第9章 真龍と龍戦師
1.
「まったく……噛むなら噛むって言えよ……」
夜。クロイツは自室でアリシア――もちろん人間体に戻っている――と向かい合っていた。衝立は戻りしなに彼女の手で嬉々として取り払われ、今はお互いの寝台に腰掛けている。
仕合の時の興奮は既に去り、というか怒涛の展開に押し流され、意外にも平常心で――やや呆れも混じって――目の前の女性と話をしていた。
あのあと、左手も噛まれた。しげしげと眺めると、その歯型は両手の甲に文様のような傷跡になっている。
「しようがないじゃない。龍の力を注ぎ込むためなんだもの」
アリシアは全く悪びれた様子もない。彼女としては当たり前なのだろうが。
「あなたには、わたしが寝溜めした龍の力を半分与えたわ」
「寝溜め?」
「そう、先の第二次魔神大戦後、わたしはとある山中でずっと眠ってたの。戦時中に龍戦師や
そう言って、彼女は肩をすくめた。
「おかげでもう眠れやしないわ。目覚めてからずっと」
「ふーん……ってあんた、やっぱ寝ずに俺を見張ってたのかよ!」
ちっちっちっ、と返される。
「見張ってないわ、眺めてたのよ」
「どー違うんだよ……で、その力って、どうやって使うんだ?」
そう、龍戦師になったものの、そこらへんの話が全く出来なかったのだ、あの闘技場では。なぜなら、クロイツの母が卒倒してしまったから。闘技場の救護班に運んでもらって、母は今も自室で寝込んでいる。
思い出して見に行くと、眠ったらしく安らかな寝息が扉越しに聞こえた。安堵して戻り、またアリシアと対面する。
「その手の傷痕が、あなたの中の龍の力を外に放出する箇所になるわ」
手順を教えられて、クロイツは丹田に力を込める。身体の深奥に潜む、昨日までは無かった熱いものを意識して。
両手の甲の傷痕が鈍く発光し始め、光が液体のように傷跡から滲み出てきた。光は放出されたり手から垂れたりせず、徐々に手や腕を薄く覆っていく。
「はい、今はそこまでにしておいて」
アリシアの制止に気を抜くと、光は粉々になって散っていった。
「あなたの服の袖が光っていたの、見た?」
「ああ」
「龍の力はそうやってあなたの身体はもちろん、服や甲冑、剣や槍、盾に浸透して、それの力を強めるわ。特に魍魎に対してはね、それこそ砂を斬るようにたやすくなるし、防具の硬さも通常とは段違いになるわよ」
ただし、と続く。
「絶対無敵の超人になるわけじゃないわ。傷つく時は傷つくし、致命傷なら死ぬ。当たり前だけど、慢心はしないでちょうだい」
「ふーん……なあ、さっき、リュウエジとか言ってたけど、何それ?」
「龍衛士は、龍の力を与えられてわたしやクロイツを護り、共に戦う者のことよ。わたしたち真龍と龍戦師、龍衛士は互いに相手を治癒することもできる。龍の力を使ってね。だから、なるべく早めに龍衛士を増やしたいところだわ」
「それ、俺とどう違うんだ?」
説明を聞いた限り、何か違いがあるようには見えない。
アリシアは少し微笑むと首を振った。
「龍衛士は誰でもなれるわ。もちろん、わたしとクロイツへの忠誠が確かな人じゃないと困るけど。龍戦師はね、違うの」
アリシアはいったんそこで言葉を切ると、また微笑んだ。瞳に柔らかな光を湛えて。
「何者にも負けない力、折れないだけでなく快活な心、そして人を率いる器量。それが必要なの」
「俺、そんなの持ち合わせてないんだけど」
褒められているというのは素直に嬉しいのだが、どうやってそれを備えていると確信したのだろう。
「もちろん、長い期間をかけた観察によって判断したわ。こうやって一緒に暮らしてもみたし。で、あとは――」
「あとは?」
「勘よ」
「勘かよ!」
「ね?」とウィンクされる。
「それでも折れない心。重要よ、それ」
今度は馬鹿にされてる気がする。クロイツは気を取り直して質問を続けた。
「んじゃあ、俺の周りから龍衛士を――「違うわ」
首をぶんぶん振って、否定された。
