第12章 失われない仲間を求めて

1.


 アリシアは、街の東部に向かってゆっくり飛びながら、魍魎を見つけ次第潰し、かつサーシャを探していた。西部にある武術学校から中央部にある市庁舎までの経路を飛んでみたが、彼女の姿を――生死を問わず――見つけられなかったのだ。

 焦りばかりが募ってゆく。ただでさえ市街地を舐め尽くさんとしている劫火の立てる大量の煙で地上を見づらいというのに。この炎に、まかれているのではないか。追い詰められているのではないか。

 それとも。

「どこかに潜んでいるのかもしれないわね……それなら魍魎を撤退させるのが先か……」

 市長の屋敷が襲われている。そこを守る人々の中にいるかもと、念のため立ち寄ってみたが、やはり見当たらなかった。もとより、ここの守備にかかずり合う気は毛頭無い。

「クロイツがそろそろ来るころね……」

 彼と連携して、魍魎を追い払う。

 それと決めて、アリシアは東門へ急行した。

 ――そのころサーシャは、狭い路地を縫いながら東門へと歩いていた。度重なる魍魎との遭遇で盾は失われ、槍も折れ、そして足をくじいていた。

 それでも、止まらない。彼に会いたい。会えば、きっと助かる。だって、クロちゃんだから。クロちゃんは龍戦師なんだから。

(あと少し、あと少しで、東門……)

 彼は、きっと来る。助けに来てくれる。それだけを念じて、足を少し引きずり、サーシャは前へと進み続ける。

 気配を感じて、さっと物陰に潜む。魍魎たちが喚きながら、一軒の家から出てきた。返り血を浴びた身体をひけらかし、ゲラゲラ笑いながら。

 南からやってきた魍魎たちは、家屋を虱潰しにしていた。いったい彼らはわたしたちにどんな恨みがあるのだろう、というくらい執拗に。そして最後は火を着ける。隠れる暇も場所も無いのだ。

 しばらく気配を探って、そろそろとサーシャは動き出した。


2.


「クソッ! 真龍め!」

 ニカラはつばを吐き捨てると、既に真龍が飛び去った虚空をにらんだ。

 真龍の、それも上空から放たれる光弾には抗えず、魍魎たちが吹き飛ばされて戦力が落ちてしまっていた。

「クソッ! せっかく苦労して捕まえたのに……牛どもめ……」

 魍魎は動物に本能的に嫌悪されているため、野生動物を捕らえるのは容易なことではない。それでも必死の思いで野牛を捕まえて、魍魎に馴致したのだ。

 が、そこかしこに放火したせいで、炎を間近に見た魍魎牛が狂奔し、ニカラの統制も効かない体たらく。牛たちは全てどこかへ走り去ってしまい、攻め手の決定打を欠いた結果、戦闘は膠着していた。

(くそ、もう少し"王妃の白い手"の守りから抜いてくるべきだったか)

 王妃の白い手とは、魔神が地下を経由してこの王国の各所に現した触手の先のことである。近づいたヒトを惑わして触れさせ、魍魎へと馴致する。ニカラたち御側衆も最初はそうして馴致された元ヒトであり、その表出箇所は御側衆にとって重要防衛拠点であった。

 疑念が、ふと生まれる。

「まだ龍戦師の力を感じない……なぜだ?」

 彼らがこの街から追い出されたことを、ニカラは無論知らぬ。だが、真龍が東の空から現れたことは報告を受けていた。

 そして先ほどの老戦士の広言。なぜかは知らぬが、真龍とその龍戦師は今日の朝、東へ向かって旅立った。そしてなにがしかの手段でもってこの街の危難を知り、帰ってきた。そんなところか。

 ニカラは目の前の、敵味方のにらみ合いを眺めながらしばし考える。そして出した結論は、手仕舞いであった。

 伝令を呼ぶ。

「ボーキに、食料を運んで南へ走れと伝えろ。今市長の屋敷に向かっているユリクにもそのようにと伝えろ」

 別の伝令を呼び、鉄棍棒使いへの伝言を託す。

「テトラムには、東門へ5鬼を率いて向かい、龍戦師を食い止めて時間を稼げと伝えろ。退却の命令はまた伝える」

 伝令たちを行かせてすぐ市庁舎攻めの指揮官を呼び寄せかけて、ふと口ごもる。

(今ここで均衡を破ると、追い討ちされかねんな)

 退却の算段を立てながら、ニカラは努めて平静を装った。


3.


