第3章 白鎧の龍戦師
1.
隻腕の男はヴァクエル、大剣の男はティジェルンと名乗った。兄弟だと言うが、そう言われればという程度にしか似ていないように、クロイツには思われる。
「王都に戻られるんですか?」
「ああ、ちょいとした護衛の仕事が終わったんだが――」
ティジェルンの後を、ヴァクエルが受けた。
「向こうで依頼が見つからなくてな。仕方がないから戻るのさ」
というわけで、王都までの同行を申し出られたのだ。渋い顔をしたアリシアだったが、宿賃などは自分たちで払うと言われて、判断をティアに投げた。
「……一つ、尋ねたいことがある」
判断を任されて、伯女としての威厳を出そうとしているのか。しかめ面をしているうえ、声も硬い。
「酔っ払いの頭に言われた『潰し屋』とは、どういう意味か」
兄からの答えは、簡潔明瞭だった。
「俺が今までいた傭兵団が3つ潰れてるのさ。いや――」
気遣わしげな弟を制して、それは驚愕の事実に言い換えられた。
「3つ潰したのさ。俺がな。だからその二つ名が付いた」
思わず街道上で、みんなで立ち止まってしまった。行き交う旅人の邪魔にならぬようにと脇の草地に移動して、ティアが再び仔細を問う。ヴァクエルは地に腰を下ろして水筒の水を一口飲んで、クロイツが馬を樹に繋ぐまで待っていてくれた。
「先刻承知だと思うが、傭兵なんてのは荒くれ者や世を拗ねた奴らが多い。昨日の奴らを見れば分かると思うが」
うなずくティア。クロイツも異論は無い。
「俺はな、そういう奴らが嫌いじゃない」
だが、と言葉を継ぐ。
「団の風紀が乱れるのは我慢できない」
「なるほど」とウォレスがうなずいた。
「団の風紀を正さない団長を斬った。そういうことじゃな?」
うなずき返すヴァクエルの顔を見つめる。確かに峻厳そうな面立ちではあるが、そこまでさせるのは何か理由があるのだろうか。
ティジェルンが横から口を挟んできた。
「言っておくが、兄貴から仕掛けたわけじゃねぇぞ。団を抜けるって言った兄貴を襲ってきたんだ。だから返り討ちにした。嘘じゃねぇぜ」
黙って話を聞いていたティアが、短く言った。
「分かった。同行を許そう。ただし、あまり他人といさかいを起こされるのは困る。それだけは肝に銘じておいてくれ」
こういう顔もできるんだな、とクロイツは新鮮な驚きを持ってティアの顔をながめた。といってもまだ2日目なのだが、こういう大人びた雰囲気も醸し出せるというのは、
(ウォレスさん、ウォレスさん)
隣に座る老臣に小声で尋ねてみることにする。
(そういえば、姫様っておいくつなんですか?)
(15歳ですよ)
「へー、15……じゅうご?!」
思わず声が高くなってしまい、噂の主ににらまれてしまった。初対面の時もその顔立ちと声の差に戸惑ったが、同い年くらいに思っていたのだ。
「わたしが15歳だと、なにか不都合があるの?」
彼女の剣幕に一瞬怯んだが、その時クロイツの脳裏に、武術学校でシャルリ教官に教わったことが浮かんできた。
『幼く見られるのを嫌がる子は、大人びてるっておだてろ。20歳以上の子は、逆に若く見えるっておだてろ』
……別におだてる必要はないよな。事実だし。
「今の姫様が大人っぽい対応をされたので、俺と同い年か年上かと思って訊いてみたんですよ。お顔もかわいいというより整ってるほうだと思う……思いますし」
結果、真っ赤になってそっぽを向いてしまった姫を見て、クロイツもかえって照れてしまった。周りの男連中もニヤニヤしているのが、さらに羞恥心を煽ってくる。
だが、クロイツは忘れていた。もう1人、いやもう1体女性がいたことを。
「私とティア、どちらが大人びて見える?」
なぜそこを張り合う?
