第8章 十分と不十分の狭間に

1.


 冬の太陽が中天に指しかかるころ、クロイツたちは分かれ道にたどり着いた。

「姫様、途中で依頼を放棄すること、誠に申しわけありません」

 朝からここに至るまで、一生懸命考えて、でもこれしか思い浮かばなかった。続いて頭を下げると、馬上のティアはそっぽを向いた。まるで、もうクロイツたちに用はないかのように、膨れっ面で。だが、愛馬がそれに倣わない。

「ん、ミュラ、またな」

 クロイツに鼻を擦り付けてくるのに応えて首を撫でてやると、囃すような会話が流れた。

「主より、よっぽど素直ね」

「しようがねぇから、姫様の代わりに挨拶してるんだよな」

 もぅ、とますます膨れた赤い頬のまま、ティアは傭兵兄弟を見下ろした。

「クロイツを助けてあげて。傭兵稼業のこと、暇な時でいいからいろいろ教えてあげて。アリシアが知らない、現代のことも」

「承った」「ま、追々やりますよ」

 次に、アリシア。

「寝てる時、ちゃんとクロイツの掛物を直してください。風邪引いちゃうじゃないですか」

「え? ええ」

「それから、生焼けのお肉を食べそうになったら止めてください。お腹壊しちゃったらどうするんですか? お水も時々馬みたいにガバガバ飲むから、気をつけてください。それから――」

 まだ続くのだろうか、これ。周りの人々がみんな温かい目になってるのがいたたまれなくて、でもいつになく真剣なティアの顔と口調に気圧されて、止められない。

 全てアリシアが微笑みで承ってようやく、空の深い場所のような色の瞳がクロイツを見すえた。

「クロイツ――」

「はい」

「……死なないでね」

 しみじみとした口調に、クロイツは倣うことにした。

「ええ、死にませんよ。世界を救う――「死なずに王都にたどり着いて」

 どうしたのだろう。急に目つきが険しくなった。だがそれはすぐに消え、口調も表情も明るく改まった。

「死なずに王都にたどり着いて、会いに来なさい。そうしたら、あなたの後援者になってあげるわ」

「ありがとうございます、姫様。絶対、たどり着いてみせます」

 それを潮時と、クロイツはウォレスに別れの挨拶を済ませた。

「うむ。任せなさい。待っておるぞ」

 そうにこりとしたウォレスは鎧櫃を背負うと、アリシアに向かってウィンクした。

「伯爵様には、無事に王都まで送り届けてくれましたと報告するゆえ、心配ご無用ですぞ」

「え? じゃあ報酬の減額、無し?」

 すごくうれしそうな真龍。せこいというべきか、しっかりしているというべきか。

「ええ。伯爵様からもそう言われておりますゆえ」

「あら、そうなの?」

 老臣の口の端が歪む。

「我が領国の偉人予定者をくれぐれも粗略に扱うな、との仰せにございました」

 半笑いになったアリシアと感想を共有して、クロイツは頭を再び下げた。

「予定のままで終わらないように精進します。そうお伝えください」

 そうして、主従は手を振りながらフィデリーナ街道を東へと去った。


2.


 見送って、分かれ道をしばらく歩いた時、

「後援者ってなに?」

「さっそく始まったぞ」

 ヴァクエルの反応にティジェルンが豪快に笑った。

「後援者ってぇのは、まあ大体後援される側は平民っすけどね、貴族様や裕福な平民がそいつの後ろ盾になって支えてやる人間になるってことっすよ」

「……お金が無いのに?」

 ティアの、いや伯家の台所事情のことを言っているのだろう。ティジェルンはまた笑って言い足した。

「金だけじゃないっすよ。カネや権力を持ってる人間に渡りを付けたりするのも、立派な後援でさぁ」

「ま、15歳の女学生にそんな伝手もないでしょうがね――」とヴァクエルが引き継ぐ。

「それでも、知り合いの知り合いの知り合いがすごい奴かもしれん。持っておくに越したことはないですよ」

「昔はなかったのか? そういうの」

 そうクロイツが尋ねると、アリシアは少し記憶を手繰る仕草をしたあとうなずいた。

「そりゃ、貴族が平民の後ろ盾になるってことはあったけど……どっちかっていうと、半分配下というか、緩い主従関係を結んでというか。そんな、勢いと義侠心だけでなんて無かったわよ」

