォロー入れてくれ!!」


腹を抱えて大笑いする小夏。ストッパーとなるはずの小夏がこの状態のせいでひよりはどんどんとヒートアップしていく。


「修平さんは変態ですっ!! さっきだってひよりのパンツ見たじゃないですか!!」


「あれはお前が自殺するのかと思って止めるために言ったでまかせだ!!」


「嘘です!! ひよりのクマさんパンツ絶対に見ました!!」


「はぁ!? そっちだって嘘吐くなよ!! あれはどう見てもクマさんじゃなくてウサギじゃねーか!!」


「やっぱり見てるんじゃないですかー!!」


「あ……」


しまった誘導か……!!

この状況で俺をハメに掛かるとは……ひより、なかなかやりおる……っ!!


「あははははっ!!」


「小夏てめぇ!! いつまで笑ってやがる!!」


「ふふっ、あはは。花澤さんとお兄ちゃん相性良いんじゃないの?」


相性がいい!? どこをどう見たらそんな結論が出てくる!?


「男の人にパンツ見られた……。もうこうなったら息の根を止めるしか……!!」


「待て待て待て!? そんなので殴られたらマジで死ぬっての!!」


バーサーカーと化したひよりがハンマーを片手に襲い掛かってくる。完全にパニクっているらしくハンマーを振り下ろす速度が洒落になってない。


「だぁぁぁぁ!! 誰でもいいからひよりを止めてくれぇぇぇぇ!!」


そんな俺の願いは虚しくも昼休みの終わりを告げるチャイムにかき消されるのだった。



「……なんか修平くんお疲れじゃない?」


午後の授業が始まると同時に机に突っ伏した俺を見て隣の席の巡が小声で話し掛けてくる。

あの後、責任は必ず取ってもらいますと脅迫された挙句、メッセージの友達登録を強制的にさせられた。


「悪い巡。寝るからノートは任せた」


精神的に疲れ果てているせいでまともに授業を受ける気力は無かった。

それに今やってる範囲は前の学校で習っている。万が一当てられたとしても答えられるから問題無いだろう。


「ノート見せるのはいいんだけど、それよりも何があったのか気になるなぁ」


「……後輩にハンマーで殴り殺されそうになった」


「……修平くん、正直に答えて。何したの?」


「自殺を止めようとした」


「……随分と過酷な昼休みを過ごしてきたってことは分かったよ、うん。ゆっくりおやすみ」


「放課後になったら起こしてくれ」


「うわぁ……。午後の授業丸投げだ……。あ、寝る前に一つ」


「?」


顔を向けると何か企むように不自然な笑顔を浮かべる巡がいた。

嫌な汗が背筋を伝う。今までの経験上こういう顔をする奴はろくな事を考えていない。主に小夏とか小夏とか小夏とか。


「今日の放課後、その子も小夏ちゃんと一緒に紹介しちゃおうか」


「……拒否権は?」


「あるわけないよ?」


満面笑みで拒否りやがった……。

葵雪と椛にもひよりを紹介しろと……?


「……死人が出るぞ」


「上等だよ。それにほら、楽しくなりそうだしね」


「……」


楽しくなりそう、か。

巡は日常に楽しさを求めている。何を考えているのか分からないところはまだ多い。けど巡のこういう考え方は好きだ。根本的なところが俺と似ているからだろう。


机の上に堂々と置いてあるスマホを手に取りメッセージアプリを開く。

友達一覧の中には何だかんだで友達になったひよりの名前がある。

誘うか誘わないか悩んだ末――


「分かった。誘っておく」


トーク画面を開いた。



to be continued

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