「私兵集団作ってどうするのよ。どこからそんなお金が出るの?」
アリシアが200年前に溜めたお金があるようだが、そんな額ではとても集団を維持できないと言う。
「だって――」と真龍は憤慨し始めた。
「揚げパンが小銅貨5枚よ? 200年前は1枚だったのに!」
つまり、眠りにつく前より諸物の値段が上がっているため、もっと資金が必要と判断したようだ。揚げパンが判断基準でいいのかとは思うが。
じゃあどうするんだと問うと、憤慨から俄然張り切った声色に変わった。
「あなたは私と一緒に王都に行って、傭兵登録をするの。そしてそのまま傭兵団を組織して、お金を稼ぎつつ魍魎と戦うのよ!」
ビシィッ、と遥かなる王都を指差して決め顔のアリシアには悪いが、
「なあ、俺の記憶が確かなら、傭兵団作るのって、王様の許可が要るんじゃなかったっけ?」
得たりや応、と薄い胸を張られた。
「大丈夫よ! 特例で、龍戦師が申請してきた時には王はそれを許可することに法令でなってるから」
「え、そうなの?」
さらに胸を張って、ふんぞり返るアリシア。
「そうよ! だって、200年前に私たちが作らせた法令だもの!」
「それまだ残ってるのか……?」
怪しい。誰に訊けば分かるんだろうか。
そしてもう一つ、クロイツの心にたった今疑念が湧いた。
「ていうかそれ以前にさ、俺みたいな傭兵稼業を経験したこともない奴が団を作ったって、誰も来ないんじゃ――」
クロイツが言い終らないうちに、部屋の扉が壁に激しくぶち当たった!
「話は全て聞いたわ!!」
「サーシャ?!」
気がついたらいつの間にか闘技場から姿を消していた幼馴染は、勢いよく近づいてくると、クロイツの両肩を掴んだ。
「わたしがクロちゃんの傭兵団員第1号になる!」
「お、おう。よろしく……」
勢いに負けた振りをして受諾する。そして二人して、顔と顔の距離が至近なことに気づいた。
が、掴んだ両手は熱く、離れない。クロイツも振りほどく気はさらさらない。
「わたしが、ずっとクロちゃんを助けてあげる。だって――」
濡れた瞳から、眼が離せなくなった。
「クロちゃんが、世界を救うんだから」
彼女から伝わってくるこの熱気は、自分も一緒に世界を救うっていう意気込みだけじゃないよな。眼がくらみそうなあの胸も、桃色の唇も、クロイツのそれとくっつきそうなくらい近いし。そういうことにしておこう――
「あのー」
アリシアが、いつの間にか水差しを持ってきていた。杯を片手に、こちらをじっとりした目で見つめている。
「盛り上がってるところ、まことに申し訳ないんだけど」
パッと離れて、サーシャはクロイツの横に座った。さすがにお互いちょっと気まずげに横目で見て、脚と脚がくっついていることに気がついて、すぐ視線が泳ぐ。心臓もまだバクバクしているし。
「私まだ、龍戦師や龍衛士になることの不利益な点を話してないんだけど」
「あ、やっぱりあるのか?」
とクロイツは身構え、アリシアの当然という顔を見返した。
「まず、龍の力を使うと、その回復には寝るしかないわ」
疲れたら寝る。それのどこが不利益なのだろう。
「全回復までのあいだ、絶対に目が覚めない。これを『本復の眠り』と言うの」
「絶対に……?」
「そう」とにやりとされる。
「爪のあいだに焼けた鉄串を刺されようが、溶かした銅を耳の穴に流し込まれようが、ね」
講義で聞いた拷問の話を思い出して、クロイツは震えた。
見ればサーシャもプルプルしている。
「アリシア、なんでそんなに具体的なのよ!」
「分かりやすい例えでしょ? そのくらいされても眼が覚めないのよ。ああ――」
またにやり。
「睾丸割りされても、胸を万力で締め上げられても、ね」
彼は股間を、彼女は胸を。それぞれの両手で押さえて一緒に叫ぶ。
「だからなんで具体的なんだよって!」
おほほほほ、とお上品に口に手を当てて笑われた。いまいち人となり、いや龍となりが掴めない……
