第05話『新しい日常と花の香り』
「――全くもう!! 隼人くんの冗談はタチが悪いよ!! つもりちゃんもつもりちゃんで……は、ははは隼人くんととと、し、したのかと思ったよ!! バカッ!!」
顔を熟れたトマトのように真っ赤にして叫ぶ榊先輩。
生徒会室の冷たく固い床に正座させられている俺と雪原だったが、反省など全くせずに慌てふためく榊先輩を見て必死に笑いを堪えていた。
榊先輩はこれだから弄りがいがある。反応がいちいち面白いからやめることができない。
ちなみにやるべき仕事は榊先輩が気絶している間に全て終わらせてしまっていた。
十堂の飲み込みの早さが異常なまでによく、サクサクと仕事を終わらせることが出来たのだ。
十堂曰く、
『こんなの慣れれば楽なもんです』
とのことらしい。
ちなみに彼女がこなした仕事の量は最初から仕事をしていた反町よりも多かった。
反町基準だから多く感じるのかもしれないが、何度もやってる仕事だから十堂に遅れを取るようなことはないはずだった。
「俺は、役立たず。後輩に、負けた……」
「……」
そのせいで気持ちが地の底へ沈んでしまった反町は部屋の隅で膝を抱え、ぶつぶつと何か言いながら現在進行形で拗ねていた。
まぁこんなバカは放っておくことに限る。
それよりも今は目の前のことだ。反省する気は毛頭ないけれど、話を聞いていないと榊先輩がまた怒りかねない。
「いやー……夜乃会長が真に受けすぎなんですって。私と浅川はそんな関係じゃないですし。夜乃会長のえっちー」
とまぁ、雪原が榊先輩を煽りに煽っているせいでもう一発カミナリが落ちるのは確定事項だった。
「えっちじゃないもん!! あんな事言われたら誰だってそう想像するでしょ!? こっちが誤解するようなこと言わないでよ!! バカーーッ!!」
「榊先輩知ってますか? バカって言う方がバカなんですよ? そして先輩は今人のことをバカと言いました。三段論法によってバカは榊先輩です」
「……隼人くん。あまり先輩をバカにすると後悔することになるよ? 私、生徒会長。その気になればつもりちゃん諸共この学校に居れなくすることができるんだよ?」
「先輩。それを世間一般でなんて言うか知ってしますか? 職権乱用ってやつですよ」
「生徒のトップがそんなことしていいですかー? 先生に言い付けますよー?」
「二人ともいい加減にしないとそろそろ本気で怒るよ?」
目が据わっていた。
これ以上煽り続けるのは俺と雪原のこれからの人生初に大きな支障を与えかねない。
「……」
「……」
考えることは同じだったのか、俺と雪原はほぼ同時に互いのことを見てアイコンタクトを取る。
それだけで気持ちが通じ合い、ほんの二秒たらずで会話は終了した。
俺たちの間に言葉など必要はなかった。
思考回路が似た者同士だとアイコンタクトだけで言葉にするよりも早く相手に思いを伝えることができる。実に楽だ。
「時に夜乃会長。明日の放課後とか暇だったりしません?」
「? まぁみんなが溜まってる仕事消化してくれたおかげで明日は暇できそうだけど……どうして?」
「今日のお詫びを兼ねて甘狐処に行きましょう。好きなもの奢ってあげますよ。私と浅川で」
甘狐処とは駅前にある和風喫茶店の名称だ。
本格的なお茶や和菓子を楽しむことができる上に値段は学生の懐事情に優しい価格設定。ホールスタッフの制服は和服をイメージして作られた変わったデザインで可愛い。
舌も目も大満足して帰ることのできる素晴らしい喫茶店だ。
「え? いいの? ちょうど甘いもの食べたいなぁって思っていたところなんだよね!」
「ベストタイミング。なら明日一緒に行きましょう。これで先程のことは?」
「ふっふっふー。仕方ないなぁ。特別に不問としよう! でも次こんな冗談……えっちなことね? 言ったら承知しないから。隼人くんも分かった?」
「「ははーっ!」」
雪原と共に大名様に頭を下げるようなポーズで反省の意を表明する。
それで榊先輩は満足したのか、いつも通りのにこにことした顔に戻っていた。
「ちょろいわね」
「ちょいな」
二人して同時に榊先輩には聞こえないくらいの声量で呟いていた。
「榊先輩、調子乗ってめっちゃ食いそうだな」
「二人で割り勘すれば大した値段にはならないわよ。私たちは抹茶一杯で済ませればいい。それにたくさん食べたら後で泣くのは会長の方よ」