「あんた、何百歳だっけ?」
「ぶっ飛ばす」
宣言どおり殴りかかってきたアリシアの凶拳から逃げ回る。
「おお、避ける避ける。さすが竜戦師だな」
「そのガタイでその速さかよ。というか昨日、クロイツをけしかけてたのって――」
「さよう、年増呼ばわりされたのが癇に障ったようじゃな、ほっほっほっ」
たっぷり3分は動き回らされて、水筒の水はことのほかおいしかった。外套の襟や袖口から漏れ出た身体の熱が冬の寒さで湯気に変わり、立ち上っては消え行く。それをながめるともなくながめていると、傭兵兄弟がアリシアと交わしている会話が耳に入った。真龍がどうとか言っている。
「どうかしたんですか?」
ヴァクエルが言うには、北のヴァンディーノ公領に真龍が現れたという噂を聞いたのだそうだ。それが黒い体毛の奴と聞いて、アリシアは眉根を寄せて唸った。
「ベリウスか……めんどくさいわね……」
「面倒なのですか? その真龍は」
とティア。こちらはお行儀良く座っていた円座の座り心地が悪いのか、時々身じろぎしている。
「小うるさい奴なのよ。真龍の格式がどうだの竜戦師の家柄がどうだの、ぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだぐだ」
「てことは、竜戦師はヴァンディーノ公のご一族からか?」
まだぐたぐだと言い続けているアリシアを放置して、ティジェルンが腕組みをした。傭兵兄弟よりはその筋に詳しいウォレスにも推定はできないようで、あれこれと名前を上げ始めた。それを聞き流しながら、クロイツは思いを馳せる。
いったい、どんな人物なのだろうかと。
2.
ゴートは、ヴァンディーノ公家の家士である。その率いし家は重臣と誇れるほどの家格ではないが、賤臣とは到底言えないほどの所領を持っている。また
彼は折からの寒空に似合わぬ大汗を掻いていた。先ほどから捜しているのだが、いないのだ。もうすぐ殿方との顔合わせが始まるというのに。
「姫! どこにおられますか!」
わざと大声を上げるのは、周囲の人々からの目撃情報を得るためでもある。もう数えるのもばからしくなったくらい続けたこの
教えられたのは、居館から少し離れたところにある開けた草地であった。冬の陽が一面を照らし出すその場から、聞き慣れた若い女性のはつらつとした声がする。
「よし、参るぞ」
足を速めたゴートの目に飛び込んできたもの。それは、中空に向かって投槍を構える公女の姿であった。細身ながらしっかりと筋肉で鎧われた長身の輝かしさは、神罰を恐れずに言うなら武神ケシサダータに比肩しうるとゴートは常々思っている。
助走ののち、気合の声とともに投槍が投擲される。ひゅるひゅると高音を発して飛び、草地にやや斜めに突き立った投槍へ向かって、計測用の縄を持って兵士が走る。十分に検分した結果は、
「リオの勝ちにございます、姫様!」
負けたと聞いて、公女の顔は逆に輝いた。傍らで恐縮する兵卒リオの肩を叩いて朗らかに笑う。その笑顔の輪は、草地全体に広がった――ところを申しわけないが、
「捜しましたぞ、姫様」
苦労をあえて顔と声に出す必要もなく、畏まった兵士たちによって、突っ立ったままの公女は場から浮いた。
「そうか、もう時間か……」
明らかに落胆の色を見せながら、しかし公女はゴートの先導に従って、居館への道をたどり始めた。
「姫様、これをお召し下さい」
後ろに従う彼女の従卒が、外套を差し出した。だが、
「ん? いらないぞ? 大して寒くないではないか」
「姫様――」
ゴートは横から口を出した。寒い寒くないの問題ではないのだ。こんな格好を先方に見られたら――
「……ええと、公女様、ですかな?」
遅かった。
間の悪いことに、顔合わせの相手も遅刻していたのだ。精一杯着飾った――ゴートの目には孔雀のようにしか見えない――伯家嫡男の目が大皿のごとく見開かれ、口が阿呆のようにだらしなく開けられている。父伯や従者とともに居館の正面玄関を登りかけて固まっているところが、さらに間抜け感を加速させていた。
そして、その呆ほうけた面の理由が、ゴートには痛過ぎるほど分かる。