「本復の眠りは、その日使った力の量によって時間が決まるわ。今のクロイツだと、全部使うと6時間は眼が覚めないわね。ま、そのために私が寝ずの番をするわけ」
アリシアたち真龍は時間とともに少しずつ戻ってくるらしい。
「それから――」「まだあるのか?」
アリシアの顔が、どことなく哀れみを伴ったものに変わった。
「龍戦師と龍衛士は、他者と睦みごとができなくなるわ」
「……はあ?」
いきなり話が斜め下に飛んで、間抜けな反応しかできない。
だがその反応を、真龍は曲解したようだ。
「だから、例えば男●器を女●器にそーにゅーできなくなる――「きゃーきゃー!!」
サーシャは真っ赤になって両手で耳をを塞ぎ、悲鳴を上げた。無論クロイツとて悲鳴こそ上げないが、斜め下どころかシモまっしぐらな話に赤面不可避である。
「なんでそんな、わけ分からん規制がかけてあるんだよ!」
「私たちじゃないわよ、キラカヴィア様よ? やったの」
第一次魔神大戦の時、龍衛士の一部が暴走し、とある地域を占拠して勢力を為したことがあった。彼らは自分たちの国を作ろうとしたのだ。
「で、国づくりの基本は子作りだって屁理屈捏ねて、近隣から男女をさらったの。本拠地に連行して、それはもうヤりまくりだったわ」
ここに及んでついにイラストリアの主神キラカヴィアが介入して戦乙女の軍勢を派遣し、叛乱者は撫で斬りにされた。そして件の規制、アリシア曰く『呪い』がかけられることとなったのだと言う。『魔神との戦で忙しい身なら、そのような行為に耽る暇などあるまい』として。
「あの、一つ訊いていいか?」
まだキャーキャー騒いでいるサーシャをなだめて、クロイツは深呼吸をしたあと、おずおずと尋ねた。
「さっきさ、その……サーシャがすごく近かった時に、その……そういうのは大丈夫なのか?」
「そう、最初はそれも規制するはずだったの」
あやふやな質問を察してくれて、アリシアは水を一口飲むと、
「でも、トメキトキス様が『恋愛もできないなんて、愛の女神として承服できない』って抗議されて、今のようになったのよ」
「それ……生殺しって言うんじゃ……」
サーシャが涙目になっているが、クロイツはさらに踏み込むことにする。サーシャに横から殴られるかもしれない、男としての質問を。
「で、その、なんだ……」
「なによ?」
「その……イタしちゃったら、どうなるんだガッ!!」
爪の先まで真っ赤な拳に、予想どおり殴られた。が、答えはさらに連打されるようなものだった。
「ドッ★カーーン」
言いながらアリシアが両手を上へ勢いよく広げた。つまり、
「爆発する……?」「な、な……!」
向こう三軒両隣が更地になるそうな。ちなみに、第二次では4件あったらしい。さすがに全て龍衛士がしでかしたものだそうだが、
「辞退して、クロちゃん!」
横からサーシャが涙目ですがってくる。だが、
「いいわよ、辞退しても」とのたまう真龍の眼が怖い。
「返してもらうだけだから、龍の力を」
「あ、じゃあ――「頭から丸齧りで、物理的にね」
長い沈黙。アリシアが笑う。
「魔神を封印して、わたしがまた眠りにつけばいいのよ。そうすれば龍の力は体内から消えるし、その呪いも効力を失うから」
「つまり、それまでずっと……そんなぁ……それじゃあ、所帯が持てないじゃない……」
いやいやと身を揉むサーシャ。そんなことないと彼女を気遣おうとしたが、突きつけられた現実の重さに舌が石のように固まって動かない。
そこへ、アリシアの追い討ちがかかった。
「だから言ったじゃない。身悶えするだけだから止めとけって」
がっくり押し黙ってしまった彼女を、放っておけない。思い切って体ごと、彼女のほうに向いて、クロイツはその柔らかい手を握った。
「がんばろうな、サーシャ」
「! クロちゃん……う、うん!」
サーシャの潤んだ瞳をクロイツは見つめ続け、これからのことについていつまでも話し合っていた。
2.