 あと少し。あと少しで、東門。

 だが、東門に行くには、目の前の南北を貫く大通りを越えなければならない。この足では、サーシャから見て左にあるスグヒ川は渡れないし、もし渡河中に見つかったら万事休すである。

 家屋の角から、慎重に慎重を重ねて顔を出し、そっと往来を見渡す。

 大通りの家や店は燃えていた。サーシャになじみのあるあの店も、幼いころ一緒に遊んだあの子の家も……。そして、動くものの気配は無い。

(よし! 今だ!)

 くるぶしの痛みをこらえて、必死で走る。

 そして、賭けは凶と出た。

「まだいるぞ! 殺せ!」

 南から吼え声がして、魍魎が走ってくる。が、何人いるかなんて視認している暇は無い。燃え盛る家の脇を、髪や服をチリチリ言わせながら走る。そして、

「えいっ!」

 開いていた裏口から、見ず知らずの家に飛び込んだ! 何か隠れる物は無いかと辺りを見回すが、

「無い……」

 魍魎の叫び声が聞こえてくる。奴らも炎を突破して、追ってきたようだ。とっさに別の部屋に、また飛び込む。痛めている足を使って飛んだため出かけた悲鳴を、必死に抑えて。

 魍魎の叫びは不意に絶叫へと変わり、すぐに何かが崩れる大きな物音がした。

(隣が焼け落ちた……? 助かった……)

 いや、類焼の危険が増したことにすぐ気づき、慌てて室内を見渡す。出口が東に面した窓しか無いことがすぐに判明し、そして急速に室温が増してきた。

(くっ……! クロちゃん、私を守って!)

 祈りながら窓に近づき、剣の柄頭で鎧戸を叩き壊す。存外に取り付け部が脆く、鎧戸はすぐに外れた。

 部屋の隅に置いてあった壷を足台代わりに、窓を乗り越えた。落ちる時、かろうじて受身を取ることに成功し、サーシャは再び外に、井戸を中央に配した小広場に――

 街路の向こうから地響きが迫ってきたのは、サーシャが立ち上がろうと足に力を入れた時だった。その爆走してくる黒い塊に、自分を狙う狂気を感じて、サーシャは硬直した。

 その塊――魍魎牛は血走らせた眼を怒らせて、みるみるうちにサーシャに接近してきた。そして、立ち上がった彼女が横へ飛ぶ間もなくその腹に、走る勢いそのままに牛の角が突き立てられた……

 痛みに悲鳴を上げる暇すらない彼女の身体が、宙に跳ね上げられる。そして、どさり、という音を、サーシャはまるで他人事のように聞いた。口中に腹からこみ上げてきた血の味が氾濫し、横倒しになったままの視界の中を、反転した牛が鼻息荒く地面を蹴り上げて再び突進してくる。

 その黒い身体が、突然前につんのめった。鼻息も、血走った眼もそのままに、前足が地を2、3歩踏みしめたあと血を噴いて、まるで糸が切れた操り人形のようにどさりと倒れる。その向こうで同じように倒れたのは、魍魎牛の後ろ半分だった。