「ああ……。体重か」
雪原はグッと親指を立てる。
俺はそれに苦笑いを返してパイプ椅子に手を掛けた。
「……二人とも、ほんと、懲りないよね……。はい、紅茶……だよ」
椅子に座ると古宮が淹れたての紅茶を持ってきてくれた。
コトンと置いたティーカップから芳醇な香りが漂ってくる。
「この香りは……アッサムティーか。ちゃんとミルクティーにしているあたりさすが古宮ってところだな」
「……アッサムティーは、ミルクティーにするのが、一番美味しい。本当は……専用のミルク、使いたかった」
「これでも十分美味しいと思うけどな」
口に入れた瞬間広がるアッサムの香りとミルクの仄かな甘み。その二つが合わさって口の中は幸せいっぱいになる。
「生きてるって幸せなことよねー。こんな美味しい紅茶が飲めるんですもの」
コトンと、ティーカップをテーブルに戻すと、雪原は古宮に笑いかける。
「……あう。つもりちゃん、大袈裟」
「それほど美味しいってこと。遥香の淹れた紅茶が私は一番好きよ」
「……あうあう」
雪原にべた褒めされている古宮は恥ずかしそうに頬をかく。
そんな二人を横目で見つつ、俺は紅茶を一口飲んでから十堂のほうへと顔を向けて声をかける。
「そろそろ自己紹介しておくか?」
十堂は窓の外をぼーっと眺めている。
俺の声が聞こえていないのか、十堂は眉一つ動かさずに外の景色を見つめていた。
「……」
ふと、教室で見た彼女の姿を思い出す。
一人でいるのが好きなのか、他人とコミュニケーションを取るのが苦手なのか、正直どっちなのか分からない。
『人がいても、わたしは一人ですから』
そんな十堂の言葉が頭をよぎる。
この言葉が意味するのは集団に混ざることができないということなのだろうか?
もうそうならば今この状況を十堂は好ましく思っていないのかもしれない。
半開きになっている窓の隙間から流れ込んできた風が十堂の淡く紅い髪を揺らしていた。
窓の外の景色を見つめる十堂の瞳。そこに感情というものは込められていない。
景色を見て感動を覚えるわけでも、風の涼しさに心地よさを感じるているようにも見えなかった。
俺はまだ十堂のことを何も知らない。
けれど何故だろうか。十堂は俺のことを知っているような気がするのだ。
初めて御桜丘で会ったときに見せてくれたあの、桜が咲いたような眩しい笑顔。
そこには十堂の持つ感情の全てが込められていた。
あの笑顔をもう一度見たい。
無表情でいないで笑っていてほしい。
そう心の中で思えても、実際に口にすることは躊躇われた。どうしてか俺の心がストッパーを掛けているのだ。
踏み込んではならない禁則の領域。
十堂のことをまだ何も知らない俺が気軽にそんなことを言ってはいけない。彼女の心の中に踏み込むことは許されない。
だから俺が今すべきことは一つしかない。
十堂を知ること。それが今の俺に出来ることで最も大切なことだ。
何も知らないのであれば一から知っていけばいい。それすらもやらないで知りたいとだけ思うのはただの傲慢だ。
「おーい、十堂。生きてるかー?」
「?」
もう一度声を掛けてようやく気づいたらしく、十堂は俺の方に振り返ってちょこんと首を傾げた。
やはり先ほどの俺の言葉は聞こえていなかったらしい。
「自己紹介。まだしてないだろ? やる事も全部終わったしそろそろするか?」
「そうですね。わたしもそろそろしたほうがいいんじゃないかと思っていたところです」
「よし。んじゃ頼むわ」
「分かりました」
十堂が立ち上がると、周りも待ってましたと言わんばかりに十堂に注目した。
部屋の隅で拗ねていた反町もいつの間にか席に着いていて、聞く準備万端とアピールしていた。
すーはーと、深呼吸を一つ。緊張を少しでも緩和してから十堂は口を開く。
「挨拶が遅れてすみません。わたしは一年の十堂恋歌です。数字の十にお堂の堂。恋の歌で恋歌と書きます。呼び方は皆さんが好きなように呼んでください」
ペコリと律儀にお辞儀までする十堂。
人前が苦手とか、話すのが苦手というわけではないようだ。
単純にコミュニケーションを取ることが嫌いなわけでもない? となると十堂はクラスメイトとはわざと距離を置いているということなのだろうか?