次の日の朝。クロイツはアリシアの作った朝食を掻き込んで、家を出た。武術学校に登校するためである。
卒業生対抗仕合は終わったが、まだ座学が残っているし、卒業までのあいだ生徒たちは武術の腕をさらに磨かなければならない。どこかから生徒に誘いがかからない限り、就職活動は卒業後である。
朝食をアリシアが作っていたのは、とっくに起床している母が部屋から出てこなかったからだ。扉越しに聞いた理由を要約すると『アリシアに騙された』ことと『クロイツが相談も無く勝手に進路を決めたこと』が衝撃だったらしい。
溜め息をつきながら、真冬の風が吹き抜ける往来をゆっくりと歩く。
どうしたら、母の気が晴れるのだろう。これも誰かに相談しないと。
洗濯のたらいを頭に乗せて、チャレットが前から歩いてきた。
「あ、チャレットさん、おはようございます」
母の店の常連である彼女に相談しようとしたのだが、様子がおかしい。クロイツに声をかけられたとたん、眼を背けて横丁へ入っていってしまったのだ。
「クロちゃん、おはよう!」
サーシャが来た。今の顛末を話すと、
「……そういえば、なんか人通りが少なくない?」
確かに、普段は朝の買い物や仕事に向かう人の流れが街の中央に向かっていて、それに逆らって登校するのが常である。それが少ないのだ。
そして、家や店から出ようとして、あるいは窓から顔を出していて、クロイツの姿を見とめるや隠れてしまう。その怯えるような表情を見て、さすがに察することができた。
「……避けられてるな、俺」
「別に取って食うわけじゃないのにね」
そう言いしな、サーシャはそっとクロイツの手を握った。
「前をちゃんと向いて。あなたはなんにも悪いことしてないんだから」
うなずいて、武術学校への道を一緒に歩いた。
「なあ、サーシャ……」
路を行く皆が話しかけてこないのを逆に利用して、サーシャに聞いてみよう。
「今さらなんだけど、その……なんで俺なんだ?」
ちら、と視線をくれたサーシャは、照れ隠しだろうか真っ直ぐ前を向いたまま語り始めた。
「この街を離れるまではね、どうってことなかったんだ」
女中奉公をするために、隣町へ行ったことだろう。
「でも、向こうに着いて、いっぱいあいさつして、いっぱい仕事して。そんで疲れて夜遅くに、やっと寝台にもぐりこんだの。そしたら……」
「そしたら?」
そこで初めて、彼女の頬が赤くなった。歩く速度も、少し落ちた気がする。
「……クロちゃんが夢に出てきたの。すごく困った顔の、あなたが」
ああ、そういえば困ってたな。クロイツは唐突に思い出した。彼女が女中奉公に行くなんて聞いてなかったから。
小さいころからずっと一緒に遊んできて、初等学校を卒業するころにはなんとなく気恥ずかしくなって、でも家が近所だから会えば親しくあいさつやおしゃべりをしていた。そんな仲だったから。
「そしたらね、頭から離れなくなっちゃったの。今何してるのかな、とか、授業で怪我してないかな、とか。……デメティアのこと、まだ考えてるのかな、とか……」
集中力の欠如は、当然のことながら彼女の仕事を失敗させ、お暇を頂戴した。実家に帰って来て一晩泣いた次の日の朝。腫れぼったい目で窓からふとのぞいた外を通り過ぎたのは、
「クロちゃんのおっきな背中だったの。もううちに立ち止まることもなく、さっさと歩いていっちゃって。それ見送ったら、頭の中がすっごくジリジリし始めちゃって」
このままじゃ駄目だ、と両親の元に飛んでいって話し合いの結果、覚悟の程を示すために学校の寮に住むことにして、サーシャの武術学校生活が始まった。そう彼女は結んだ。
「……あれ? 親と喧嘩して、学校に転がり込んだというか放り込まれたって話じゃなかったっけ?」
話の食い違いを指摘されたサーシャの顔は、むくれているような恥らっているような、思わず心臓が跳ねるような表情だった。