「クロちゃん……」

 剣で魍魎牛を両断したクロイツが駆け寄ってくる。彼に抱き起こされて、だが、口がもはや思うように動かない。

「ごめん……ごめんね……」

 痛みを感じない。身体中の、どこにも。

「サーシャ! サーシャ! 大丈夫だ! 助かる! 助かるから!」

 寒い……体からどんどん熱が地面へと抜けていく気がする。だから、

「クロちゃん………おねがい………ぎゅってして………」

「何言ってるんだ! 治る! 治るから! 誰か! 誰かいないのかよ!」

 恋する乙女の願いは残念ながら叶わず、彼に抱き起こされているという感触が、だんだんぼやけていく。

 寂しい。こんなときに、泣いちゃいけないのに。

 そばに何か来た。でも、クロちゃんを見ていたい。せめて彼の頬に手をやりたかったが、もう動かない。

 それよりも。

 伝えなきゃ。彼に、がんばってって……

「くろちゃんが………せかいを、すくうんだよ…………」

 そこまで口からこぼれたところで、サーシャの視界は黒く閉ざされた。

 優しいね、クロちゃん。あとは任せて、ゆっくり休めってことだよね。

 じゃあ、またあとで。起きたら、今度こそ……

 サーシャの力は、彼女の意思に従い抜けて、落ちた。


4.


 必死に叫ぶクロイツの声を聞きつけたアリシアが現場を発見した時には、もはや手遅れだった。

「サーシャ……ごめんなさい……間に合わなかった……」

 アリシアの涙声は、瀕死のサーシャには聞こえなかっただろう。彼女は彼のみを見つめ、そして彼に世界を救うよう託し、目を閉じていった。

 アリシアは哭いた。何度経験しても慣れない、慣れるつもりなど毛頭ない、このやるせなさに。

 そして、この身が呪わしい。たとえ心が悲嘆にくれようと、身は魍魎と戦う備えに満ち満ちているのだから。

 気配を感知して井戸の向こうを見透かせば、クロイツが先の牛退治で使った龍の力を感知して、魍魎が2鬼走って来ていた。

「見つけたぞぉ! 龍戦師だぁ!」

 彼らの勇躍は、3秒と持たなかった。

 サーシャをそっと地に寝かせたクロイツが、咆哮したのだ。

 アリシアですら心を凍らされるような絶望に満ちた雄叫び……それに続いて、地に投げ捨てていた剣をもはや拾わず、背に着けていた剣を――サーシャがくれたあの剣を抜き討ちに一閃し、魍魎2人をその背後の井戸塀までまとめて腰斬した!

 立ち上がったクロイツが総身にまといし光の文様――もはや力の制御などせず、彼の命を削って力尽きるまで戦うと決めた龍戦師の怒りと哀しみの証。それを見て、アリシアも覚悟を決めた。

「魍魎は市長の屋敷にたくさん群がってるわ」

 涙を指で切って発したその言葉に、同じく涙を払ったクロイツはただ黙ってうなずくと、疾走していった。魍魎を殺し、世界を救うために。

 サーシャのいない、この虚ろな世界を護るために。

 アリシアは飛び上がると、光弾で彼を援護する位置について並翔する。

 クロイツが走り抜けたあとには、魍魎の屍がまさに死屍累々のありさま。その行く手に、巨漢が立ち塞がった。

「来たな! 龍戦師! ……てめぇ、あの時の小僧…?!」

「死ね」

 ただただ真っ向から振り下ろす長剣が光の粉を撒き散らしながら、鉄棍棒使いに襲いかかる!

 敵もさる者、これまた真っ正直に受け止めては両断されると剣先を巧みにいなし、隙あらば打ち据えんと牽制を始めた。

 だが、鉄棍棒使いは読めていなかった。クロイツの怒りを。

「死ね」

 胴をがら空きにして挑みかかってくるクロイツの、その胴を薙ぐために身体が自然に動く。練達の者なれば当然の流れ。それが、死へのいざないとなった。

 見込みよりも勢いをつけて迫ってきたクロイツの身体。鉄棍棒使いの体格に勝るとも劣らないそれは止まらず、鉄棍棒使いにぶちかまされたのだ!

