第10話『その悲劇は突然に』
「――今日の授業はここまでだ。各自予習復習をしっかりやっておくように」
本日最後の授業の終わりを告げるチャイムがなり、化学担当の教師はそう言い残して教室から出ていった。
同時にさっきまで死んだように静かだったクラスに活気が出始める。
「……」
教師のこのセリフを聞く度に思うのだが、予習復習をやれと言うのなら何かしらの宿題を出してほしい。あったらあったでめんどくさいかもしれないが何もないよりはやる気が出る。それに大抵の人は言葉だけじゃ何もやらないのが目に見えている。おそらく教師もそれが分かって何も言わないのだろう。暗黙の了解というものだ。
兎角、今回は宿題も何も出されていないから予習復習をする気などさらさらない。
「……」
とは言いつつも、授業の内容をとったノートだけをスクールバッグにしまっているあたり何かしらの義務感を感じているのかもしれない。
「――雪原、起きろ」
帰り支度を整え、机に突っ伏して寝ている雪原に声を掛ける。
「……おーい?雪原起きろー」
「……」
全くもって無反応。
眠りが深いせいなのか声を掛けても雪原は全く反応しない。
「……どうしたの?」
「おお、古宮。いいところに来たな」
「……?」
クイッと指を指すと、古宮は「……あぁ」と納得した。
「……つもりちゃん、気持ち良さそうに寝てるから、起こしづらい」
「それな」
眠っている雪原はとてもいい表情で、古宮の言う通りものすごく起こしづらい。
いつだったか、『睡眠はこの世で一番至高の時間』と言っていたことあったくらいだ。
「……」
どうせならと、雪原の寝顔を少し観察することにした。
普段は綺麗という印象が強い雪原だが、こうして寝顔を見てみると可愛いという印象を受ける。
出来物一つ無い肌は指を滑らせてみればスベスベと柔らかいのは明確。初雪のように白い髪は銀世界のように煌めいており、見ているだけで感嘆のため息が溢れそうになる。
「……浅川くん?」
「ん?どうした?」
「……どうしたって、それは…ハルカのセリフ、なんだけど…」
古宮は困ったような顔になる。
「あ、悪い。ちょっと――」
「……ちょっと、なに?」
「――ちょっと、どうやって起こそうか考えていたんだ」
「……あー」
古宮はポンと手を打つ。
「……」
危なかった。危うく、ちょっと雪原に見とれていたと言いかけてしまった。
そんなことを言ったらどうなるか分かったもんじゃない。古宮だけならまだしも、まだクラスメイトはたくさん残っているし、反町も近くに――
「あれ? 古宮、反町はどうした?」
そう訊ねると何故か古宮の顔が悲しく歪んだ。
「……反町くんはね、死んだよ」
刹那、賑やかだったクラスが一瞬にして凍りついた。同時にクラスメイトの視線は全て俺たちに向けられた。
「……なん、だと?」
俺は戸惑った。
授業が終わってから今この瞬間までの間に一体何が起きたというのだ。
「……反町くん…良い人、だったのに」
古宮は泣くのを我慢するかのように鼻をすすり、小さな手で顔を覆う。
「……ッ」
俺はバッと振り返って叫ぶ。
「誰か!誰か反町を見ていないのか……!? さっきまで自分の席に座っていただろ……!?」
一瞬の静寂。
やがてクラスの委員長である女子が代表して答える。
「……わ、分からないの。いつの間にか……いなくなってた」
委員長の声は震えていた。
「……違うよ」
そんな委員長の言葉を切り捨てたのは古宮だった。
「……みんな、何を、勘違いしてるの? いなくなってた。じゃなくて……」
先ほどの泣きそうな表情はどこに消えたのだろう。密かに笑みを浮かべながら古宮は教室の真ん中に立ち――
「……元から、いなかったんだよ」
――そう、告げた。
「古宮……自分が何を言ってるのか分かっているのか……?元からいなかった?そんな…そんなことあるわけないだろ……!? 反町は今日ずっと一緒にいたじゃないか!!昼だって一緒に食っただろ!?」
「――浅川」
「!?」
眠っていたはずの雪原がいつの間にか立ち上がっていて、エメラルド色の瞳が俺をジッと見つめていた。
「いつまで……そんなくだらない妄想を続けるつもりなの?」
ゆらりとおぼつかない足取りで歩み寄ってきた雪原は俺の前に立つとガシッと肩を掴んでくる。
「反町は死んだんだよ!!もうこのクラスにはいない!!」
「ゆき…はら……?」
妄想なのか?
全て妄想だったのか?
朝いつも通り交わした挨拶も、授業中爆睡して怒られている姿も、昼を一緒に食べたことも――全部…全部俺の妄想だというのか?