「初めから言えばよかった? クロちゃんについていきたかったんだって」
うんそうだね、と言えない過去の自分が呪わしい。クロイツは頭を掻いた。
それにしても、よく中途入学が許されたものだ。確かに彼女は少女時代からおてんばで、男子とも拳で語り合うような武闘派だった。が、鍛錬を全くしていなかったのだから、門前払いを食ってもおかしくない。彼女の実家に多額の寄附金を納めるような資力はないはずだから、入学試験に実力で合格したのだろう。
「すごいな、サーシャ」
その気持ちを素直に口にした。つないだ手を、離すことなく。褒め言葉に反応して握り返されても、照れることなく。
教室に入ると、室内のざわめきが一斉に已んだ。ここもかと思いながら挨拶をすると、
「手つなぎ登校とは、さすが龍戦師様ですな」
「サーシャ、どだった? できた?」
「いやあの感じ、まだだな」
「そっちかよ!」と怒鳴って、さりげなく手を離す――ことに失敗した。
「ふっふーん! できたわよ! ほら!」
サーシャが繋いだ手を握り締め、誇らしげに持ち上げたのだ。友人たちは困惑しきりといった表情。
「いや、そうじゃなくて……」
背後から名前を呼ばれて振り向くと、学校の小間使いだった。教官控室に呼ばれたとのこと。手荷物を置くと、早速向かう。
先に立って歩いていた小間使いが、声を発した。
「すごいですね、クロイツさん」
「何がですか?」と返しながら足を速めて並ぶ。
「あの闘技場から普通に歩いて出てきたことですよ」
別に負傷していたわけでもないのに、どうしてそれがすごいのだろう。そういう思いが顔に出たらしい。
「だって、ロアークさんとあんな仕合して、表彰式で信じられない展開になったじゃないですか。観客は盛り上がってたし。私なら膝が震えて多分歩けませんよ」
そういうものだろうか。
「俺、鈍感ですから」
そう言って笑われているうちに、教官控室に着いた。小間使いとはここで別れて、戸に訪ないを入れる。
「ああ、来たか」
室内にいた教官たちが立ち上がり、クロイツを半円状に取り囲んだ。皆一様に厳しい表情だ。
(あー、なんかヤバ目な状況……昨日の仕合のことだよな……)
一出場者の分際で、副審たちが主審に詰め寄るのを制した。それは副審を務めていた教官たちの自尊心を傷つけたはず。
半円のちょうど真ん中に位置する主任教官が、右手を挙げた。
まさか、殴られる? 怯えると嵩にかかられるぞ、表情を読まれるな……
「でかしたぞ、クロイツ」
「……はい?」
腕を横から叩かれたバシッという音が合図かのように、教官たちは一斉に笑顔になってしゃべり始めた。
「いやぁ、まさか我々の教え子から伝説の龍戦師が出るとはなぁ」
「ほんとだよ、しごいた甲斐があったねぇ!」
「俺ぁてっきりあの娘っ子と所帯持つんだろうなと思ってたのによ、どこで拾ってきたんだ? 真龍様」
「拾ってませんよ。押しかけてきたんです。正体を隠して」
クロイツは、昨晩アリシアから聞いた今後の方針を話した。
「王都で傭兵団編成、か……」
「なかなかの難業だな」
「そんな法令、あったかなぁ? 市庁舎に行って訊いてくるか……」
「ま、そういうわけでクロイツ――」と主任教官の手が腕に置かれた。
「お前は卒業だ」
「あ……やっぱりそうですよね……」
就職決めたら、即卒業。それが武術学校の規則だ。
今までのお礼を教官たちに言おうとしたのだが、なぜみなニヤニヤしているのだろう。
「即卒業、が筋なんだが――」
主任教官までにやりとするのは珍しい。
「校長に掛け合って、1週間後に伸ばしてやった」
「あの、どうしてですか?」
教官の一人が代わって答えた。
「俺たちが持っている全てを、その1週間を使ってお前に叩き込んでやる。お前は俺たちの誇り、そう簡単に死なせるわけにはいかないからな」
「! よろしくお願いします!」
