第11章 血と煙にむせぶ、この虚ろな世界を
1.
朝の10時を間もなく迎えようとしている南門界隈は、恐慌をきたした住民でごったがえしていた。応戦しようというのではない。一刻も早く、でも持てるものは持って逃げようとする。それゆえに往来が雑踏しているのだ。
副隊長が喧騒と悲鳴が交差する街中を抜けて馬で駆けつけた時には、隊長が既に到着していて避難の指示を出していた。それでもこの有様、いやそんなことよりと隊長に詰め寄る。
「南門を閉鎖します」
「よせ! ロアーク様たちが――」
こいつもか。いささかの口論のあと、副隊長は妥協案を考え出した。
門扉を、馬1頭分開けて待つ。ロアークたち全員が入ったら即閉門作業に取り掛かる。もし魍魎が付け入ってきても、細い入り口からなら侵入できるのも少数であろうから、囲んで対処する。
「よし、それでいこう! 今の指示通りに閉門! オメルの隊は門上に上がって迎撃準備! 副隊長の隊はこのままここで迎撃!」
隊長の指示で全員が駆け出した。南門を通して郊外を見透かすと、集団の上げる土煙がだんだんこちらへ近づいてくるのが分かる。なにやら叫んでいるのも聞こえるが、どうせ大したことは言ってないだろうと無視する。
門上から守備隊員の、聞き覚えのある声が降って来た。
「ロアーク様たちはあと5分ほどで門に到着します。数は4騎! その後方、およそ1テトラルク(約22メートル)に魍魎が迫りつつあり!数はおよそ100!」
近いな、と顔をしかめる。その時、隊長が肩を掴んできた。
「私はほかの門の鍵を閉めて回る。馬を借りるぞ」
ヒラの隊員に行かせればいいのに、と一瞬思ったが、指揮官が2人いてもしようがないと思い直してうなずいた。
門扉が鈍く重い音を立てて、ゆっくりと閉まり始める。逃げ来たる集団から甲高い悲鳴が上がるが、止める気はもちろん無い。
正確に馬1頭分を残して、当方は迎撃体制を取った。もちろん真正面は突入してくるロアークたちを避けるために空けてある。
あと1分ほどでロアークたちが来る。その時、門上から緊迫した声が降って来た。
「魍魎の速度が上がりました! 差がぐんぐん縮まっています!」
「いかん! 矢を放て!」
「味方に当たります!」
「構うな! 魍魎を中に入れる気か! 放て!」
それでも数秒遅れて弓弦の音が鳴り始め、さらにしばらくしてロアークを先頭に騎馬の一団が走りこんできた。1、2、3、4騎!
「槍、構え! よし! 閉門!」
だが、副隊長の命令とほぼ同時に、南門が激越な音とともに大きく揺らいだ! 一団に付いて侵入した魍魎騎兵の迎撃を命じる副隊長の声もかき消すほどの轟音が、2秒ほどしてまた繰り返される! その衝撃でなんと、門を閉じるため裏に張り付いていた兵たちが吹き飛んでしまったではないか。
「いかん! 押し出せ! 門口を確保……牛だと?!」
そう、魍魎たちが開口の確保を始めた門扉の向こうで引っくり返っているのは、そしてなおもこちらに向かって角を構えて突進してくるのは、多数の野牛だった。
魍魎騎兵は長槍で守備隊員を牽制し、迎撃陣を分散させて魍魎牛の突進を補助する。そして、猛進する魍魎牛の少し後ろに、吶喊してくる徒歩の魍魎たち。彼らの半数ほどが甲冑を身にまとっていることに瞠目する。
いくつかの勇戦も空しく、迎撃陣は魍魎牛に蹂躙された。その傷口を、徒歩の魍魎たちが拡げてゆく。
「退却だ! 守備隊本部まで退却!」
命令を出した副隊長の胸中は、今日この空のごとくさっぱりと晴れていた。
ここで退却を援護して、死ぬ。死んでくれるわ。腐れ市長一家と腐れ隊長のためにな。
副隊長は折れた槍を敵に投げつけると、抜く手も見せず抜剣して魍魎の一人を逆袈裟に斬り捨てた。続いて鎧を着た魍魎に牽制をかけて、槍先と剣刃を掻い潜りつつ脇から胴を貫き通す。
だが、敵の槍が彼の右脚を貫いた。踏ん張ってその柄を切断し、驚く魍魎の首を薙いだところまでが限界だった。
複数の槍にその身を串刺しにされ、副隊長は事切れた。
2.