「よろしく、恋歌。私は雪原つもり。私のことも好きなように呼んでくれていいわよ」
「……古宮遥香、です。よろしくね、恋歌ちゃん」
雪原は笑顔で手を振り、古宮も律儀にお辞儀する。
「よろしくお願いします。つもり先輩、遥香先輩」
もう一度お辞儀して、今度は榊先輩を見る。
「榊夜乃先輩……ですよね?」
「正解! 何で知ってるのかなーって思ったけど、生徒会長だから覚えていてくれたのかな?」
「そんな感じですね。さすがに通っている学校の生徒会長の名前は覚えておかないといけないと思って予め先生に聞いておきました」
「おー、いい心掛けだね! 恋歌ちゃん良かったら生徒会入らない? 今人手が足りてないんだよねー」
「お誘いは嬉しいですけど、めんどくさいのは嫌いなので遠慮しておきます」
「どストレートで断られた!? 確かにめんどくさいけど! もっとオブラートに包もうよ!?」
ド直球の十堂の断り方に生徒会室は一瞬のうちに賑やかになる。
しかもそれを真顔で言ってのけたのだから尚更だ。
「あははは!! いやー……傑作! ナイスよ恋歌! それ、私が誘い断るときに言ったセリフと一字一句間違ってないもん」
「……恋歌ちゃんと、つもりちゃんが、ダブって……見えた」
「二人とも私の誘いを断るなんてー……絶対に後悔するよっ!」
「それ、私の時も同じこと言ってましたよね。結局後悔することなんてありませんでしたよ。むしろ伸び伸びとスクールライフを送れて私は幸せですね。だから――」
雪原は立ち上がり十堂の元へ寄って右手を差し出す。
「生徒会には入らない方が楽しい学園生活を送れるからね、恋歌」
「了解です」
雪原の言葉に十堂はしっかりと頷いた。
これで十堂が生徒会に入る可能性は限りなくゼロに近くなった。
現在の生徒会がどうなっているのか詳しくは知らないが、たまにこうして俺たちが手伝って何とかやっていけるのならなんてことないだろう。
「貴重な……人材、がッ」
榊先輩はガクッとうなだれる。
ここで真面目な感じで残念そうにしていたのなら少しは考えていたところだったが、おちゃらけた感じだし、榊先輩には悪いが深刻に考えているようには見えなかった。
少なくとも今の状態では、の話だが。
「ま、いざとなったら俺たちが助けに行きますから安心してください、夜乃先輩!」
励ますように反町が言うと、榊先輩はため息を吐きながら少し冷めてしまったアッサムティーを口に含んだ。
ふぅ。と、一息ついてカップを置いて少し俯く。
少し残った紅茶に榊先輩の表情がゆらゆらと映っていた。
「……」
少し寂しげな表情が、隣に座っている俺にははっきりと見えていた。
先ほどそこまで深刻じゃないと言ったのは撤回しよう。きっと榊先輩は真面目に俺たちのことを生徒会に必要な人材だと考えていてくれているのだろう。そして生徒会の一員として、俺たちと一緒に仕事をしたいのだろう。
ここで手を差し延べることは簡単だ。
俺が生徒会に入ると言えば先輩は喜んで俺のことを迎えてくれる。そうすれば雪原達も俺にくっついてくる。それは分かりきっているシナリオだった。
「さて、あとは俺の自己紹介だけだな。俺は――」
「恋歌。これは反町優誠。親しみを込めてクズって呼んであげて」
「いえ……さすがに先輩に対してクズだけじゃ失礼かと」
何か裏のありそうなセリフだったが、反町は深く気にしていないらしく満足気にこくこくと頷いていた。
「そうだよな。さすが恋歌ちゃんは分かってくれてる」
「はい。ちゃんと『先輩』を付けます。よろしくお願いします。クズ先輩」
「……俺泣いてもいいよな?」
「やめてよ、気持ち悪い」
そう吐き捨てる雪原に榊先輩は苦笑いを浮かべる。そして俺もこの楽しい光景を見て素直に笑ってしまう。
このままの関係でいることでこうして笑いあえるのであれば、俺は多少の変化すら望まない。
捻くれた考えかもしれないがそれが今の俺だ。生徒会に入って何かが変わってしまうのなら俺は今の状態を維持する。
「冗談ですよ、ク――優誠先輩」
「言い直した!? ねぇ恋歌ちゃん今言い直したよな!?」
「……。なんのことですか?」
「その間は何!?」
さらに反町に追い討ちをかける十堂を見て俺はふと気づいてしまう。
変化を望まないと俺は思っているのに、何故俺は彼女をここに引き入れたいと思ってしまったのだろうか?