 ティジェルンがそれを受けて、

「いや、大半はやっぱり資金援助っすよ。そのほとんどは利益が上がったら分け前を要求してくるっていいますし」

「その平民が今度は伝手になって、どこかの利権に食い込ませてもらったりとかな」

 ヴァクエルが言い添えると、アリシアは歩きながら腕組みをして考え始めた。

「分け前……利権……なるほど、投資って奴ね?」

 傭兵兄弟が揃ってうなずくのを横目で見ながら、クロイツは思う。俺が始めようという傭兵団は、果たして利益なんて出るんだろうかと。まして利権がどうとかなんて、貧民にはまったく想像もできない世界だ。

 アリシアも同じ思いなのだろう。黙り込んでいたのが唸り始めて出た結論は、

「……クロイツの傭兵団じゃ、利益なんて出ないわね。後援者にお金を出してもらうのは厳しいか……」

「ま、銀行に金を貸してもらうことになるんじゃねぇですか? とりあえずは」

「貸してもらえるんですかね?」

 クロイツの自然な問いに、肩をすくめる傭兵兄弟。

「借りたことないどころか、そんな相談すら行ったことないな」

 ティジェルンの話によると、どうやらほとんどの傭兵団は銀行や個人の金貸しから金を借りて運営しているようだ。そこに仕事をこなすことで得られる報酬を足したものが、運営資金ということになる。

 そこから給料やら兵糧――旅人や荷駄の護衛などの仕事は、基本的に食事は自弁である――購入代金などなどを差し引くと、月々の返済でいっぱいいっぱいになってしまうらしい。

 もっとも、ティジェルン自身が傭兵団経営に関わっていたわけではないので、それ以上の詳しいことは分からない、いわゆる3大傭兵団なら別だろうと断られたが。

「……浪漫だけでは食っていけないですよね、やっぱり」

 物問いたげな目を向けられたので、武術学校の同期に『傭兵団を自分で立ち上げるのは浪漫だよな』と言われたことを話した。

「……みんな、どうしてるんだろうな」

 その言葉が、この旅を始めて以来、幾度となく口を突く。アリシアも、普段のそっけない言動とは別に、自分が暮らして知り合った人々の消息は気になるようだ。クロイツより回数は少なくとも、気にしているつぶやきを耳にしている。

「手紙を送りたいんけどね……今のこの状況じゃ返事を送ってもらう先が……」

 アリシアの嘆きに、ティジェルンが反応した。

「住所不定無職っすからね。大将」

 そのなんともやるせない響きにみんなで苦笑しながら、道を急ぐ。



「ところでアリシア殿、いくつか訊きたいことがあるんですが」

 とヴァクエルが言い出したのは、何度目かの休息の時だった。

「一刻も早く王都に行って、傭兵団を立ち上げたいのではないですか?」

 アリシアは水筒の水を飲むと、首を振った。

「迅速にことが運ばないことは織り込み済みよ。なんてったって、徒手空拳なんだもの。前回もそうだったわ」

 そういえば、聞いたことがなかった。というか、いまさらながらに思い出した。

「前の世ではヒルダって名前だったんだよな?」

 うなずく真龍に、さらに問いを重ねる。

「その時選んだ龍戦師は、なんで名前も戦歴も伝わってないんだ? ちゃんと使命を果たせなかったのか?」

 立ち止まって目を閉じるアリシアの顔には、往時を回顧するような表情が現れていた。しかし答えは、クロイツの予想を裏切った。

「それはまた、いずれ時を見て、教えてあげるわ」

「なんだよそれ……じゃあせめて、どんな人だったかくらい教えてくれないか?」

 あえて問われて、アリシアはためらいがちに答えた。まるで何かを恐れているかのように。

「勇敢な人だったわ。優しくて思慮深くて……一途で」

 ……なぜだろう。それがまるでいけないことのような顔に見える。ヴァクエルもそう思ったのか、無難な話題を振った。

「その方は、どんなご身分だったのですか? どこぞの武家貴族の出身とか」

 アリシアは、平民だと答えた。さらに、

「わたしはね、前回も、前々回も、平民から龍戦師を選んでる。ベリウスには『遠回りするな』とか言われるけど。でも、あいつは何も分かってない」

 黒き真龍の名を出してくさしたあと、アリシアは続けた。

「あいつは貴族から龍戦師を選ぶ。それは確かに戦力を整える早道よ。でも、ただ戦力を整えるだけでは、魔神の封印どころか魍魎討伐だっておぼつかないわ」

 なぜだろう。あらかじめ資金も手勢も持ち合わせている貴族なら、確かに即戦力なことは疑いないではないか。自分の非力さに時々情けなくなるクロイツとしては、それで討伐がおぼつかない理由が分からない。