「ぎゃあああ!」

 クロイツの身を包む龍の力。その光が魍魎を侵し、まるで焼けたように爛れを引き起こした魍魎は悲鳴を上げながら仰向けに倒れた。クロイツも無事ではなく、浅いとはいえ腹に鉄棍棒を受けて身体をくノ字に曲げたが、踏み止まる。そして、

「死ね」

 のた打ち回る鉄棍棒使いに踊りかかると、拝み討ちに首と胴を切り離した。

 その時アリシアは決闘の周囲に迷い出てきた魍魎を、光弾だけではなく、降り立って爪で切り裂いて掃討していた。そして声をかけようと歩み寄るが、機会を逸した。

「さすがはわたしのクロイツ」と言おうとして、胸にちくりと痛みを覚えて止めたのだ。

 アリシアが先の悲劇の場を思わず振り返った時、ふうと一息つくやいなや、クロイツはまた走り出した。あと20歩ほどに迫った、市長の屋敷まで。


5.


 ひたすら走る。そして突き、薙ぎ、斬り下げる。

 クロイツの目前にいる魍魎たちは、なにやら重そうな布袋を担いでいた。そいつらの顔が驚愕に歪む。

「死ね」

 もうその言葉しか出てこない。それ以外に必要無い。

 頭の中が沸騰している自覚がある。そんな覚めた心を、サーシャの亡骸が手で覆い隠してくれる。

 多言も、慈悲も、躊躇も必要無い。

 いくらか手傷を追いながらもその場の魍魎を全て一刀のもとに斬り捨てた時、クロイツの視界の端で、市長の屋敷の門が閉じられていくのが見えた。

 ここまでこの街を荒らしておいて、いったい何を守ろうというのか。

 こんなに多くのヒトを殺しておいて、いったいなぜ自分だけ助かろうとするのか。

「死ね」

 吐き捨てて、雄叫びを上げたクロイツは助走ののち飛び上がると、門扉の上端に向かって長剣を力いっぱい振り下ろした! 

 鉄門扉が抵抗できたのは、わずかの時だけ。すぐに刃が浸潤し、飴のように曲がりながら切り裂かれてゆく。地面まで一気に切り下ろすと、クロイツはすぐさま横にこれまた雄叫びを上げながら真一文字に両断する!

 レンガ造りの門衛詰め所まで巻き込んだ崩壊の音に、魍魎たちの断末魔の悲鳴が重なった。

 結構、結構。

「死ね」

 倒壊から免れた魍魎たちは、もはや布袋など投げ捨てて逃げ散ろうとしていた。別の通用口から逃げようというのだろう。

 追いかけてもきりが無い。彼の肩に座ったサーシャが指差すその先には、この場の指揮官と思しき悪趣味な甲冑を着込んだ魍魎が、取り巻きと共にいた。あの金ピカ鎧、ロアークまで魍魎になってしまったのか。まあいい。

