第06話『影に隠された感情』

楽しい時間というのはあっという間に過ぎてしまう。

辺りはすっかり夜の帳が下りていた。校舎内は本当に静かなもので、窓から顔を出して下の方を見ても電気のついている教室はここと職員室だけだった。


恋歌の紹介も済み、お開きムードになっている生徒会室。誰が言い出さずとも各自帰りの支度を始めていた。


「だいぶ長い時間話し込んじゃったねぇ」


トントンと、書類をまとめてプラスチックのケースに入れた榊先輩は手櫛で髪を整えながら立ち上がる。


「遥香ちゃーん。洗い物そろそろ終わる?」


「……今、終わりました」


きゅっと水道を止めて石鹸の香りが仄かに漂う真っ白なタオルで古宮は手を拭く。洗い物をする為に付けていたエプロンを外してタオルと一緒にスクバの中に入れた。


「古宮、お前もしかして毎日そのエプロン持ってきているのか?」


「……エプロンは、女の子の……必需品」


「へぇ。そうなのか? 雪原」


俺の隣で帰り支度をしていた雪原に訊ねると、一旦手を止めて俺を見上げてくる。


「んなわけないでしょ。遥香の必需品であって、女の子の必需品ではない。普通学校にエプロンなんて持ってこないから」


「――ということらしいが、何か反論は?」


「……普通、学校に、エプロンは……持ってこない」


「自分自身を否定するなよ」


「……でも、あると便利、だよ?」


もう一度カバンから取り出してエプロンを広げる古宮。

胸のあたりにクマの刺繍がしてあるピンク色のエプロン。かなり使い込んでいるのか、ところどころほつれていたり、焦げて茶色くなっているところが多々あった。


「可愛いエプロンだよねー。それってもしかすると手作り?」


榊先輩に古宮はコクンと頷く。

訊ねられた事が嬉しかったのか、古宮の頬に朱色が灯る。


「……中学生の頃に、授業で……作った。上手く作れたから、愛用してるんだ。可愛い、かな?」


「すっげぇ可愛いと思うぞ。遥香ちゃんって裁縫とか得意なんだな。縫い目もしっかりしてるし、刺繍もちゃんと形になってる」


エプロンを見て感心する反町。

俺も反町と同じ感想でこくこくと首を縦に振っていた。


「中学生でここまで完成度の高いの作れるってなかなかよね。私も中学時代に作ったけど遥香みたいに上手くは作れなかった」


「ほんと凄いよねー……。今度なにか私にも作って欲しいよ」


「遥香先輩は将来いいお嫁さんになりそうです」


「……」


みんなに褒められて古宮は照れくさそうに頬を掻いていた。


「……ぬいぐるみとか、服とかも、作れるよ。材料が……あれば、だけど」


「超ハイスペックだな。将来はそういう系の仕事に就きたいのか?」


古宮は小さく首を横に振る。


「……それもいいけど、ハルカ、やりたいこと……あるから」


「へえ? 何やりたいんだ?」


そう訊ねると古宮は少し困ったように笑った。


「……今は、秘密」


「ふーん? まあ他に夢があるならそれを目指して頑張れ。俺は古宮の夢を応援するからさ」


「……浅川くんって、たまに……ドキッとするようなこと、言うよね……。わざと……?」


「さぁな。古宮の想像にお任せする」


「……えー」


俺は基本的に無意味に誰かを喜ばせるようなことは言わないし、したりもしない。だから今の言葉には嘘はない。本心で古宮の夢を応援したいと思っている。


しかし、古宮の夢とは何なのだろう?

普段の行動を見ていても特別何かをしているわけでもない。秘密と言うくらいだから俺たちに勘づかれないようにしているのだろうがやはり気になってしまう。


「……応援は、してくれるんだよね?」


「そう言ったばっかりだろ? でもどうせなら夢を教えてくれた方が応援もしやすいし、何か俺に手伝えることもあるかもしれないんだがな」


「……いつか、話すよ。ただ、ハルカの……覚悟が、足りてないだけ……だから」


「覚悟?」


あまりにも話題に相応しくない単語に俺は思わず首を傾げる。


「……そう、覚悟。ここにいる……みんな、友達思い、だから」


優しい目付きで古宮は部屋を見渡す。

瞳を見ていれば俺たちが信用されているのがよく分かる。だから古宮に必要なのは覚悟ではなく、ほんの少しの勇気ではないかと思った。


「古宮が何を言いたいのかよく分からんけど……その覚悟とやらが決まったら是非教えてくれ」


「……うん。約束、するよ」


けれど俺はそれを古宮に伝える事はしなかった。きっと自らそれに気づいた方が今後の為になると思ったからだ。


話すことに覚悟がいるということはつまり、心のどこかに恐怖があるのだろう。そして信用しているからこそ怖いものもある。

だからこそ気づいて欲しい。古宮が俺たちを信用してくれているように、俺たちだって古宮のことを信用しているということを。それに気づけたら自然と口にできるようになるはずだから。