武術学校に緊急動員令が届けられたのは、副隊長の討死に先立つ5分ほど前だった。動転しきりの校長を差し置いて、主任教官からの指示は的確だった。
1年生は北門から郊外に退避。引率はシャルリ教官。
2年生は全員甲冑を着用の上、残りの教官とともに市庁舎の防衛に赴く。
南から、喚声が風に乗って聞こえてくる。サーシャたちは学生隊の指揮官であるキリルの命令で、お互いを手伝いながら手早く甲冑を着込んだ。
留め紐を結んでくれるシールの指が震えて、うまくいかない。
「大丈夫だよ、シール。落ち着いて」
サーシャの励ましにうなずいて、でも震えが止まらず結べないシール。それでも時間をかけてようやく完了し、出発準備は整った。
武器庫に駆け足で移動して、それぞれの装備を身に付けて、
「全員揃ったか?」と主任教官が声を張り上げ、
「はい!」とキリルが嘘をつく。
皆、何も言わない。ケビンが欠けていた。あとでいくらでも罰を受けるからと叫んで、ミリアの元へ行ったのだ。街の南部は職人町。ミリアの家もそこにあるのだ……
教官も加わって、駆け足で市庁舎へと急ぐ。だが進むうちに、角を曲がるたびに、知らず隊列は乱れた。そして、普段なら教官の怒号が飛んできそうな、縦に長く途切れ途切れの列となってしまった。誰も注意せず、指摘せず、かといって雑談が始まるでもない、重苦しい列が。
サーシャは走りづめで苦しい息のなか、考える。
絶対に死なない。死ねない。クロちゃんのところへ行くんだ。絶対に。
この時点で、彼女は来たる未来を予見していたのだろうか。その前方の街角を、鯨波が押し流した。魍魎の一団が喚き声とともに突進してきたのだ。運悪くそこにいた学生たち数人が、たちまち餌食となった。
仲間たちの絶鳴が、前進停止を余儀なくされたサーシャの耳に届く。そして目に届いたのは、少しだけ立ち止まって振り返ったあと、市庁舎に向かって走り去っていく仲間たちだった。
とり残された周囲の学生たちが嘆く中、サーシャの思考はついに弾けた。
クロちゃんのところへ。
サーシャは槍を構えると、そこかしこに現れ始めた魍魎に向かってではなく、遥か先の東門目がけて吶喊した。
3.
街道脇の平地にぽっかり明いた陽だまりで、青息吐息の母とそれを気遣うクロイツを横目に、アリシアはこっそりと溜め息をついた。
(やっぱり、馬車を雇うべきだったわね……)
残念ながら、自分が龍体に戻っても、ヒトは運べない。翼下の羽撃結界が生み出す力によって真龍は飛翔する。その急加減速や旋回に、動物の身体はついていけないのだ。
そもそも、母の遅い歩行速度に合わせている上に、一行はほぼ20分から30分おきに10分休憩していた。おかげで全く行程ははかどらない。先ほど行き逢った旅の一団がくれた果物もとうに尽きて、今コーリンが近くの小川に水を汲みに行っていた。
(最悪、夕方になる前にわたしがひとっ飛びしてビギナダートに状況報告に行くしかないわね……)
そういえば、ビギナダートってどっちだったかしら。アリシアが地図を確認しようと荷物袋を開いた時、大勢が走ってくる足音が聞こえた。
まさか、コーリンへの追手か。クロイツが素早く動き身構える。だが、
「あれ……さっきの……」
街へ向かったはずの旅の一団が、大急ぎで戻ってきていた。クロイツたちを見つけて、息を切らしながらもこちらに走り寄ってくる。
「どうかしたんですか?」
「ああ……あんたら……ホローン・アルトゥーンの人たちだろ? 大変だよ!」
魍魎の一団に街が襲われたことを息切れの中で告げられて、アリシアたちは絶句した。しかも、走り去り際に振り返ると街の中から火事と思われる煙が上がっていたと言う。
短い悲鳴と物音に振り向くと、コーリンが水筒を全て地に落とし、固まっていた。その視線をたどると、逡巡していることがありありと分かるクロイツの視線とぶつかる。