槍を専任で教えることが多い教官から順番に、
「お前の槍は力任せの部分が多い。昨日のあれも、刃が奴の体を捉えていないことが多かった。だから俺の秘訣を教えてやろう」
「俺は野草の見分け方と取り扱いだ。講義では基本的なことしか話せなかったからな。特に薬草の扱い方を中心に教えてやろう」
「このキーマルは、剣だ。我が父より伝わる秘伝を伝授してやるよ」
「そんなのほいほい教えていいのか?」
他の教官の指摘に、キーマル教官は笑った。
「いいのさ。俺は子供もいない。クロイツに継いでもらうのさ」
「んじゃあ、あたしは――」
髪に手をやって、シャルリ教官はウィンクした。
「女の子の取り扱い方について」
「なんでだよ」と教官たちの揶揄にも負けない。
「あたしはね、心配して言ってるの。女絡みのゴタゴタなんて、龍戦師の名が傷つくじゃない」
それに、とまだ話は続く。
「女の傭兵だって応募してくるだろうし、扱い方を知っといて損はないよ。だから――」
「あの、教官、顔が近いです」
「あんなことやこんなこと、そんなことも、いろいろ教えて あ げ る」
「いやあの、ドギマギするくらい魅力的な提案なんですが……」
クロイツは龍戦師にかかった呪いについて、赤面しながらも説明した。
「……分かったよ。じゃあ、そういうの抜きの、取り扱い方を教えてあげるわ(チッ)」
「……今、舌打ちが聞こえなかったか?」
「さあねー」
……もしかしてこの呪いって、こういうヤヤコシイ事態も回避できるっていう利点があるのだろうか。
ここで小間使いが教官たちを呼びに来た。講義の時間だ。特別講義の時間を簡単に打ち合わせて、クロイツも教室へと大股で帰った。
「ふーん、クロイツ傭兵団、ねぇ……」
クロイツが教官控室に呼ばれてから、教室ではサーシャが提供したその話題で持ちきりだった。ロアークたちがいないことも、この一体感に一役買っているとサーシャは思う。彼らはもう『侯爵家の家士とその従者』に成り上がるということで、ここにはこないのだろう。
「まあ、浪漫だよな」とケビンがうなずき、
「浪漫ではあるよな」とキリルもうなずいている。
サーシャはむくれた。
「なによその持って回った言い方」
だってよぉ、とケビンから反論が返ってくる。
「その法令とかで首尾よく団長になれてもさ、応募があるかな?」
「傭兵経験ゼロの団長だぜ?」とキリルも同意見のようだ。
「わ、わたしが団員第1号になるから! でも……」
と言いよどんで、サーシャはうつむいた。とたんに背中をはたかれる。
「しゃきっとしなよ!」とネーニャが声を上げ、ほかの女子も和す。
「そーだよ! クロイツについてくって決めたんでしょ?」
「むしろおいしい役回りじゃん?」
「どこが?」とボードが首をかしげる。
「だってほら、"粥を分け合う妻"じゃん。このまま行けば」
確かに、密かに思い描いていた未来ではあるが、こう明け透けに皆の前で言われると、気恥ずかしい。しかしそこにあの呪いのことが加味されて、サーシャはまたうつむいた。
「んで? できたの? アリシアさんに邪魔されたの?」
「……それどころじゃないんだよ、クロちゃん……」
サーシャはためらって、でも心の中で彼に謝って、龍戦師にかかった呪いについて説明した。
「……キツいな、それ」
キリルが唸り、それでも女子連のかしましさは止まない。
「ま、寸止めなら大丈夫ってことでしょ?」
「んでんでサーシャ、今後の予定は?」
「え?! そりゃあ、もうちょっとくっつきたいなとか、ぎゅっとしてほしいなとか……」
「ああ、いいよね。ぎゅっとしてもらうの」
とシールが何か思い出したようだ。先日の雑魚寝の時話していた、3つ上の恋人のことだろうか。
その身をよじり、うっとりするさまに皆で囃し立てて。この仲間たちとも、もう1ヶ月ほどで別れねばならないことをしばし忘れて、サーシャは朗らかに笑った。
2.