なぜなら、サフィーナ王朝創立の功臣が開祖という血筋を誇り、王国四辺の内、北方を統括するという別格を有するヴァンディーノ公の息女、メイ・クラウス・ヴァンディーノ嬢は、木綿織りの半袖の上着一枚に膝も露わな半ズボンをはいているだけだったのだから。
1時間後、メイは母親の居室でうなだれていた。
もうどれくらい、怒り心頭に発した母の小言を聞き続けているのだろう。そう考えたとたん、
「メイ! 聞いているのですか?」
ぴょこんと跳ね起きて、聞いていることを示してみせる。
盛大な溜息に続いて、またお小言が繰り返された。
確かに、遅刻したことは良くなかった。それは分かる。
小ぎれいな――しかし窮屈な――一張羅に着替えを済ませて、笑顔を作って出迎えろ。そう言われたことを果たさなかったのだから、それについて怒られていることも分かる。
だが。
「ずぼらな大女め……」
お小言が終了して居室を辞す時に母がつぶやいたいつもの一言が、いつものとおり娘の心に突き刺さった。
廊下を自室に戻りながら、メイの心は沈む。
母がこの"大女"をオンナと認めていないことは、普段からの言葉の端々に感じ取れた。
それも分からないではない。胸も薄く、殿方の劣情をそそるような尻でもないことは、母や女性の家臣と己が身を比べれば一目瞭然である。なにより言動に、
(色気が無い……)
そんなことくらい、分かっている。男性一般が彼女を見る眼が、問わず語りにそう語っているのだ。そのくらいのことが分からぬ鈍感ではない。
でも、ならばなぜ、『顔合わせ』などと曖昧な表現でお見合いをさせるのだ。公家が統べる地域の伯家や候家と縁戚になることで、その統治をいっそう確かなものにする。そんな理屈にこの色気の無い大女を、公女だからという理由のみで使うのか。
突然呼びかけられて顔を上げると、真龍のベリウスがそこにいた。人間体の彼は、初老の男性の姿をとっている。その白髪頭がわずかに振られた。
「ご母堂もあきらめの悪いことよ」と。
「ベリウス殿からも言ってください。正直うんざりしているんです」
「わしに?」
今度はより大きく首が振られ、深い溜息が吐かれた。
「知らぬのか? わしは2日前から、ご母堂の居室には出入り禁止じゃ」
「な?! なにゆえですか?」
真龍は肩をすくめた。
「気に入らぬらしいな。何もかもが」
並んで部屋への道をたどりながら、説明が続く。
「かのお方は、なんでも自分が絡んでないと気が済まぬご気性であろう? ゆえに、わしが勝手にそなたを竜戦師に選んだのが、そもそも気に入らぬのよ」
確かに母は、忙しい人である。どこにでも顔を出し、何にでも口を挟み、『ああ忙しい忙しい』が口癖である。そもそも、今日で5件目の『顔合わせ』も、母の仕切りなのだ。
行き合った家臣の礼に快活に答えながら、逆に沈んだ心のまま、自室へとたどり着いた。
そこでは、麾下の軍勢を率いる武将たちが待っていた。一様に頭を下げる中から、バーガインがいち早く面を上げて、
「姫様、お見合いはいかがでした?」
ゴートがにらむが、あの粗忽者はまったく気づかない。メイが微かに溜息を吐いたのも。
「いつものごとくだ。『話が違う』って顔で、当たり障りの無い話をして、お仕舞い」
正確には、『絵姿と違う』なのだがな。武将たちの笑いさざめく中で、メイはもう一度微かな溜息を漏らす。
顔合わせ用絵姿のメイ。その姿は、健康的なふくよかさを匂わせる(ように増量された)肢体を豪奢な夜会服に包み、腰まで届く長い髪――無論、カツラである――を後ろに流して、(高身長をごまかすために大きな)椅子に座る、それはそれは淑やかなものであった。
ちなみに、甲冑を新調してくれるというので椅子に座って我慢したが、出来上がった絵姿を見て思わず、
『詐欺ではないか?』
とつぶやいてしまい、父母の小言を食らったのはもう半年も前のことである。
(髪、か……)
知らず知らずのうちに、自分の黒い髪の襟足とうなじを撫でていた。彼女はまるで平民の少女のような短髪にしていて、それにとても満足している。この長さでも、揺らせば日に煌いてきれいだと密かに自負しているし、長い髪など戦場では邪魔なのだから、これでいい。
しかし、
(どの殿方も、髪の長さのことを訊いてくるのはなぜだ?)