「みんなもそう。いつまでこんなこと続けるつもりなの……!?」
誰も何も答えることができない。
いや、誰も理解できないのだ。反町と過ごしていた日常が全て妄想だったことに。
「分からないよ!!」
叫んだのは他でもない委員長だった。
「私には今日反町君と過ごした記憶があるの……!! 一緒に話した。くだらないことで一緒に笑っていた…。なのに、それが全部妄想……? そんなの……信じられるはずがないよ!!」
「でもこれが現実なんだよ!!」
雪原の声に委員長はビクッと身体を強ばらせる。
「信じる信じないなんてどうでもいい!! 現実を受け入れる覚悟が無いのなら永遠に妄想に囚われてればいい!!」
「違う!!妄想なんかじゃない!!反町君は死んでない!!」
「じゃあ今反町は何処にいるの!?」
「――ッッ」
その言葉に委員長は押黙る。
何も答えられない委員長に雪原は更に追い討ちを掛ける。
「ほら答えられない。本当は分かっているんでしょ? 反町がもういないって。全部妄想だって」
「違う……違う…!違う違う違う違う違う!!!」
耳をふさいで委員長はその場にしゃがみ込む。
目には大粒の涙が浮かんでいて、ポタポタと教室の床を濡らしていく。
「嫌……もう嫌ぁぁぁぁぁあああああ!!!あぁぁあぁぁあぁぁ!!!」
「……委員長」
俺はいたたまれない気持ちになり、思わず委員長から目を逸らしてしまった。
誰も委員長に声を掛けることができない。
みんなも分かっているのだ。反町の存在が俺たちの妄想だったということに。
「……もう、やめよ。こんなこと、続けても…何の意味も、ない」
古宮の小さな声は静まり返った教室だからこそしっかりと耳に届いてしまう。
「……現実を、受け入れよ。反町くんがいない。それが…現じ――」
それが現実。と言いかけた古宮の言葉が、ガラッ――と、教室のドアが開く音によって遮られた。
「――あれ?みんな深刻そうな顔してどうした?」
何気ない顔で教室に入ってきた反町はクラスの状況を見て首を傾げる。
「……」
「……」
クラス中の冷たい視線が反町に突き刺さる。
「え? えっ? なんで俺クラス中にこんな蔑むような目つきで見られてるんだ? 俺なんかしたか!?」
「(コクコク)」
クラス中が頷いた。
「はいぃぃぃ!? 俺が何した!?」
「「「生き返った」」」
「まずなんで俺は死んだことにされてるんだよ!!?」
ごもっともなツッコミである。
反町が戻ってきてしまったらもうこの寸劇を続けることも厳しいだろう。
そう思い、雪原にそろそろやめることを提案しようとした瞬間だった。
「――みんな騙されないで。それは反町じゃない」
「続けるのか」
素で声に出てしまった。
「……そうだよ。反町くんは、死んでるんだよ? あれは、ニセモノ…だよ」
「反町の皮を被ったニセモノが!!あんたのせいでみんなオカシクなった!!」
「どういう状況なんだよ!!?」
雪原は怒りに満ちた形相で反町に詰め寄る。
その手にはいつの間に用意したのか分からないカッターナイフが握られていた。
「あんたがいなければ――ッ!!」
「ちょ!?待てつもりちゃん!!」
叫ぶ反町を無視して雪原はカッターナイフを持った腕を振り上げる。
もはや避けることができないスピードで反町の胸のあたりに吸い込まれていく。
「……!?」
刺されたのは反町ではなかった。
反町を庇うかのように一人の少女が立っていた。
誰もが目を疑い、言葉を失った。
「――委員長……どうして」
雪原の顔が悲しそうに歪む。
手からすり落ちたカッターナイフがカランカランと音を立てて床に落ちると同時に委員長の体から力が抜けた。
「委員長!!」
雪原が崩れ落ちる委員長の身体を支える。
「なんで……なんでこんなことしたの!?」
「そんなの……決まってるよ……」
今にも消えてしまいそうなほど小さな声で委員長は言葉を紡いでいく。
「たとえ…そこにいるのが、反町君のニセモノだったとしても……私にとっては、反町君、なの……」
「だからそれは……!」
「分かってるよ…。全部、分かってる……」
委員長は力の入ってない手を伸ばして雪原の頬に触れた。その手を雪原はしっかりと握り締める。
「全部妄想、でも……あれは、私にとって、反町君なの。だから…お願い、最後まで私にいい夢を…見させ、て……」
完全に力の無くなった腕がブランと落ちる。
「委員長…?ねぇ目を開けてよ……。委員長…委員長ーーーーーッ!!」
もう動くことない委員長を抱きしめ雪原は吠えた。
そんな雪原の前に無言で立った古宮はクラスを見渡し、ひと呼吸あけて口を開く。
「……10分劇場、完」
ペコッと頭を下げた。
頭を上げた時に浮かべていた古宮の表情はやりきったと言い切っていた。
「「「おおおおおーー!!!」」」
廊下の方から歓声と拍手が聞こえてくる。
いつの間にかかなりのギャラリーが集まっていたらしい。
「やー、楽しかった!」
「だね!」
雪原と委員長は満足げな表情でハイタッチを交わす。
俺たちのクラスはなかなかノリが良く、こうして唐突に演劇が始まることがある。学校内で一番面白いクラスと有名だったりする。
しかし、あのカッターナイフ本当に刺しているように見えたのだが、一体どういうトリックを使ったのだろうか。
「てかおい雪原。時間時間」
放課後が始まってからだいぶ時間が経っていた。十堂が待っているに違いない。
「あ。浅川先に迎に行って。帰りの支度したらすぐに行くから」
「了解。じゃあ十堂のクラスで待ってる」
そう告げて教室から出た。
出る直前に見た反町が状況を理解出来ず唖然としていたというのは言うまでもなかった。
to be continued
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