「俺……でも、お袋――」
「とりあえず、わたしは行くわ」
そう告げたアリシアの声にかぶさるように、疲れた、しかししっかりとした声が皆の耳に響いたのはその時だった。
「行きな、クロイツ」
母の言葉に、うなずいたクロイツの目が強い意志の力を取り戻す。
「早く行って、クロイツ、アリシアさん」とコーリンも声を強める。
「おばさんは、わたしがついてるから」
クロイツは力強くうなずくと、盾とサーシャからもらった剣を背負い直し、疾走していった。
「アリシアは――「ちょっと待って」
そう断ると、龍体に戻る。旅の一団に驚愕が走り、怯えて泣き出す者まで出た。
一団の引率者はさすがで、おずおずとながら問いかけてくる。
「あんた、いや、あなたは、もしかして真龍様ですか?」
うなずくと、旅人たちからも声が次々に上がった。どうやらホローン・アルトゥーンに真龍が現れたことは噂として広まっているらしい。
アリシアはコーリンに依頼して、荷物袋から路銀の一部を取り出させた。
「頼みがある。この2人をビギナダートまで送り届けてほしい。無事旅籠に収まったら、もう半分を報酬として支払うから」
承ったとの言葉をもらって、アリシアは飛び上がった。
そして見た。彼方の街に黒煙が上がっているのを。
急がねば。高速飛行形態へと変態し、翼から発する羽撃結界を強めて、速度を増す。
すぐにクロイツを追い抜いた。
「先行する!」
そう投げかけて、アリシアは真っ直ぐ前を見据えた。嫌な予感を風圧で吹き飛ばしながら。吹き飛ぶよう念じながら。
4.
御側衆たるニカラが街に入ると、そこかしこに漂う血と黒煙の臭いが彼を高揚させた。
いい。実に、いい。
市庁舎など街の重要な施設の位置は、かつてここで暮らしていた者から聞き取りしてある。まずは市庁舎に足を向けた。
前方から伝令が走ってくる。
「申し上げます! 現在お味方は、街の南部と西部を制圧中! 中央部にある市庁舎及び守備隊本部は防備が固く、また兵も多いため、攻めあぐねております! 東部及び北部はまだ手つかずの状態であります!」
元はどこぞの歩兵隊にいたというこの魍魎は、現況報告が実に巧い。ニカラは歩きながらしばらく考えていたが、立ち止まると伝令を振り返った。
「西部はもういい。大した施設も無いからな。中央部の攻略に転身するよう伝えろ。南部も同じだ。反時計回りに街を洗いつつ、東部へ向かうよう伝えろ」
鉄棍棒使いが走ってきた。
「ニカラ様! 南部の牛どもを市庁舎攻撃に回してください! 防塞が固くて」
「だめだ。東部地区には、市長の屋敷がある。そこを確保するために牛は使う」
鉄棍棒使いの抗議の機先を制して、ニカラは伝令を出立させた。
「ニカラ様、市長の屋敷なんぞに何があるんですか?」
「食い物だ」とニカラの答えは明確である。
「商人頭だそうな。蔵に商売のための穀物や乾し肉が唸ってるんだとさ」
それをごっそりいただく。そしてまた南に去る。中央部への攻撃は、あくまで目的遂行のための敵の足止めである。
「お前も東部地区へ行け。ヒトは出会い次第殺していい」
「言われるまでもねぇ」
既にヒトの血糊でべったりと汚れた鉄棍棒を見せびらかして、ニッと笑う。そして駆けて行った。
「さて……」
鉄棍棒使いを東部に行かせたのには、わけがある。
「噂に聞く真龍と龍戦師は現れなかったな……」
また中央部への歩みを再開しながら、独りごちる。
鉄棍棒使いを、かの宿敵への対処として残しておく必要がなくなった。目的遂行に舵を切ったのだ。
ニカラはますます強まる血の臭いに酔いながら、ヒトであった頃の記憶を手繰って鼻歌を歌った。
実によい気分だった――10分後までは。
5.