「さ、もう時間も時間だ。早いとこ帰る準備しようぜ」


「……うん。そうだね」


話に区切りを付けて帰り支度を整える。

書類整理の際に使っていた筆記用具と飲みかけのお茶のペットボトルをしまってチャックを閉れば準備完了だ。



「――優誠くん、忘れ物はない?」


生徒会室から全員が出たのを確認。それから榊先輩は一番先に廊下に出て呑気に口笛を吹いていた反町に声を掛ける。


「……なんで名指しなんですか」


「自分の胸に手を当ててよく考えてみよ? これまでに何回、私の手を煩わせたかな?」


「……たくさん」


「今日は職員室に鍵返しちゃうから前みたいに夜中に呼び出されてもどうしようもないからね?」


「とか言いつつ何とかしてくれるのが夜乃先輩のいいところですよね!!」


「私に掛かれば学校のセキュリティくらいちょろいちょろ……じゃない!! そもそも夜中の学校が私は嫌なの!!」


完璧超人の榊先輩だが、実は『超』が付くほどの怖がりだったりする。

ホラー映画なんて論外。こうして夜に学校に残っているだけでも有り得ない。まぁ今は俺たちもいるから話は別だが、普段生徒会の仕事で残るにしても日が落ちる前には下校するようにしている。


