The First Story

第02話『引越し先は?』

「――ちゃん。――いちゃん」


誰かに肩を揺すられていた。

ゆらゆらと揺らされて段々と意識がはっきりとしてくる。

嗅ぎ慣れた柑橘系の香り、そして俺のことをお兄ちゃんと呼ぶこの声の正体は――。


「――お兄ちゃん!!」


パーンと頬に衝撃が走る。

じんじんと痛む頬を気にせずに目を開けると心配そうにこちらを覗き込む最愛の妹の顔が目の前にあった。


「お兄ちゃん大丈夫?」


「……」


「おーい? お兄ちゃーん? 生きてるなら右手を挙げて、死んでるなら左手を挙げて?」


俺は無言のまま左手を挙げた。


「……あ、もしもしお母さん? お兄ちゃん死んじゃった」


「待て待て待て待て」


本当に通話中になっているスマホを膝の上に叩き落とし、ニコニコと笑う妹に向かって盛大にため息を吐く。


深凪みなぎ 小夏こなつ。それが妹の名前だ。

ちなみに俺は深凪みなぎ 修平しゅうへい。小夏とは一歳違いで近所では仲良し兄妹と評判だったりする。

思春期の兄妹ほど喧嘩が絶えないというが俺たちの場合それが無い。一切無い。喧嘩なんてただの一度もしたことがないし、どっちかが困っていれば迷わず手を差し伸べるような関係だ。


「つかなんで叩いた。痛い」


「愛のビンタだよ! お兄ちゃん!」


「お前の愛。この頬にしかと受け取った」


「お希望なら往復ビンタのサービス」


「それは謹んでご遠慮させていただきます」


自分で言うのもあれだが俺は生粋のシスコンだ。小夏の事とあらば例え地球の存亡をかけた選択肢を迫られていようが最優先。

小夏のいない世界に価値など……あ? この場合小夏選んだら地球滅亡か。まぁいい。


「お母さんも酷いよねー。急に二人暮らししろとかさ、ここはギャルゲーの世界か! って感じだよ」


そう。小夏の言う通り俺たちは今日から二人暮らしをすることになっていた。

今は新たなる住まいへ電車で移動中というわけだ。どうやら俺はついさっきまで眠っていたところを小夏に起こされたらしい。


窓の外を流れていく景色は相変わらず代わり映えがない。

都会の方から田舎へと風景が変わっていくのは時代を巻き戻っているみたいで面白かったのだが、今は単にこれからの生活がどれだけ不便になるのかを考えて気が滅入るだけだった。


「つーか、なんでこんな地方に寄越すかね。原始人に戻れと」


「お母さん曰く、これもまた勉強のうち! だってさ。意味分かんない」


「学校行ったら友達に退学したはずじゃ!? って言われた時は本気で母さんに殺意湧いたわ」


子どもに黙って退学手続きする親がいるとは思いもしなかった。

ちなみにその後母さんの頭に強烈なチョップを小夏と共に叩き込んだ。あの時のことは思い出しただけでイライラしてくる。


「あ、お兄ちゃんチョコ食べる?」


「食べる。お、チョコはやっぱりミルクチョコに限るな」


チョコの甘みが苛立った心を中和する。

どうして甘い物はこうも癒しを与えてくれるのだろうか。舌の上で溶けかかったチョコを転がしながらそんな事を考える。


「チョコ食べ過ぎると鼻血が出るって言うよね?」


「いやそれ迷信だろ」


流れていく景色を見つめたまま答える。

チョコの食べ過ぎによる鼻血は医学的に何の根拠もないただの迷信だ。


「うん。知ってる」


「……なぁ小夏。お前今すっげぇ暇してるだろ?」


「うん」


小夏が発展性の無い会話してくる時は大体退屈している時だ。会話の内容には特に意味が無く、単に退屈凌ぎに過ぎない。


「ずっと同じ体勢、ずっと同じ景色。最後の一粒だったチョコレートはお兄ちゃんの口の中。退屈するのは当然だよ」


「……」


最初の二つはともかく、最後のを俺のせいにされるのも困るんだが……。


「ところでお兄ちゃん。私たちってどの駅で降りるんだっけ? 確かもう乗り換えは無いはずだよね?」


虹ヶ丘にじがおか。乗り換えは無い」


「町の名前も虹ヶ丘だっけ。どんな場所なのかな?」


俺たちが今日から住む町は虹ヶ丘町という。

事前に調べた感じだと何の変哲もないただの田舎町。若者が期待できるようなものは検索にすら引っかからなかった。

ただ、風巡丘かざめぐりおかという名称の丘に俺は興味を持った。ネットの情報によるとその丘には無数の風車が地面に植えられているらしい。しかも風車の癖に風が吹いても回らないと聞けば俺の中の好奇心が火を付けるのは当然と言えば当然の事だった。