「くそっ! また兵が! きりがねぇ!」
ケビンは敵の刃を、いったいどれほど掻い潜ったろうか。追いかけてくる者はまれで、魍魎は系統だった命令に従っているように見える。まれな奴らは、生まれ育った土地勘を活かして路地裏を駆け巡って撒いた。
「ミリア、ミリア、無事でいてくれよ」
不意に、婚約の儀の情景が思い起こされる。
ある晴れた日の朝早くに始まった婚約の儀。といっても豪勢なものではない。ケビンの家はしがない馬方で、ミリアの家はこれまた一介の金物細工職人である。派手になろうはずもない。
そのハレの場に、両方の父親が酔っぱらって現れた。居酒屋で偶然会って、店全体を巻き込んで前祝いのどんちゃん騒ぎをやらかし、そのままここへ来たのだと言う。
2人とも儀式の場で、顔面青黒く縮んでいる。無理もないというのは、双方の妻が大激怒で迎えたからだ。
殊にミリアの母は、ミリア曰く『あたしが物心ついて以来初めて』の激高振りであった。神官が必死で止めなければ、その場で結婚と離婚をつかさどる神イモワエヌクネに降臨を仰ぎかねないほどの。
それでもなんとか滞りなく儀式は済んで、外の陽光は眩しかった。隣に来て、そっと腕に寄り添ってきたミリアの、化粧でも隠せない照れた頬がかわゆくて仕方ない。
そこに、大量の小麦粉が浴びせかけられた。武術学校の生徒たち――もちろん坊ちゃまの一党抜き――が奇襲を仕掛けてきたのだ。これは神をも怖れぬ不届きではなく、未来の夫婦が食に恵まれるようにという意味も持つ。
地に降った小麦粉に群がる最下層の貧民など意識から消え、盛大に小突き回される自分と、黄色い歓声が同性から浴びせられてひたすら照れる婚約者。それはまるで――
見覚えのあり過ぎる工房兼住宅には、金物細工職人の家だからというだけでは説明しきれない金属臭しかしなかった。走り過ぎての動悸か、嫌な予感が的中しての息切れか、中を確認せずに飛び込む。
「ミリア……ミリ……」
まず目に入ったのは、天井から陽の光を取り入れて照らされている、壁の祭壇に祀られたカガキヤ神像にまで飛び散った血飛沫。そして見下ろせば足の裏を浸す水――いや、血だまりの中心にあったのは、義父母の遺体だった。夫が妻をかばうように覆いかぶさったまま、背中から二人して貫かれている。
それを見て、ケビンの脳裏に突然様々な惨状が蘇った。ここにたどり着くまでに見た、あるいは見ぬ振りをした、知り合いも含むヒトの死体と血と臓物の数々を。
ケビンは嘔吐した。その時。
「ケビン! ケビン!」
工房に積まれた大量の金屑の中から、ミリアが山を崩しながら這い出してきた。
「ミリア!」
大声を上げては、追っ手に気づかれるかも。そんな配慮など忘れて大声で名を呼び、ひしと抱き合う。
魍魎が来ると分かった時点でもう往来に出る暇は無く、義父母が急いで金屑の中へミリアを隠してくれたのだと話してくれた。
(魍魎はまだ外にいる?)
(いや、さっきここに飛び込んだ時は見当たらなかった)
と小声で話し合う。身を屈めながら、金屑の陰に身を潜めながら。
(どうしよう……怖い……)
(大丈夫。俺がついてる。もう少し、ほとぼりが冷めるまで……)
「そうはいかねぇんだなぁ」
聞き慣れぬ男のどら声とバシャバシャと踏み込んでくる水音に、ばっと身構える。
「魍魎……!」
「けけけ、やっと追い付いたぜ。さあ、2人仲良く死ね」
魍魎が振り上げる剣が、戸口の隙間から漏れる午前の光を浴びて鈍く光った時、ケビンは覚悟を決めた。
ミリアだけでも逃がす。なんとしてでも。
「食い止める。裏から逃げろ!」
そう言いしなに剣を抜き、構えを取る。だが、敵は無造作に剣を振り下ろしてきた! まるで薪を割る斧のように、真っ向からきた死の斬撃を受け止める気など、毛頭無い。魍魎の怪力はあの巡察研修で嫌というほど分かっているのだ。
金屑を障害物として使うため右に避け、相手の腹を横に薙ごうとする。浅く入った刃はそれでも魍魎に痛みを与えることに成功し、鈍った動きはミリアの逃走を助けた。
「このクソガキどもがぁ!」
怒って剣を振り回すが、狭い上に机もある工房であることを全く想定していないように、ケビンには見てとれた。
「こいつ、素人だな!」
「黙れぇクソガキぃ!」
机を蹴り上げ、痛みにさらに怒る魍魎を誘いながら、ケビンは難なく表に逃れ出――られなかった。嘲りながら背を向けて駆けだそうとした刹那、右肩の後ろに衝撃が走る! 魍魎が義父愛用の金づちを投げつけてきたのだ。
「ぎゃっ! ぐ……ああ……」
勢い余って表に転げ出ることはできたものの、顔面から路面に突っ込み、肩も焼けるように痛い。それでも力を振り絞って跳ね起き、構えた剣。それも空しく吹き飛ばされ、道路向こうの工房の壁に乾いた音を立ててぶつかり落ちた。
ケビンは、震えた。得意の組み打ちなどもはや選択肢として浮かんでこない。魍魎の振り上げた剣先の向こうは、抜けるような青空……
湧き上がった咆哮は、短剣を低く構えて突っ込んできたミリアのものだった。彼女なりの全力疾走で狙い過たず、魍魎の右太ももに短剣が突き立てられる!