 その疑問を素直に口にしてみた。返ってきたのは、真龍の悲憤だった。

「忘れたの? 『がんばれ真龍』、『がんばれ龍戦師』。あなたがそれを聞いて、どう思ったのかを」

 ティジェルンが身じろぎした。

「つまりあれっすか、お貴族様だけではいけねぇんだと」

 そう、とアリシアは憤りを変えずに答えた。脇を通り過ぎる旅人たちが不審な目で見るほど声高に。

「魍魎がどうしてヒトを、街を襲うのか。それはね、真龍と龍戦師が魔神に立ち向かう体力を削るためなの。国としての体力、それは民草であって、貴族じゃないわ。そして、上からの意識改革なんて、なかなか浸透しないものよ」

 アリシアのクロイツを見つめる瞳は、口調とは裏腹に静かなものだった。

「この国の民の大多数である平民のあなたが戦って、みんなの前で戦って、意識を変えるのよ。『がんばれ』から、『がんばるぞ』に」

 壮大な目標を持たされて、でもクロイツは逆に笑った。

「よし! とりあえず、稼ぎに行こうぜ。生活費を」

 笑い合って、休息は終わった。

「そういえば、いくつか訊きたいことがあるって言ってなかった?」

 アリシアに問われて、ヴァクエルは荷物を担ぎ直しながら言いよどんだ。

「なによ?」

 促されて、なおもためらうヴァクエルだったが、

「いやまあ、せっかく明るく前を向こうって雰囲気のところ、悪いんだが――」

 と実にすまなそうに頭を掻いた。

「滾龍紋っていうのは、なぜ龍戦師の命を削らねば出せないんだ?」

 アリシアとともに、目を見張る。この兄弟に話をした覚えがまったく無いからだ。なぜ知っているのかと問えば、

「……泣いてたぜ、姫様」

 あの朝まだき中庭での会話が、不意に記憶に蘇った。涙をこぼし始めたティアに、あえて突き放すような言葉を選んだことも。

 申しわけないことをしてしまった。でも、俺は……

 うつむく龍戦師に対して、真龍は昂然と前を向いたままだった。

「仕方がないじゃない。そういう仕組みなんだから」

「それで納得できないから泣いてるんだが……」「仕組みってなんすか仕組みって」

 そもそも龍の力は、ヒトの身体に存在してはいけないものである。ゆえに龍戦師と龍衛士が龍の力を発揮する時、その身に危害が及ばぬぎりぎりで自然に抑えている。だが、激しい怒りと憤りを覚えた時――

「――血が滾り、龍と成る。もはや命を削ってでも、ね」

「……なあ、大将」

 ティジェルンが並んできた。

「これ、知っててなったのか?」

 首を振ると、返ってきたのは大笑と盛大な肩叩きだった。

「そこで確認せずに突っ込めるから、龍戦師なんだよな! 逆に安心したぜ」

「俺は呆れたままだ」

 ヴァクエルも並んできた。横目で顔をのぞき込んでくる。

「だから俺たちが護る。あの姫様のためでもあるし、この世界のために、そして――」

 彼に釣られて振り向くと、きょとんとしたアリシアがいた。

「アリシア殿のためにも、な」

「……ありがと」

 アリシアに笑いかけて、ヴァクエルがまた横目になった。

「まだ何か俺たちに話してないこと、ないか?」

「えーと、呪いのこととか?」

「なんだそれ、呪いまで掛かってるのか?」とこれは兄弟揃った。

「あら、ティアから聞いてないの? あんたたち」

「待てアリシア、姫様がそんなこと話せるわけ――って、話したのかよ!」

「うん!」

「嬉しそうに言うな!」

 クソ真龍め……結局自分で話す羽目になった。この時傭兵兄弟から向けられた憐憫のこもった眼を、クロイツは終生忘れないだろう。

「あとは……まあいいか」

 何を聞きたかったのか尋ねてもはぐらかされているうちに、アリシアの言っていた架橋の現場が近づいてきた。結構な数の人が働いているらしき喧騒が聞こえるようになったのだ。