『――あの日の約束、覚えてますか?』
きっとこの時だ。
この時に俺の中の何かが変わってしまったのだろう。俺はきっと十堂恋歌という少女の持つ何かに引き寄せられたのだ。
「……ホント、不思議な奴だな」
そんな俺の呟きは換気のために開けていた窓の外へと溶けるように消えていった。
もうそれなりに遅い時間。
完全下校の時間はとっくに過ぎていて、明かりが付いているのはこの生徒会室だけだった。
生徒会は完全下校が過ぎていても申請を出せばこうして遅い時間まで残ることができる。
一般的な部活動も大会やコンクール前ならば居残りをすることができるが今はまだ新学期が始まったばかり。何処の部活動も日が暮れる前に解散している。
「近いうちに恋歌ちゃんの歓迎会開こうぜ! 生徒会室にお菓子とかジュース持ち込んでさ!」
「ちょ、優誠くん? 生徒会は私用で使えるところじゃないんだよ?」
「ええー……。こんな時だけ生徒会長ぶらないでくださいよ」
「こんな時じゃなくても私は生徒会長らしくしてるつもりなんだけどな!? けど、私も賛成だよ、恋歌ちゃんの歓迎会!」
まだ誰も賛成していないというのに、反町と榊先輩はまるで決定事項のように話を進め始める。
日程は何時にするやら、場所は何処にするやら、生徒会の予算はここまで使えるやら、真面目な会話の中に不穏な会話も混じっているような気がしたが聞かなかったことにした方が身のためだろう。
「十堂。なんか勝手にあんなことになってるわけだが……迷惑じゃないか?」
あまり気にしている様子は見られなかったが十堂は基本的に無表情でいるせいで本心が表情の裏に隠されてしまっている。
だから実際に聞いて、話してみないことには十堂の本心なんて分かりっこない。
「あいつら色々勝手だが根はいい奴なんだ」
「そんなことは先輩方の表情を見ていれば分かります。何か裏があるなら、あんな真っ直ぐな笑顔は作れませんよ」
「十堂的にはどうなんだ? 嬉しいか?」
そう訊ねると十堂は「そんなの当たり前じゃないですか」と言ってゆっくり目を閉じた。
それっきり十堂は何も言わず、俺も何となく口をきけるような雰囲気ではなかったから口を閉ざしていた。
反町と榊先輩はどれだけ話に熱中しているのか、声量が徐々にヒートアップしていた。
雪原と古宮はそれぞれスマホを弄って何かしているようでこちらの小さな変化には気づいていないようだった。
「先輩は毎日こんな生活を送っているんですか?」
不意に十堂が口を開いた。
吸い寄せられるように十堂の方を向くと、黒い瞳と視線が合わさった。
必然的に見つめ合うような形になるが、ドキドキするとか恥ずかしいとか、そういう感情が浮かんでこない代わりに、何故か俺は……懐かしいと思ってしまった。
「先輩の日常は笑顔で溢れています。友達に囲まれてとても楽しそうです。わたしは……わたしは、いつも一人ですから、何だか新鮮です」
「十堂……」
俺はそれに対してなんて言葉を返してあげればいいのか分からず黙り込んでしまう。
こういう時に気の利いた言葉の一つや二つ言えなくてどうすると自分を恥じる。
「――隼人先輩」
「ん」
「先輩はずっと、先輩のままでいてくださいね」
「? それはどういう――」
「さてさて、もう時間が時間です。帰る準備しましょう」
そう言って十堂は立ち上がる。
ふわっと香った甘い花のような十堂の香りがまた、どこか懐かしさを蘇らせるのだった。
to be continued
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