午後遅くの郊外、街から南に少し離れた荒野にて、クロイツはアリシアと龍の力を試していた。アリシアの言うがままに基本的なことを一通りやってみる。その結果は、
「投射系が全くできない、なんて……」
アリシアは頭を抱えた。
投射系というのは、龍の力を球状や棒状にて敵に投じ、攻撃する手段のこと。矢や投槍に力を籠めての攻撃も含まれるのだが、クロイツの場合、放った途端に拡散して消えてしまうのだ。これではせいぜい目の前の土を薄く削るくらいの効果しかない。
「練習あるのみ、ってことか?」
ふるふる、と泣きそうな顔で否定される。
「その人が持って生まれたものだから……まあわたしが光弾放って援護すればいいんだけど……近接戦闘専門の龍戦師なんて聞いたことないわ……どうしようかしら……」
アリシアは、ブツブツつぶやきながら考え込んでしまった。
「よし、じゃあ剣と槍の稽古だな」
アリシアの考えがまとまるのを待たず、クロイツは小山の前に立った。龍の力を身にまとい、気合いの声とともに、横薙ぎに剣を振るう。小山の頂上は斬撃を受けて、激しい音とともに崩れた。
「うぉぉ、すげー」
剣を点検すると、ほんの少しだけ擦り傷がついていた。もっともそれは15歳、すなわち成人の儀を終えた時に母からもらった剣に無数についた傷の一つに過ぎないのだが。
「もう少し厚めに力をまとわせれば、傷も付かなくなるよ。その分――」
「力が早く減るんだな。なるほどなるほど」
立ち直った(もしくは開き直った)アリシアと、しばらく稽古をする。もしかしたら、という期待を込めて。
だが、期待は外れた。アリシアも少し残念そうだ。
「ふむ、近くには魍魎はいないようね」
龍の力は、魍魎を引き付ける。彼らを滅する力ゆえに、その力を持つ者を優先的に潰したいという欲求が強くなるとアリシアは説明していた。
「あるいは御側衆が率いているのか、ってことだったよな?」
「そう。あなたの初陣で聞いた角笛の主がたぶん、そうね」
魍魎の『龍の力を持つ者を滅したい』という欲求を抑え、指揮に従わせることができる者。それが御側衆と呼ばれる存在である。かつて魔王の宮廷にてその側近くに侍った者たちの名を与えられているとアリシアから聞いている。
あの初陣からこのかた、魍魎出現の報を聞かない。世はまだまだ平穏かと思いきや、アリシアに言わせれば『嵐の前の静けさ』なのだという。恐らく、魍魎たちがヒトをさらい、魔神の触手がその先を見せている所まで連行して、魍魎へと馴致しているのだと。
つまり、魍魎がその数を増しているということである。
「問題は、このエスクァルディン伯領の外でそれが起こっている場合よ」
「なんで?」
アリシアは稽古の手を休めて、薄く笑った。龍体でのそれは、どちらかというとふてぶてしく見える。
「領主さまはね、自分のところの不祥事は他所様に知られたくないの。あなただって親子喧嘩をしただとか、寝言でサーシャの名前をつぶやいてたなんて知られたくないでしょ?」
「そりゃそう……おい……ほんとに?」
ああ、こういう悪い顔が似合うな。この真龍め。
そろそろ力が切れかけるということで、稽古を止めて休憩する。まだ初日、とりあえず力の総量を自覚するのが当面の課題である。なんとなれば、全量を使い切ってしまうとその場で昏睡してしまうのだから。