「死ね」

 咆哮しながら疾走する。サーシャがくれた長剣を八双に構えて。ここまで幾多、まったく鎧や骨に食い止められることも無く、すいすい斬れる素晴らしい形見を見せ付けて。

 指揮官の周りにいた魍魎たちがその前面に並び、整った槍衾を形作った。もしかして、どこぞの家士だったのか。

 ちょうどいい。サーシャを護れないどこぞの偉いさんなど、必要無い。

「死ね」

 槍衾を形成する穂先の一つ、ちょうどクロイツの前に突き出されたそれに、上から剣を叩きつける。無造作な振りは、サーシャの血塗れの手が添えられて正確無比となった。

 穂先が砕け散る。その様を呆然と見つめていた魍魎は、当然ながら遅れた。クロイツの突き出す剣に貫かれて、そのまま金ピカまでお供をさせられたのだ。

 自分に突き出されたほかの槍まで、浅かったとはいえ苦痛を伴う金属を身に刺させたまま、クロイツは吼え声一つで金ピカを刺し貫いた。

 驚きに眼を見張る魍魎指揮官。その眼の奥にある感情が、クロイツの眼を通じて心に流れ込む。

 あの日、魍魎熊と眼を合わせた時の記憶が不意に蘇る。

『こんなことしたくない。森で、山で、静かに暮らしたかったのに』

 熊の嘆きは、今の指揮官も同様だった。

『私がなぜこんな所で、こんなざまで、死にたくない。死にたくない』

 だが。

「死ね」

 倒れた魍魎2鬼の死体に足をかけて、剣を引き抜く。吹き出す血の赤さに怒りが増す。

 サーシャと同じ色しやがって。

 槍を捨てて剣を抜いた残りの魍魎たちを睥睨して、クロイツは休まず打ちかかっていった。


6.


 アリシアはクロイツの援護を途中で切り上げて、市庁舎の前面から撤退を始めた魍魎の軍勢を掃討せんと向かっていた。

 あの感じなら、もう少しだけ持つだろう、クロイツは。それなら、1鬼でも多くの魍魎を殺すべし。そう考えたためである。

 軍勢の横合いから光弾を撃ち込む。投槍による反撃はあるものの、矢に比べて速度は遅く、容易く避けることが可能だ。

 一度軍勢の上を通り過ぎて、反対の側面から掃射しようと旋回し始めたとき、アリシアは彼女の名を呼ぶ声を聞いた。聞き覚えのない、嫌な声だ。

 仕方なく龍首を返し、市庁舎3階の外で静止する。

「なぁに? 忙しいんだけど」

 ぞんざいな口の聞き方をされて呆然としているデブを見やる。確かこのデブ、副商人頭だったはず。

 彼は気を取り直して、口角泡を飛ばし始めた。

「アリシア殿と、クロイツ……殿――」

 わたしのクロイツを呼び捨てなど許さないとにらみつけて、付け加えさせる。

「お、お二方にお願いしたい。この街の守備を」

「嫌よ」

 龍首を返そうとして、また呼び止められる。

「なにゆえか? 魍魎からヒトを守るのが、そなたたちの使命でしょうに?」

 デブはともかく、バカは嫌いだ。

 アリシアは目の前のバカと、その後ろに控えてバカ面を曝す――つまり、自分たちが何をしでかしてきたかを全く理解していない様子の愚か者たちに向かって、言葉を叩きつけ始めた。

「クロイツとおばさんを孤立するよう仕向けたのは誰よ?」

 まだぽかんとしたままの一同に腹が立ち、言葉は冷たさを増す。

「おばさんの店を追い出したのは誰? 伯爵に手を回して、早々に我々を追い出したのは誰? 全部あなたたちじゃない。それだけしておいて、なにゆえこの街を守らないのかって? お断りよ。これは――」

 アリシアはぐるりと周りを指し示した。ヒトも、魍魎も、建物も、全てが斃れた惨状を。

「あなたたちの選択の結果よ」

 もう我慢できない。追撃のために魍魎の軍勢に体ごと向けながら、それでも捨て台詞を止める気はなかった。

「噛み締めなさい」

 アリシアは追撃に専念し、うなだれるバカの群れを忘れた。


7.


 陽が中天に上り詰めようとする頃。

 撤退の合図をした角笛すら放棄して、ニカラはほうほうの態で逃げていた。

 市長屋敷から逃れてきた兵の注進によって、龍戦師が現れたこと、彼の立ち回りは凄まじく、ボーキやユリクら指揮官も含めたほとんどの魍魎が討ち取られたことを知った。

 そしてニカラは迷いもせず、死者の冥福を祈りもしなかった。すぐに角笛を吹いたのだ。

 かなりの食料を確保できたはずだが、軍勢の損害が大きすぎた。これでは、再起にはしばらくの時間を要するだろう。

「こんなことなら、あいつを置いてくるんじゃなかったぜ……」

 彼の愛犬である山犬は、ヒトの住みし街が大嫌いである。それゆえ荒野に置いてきたのだが、無理を聞かせて連れてくるべきだったかもしれない。

 軍勢の後端を襲っていた真龍がやっと離れてくれたのは、街を出てしばらく経ってからだった。驚くほどの速度で飛び去っていくその姿を見送りながらようやく一息つき、配下の者どもと一緒に生還を喜び合う。