貴族の令嬢はすべからく、髪が長い。それが世の常識とはいえ、そんなに衝撃的なのだろうか。
「さて」とベリウスが話題を変えて場は静まり、メイも意識を現実に戻した。
午後一番に出陣するノスレーヌ遠征について、最後の詰めを行うのだ。先日ギュイバード辺境伯が国境を侵して村を襲った報復である。ついでというわけではないが、魍魎の群れに対する哨戒も兼ねている。
歩兵隊の指揮官、サレとクーリッシに指示を出す。彼らには、それぞれの隊を率いて先発してもらう。メイ、ゴート、バーガインの各騎兵隊と輜重は2時間遅れでの出陣となる。
「よいか。くれぐれも、魍魎に遭遇したら独断で戦闘をしてはならぬ。防御に徹してしのぎつつ、本隊に伝令を送れ。よいな」
メイの参謀をもって任じるベリウスの指示に、歩兵隊の2将は黙って頭を下げた。
細々としたことを打ち合わせしたのち、散会となったのだが、
(なんだろう……)
メイの心に、言い表しようの無い引っ掛かりが残った。この部屋に入ってきた時から感じていたものだ。だが、その正体がつかめないのがもどかしい。
いぶかしむ公女に、真龍が近寄ってきた。
「どうした? さあ、そなたも出陣の準備を」
「あ、ああ。そうですね……」
バーガインも声を掛けてきた。その眼は愉快そうに揺れている。戦うことが何よりも大好きなこの男ならではの表情だ。
「さあ、ギュイバード辺境伯をきっちり締め上げてやりましょう。まだ見たことは無ぇですが、イイ女だって話ですからね。さぞかしいい声で――「この痴れ者!」
ゴートがバーガインを殴りつけて止めたのは、貴族の身でありながら下卑た言葉遣いをするバーガインを厭わしく思ったのか、それとも、
(私への配慮だろうか……)
ほうほうの態で部屋から逃げていくバーガインの背中をにらみつけるゴート。我が軍勢の副将格を横目でそっと見たが、その表情からは怒り以外何も読み取れなかった。
3.
出陣式は挙行しない。父公は病から回復しきっておらず、母はベリウスが絡んだことには顔を出さない。そして嫡男たる兄(と王都で養育されている弟)は、国王から公家に課せられた王都詰めの輪番のため、半年前からいないのだ。公家に見送る者が誰もいないということで、神官による祈祷を受けた後、メイ率いる本隊はいたって静かに居館を出発した。
午後になり、風が出てきた。それに逆らうように、征馬は進む。甲冑で身を固めた上にチュニックまで羽織っているから寒いということはないが、
(雪になったら面倒だな)
そう思えばちらほらと風花が舞っているようにも見えて、メイは頭上を飛ぶ真龍に声を掛けた。
「ふむ、そういえば、飛んできておるな」
「ならば、今夜の宿営地を少し南にして、早めに設営をさせましょう」
薄かった雲は、次第に厚みを増してきている。それを見ながらの提案は、真龍の顔も曇らせた。
「それでは予定が狂う」
というのが、苦い顔の理由だ。だが、雪が降る中での行軍と宿営地設営は兵たちも慣れているとはいえ、できる限り避けたいのが人情である。
従卒に、後軍を率いるゴートを呼びに行かせた。しばらくして馬を飛ばしてきた彼の意見もまた、予定より早めの宿営地設営であった。
「なぜだ? 物事を予定通り進めること。これにこそ勝利に続く道がある。出発して1時間もしないうちに変更などしていては、勝利はおぼつかないぞ」
まくしたてるベリウスの持論はごもっともだが、
「しかし戦には流れというものがございます。あまりに硬直した運用は、流れとのずれが積もって、いずれ破綻しかねませんぞ」
そう諭された真龍の眼が怒りに燃える。口を開こうとした機先を制して、メイは1人と1体に告げた。
「今宵の宿営地を南に少し下げることにする」
承った副将と、承服できないという顔の真龍と。メイは下腹にぐっと力を込めて、真龍の顔を直視した。それが指揮官の務めなのだから。
「ベリウス殿、行き先の哨戒も兼ねて、歩兵隊までひとっ飛び伝えてください。詳しい場所は追って伝令するからと」
ベリウスは鼻を鳴らすと、黙って北へ飛び去った。
「姫様、お見事でございました」