「賑わってるわね」

「というか、騒ぎになってねぇですか?」

 自然と足を速めた先では、ティジェルンの言葉どおり騒ぎとなっていた。

 一方は旅人と見える一群で、もう一方は身なりからすると役人だろうか。旅人たちが川のほうへ行こうとするのを、役人たちが3人で押し留めている雰囲気である。

 少し遠くから騒動を眺めている男に問いかけると、

「いつまで経っても舟橋ができないから、野宿で何泊もしてる連中が怒ってるみたいだぜ。俺は今来たばかりだから、詳しいことは知らないけどよ」

 ということは、旅人たちは川のほうへ行こうとしているのじゃなくて、単に押し問答しているだけなのか。

 その時、役人の一人が悲鳴を上げた。揉み合いになって突き飛ばされたのだ。

「ちょっと! お前ら! 助けなさいよ!」

 見事に転倒した役人が起き上がりながら叫んだのは、すぐ近くに守備兵と思しき甲兵がいたからだ。だが、様子がおかしい。8人ほどがへたり込んで、騒動の場を虚ろな目で眺めているだけなのだ。

 その中から、一人が立ち上がった。さすがに役人を突き飛ばしたことに怖気づいた旅人たちの沈黙を尻目に、役人に近づいて助け起こした。

「すまんな。わしらも魍魎のせいでくたびれてるんだ」

 アリシアたちと顔を見合わせるあいだも、役人と老兵の会話は続く。

「は、払うものは払ってるじゃない! それなりの働きをしなさいよ!」

「わしらは報酬分の仕事はしておるぞ?」

 老兵はいかにもつまらなさそうな顔で反論すると、川のほうをあごで指した。

「その台詞はむしろ、人夫たちに言うべきじゃないかね? 魍魎が再々来るから仕事が手につかないとかいう言いわけを放置しているのはどなたかな?」

 その言葉を聞いて、旅人たちが再び騒ぎ始めた。もちろんその矛先は、役人たちである。

「あの人に、話をしてきます」

 老兵に足を向けたクロイツの肩を、ティジェルンが掴んだ。

「それは違うぜ、大将」

 そう言って、にやりと笑う。分からなくて首をかしげると、

「こういう時はな、金を出してくれるところに行くのさ」

 まあまかしとけ。そう言い置いて表情を引き締めたティジェルンは、先ほど転倒した役人ではなく、別の者に近づいていった。身なりの違いから、そちらのほうが上役とにらんだのだろう。

「守備兵の数が足りねぇみたいですが、雇ってもらえますかね?」

 そう話しかけられた上役は、明らかに胡散臭げな顔をした。が、大剣を背負うティジェルンの余裕に溢れた姿を見て、考えを改めたように見える。

「お前一人か?」

「いや、4人でさぁ」

 ティジェルンは笑う。普段の茫洋とした彼からは想像もできない"できる奴"風味の物腰に、苦笑を禁じえない。すると、

「正確には、3人と1体ですがね」

 ティジェルンの視線がこちらに飛んできた。つられて視線を向けてくる上役に、ああそうか見せてやればいいんだ。

「アリシア」

「仕方ないわね」

 鼻を鳴らすと、アリシアはたちまち龍体に変化した。周囲に巻き起こる悲鳴、そして、

「真龍様だ!」

「ああ! こないだの街に泊まってたって噂の!」

 雇用契約は迅速に結ばれた。


3.