楽しいこと、面白いことが三度の飯よりも好きな俺は虹ヶ丘町に着いたら小夏を連れて寄ってみる予定だ。


「ショッピングモールとかは期待してないけど、せめてコンビニくらいはあるよね?」


「流石にあるだろ。無かったら俺たちの生活が危ういぞ」


「お互い料理出来る癖して面倒くさがるからねー。どうする? コンビニ無かったら」


「自炊するしかないだろ。それ以外の選択肢あるか?」


「帰る。実家に」


「それが出来るなら今頃帰ってる」


いわゆる大人の事情というやつらしい。

どんな事情があれば子どもを地方に飛ばすような真似が出来るんだ。生活費は毎月振り込んでくれるのだけが唯一の救いと言える。


「あとどれくらいで着くのかな」


小夏がぼやくのと同時に電車内に設置された古びたスピーカーから車掌さんらしき男の人の声が流れる。


『次は虹ヶ丘ー。虹ヶ丘に停車致します』


「次みたいだな。降りる準備するか」


「だね。降りたらとりあえずコンビニ探そうよ。私お腹空いた」


「賛成」


時刻はちょうど12時を過ぎたところだった。

朝ごはんを食べていないという事もあり、俺の腹も空腹を訴えていた。

風巡丘に行く前に腹ごしらえは必須だろう。問題はコンビニがちゃんとあるのかというところだが……まぁあると信じよう。もし無かったら……その時はその時だ。



「山だねぇ」


「山だな」


見渡す限りの山。

町が山に囲まれているというのは本当の事だったらしい。


「川だねぇ」


「川だな」


駅のすぐ側を流れる川。

水は透き通っていて川の底が見えるくらいだった。


「あ、猫が寝てる」


「可愛いな」


ポストの上で眠っている猫を指差して小夏は微笑む。俺はそんな小夏を見て癒される。


「田舎だねぇ」


「田舎だな」


都会では当たり前の喧騒も、見上げるくらい高いビルも何も無い。まるで時代の進化に置いてかれてしまったようなところだった。


「何も無いねぇ」


「何も無いな」


「……はぁ」


小夏は何度目か分からないため息を吐く。

つい先程駅前の自販機で買ったばかりのジュースを半分くらい飲んでから俺に投げ渡すと、自由になった手を大きく広げて青く澄み渡る空を見上げる。


「――帰りたい……っ!!」


そして切実に叫んだ。

小夏の気持ちは非常に良く分かる。俺も帰りたい。俺たちが想像していた以上に虹ヶ丘町は田舎だった。


コンビニ? あるわけないだろ。

少しでも期待した俺が馬鹿だったよ。


「お兄ちゃん、お昼どうする?」


「そこに白い花が咲いてるのが見えるか? あれはドクダミと言ってだな――」


「食べないから。生なんて尚更嫌だよ」


うん。まぁそう言われると思ってた。

ドクダミは天ぷらにして食べると美味しい。どこかの国では一般的に食べられているらしいが、日本だとお茶にして飲むのが有名だ。


「じゃあどうするんだよ。どう見たってまともな食事にありつけるとは思えないぞ」


「だからってドクダミを食べようとするのはおかしいんじゃないかな!?」


「お前は俺がこのまま空腹で死んでもいいのか!?」


「それは困るけど!! ああもう!! これじゃ埒が明かないよ!! とりあえず動こうお兄ちゃん。きっと私たちの新居の近くには何かあるって信じて」


先導する小夏の後ろを歩き始める。

今さっき小夏から貰ったジュースの残りを飲みながら俺はふと疑問に思ったことを口にする。


「新居の場所分かってるのか?」


「……」


ピタリと小夏の足が止まった。

やっぱり適当に歩いていたらしい。だがここで道案内を俺に振られるのは非常に困る。何故なら俺も場所を把握していないからだ。


「ぶらぶら歩いてりゃ見つかるさ」


「そうだね。こんな天気がいいんだもん。お兄ちゃん、散歩でもしながら適当に探そうよ」


「運が良けりゃ飯にありつけるかもしれないしな」


計画性皆無のまま俺と小夏は幾つかに分かれていた道の中で舗装されている方の道を選んで歩き始める。

ガラガラとキャリーケースが音を立てるせいか、道の端で眠っていた猫はびっくりしてその場を去っていった。


しばらく歩いていると住宅が増えてきた。

木製の古い感じの家が多いイメージを勝手に抱いていたが、都会にもあるような普通の家が多い。

俺たちの新居もこの辺にあるのだろうか? 今更ながら母さんから貰った地図の存在を思い出して広げてみると、案外新居の近くまで来ているようだった。

これなら先に荷物を置いた後に風巡丘に向かってもいいかもしれない。まぁその前に昼飯をどうにかしないと俺も小夏も飢えて力尽きるのは目に見えていた。


「あ、お兄ちゃん! 私たちの新居ここじゃない?」


そう小夏が嬉しそうに言う家の前には引越し業者のトラックが止まっていた。

確認を取ってみるとどうやらこの家が俺たちの新居で間違いないようだった。


なかなか立派なもので、他の家と比べるとかなり目立つ。例えるならカラスの群れの中に白鳥が一羽いるような感じ。ここで小夏と今日から二人暮らしと思うとわくわくしてくる。