今だ。立たなきゃ。立って、俺の剣を、あるいはこいつの腕を極めに行かなきゃ。
だが、へたりこんだ足に根が生えたように、持ち上がらない。ああ、ミリアに剣先が向かう……やめろ……
「死ねやガキギャアアアアアア!!」
突如、眼もくらむほど頭上が明るくなったかと思うと、ケビンの見上げる魍魎の背丈が半分になった。
「え?! あ、あああ、アリシアさん!」
地に膝を突いたミリアが空を見て叫ぶ。魍魎の下半分が仰向けに倒れるのとほぼ同時に、ケビンの横に真龍が地響きとともに降り立った。
「大丈夫……じゃないわね」
そう言われて肩の痛みがぶり返し、ケビンはうめいた。ミリアがふらつきながらも寄って来る。
「よかった、アリシアさん……来てくれたんだ……」
「ええ、あなたはおうちだろうから、もしかしてと思って。ケビン、あなたはなぜここにいるの?」
ミリアに答えるのもそこそこに、アリシアはケビンに現実を突きつけてきた。おずおずと、ほかの学生たちは教官と一緒に市庁舎に行ったことを話すと、怪我の手当をしてくれていたミリアが青ざめた。
「あんた……まさか……」
「し、しようがねぇだろ! お前のことが心配で」「バカ!!」
ミリアに頬をはたかれた。その痛みも、ケビンの心に突き刺さってくる。
「ということは、サーシャは市庁舎か……」
いぶかしむアリシア。ここへ来る前に、市庁舎に群がる魍魎に3発ほど光弾をお見舞いしがてら見渡したのだが、それらしき顔は見当たらなかったというのだ。
「みんな兜をかぶってたからっていうのはあるけど……とりあえず、もう一度市庁舎を経由して、東門に向かうわ」
「東門?」
「ええ。クロイツが走って戻ってくるのよ」
そう言いしな、アリシアは首を振り、いきなり光弾を発射! 路地から現れた魍魎を吹き飛ばした。
「隠れてなさい。声や音を立てちゃだめよ」
まるで翼から噴出したかのような激しい風で土ぼこりを舞わせて、アリシアは空へと駆け上っていった。
「アリシア、クロイツ……頼んだぞ……」
ミリアに介助されて再び屋内へと戻りながら、ケビンにはそう祈ることしかできなかった。
6.
「アリシア殿がまた来たぞ! 総員、投槍構え! シャビカノ女神の足音を奴らに聞かせてやれ!」
キリルの喉を枯らした命令に、血と煙にむせながら、学生たちは重い腕を必死で持ち上げて構えを取る。
……30分ほど前に市庁舎近辺に到着した時は、学校隊は半数に減っていた。その原因も分かっている。そして、分かっていることが、皆の心に棘となって突き刺さっていた。
だが、戦闘はその棘を抜く暇を与えてはくれない。
突撃で魍魎勢の一番薄い場所を破り、市庁舎防衛に参戦したものの、その後はひたすら持ち場を守って魍魎の度重なる攻勢をしのぎ続けることとなった。それ以外にどうしようもないとはいえ、守備隊長の指示が何も来ず、お偉方が督戦に来ることも無い。
午前11時を過ぎた時点で、学生隊は突入時の半分強を死傷で失っていた。
そして、もう何度目か分からない攻勢をまた跳ね返した時、突如空から光の弾が魍魎目がけて振ってきたのだ!
全てを忘れて、天を仰ぐ。あの巨体、あの翼……!