ゴートの笑顔に少しだけ笑って答えて、従卒に地図を要求した。進軍しながらの思案ゆえ、鞍の前輪の上に広げてゴートとともに地図をにらむ。その上に、ついに雪が舞い降り始めた。
「やはりこの川の南東岸に――「姫様、ベリウス殿がもう戻られましたぞ」
従卒の進言に雪空を見透かせば、黒い巨体がみるみる大きくなってくる。その表情は険しく、さては納得がいかず戻ってきたのかと気を引き締めたのだが、
「歩兵隊が魍魎に襲われている! あやつら、自分たちだけで応戦を始めよった!」
メイはすぐに地図を従卒に放り投げざま、続けと一声発して馬腹を蹴った。
兜を目深くしても飛び込んでくる雪に眼をしばたたかせながら、愛馬を疾走させる。その上に伏せて――長身ゆえ馬の首には乗り切らず、上下動する馬の頭にあごを打たれないよう注意しながら――どれほど経ったろうか。彼女の竜戦師としての感覚が、左の雑木林からのぶわっと膨らむ気配を捉えた。
無意識で剣を抜いて二振りすると、ばらばらと矢が四方に折れ飛んだ。一本斬り飛ばし損ねて兜に当たり、鈍い金属音を発した矢は彼方へ弾け飛ぶのと引き換えに軽い衝撃を残していった。
「敵襲! 敵襲!」
メイの後方1馬身ほどを追走していたゴートが叫び、同じく矢柄を斬り飛ばす。だが、運悪く斬り損ねた2本が乗馬に当たってしまった。
「ゴート!」
馬首をめぐらせて、ぬかるみ始めた道に馬ごと横倒しになったゴートの盾になる位置に急ぐ。上からベリウスの光弾とともに、
「メイ! 急がぬと救援が間に合わぬぞ!」
かっとなって、龍の力を身にまといがてら言い返すのを抑えきれない。
「今ここで配下を救わずして、指揮官としての面目が立ちましょうか!」
光弾に焙り出されて、魍魎の群れが雑木林の中から湧いて出てきた。10鬼ほどの敵勢は、ゴートたちには行かず、ただメイに向かって吶喊してきた。なぜならば、龍の力を身にまといしメイが、従騎ともども愛馬を急き立てて突進したのだから。無論、敵を引き付けて味方の体勢を立て直させるためである。
自重を叫ぶゴートを置き去りに、縦横に長剣を振るってたちまち2鬼を馬上から斬り伏せた。少しできた間を使って、眼は魍魎たちに据えたまま叫ぶ。
「歩兵隊の救援に迎え! 私は後から追い付く!」
一瞬の逡巡。のち、バーガインとゴートの応答が風に乗って消えていく。
右側の魍魎を掃討するため、ベリウスが降り立った。そのまま爪で魍魎に襲いかかるのを見る間もなく、左から突き込んできた魍魎の槍先を盾でいなして、そのまま盾でその魍魎を殴りつけて昏倒させた。さらに馬を進めて魍魎を愛馬の蹄に掛けたところで、
「!? 笛……?」
雑木林の彼方から低く、しかし軽やかに響く音色。木の横笛だろうか。
その音色に乗って、魍魎たちは踵を返して逃げ始めた。ベリウスが光弾で追い打ちをかけても、メイが龍の力を輝かしても、振り返りもしない。
「これは……もしや……」
「総括は後だ、ベリウス殿」
メイは愛馬の疲れ具合を確認したあと、また馬腹を蹴った。歩兵隊の救援まで、馬が持てばいいのだが。
4.
ゴートが長躯した戦場は、惨憺たる有様だった。
歩兵は三々五々に固まり、抵抗を続けていた。大きな塊が2つ、それぞれの中心にサレとクーリッシのペナントが見える。戦場のそこかしこに散らばる魍魎と歩兵の屍は、明らかに歩兵のほうが多いと見てとったゴートは、復讐の雄叫びを上げた。
「死ねい! 魍魎どもめ!」
「おっと! お先に行かせてもらうぜ!」
バーガインもまた叫び、拳を握り締めた。そこから溢れ出す龍の力が、手足を、甲冑を、槍を覆ってゆく。
配下の騎兵たちも同様に龍の力を身にまとっていく。だがその完了を待たず、バーガインは叫んだ。
「
歩兵隊を襲っていた魍魎たちの動きが変わった。目の前の歩兵などもはや目もくれず、龍衛士騎兵目がけて殺到してくる。ゴートがすべきことは、この機に乗じることであった。
「それ! 敵の後ろを取れ! 今こそ逆襲の時ぞ!」
バーガイン隊の周囲に群がる魍魎。そのがら空きの背後を襲うのだ。
だが。
(? サレとクーリッシの本隊が鈍い……負傷しているのか?)