 老兵は、シュトクと名乗った。60歳を超えているだろうか、髪も眉も口ひげも真っ白である。だが、鎧に包まれた身体は明らかに固太りで、隙のない身のこなしと相まって強者と伺わせるに十分である。

 だが、

(随分と荒れてるな……)

 それがクロイツの抱いた率直な第一印象だった。

 肌に張りと艶が無く、目元に隈もできている。白髪も髭も手入れを怠っているのが明らかな上に、これも艶が無い。ウォレスの白髭も旅が進むにつれて艶が無くなっていったが、こちらはそこから一段すさんでいた。

「わしの顔に何か付いているか?」

 首を振って、頭を丁寧に下げる。彼を含めて8名の臨時雇いの守備兵、その隊長役なのだ。舟橋ができるまでの短期契約とはいえ、彼の指揮下に入って仕事をすることになる以上、挨拶をするのは当然である。

「ああ。では、あとは頼むぞ」

 そう言われると思っていた。なぜなら、ヴァクエルから事前に言われていたから。

 守備兵たちは、魍魎に連日攻め苛まれていた。たいした負傷もなく切り抜けているのだから、彼らの実力のほどが伺える。だがその代償として、疲労困憊していたのだ。

 まず、彼らを休ませる必要がある。そのために、もし彼らからの申し出がなければ、後方で休むよう提案することになっていたのだ。

 ただし、そのまま怠けてもらっても困る。というティジェルンの提案で、

「皆さんの中から2人、一緒に来ていただきたいのですが」と依頼した。

「なぜかね?」

 3人と1体では対応できないかもしれないので、兵を出していただきたい。それは半ば事実でもあった。

「残りの方々には、後ろ備えをお願いします」

 そう、魍魎の迎撃を二段構えにすること、そしてクロイツたちが前衛を務めて作業現場からより遠い場所で迎撃することによって、人夫たちの動揺を抑えること。これをもくろんだのだ。

 シュトクはしばらくじっとクロイツの顔を見つめていたが、

「ラジル! アルティーナ!」と2人の甲兵を呼んだ。

 指示を受けた甲兵を連れて、作業現場から15テトラルク(約330メートル)ほど離れた場所に待機する。ヒト型や小動物の魍魎の脚力では飛び越せないくらいの幅がある小川の手前だ。人が1人通れる位の幅の橋が架かっているため、これを巡る攻防になるだろう。

 弓はないかとラジルに訊いてみたが、役人が貸与してくれなかったとの返事だった。

 なんとなく車座になって自己紹介込みの世間話をしていると、

「なあ、キミ――」

 とアルティーナが話しかけてきた。いかにも戦闘者という雰囲気の女性で、左頬についた剣傷が目に付く。

「本当に龍戦師なのか?」

「それ訊くか? 確かに見えないけどさぁ」

 とラジル。色黒でやや小柄だが、肩や足回りの筋肉は戦装束越しにも分かるほど盛り上がっている。疲労で表情は明るくないが、顔つきといい、しぶとそうな印象を受ける。

 まだ魍魎は影さえ見えない。だから逆に訊いてみた。龍戦師とはどんな人間だと思っていたのかを。

「そうだな……もっとこう、いかにも恐ろしげで……」

「はあ」

「肩や背中から角が生えてて……」

「ツノっすか……」

 ここでラジルが止めた。

「止めろよアルティーナ。本気で受け取ってるぞ、こいつ」

「え? そうなのかい?」

 クロイツは屈託なく笑った。

「いやまあ、角はともかく、恐ろしい印象は別にいいかなと。戦闘者ですし」

「アリシア殿はなんでまた、って言っちゃなんだけどよ」

 ティジェルンの問いを、アリシアはだらんと足を投げ出したまま答えた。

「嫌よ、そんな暑ッ苦しい奴」

「……嫌とかそういう問題なのかい?」

「そうよ」とアルティーナの呆れを一蹴するアリシア。

「これから先、どれだけ続くか分からない魍魎との戦いを、ずーっと一緒に行動し続けなきゃいけないのよ?」

 ぶるぶると震えるアリシア。クロイツは別の理由で震えた。

「どれだけ続くか分からない、か……」

「大変だな、大将」

「できないっつうのは、なあ……」

「いやあの、そっちじゃなくて、戦いが続くってほうですよ?」

 まったく考慮の外だったのに。しかし訂正しても、オッサンとオバサンは止まらなかった。

「なにさできないって?」

 本当に楽しそうに説明するアリシア。ああ、またやってるよ、ドッ★カーンって。

 アルティーナは哀れむかと思いきや、隣人の肩を叩いた。

「よかったねぇラジル。お仲間がいたじゃん」

「よかねぇよ!」

「あら、そうなの?」

 アリシアが興味も露わに身を乗り出した。

「そ、こいつ、勃たないんだぜ。異性同姓問わず」

「あの、俺、その、そういうわけじゃないんですけど……」

 なんで俺はこんな昼下がりに、草地でオッサンオバサンとこっ恥ずかしい会話してるんだ?