「アリシアさぁん!!」とネーニャもシールも涙声で叫び、
「戻って来た! 戻って来たぞ!」と教官たちが歓喜する。
その声は防衛陣全体に波及し、真龍がすぐに飛び去ったにもかかわらず、士気が見違えて高揚した……
そして今、アリシアが再飛来してきた。これに手をこまねいてはいられない。
光弾が降り注ぐ。今だ!
「放て!!」
キリルの号令一下、最後の投槍が学生隊から投擲された!
低い唸りを上げながら飛んだ10本余りの投槍は、真龍の光弾を避けるため身を低くした魍魎たちを襲った。その身に突き立った魍魎がびくんと跳ね上がり、絶叫する。
「ああ、行っちゃう……」
ネーニャは東の空を見つめてつぶやいた。そこへ教官の指示が飛ぶ。
「今のうちに、負傷者を庁舎内へ運べ! 死体は中庭だ! 急げ!」
敵にも疲れと兵力不足の兆候が出始めているように見える。ネーニャはシールとともに、横で足を射られてうずくまったままの同級生を運んだ。
「アリシアさん、どこ行っちゃったのかな? もう帰っちゃったのかな?」
シールの不安そうな顔を見ると、叱り飛ばしたくなる。でも、今は我慢。そしてその我慢は報われた。
主任教官が市庁舎前の噴水の縁に登って、声を張り上げたのだ。
「アリシア殿が東へ行った。理由は明らかだ」
皆が――魍魎まで――注目する中、兜を失い、白髪にべったりと血糊を垂らした主任教官らしからぬ広言は続く。
「魍魎どもは知らないだろう。お前たちは知っているはずだ。今日の朝、東門から旅立っていった男を。迎えに行ったのだ、その男と共に闘うために!」
そうだ!
「クロイツも帰ってきたんだ!」
「龍戦師が帰って来たぞ!」
その歓声は焼け残った建物全てに木霊し、魍魎たちを震えさせているように見えた。
一方――
「真龍様が、また戻ってこられました!」
市庁舎に隣接する守備隊本部、その望楼からの伝達に、市長室が沸く。
市長とその夫人、副商人頭とその家族、そしてロアークと取り巻きたち。これだけの大人数を収容できるようにはできておらず、戦況が思わしくないこともあって、市長室の内部は空気が澱んでいた。
「よし! この機に一気に押し出せば――「ならば行け、ロアークよ」
キアボは己が次男を見据えて、心底からの真顔で命令した。
朝から魍魎に追われて青息吐息だったロアークの顔が、青を越えて白く変色する。
「な、なぜ私が……」
「恐れながら申し上げます、市長様。ロアーク様は――」
「大事なお方、とでも言うのか?」とゲータの発言を遮って言う。
「その大事なお方が先頭切って押し出すから、下々はついてくるのだ」
誰もが薮蛇を恐れて押し黙る。それに苛立って、キアボはロアークを言葉で打ちのめした。
「そもそも、お前たちが狩りに出て魍魎をこの街に呼び込んだのだ。責任を取るべきではないかね?」
連夜の酒宴に飽きて、というよりいい加減酒宴に供される食事に飽きて、気晴らしがてら新鮮な肉を獲ってこよう。そういう触れ込みで騒々しくも出て行った。それがこの有様の始まりである。
「行け。卒業生対抗仕合優勝の腕前を、今こそ発揮しろ」
「お義父様、それはあんまりです……」「あなた、私のロアークに……」
デメティアと市長夫人、2人の甘やかしももう聞き飽きた。そしてそのことを告げようとした時、窓辺で外を監視していた役人の一人が悲痛な大声を上げた。
「真龍様が通り過ぎていかれます! なぜ?! 真龍様、なぜでございますかァ!」
最後はアリシアに向かって哀訴したのだろう。皆が殺到した窓の向こうで、アリシアは地上に向かって光弾を連続して発射しながら、既に遠ざかっていくところであった。
「なぜあの者は、わたしらを守ってくださらないの? 薄情にもほどがあるわ!」
お前が追い出したからだろう。
市長はその言葉を吐けなかった。真龍の飛び去った方向に、黒煙を認めたのだ。あの方向は、
「守備隊本部より伝達! 市長のお屋敷が魍魎に攻められております!」
息を飲む一同。あそこには、屋敷を守ると言い張って残った長男が、そして、家財のほとんど全てが――
キアボは昏倒した。
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