従騎とともに仔細を尋ねに行こうとした矢先、真龍が飛来した。少し遅れて、メイとその従騎も姿を現す。その直後、戦場に笛の音が響き渡った。
(なんだ? いったい誰が吹いているのだ……)
急いで周囲を見透かすが、それらしき姿は見当たらない。この騒然たる戦場に、これだけの音量を響かせるのは驚異と言っていいだろう。
魍魎たちは、てんでに得物を振り回しながら退却を始めた。いや、退却というより遁走がふさわしい。そのくらい、後ろも振り返らずまっしぐらに北西にある雑木林へと逃げ込んでいこうとしている。
歩兵隊の生き残りが、残敵掃討とばかりに後を追った。ゴートは歩兵隊の指揮を取らせるべく、手近なサレのペナント目指して馬を進めたのだが。
「行くな! 止まれ!」
メイの大声が飛んできた。自分のことかと思い、慌てて手綱を引いて振り向くが、指揮官の目も顔も、追撃する歩兵たちに向いていた。
「ベリウス殿! あの林に!」
「心得た」
黒き真龍がぐるりと旋回しざまに、雑木林の中に光弾を撃ち込む。その成果は、撃ち込んだ先から上がる絶鳴によって明らかとなった。
「逆撃の伏兵がいたのか……!」
「諸将よ、手勢をまとめよ!」
ここは開けた場所だが、雑木林が点在しているため、奇襲を受けやすい。そう戦闘前に話し合ったとおり、ニブル川の南東岸で宿営するのだろう。メイの指示は、まだどこぞに潜んでいるかもしれない敵の偵諜に聞かせないためか、簡潔であった。
やはり、姫には見所がある。ゴートはしかしにやける顔を抑えて、手勢を取りまとめるべく馬を進め、口に入る雪をものともせず声を張り上げた。
戦闘直後の、それも勝利とは到底言えない有様に、兵士たちの動きは鈍かった。それを叱咤して、仲間の遺体を集めて埋葬を行わせた。神官による儀式は後日として。
それから退却して、設営を行っているのだ。宿営の設営に時間がかかるのは仕方がない。その中を督励して回りながら、メイは努めて下を向かなかった。
それが将の勤めだという理由もある。が、本心は、
(姫様、こらえてください)
(……分かっている)
従卒がまた袖を引く。短く返して、歩みを再開する。うずうずしながら。
(ああ、私もあの柵建てを手伝いたい。遅れている天幕の設営を手伝いたい。もう夕闇が迫っているのに、かがり火の数が少ないではないか。点けて回りたい……)
しかし彼女は指揮官である上に公女。そんな真似は周囲がさせてくれない。貴人の手をわずらわせること、それは下役の怠慢。そう捉えられ、彼らが処罰の対象となってしまうのだから。
設営が進まないもう一つの理由。それは、川原でずらりと乗馬に水を飲ませ、自分たちは歓談に興じている騎兵たちにあった。
彼らは総じて貴族に連なる者たち、もしくは裕福な平民の出身である。なんとなれば、幼少の頃より乗馬に親しまない者が、鐙と鞭で乗馬を操り、馬上で槍や剣、盾を振り回すことなど、金銭的にも時間的余裕から言っても不可能であるから。そして彼らは、宿営の設営など下々がするものだと頭から決め込んでいる――