「へー、それはそれで地獄の苦しみだなぁ……」

「大変だな大将」

「だから、その憐れみの目で見るの、止めてもらえませんか本当に!」

 この際だ。訊いてみよう。

「というか俺、したことないんでよく分からないんですけど、そんなに苦しいんですか?」

 オッサンオバサンに見つめられる男(18歳)。やがてアリシアがぽつりと斬り付けてきた。

「あんた、本ッ当にモテなかったんだね……」

 ざっくり斬られてヘコむ。そこへ――

「! 来た!」

 奴らだ! 小川の向こうを指さす。ラジルとアルティーナが泡を食って得物を取ること1分ほどで、魍魎の一団が遠くに見えてきた。

「すげーな、龍戦師」

「偵察いらずだね」

「魍魎限定ですけどね」

 と立ち上がって、みんなの前に歩を進める。橋の上に陣取って、斬りまくる――つもりだった作戦は、見事に修正を余儀なくされた。

 それは、魍魎人が運んできた、3枚の板のせい。

「まさかあれ……」

「臨時の橋か?!」

「アリシア!」「おう!」

 真龍が光弾を連発し、板を運搬していた魍魎人を粉砕した。だが、他の者が板を素早く拾い上げて、猛然と走ってくる!

「やばい! もうすぐ川に――「させない」

 川を渡らせなきゃいいんだろ?

 クロイツは龍の力を身にまとうと、抜いた長剣を肩に担ぎ、猛然と走り出した。



「おぉ、戻ったか」

 ラジルとアルティーナが戻ってきたのは、あの真龍と龍戦師のところへよこした翌日の朝だった。

 昨日、昼の3時ころにひと合戦あったのは、いつもの方角から聞こえてきた喚声で分かった。一応自分も含めて鎧を着用して、後ろ備えの構えを取ってはみたが、魍魎のモの字も来なかった。

 その後、6時ころにもう一度喚声が上がったが、それはすぐに已んで、そのあとは静かなものだった。おかげで久しぶりに落ち着いて食事が摂れて、ぐっすりと眠れた。それが昨夜のシュトクたちだった。

 迎えて、一目で2人の様子がおかしいことに気づいた。揃って顔色が悪いのだ。食べさせてもらえなかったのか、眠れなかったのか、なにかひどい仕打ちを受けたのか。どれを訪ねても、黙って首を振るばかり。

「いったい、どうしたというのだ。黙っていては分からんぞ」

 ほかの者たちも朝飯を調理する手を休めて集まってきた。彼らにも口々に尋ねられて、ようやくラジルが重い口を開いて吐き出した言葉。それは、

「化け物だ、あいつ」

「違うよ」とアルティーナがつぶやく。

「あれは、大馬鹿野郎だ。じゃなきゃ、死にたがりの……」

 龍戦師。あの若造が魍魎の集団の真っ只中に突撃する。真龍とともに。自分たちは、龍の力に引き寄せられて龍戦師たちに群がる魍魎の背中を襲って片付けるのだ。

 そう聞かされて、顔を見合わせるシュトクたち。半信半疑の彼らが輪番で、この朝に聞いた戦法を体験し、2人と同様に呆れ、恐れおののくことになる。


4.