「……しかし、腹減ったな」


わくわくするだけじゃ空腹は満たされない。

引越し業者の人たちに事情を説明すると、この近くに和風喫茶店があるらしく、俺と小夏はお礼を言ってそこに向かってみることにした。


「家の主不在でも大丈夫だったの?」


「俺たちが来る前から勝手にやってたし、荷物運び終えたらポストの中に鍵入れといてくれるらしいから大丈夫」


「そういう心配じゃなかったんだけど……まぁいっか。それよりもその喫茶店はどこにあるの?」


「そこの角を曲がればあるらしい」


「どんな洒落たところかな? 和風喫茶店って言うくらいなんだからウェイトレスの制服は着物っぽかったりして!」


期待を膨らませて楽しんでいる小夏に酷な事を言うのは気が引けたが、ここでこの事を伝えておかないとこの後妄想とのギャップの差に小夏が絶望しかねない。


「さっきスマホで調べてみたんだが、周りからはそう呼ばれているだけでただの甘味処みたいだぞ。しかもめっちゃ小さいらしい」


「……もうお腹満たせればそれでいいよ」


明らかにがっくりと肩を落とす小夏。

こんな田舎町にお前は何を期待しているんだ。とは言っても俺も調べるまでは小夏並に期待していたから人のことは言えない。


曲がり角を曲がると業者さんの言っていた和風喫茶――じゃなかった、甘味処はすぐに見つかった。

ネットの情報通り喫茶店とは思えない外見。よく食べ歩きする時に見るような屋台のような感じで、注文した品物を食べる時に使うであろう小さなベンチと五、六人で座れそうなテーブル席があるだけだった。

和風ウェイトレスなんて夢のまた夢。いるのはこの陽気にやられてこっくりこっくりと船を漕いでいる白髪混じりのおばちゃん。期待しないで正解だったわ。


「これが田舎に引っ越した人間の運命か……」


がっくりと小夏はうなだれる。

気持ちは分かるがこの町に住んでいる人が聞いたら殺されるぞ。


「嘆いてないで腹ごしらえするぞ。食ったら風巡丘行ってみようぜ」


「風車がいっぱい植えられてる丘だっけ? 私も興味あったんだよね。……あ、メニューは結構豊富だ」


俺たちの声で目を覚ましたのか、おばちゃんは「いらっしゃい」とメニューを眺める俺たちに声をかける。


「おばちゃん、とりあえずみたらし団子10本と抹茶」


「あ、じゃあ俺は餡子の方10本とほうじ茶」


「持ち帰りかい?」


「ううん。今ここで食べるよ」


おばちゃんの笑顔、凍りつく。

まぁそりゃ驚くよな。この量をその場で食べようとする客なんて俺たちだけだろう。

おばちゃんは何か言いたそうだったが深く考えない事にしたらしく、注文した品物をてきぱきと用意してくれた。


皿にピラミッド型に乗せられた団子と飲み物をテーブルに置き、早速一本頂くことにする。


「……美味いなこれ」


意識せずともそんな感想が口から出ていた。

口に入れた瞬間に広がる餡子のほどよい甘さ。もちもちとした団子特有の食感が口の中を幸せいっぱいにしてくれる。何本食べても飽きる感じがしなかった。


「外見はともかく当たりだね。お持ち帰り用にも買って夕飯にしちゃう?」


ぱくぱくもぐもぐ。


「それならしょっぱいものが欲しいな。漬物売ってるところどっかにねーかな」


ぱくぱくもぐもぐ。


「風巡丘に行くついでに探せばいいよ」


ぱくぱくもぐもぐ。


「だな。んじゃまぁ行くか」


ノンストップで団子を平らげた後にほうじ茶を一気に飲み干して立ち上がる。

まだ少し食い足りない感があるが夕飯までは持つはずだ。


「おばちゃん美味しかったよ! また後で買いに来るね」


「ご馳走様でした。磯辺焼きとずんだの団子を10本ずつ。あといちご大福を6個用意しておいてくれるとありがたいです」


おばちゃんの笑顔、再び凍りつく。


「おお。お兄ちゃんよく私が食べたいと思っていたやつ分かったね」


「メニュー見てる時の視線でな。いちご大福は単に俺が食いたかった」


「あれ? メニュー見てる時お兄ちゃん私の後ろにいなかったっけ? なんで視線が分かるの」


「お兄ちゃんだから。飲み物どうするよ」


「納得。飲み物は家から持ってきた日本茶あるからそれでいいんじゃないかな?」


「おーけー。それじゃあ夕方に取りに来るのでお願いします」


おばちゃんは突っ込むことを早々に諦めたようで凍りついた笑顔のまま俺たちを送り出してくれた。


これから事あるごとにここを利用することになるわけだが、それはまた別の話。



to be continued

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