ゴートの家臣が駆け寄ってきて、メイはようやく"仕事"に復帰した。先般の戦闘における当方の損害と先方への戦果が判明したのだ。まだ天幕の設置がもたついているため、宿営の中心地に陣幕を張った中にて軍議は始まった。
歩兵隊は、サレ隊が2割の損失。クーリッシ隊は3割。厳しい結果となった。騎兵隊は背面攻撃のみであったため、序盤の奇襲で馬を斃された者が8名いたほかは、人的損害は無かった。
ベリウスの目が怒りに燃える。
「なにゆえ魍魎に立ち向かった? 守りを固めて通報しろと言い渡してあったはず!」
歩兵隊2将の顔は黒い。それは敗戦の屈辱ゆえか、はたまた、叱責されることへの苛立ちか。メイには判別しがたい。
なおも言い募るベリウスを抑えて、メイからも尋ねた。なにゆえ、本隊の到着が待てなかったのかを。
訥々と、2将のうち年長であるサレが語り始めた。歩兵2隊の半分ほどの敵が現れて、一当たりしたのち逃げたため、追ったのだと。そうしたら、
「……雑木林の中から伏兵が飛び出してまいりまして、我らは寸断されました」
メイは動揺と怒りを抑えて、静かにもう一度問いかけた。
「雑木林とは、終盤に歩兵たちが向かったあの場所か?」
黙ってうべなう2将。司令官たるメイは苦労してでも、詰問調になろうとする自らの声色を抑えねばならない。
「なぜ止めなかった?」
「は?! ですから、当方の半分の――「違う、最後の追い討ちをだ」
そこに伏兵がいたのなら、また手勢がそこに向かうのを制止するべきではないか。その問いに、2将は答えない。ただ、そのような余裕が無かったと繰り返すのみであった。
「余裕が無いとはどういうことですか? 俺たちが敵を追っ払ったあとに」
バーガインが首をかしげ、それが2将の怒りに火を点けた。
「黙れ!
クーリッシの悪口雑言に、バーガインも負けてはいなかった。
「へっ! その剣闘士崩れに、剣でも槍でも乗馬でも負けて騎兵隊を取り上げられたのは誰でしたっけねぇ?」
「止めよ」とメイは場に介入した。ちらとゴートに目線を送って、発言を促す。
「姫様がバーガイン卿を騎兵隊指揮官に取り立てたのは、クーリッシ卿よりも適任であるとお考えになられたからだ。今後、より適任の者がいればまたその時は交代もありうる」
うなずいて、メイは言い添えた。どうかこれで口論を終わりにしてくれと念じながら。
「バーガイン卿も含めて今すべきは、口論ではない。議論だ。そして、それぞれの持ち場で全力を尽くしてほしい」
「議論、と仰せられますと?」
サレは思い至らないようだ。ゴートが一同を見回して、
「戦場に響いた笛の音を聞いたであろう? 実は、騎兵隊が奇襲を受けた際も、あの笛の音が聞こえ、魍魎が退却したのだ。つまり――」
苦々しげな表情のベリウスが言葉をかぶせた。
「魔神の御側衆がいるということだ」
聞いて、愕然の色を隠さないサレとクーリッシ。メイには別の意味で驚きである。顔には出さないよう努めたが。
(本当に思い至らなかったのか? ちょっと鈍すぎるのではないか?)