「まぁ、今回は本当に大丈夫なんで心配しなくても大丈夫ですって」


「信じるからね……」


深いため息を吐きながら鍵を閉める夜乃先輩。

こういう事に関しては反町って信用されてないんだなぁ……。


春とはいえ夜はそれなりに冷え込む。暗い廊下を歩いていると少し肌寒い空気がまとわりついてきた。

外からは鳥や虫の鳴き声が聞こえない。今日は静かな夜になりそうな気がした。


靴を履き替えて校舎から出ると、昼頃とは打って変わって冷たい風が吹いていた。こうも寒くなるのならカーディガンくらい羽織ってくれば良かったと後悔する。


「今日は冷え込んでるわね。早く帰りましょ」


雪原はあらかじめ用意していたのか、白のカーディガンを羽織りながらそう提案する。


「恋歌の家ってどの辺なの?」


猫のように背中を丸めていた十堂は雪原に話しかけられてピンと背筋を伸ばす。


「わたしの家は御桜丘の近くですよ」


御桜丘。俺がよく行く高台のことだ。

なるほど。家が近いからあの日、偶然にも十堂と出会えたってことか。


「御桜丘ってことは……私と浅川と同じ方面ってことね。夜乃会長に遥香、それと反町は駅方面だから正反対」


「そうなんですか。覚えておきます」


「それじゃ――解散! みんなまた明日ねー!」


手を振って榊先輩は俺たちに背を向けた。


「またな!」


「……じゃあね」


先に歩き始めた榊先輩に反町と古宮はついていく。夜の闇に三人が完全に溶け込むまで俺たちはその背中を眺めていた。

耳を澄ませずとも、反町が楽しそうに話す声が聞こえてくる。それに合わせて榊先輩の笑い声も。古宮の声は聞こえないがきっといつものように静かに笑っているのだろう。


「じゃあ私たちも帰りましょうか」


三人の姿が完全に見えなくなり、再び静寂を取り戻したところで雪原は踵を返した。

俺と十堂は一足先に歩き出した雪原に並ぶ。


「いつも雪原と二人で帰ってるから一人増えるだけで新鮮だな」


「そうね。一人増えただけでだいぶ変わる。恋歌はいつも帰りどうしてるの?」


「わたしは一人で帰ってますよ」


「ふーん? 一人が好きなの?」


「どうなんでしょう。わたしは昔から一人でしたから」


「え? それはどういう――」


「……」


俺は人差し指で雪原の口を塞いでいた。

俺の行動から何かを察した雪原は小さく頷いて十堂の頭にぽんと手を乗せる。


「なんにしても今日から私たちは友達だよ、恋歌」


「友達……。わたしとつもり先輩は友達……」


「私と友達は嫌?」


十堂は首を横に振る。


「いえ、何と言うか……よく分からないんです。でも、なんか胸のあたりがぽかぽかする感じです」


そう言いながら胸に手を当てる恋歌。

自分の内から溢れてくる慣れない感覚に戸惑っているように見えた。

そんな恋歌を見て雪原は表情を和らげ、優しい声色でそれがどういう感情なのかを伝える。


「ぽかぽか、ね。恋歌は面白い表現するわね。きっとそれは嬉しいってことなんじゃない?」


「友達ができて、わたしは嬉しいってことなんですか?」


「そこ疑問系にされても恋歌の気持ちなんだから私には分からない」


チカチカと点滅する街灯が十堂の表情を明らかにする。一瞬より少し長い時間見えた彼女の表情はほんの少しだけ喜んでいるように見えた。

そんな十堂の表情が雪原にも見えたのか、満足そうに笑みを浮かべている。


「分かってくれたかしら?」


「……はい。まだはっきりとは分かってないですけど、多分きっとこれが……嬉しいってことなんでしょうね」


それから少し歩いた十字路で十堂はピタリと足を止めた。

いつの間にか御桜丘の近くまで来ていたようだ。風に乗った桜の花びらが俺たちの前をひらひらと舞っていた。


「わたしはこっちなのでここでさよならですね」


「送ってこうか? 浅川が」


「それなら雪原もついて来い。女の子一人で帰らせることはあまりしたくない」


「いえ、わたしの家はすぐそこなので大丈夫ですよ。今日はありがとうございました」


「あ、おい……」


ペコリと頭を下げるとそのまま十堂は駆け足で去っていった。

引き止めるために伸ばした右手は寂しく宙を切った。


「……」


「……」


タッタッタと、規則正しい足音もやがて聞こえなくなった。何とも言えない空気のまま俺と雪原は再び帰路につく。

俺としてはそのまま黙ったままでも良かったのだが、雪原はその沈黙を破る。


「だいぶ打ち解けたつもりだったけど、まだ壁があるわね」


「……」


まだ十堂は俺たちに完全に心を開いてはいない。そのことには古宮、榊先輩、反町も気づいているだろう。


「これからの私たちの接し方次第でどうなるかよね」


「そうだろうな。十堂の場合は時間が解決する問題ではない気がする」


「同感。私たちが踏み込まないと恋歌の内面のところには入れないよ。昔の浅川よりめんどくさいかもね」


「めんどくさい言うな」


今の俺は雪原が作ってくれたようなものだから何とも言えないのだが。


「今日も家まで送ってくれるんでしょ?」


「そのつもりだ」


雪原の家までは俺の通り道だから送らないなんて選択肢は無い。


「浅川って結構お節介なところあるよね。私の事好きなの?」


「友達としてなら好きだな」


即答する俺に雪原はやれやれとため息を吐いた。


「そういうお前は俺の事好きなのかよ」


「友達としてなら好き」


「俺と同じじゃねーか」


思わず笑ってしまう。

雪原も同じように笑みを浮かべていた。


「私たちが恋仲になるようなことなんてあるのかしら?」


「さぁな。でも無いとは言いきれないんじゃないか?」


「そうね。人生どう転がるか分かったもんじゃない。もしかしたら浅川と遥香がくっついたり、私と反町とくっついたりするかもしれない」


「お前と反町なんて想像できない未来だな」


「あらそう? 未来なんて誰にも分からないのよ?」


空に浮かぶ月を見上げながら雪原はそう答える。浮かべていた笑みにほんの少し影が差したように見えたが月明かりの加減のせいだと判断し、それもそうだと雪原の言葉に同意した。


神様でもあるまいし未来なんて分かるはずがない。でも一つだけ言えることはある。

それは未来は俺たち自らが作り出すものであって、神様が決めるものではないということ。神様なんて天から見ているだけで俺たちに手を差し伸べたりはしない。本当に困っている時、そして辛い時、助けてくれるのは神様ではなく、心から友達と呼べる存在だけなのだから。


「……いや、それは違うか」


「浅川?」


友達がいてもどうしようもないことだって……この世にはあるのだから。


『――ごめん、ね……。はーくん……』


万力で締め付けられるように頭がキリキリと痛む。目眩に似た感覚に俺は咄嗟に電信柱に手をついた。


『――私はもう、助から、ない……よ』


忌々しい記憶が鋭利なナイフのように俺の心を抉ってくる。これ以上思い出してはいけない。でなければ俺の心が壊れてしまう。


「ちょっと浅川!? どうしたのよ!?」


珍しく切羽詰まった雪原の声が聞こえる。

大丈夫。そう声に出したつもりだったが、出てきたのは掠れた声でそれがより一層雪原の不安を煽ってしまう。


「調子悪いならさっさと言いなさいよバカ!!」


雪原のひんやりとした手が俺の背中に触れる。そのまま優しい手つきでさすってくれたからか激しく鼓動していた心臓が落ち着きを取り戻してくる。


「……悪い。もう大丈夫だ」


「突然どうしたのよ……。何かあったの?」


「ああ……。ちょっと嫌なことを思い出しちゃっただけだからさ」


「……そう」


俺の体を心配してだろう。雪原はそれ以上追求してくることは無かった。その配慮に感謝しつつ、俺は電信柱から手を離してすっかり平常心を取り戻した雪原に声を掛ける。


「さ、行こうぜ。腹ペコで死にそうだ」


「冗談も言えるなら本当に大丈夫そうね。それはそうと、ここもう私の家の前よ?」


「いつのまに」


話し込んでいるうちに雪原の家の前まで着いていたらしい。


「腹ペコならいつも通りご飯食べてく?」


「いや、今日は遠慮しておく」


珍しく家の明かりがついていることに気づいていた俺はやんわりと断った。

雪原の親は共働きで基本的に帰るのが遅い。聞いた話によると深夜や朝方に帰ってくるのが当たり前らしい。だからこうして家族と居られるときくらいは俺は邪魔しないことにしている。


「別に親がいるからって気にしなくてもいいのに。私と浅川の仲じゃない」


「家族だけで過ごす時間も大切だ。また今度誘ってくれ」


「分かったわよ。なら明日は一緒に夕食取りましょ?」


「おう。約束する」


「それじゃまたね」


「じゃあな」


互いに手を振り合い、家の中に入っていく雪原を見届けてから俺も帰路についた。



to be continued

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