「なあ、アリシア」
クロイツは自分の手をじっと見ながら、首をかしげた。
「今の稽古で、どのくらいの練成ができたんだ?」
「少しよ、少し。そんなに簡単に増えていかないわよ、総量は」
真龍、龍戦師、龍衛士。三者とも、その力を使うことで少しずつその総量を増やしていくことができる。これを練成と称する。とにかく稽古して、戦って、少しずつでも龍の力を高めていかねばならない。このくらいでいいという上限は無いのだから。
遠くから、自分の名を呼ぶ声がする。遠くにあった点が次第に手を振る人の形を為し、旧知の人たちだと知覚させられる。
「クロちゃ~ん! 来たよ~!」
向こうからずっと手をぶんぶん振ってきたサーシャが、もう瞳が見えるくらいまできてやっと疲れたらしく、両手を膝に突いてぜいぜい言い始めた。
「ああ、特別講義ね。で、なんでサーシャも来たの?」
アリシアの疑問に、槍の教官が笑う。どうしても一緒に受けると言って聞かないので、仕方なく連れて来たのだと。
「当然でしょ? わたしはクロイツ傭兵団、団員第1号なんだから!」
「ま、積極的でよろしい。さあ、陽も落ちかけた。早速参るぞ」
教官の号令に合わせて、サーシャと2人で徹底的にしごかれた。微笑ましく見守る真龍を傍らに。
教官ともサーシャとも分かれて、すっかり陽の落ちた家路をたどる。特別講義について最初は難色を示していたアリシアが、意外と上機嫌である。そのわけを問うと、
「ま、あのくらいの密度で鍛えてくれるなら、良しとするわ。強くなってもらうに越したことはないもの。本当は、今すぐにでも出立したいくらいだけど」
でもねぇ、とアリシアは溜め息をつく。
「おばさんの一件が片付かないと、さすがに寝覚めが悪いわ。なんとか直接お会いして、お詫びとお話がしたんだけど……」
クロイツは当面の現実に引き戻された。そう、朝に家を出たきり、母のことを放置していたことを思い出したのだ。家に着いたらまず母と話をして、わだかまりを無くそう。そう話し合いながら、家に向かう。
「ふむ」とアリシアが鼻を鳴らした。
「やっぱり、避けられてるわね」
「あんたもそう思うか?」
「ええ」とまた鼻を鳴らす。
「お店にも客が来なくなったわ」
「店にも?」
なぜクロイツとは直接関係の無い店まで避けられるのか。家に近づくにつれて増えていくはずの知り合いが、逆にどんどん姿を見られなくなっていく。
「……どうして、なんだろう」
クロイツのつぶやきに、アリシアは黙して答えない。
やがて到着した自宅は、明かり一つ点いていなかった。もしかしてどこかに出かけたのかと玄関を開けて中に入ると、椅子にへたり込んで悄然としている母を見つけた。もうこの時間なら、夕食の準備をしているはずなのに、クロイツとアリシアが呼びかけても返事が無い。
それでもと肩を揺さぶると、その老いた口から零れてきた言葉は、悲痛と絶望の色を帯びていた。
「なくなっちまった……」
「? 何が?」
「あたしの店……もう、あそこから出て行けって……」
母は泣き崩れ、代わりに夕食を作り始めたアリシアが出す音との不協和音に、クロイツはどうすることもできず立ち尽くした。
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