「そこで、議論だ」
ゴートの投げかけは明瞭だった。すなわち、明日以降のノスレーヌ遠征を続行するか否か、である。
しばらく、陣幕の中が静寂で満たされる。各将が思い思いに思考を重ねるのをながめながら、メイの心は既に決まっている。
早馬を出して、神官を呼びにやっている。その神官によるシャビカノ神の野辺送りが終わったら、撤退するのだ。彼女がそれを口にしないのは、主将たる自分が先頭切って発言してしまうと、それが既定事項になってしまうからである。
やがて、咳ばらいをしたあと、クーリッシが発言した。
「予定通り攻撃をすべきです」と。
「出陣して1日も経たないうちに魍魎と戦闘を行っただけで帰還など、御身の評判に差し障ります。なにより、コイスチョー村の犠牲者に申しわけが立ちませぬ」
聞いてみればもっともであると思ったが、バーガインの混ぜ返しが始まった。
「そりゃ、そこはあんたの領内だもんな。申しわけは立たねぇよな」
「何を言うか! 私は姫様のことを思えばこそ」
「やられっぱなしなのが自分の評判に差し障るってだけだろ?」
ゴートがにらみあう2人のあいだに割って入った。
「妙な勘繰りをするな、バーガイン卿。我らは公家の御為に働いているのだ。そなたの意見を述べよ」
バーガインの意見は簡潔だった。
「御側衆を探して血祭りに上げましょう。ノスレーヌを攻める前にやっとかないと、後方を遮断されて孤立しちまいますぜ?」
確かに、その懸念はもっともだとメイも思う。存外堅実な思考を彼がしていることに驚きながら。
だが、今度はベリウスが首を振った。
「時が無さすぎる」
と言うのだ。どういうことなのかと小首をかしげるメイに、非難がましい眼を向けてくる。
「カヴィラ様との輪番交代の件、お忘れかな?」
ああ、そうだった。すっかり忘れていた。メイはそう言って笑い、一同の笑いも誘った。
カヴィラ様、すなわちメイの兄、カヴィラ大伯ルオルーラの王都詰めは、今月末が期限である。本来は父公と3人で回す輪番であったが、病により父は免除され、兄と交代での役目となっていた。
本来はギュイバード辺境伯領に風のごとく侵攻して軽く荒らし、帰還する計画であった。王都行きに掛かる日数を考えればそれが妥当であり、そういう意味では今回の遠征を軽く考えていた面も否めない。
陣幕の外から兵卒の声がかかった。騎兵たちの幕舎が完成したとの報にバーガインが席を立ち、外に向かって声を掛けた。
「1番隊に休息に入るよう伝えてくれ」
彼も含めた龍衛士は、龍戦師と同じく本復の眠りでその力を回復する。その全員が一度に休息に入ると、魍魎に襲撃された場合に肝心の龍衛士が全て眠りこけたままということになる。そのため、交代で休息を取らせるのだ。
その後、サレがクーリッシの意見に同調し、メイが決断する時が来た。
「龍衛士を休息させねばならぬゆえ、明日の朝日とともに出立はできぬ。よって、今招来している神官殿にシャビカノ神を招いていただき、その儀式が済み次第出立、ノスレーヌを目指す。ただし、当初の刻限は守る」
傍らのベリウスが異議の口を開きかけた気配がしたが、已んだ。
「では、そのように全軍に布告します」
ゴートが威儀を正し、軍議は閉じた。
5.
夜、将専用の幕舎で、ゴートはサレ、クーリッシと面談していた。既に2人の杯の葡萄酒は五度も乾され、ほどよいとは言えない赤みがその顔に広がりつつある。
面談の眼目は、『なぜベリウスの指示に従わず、魍魎と決戦したのか』であった。
当初は警戒していたのか、当たり障りの無い世間話に花が咲いていた。殊にサレは、初孫が産まれたばかりである。その愛らしさについて滔々と語られ、クーリッシとともに微苦笑していたのだが、酒も進み、ついに切り出す時が来た。
2将の回答は、明確だった。
「我らはベリウス殿の配下ではない」と言うのだ。
「それが何ゆえ、したりげに口を挟んでくるのですか。軍略ならばゴート卿がおられます。姫様も、まだまだ未熟ながら見るべきものがございます。あれに小うるさく言われるのは我慢なりません」
そう言い捨て、また杯を呷るサレ。ゴートはあえて聞き役に徹することに決め、クーリッシに水を向けた。彼はまだ話がありそうな気配がしたのだ。
「このままノスレーヌを攻めることに決して、ようございました」
話の行き先が分からず、目顔で続きを促す。
「このうえは彼の地に一刻も早く侵攻し、できる限り分捕って戻りませんと、恩賞の目処が立ちませぬ」
そう、そこが悩みどころなのだ。うなずくゴートは表情を変えないままに憂慮を深くする。
対外――ベイティア王国内の争いも含む――戦争では、勝てば土地なり賠償金なりが得られ、働きが良かった者に恩賞として与えられる。だが、魍魎が相手では、それは望めない。鳥獣を狩っているようなものだ。違うのは、『魍魎は食えない』ということ。つまり名誉のみが積み上がるということになる。
『我らの姫君は竜戦師なるぞ』といくら説いても、名誉で腹は膨れないのだ。
魍魎討伐への恩賞については、ベリウスが今度の王都行きで対策を講じてくると言っていた。それを信じて待つよりほかあるまい。
ゴートはサレが舟を漕ぎ始めたのを潮に2将を送り出して、深い溜息をついた。
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