 ……いや待て、生還というのはおかしいか。なぜなら魍魎はヒトとしては死んでいるのであり、魍魎は生きているといえるのだろうか。

「とりあえず、手勢を再集結させないと……」

 もう少し休ませたら、伝令を発しよう。再集結が済んだら根城へ戻って、戦利品で宴会だ。その前に戦死者を弔う……あれ? 俺たちはもう死んでいるのに……まあいいか。

 ニカラは自分たちを打ちのめした赤き真龍の姿を忘れまいと、絵心のある魍魎に根城で絵姿を書くよう命じた。

 今度は、こちらが奴を倒す。その意気を保つために。

 全ては、永遠の王妃のために。


8.


 逃げる逃げる逃げる。魍魎が逃げる。

 クロイツは逃げる魍魎を追いかけ、東門の前まで来ていた。彼が街に入る際に叩き壊した通用口から逃げる気だろう。

 もうかつてほどの数はおらず、今、目の前を逃げているのは2鬼のみ。先の角笛が撤退命令なのだろう。御側衆の命令は、目の前の龍戦師を討滅するという宿業さえも乗り越えるのか。

 それでも、逃がさない。

「クロイツ……」

 ふと投げかけられた自分の名を呼ぶ声に驚く。振り向くと、東門の門衛だった。類焼した詰所の崩壊から逃げ遅れたのか、下半身ががれきの下敷きとなっている。

 無視して追い討ちを再開しようとするクロイツの前に、腹が血で赤く染まったサーシャが通せんぼをする。その顔は『めっ』と言わんばかりの、過ぎ去りし日々のお馴染みのものだった。

「分かったよ、サーシャ……」

 剣を納めてがれきに近づき、急いでどけてやる。その傍らで微笑むサーシャが、まるで空に向かって吸い込まれるように、ふっと消えた。

 感謝の色を浮かべて起き上がろうとした門衛の顔が歪んだ。下敷きになっていた箇所が痛むのか。いや――

「危ない!」

 先の魍魎たちが襲い掛かってきていた。だが、クロイツの剣さばきのほうが速い! 一太刀ずつで共に首を跳ね飛ばして胴を地に沈めたのは、わずかに二呼吸のあいだの出来事であった。

 その剣に、いや、クロイツの全てに宿っていた光が消え、クロイツの意識が落ちる。前のめりに倒れこんだ彼の身は、途中で引き止められた。甲冑の襟を、いつの間に降り立ったのか、赤き真龍の大きな手がしっかりと掴んだのだ。

 そっと地に伏せさせて、治癒の光を輝かせる。門衛に、彼はこの光では治癒できないと断って、アリシアは人間体に戻った。

 クロイツが剣を握り締めたまま昏睡している。そのことにまた涙しながら微笑んで、剣を手から取り上げると彼の背中の鞘に納めた。

「さあ、行きましょう、クロイツ。今度こそ――」

 そして彼の身体を肩に担ぎ、眠る彼には伝わらないことを承知でつぶやく。

「失われない仲間を求めて」

 アリシアは東門の通用口をくぐると、ビギナダートへの道をたどり始めた。

 後の世に『繚華の龍戦師』と呼ばれることとなる男の、旅が始まる。


(続く)


※後書き※

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。感想をいただければ幸いです。よろしくお願いします。

 悲惨な体験を経ての旅立ちになりましたが、こんな辛い出来事ばかりではありません。なにより私の心が折れます(『悠刻』はそれで一度妄想を再構築しました。)ので、お楽しみに。延々とロードムービーをする気はないので、王都には次作の終端で到着になるんじゃないかと思います。たぶん。

 では引き続き、『繚華の龍戦師 Ⅱ』でお楽しみください。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る