 木笛の音が、風に乗って聞こえてくる。

「ちっ! またか!」

 笛の音を境に退却していく魍魎の追撃をせず、ティジェルンは大剣を振るって血糊を払った。

 2日目の夕方以降、あれが聞こえるようになった。それと同時に、敵の動きが変わったのだ。明らかに。

 真龍と龍戦師を取り囲んでいた魍魎たち。ティジェルンたちに背中を見せてでも、龍の力を宿し者に挑みかかる誘惑に勝てなかったあいつら。

 それが変わった。どういう仕掛けなのか、笛の音が聞こえたとたん、龍戦師たちに対応する一群と、ティジェルンたちに立ち向かう壁となる一群とに分かれたのだ。

 無論それで怯む当方ではなく、また逆に圧力が減ったことによってクロイツとアリシアが自在に立ち回れるようになったのだが、

「……逃げられたわね」

「ああ、うまいな」

 アリシアとヴァクエルの会話に象徴されるように、もはや半数の死傷が退却の基準ではなくなった。それを聞き流しながら、シュトク隊からの派遣2人を気遣う。

「くそ、話が違うぜ」

 とぶーたれるベネズ。槍の名手という自己紹介だったが、今のところその真価を見せられているとは思えない。

「しようがないだろう。敵はやり手。そういうことだろう?」

 そうなだめるのはコスタという名の、隻眼の男。最後の問いはティジェルンに向けられたものだろう。彼はうなずくと、彼方を見つめた。

 沈む夕日を真に受けて影を伸ばしたクロイツの、魍魎が去った方向をにらみ続ける厳しい背中を。



 簡素な夕食もそこそこに就寝したクロイツを見て、ベネズが声を上げた。

「いいご身分だな。食っちゃ寝かよ」

「ならお前もなってみたらどうだ?」

 とヴァクエルがひとにらみ。アリシアがそれに乗っかって、

「龍衛士になる気はない?」と始めた勧誘を一通り聞いて、ベネズがにやりと笑った。

「給料を倍払ってもらえるなら、やってもいいぜ」

「倍か……」と考え込み始めた真龍に、ヴァクエルが問うた。

「前回の時はどうしていたのですか?」と。

 給料の割り増しをしていたらしいが、さすがに倍はなかったとの説明だった。そう聞いて、考え始めるベネズ。コスタがそれを見て、呆れ始めた。

「お前、まだ稼ぐ気かよ」

「っせーな、要るんだよ。いろいろとな」

 焚き火に薪を放り込んで、会話を聞くともなしに聞きながら、ティジェルンは思う。『真龍と龍戦師に対する忠誠心が確かな人物』というのが龍衛士に必要な条件のはずだが、確かに金で釣るのもありなのかもしれないな、と。

 なにせ、"あれ"は重要な問題だろう。ベネズのような若い男にとっては、なおさら。

 その点を振ってみたら、思っていた以上に暗い顔をされた。

「へっ、どうせ俺なんかよぉ……」

 風向きが微妙に違うような……と眉根を寄せていると、コスタが笑い出した。

「こいつ、つい先日袖にされたばかりなんですよ。街の酒場のねーちゃんに」

「なんだ、自棄になってるだけじゃない」

 アリシアも笑ったあと、それをすぐに収めて言った。

「ま、じっくり考えてくれればいいわ。クロイツと私と一緒に突撃しなきゃいけないしね」

「そのことなんだが――」

 ヴァクエルが剣を磨く手を止めて、アリシアを見すえた。

「何があったんですか? 故郷の街で」

 じっと見つめ返し、語らない真龍。ヴァクエルは言葉を継いだ。ベネズとコスタも掛け合いを止めて、注目する中で。

「街が魍魎の群れに襲われて、住人が多数死傷した。そこまでは、姫様とウォレス殿から聞いています」

 知らない人物の登場に首をかしげた傭兵たちに、手短かに解説をしてやる。そのあいだも、アリシアはじっと動かなかった。その表情には何も浮かんでおらず、何を思っているのかは皆目分からない。ヴァクエルは構わず、

「だがそれでは――」とここで眠るクロイツをちらりと見やって、

「それだけでは、大将があそこまでする理由にはならない」

「……知り合いが大勢死んだから、では充分じゃないって言うの?」

 ようやくアリシアの口から言葉がこぼれた。それは少し怒気をはらんでいるように思える。

 ヴァクエルは軽く溜息をつくと、首を振った。

「十分ですよ。しかし、自分の命を削ってでも魍魎を滅したい、という理由には不十分だ」

 そう、先日はそれを訊こうとしてやめたのだ。当の本人が眠っている時を見計らうために。彼の心の傷をえぐらないために。

「私はね、本人が語らないことをペラペラしゃべる習慣はないの」

 軽口とは裏腹に、真龍の表情は厳しい。

 やはり、本人から訊くしかないのか。そう思い始めた時、アリシアの表情が驚愕に変わった。と同時に、ティジェルンの背後から足音が聞こえ始める。

「わしらも聞かせてほしい。そこの男がなぜあんな真似をするのか。何が彼をそこまで追い込んでいるのか」

 シュトクと配下の傭兵たちが、焚き火の炎に照らし出された。

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