第4章 初陣

1.


 夜。クロイツは、アリシアに今日の講義のことを語っていた。ところどころ記憶を手繰りながらではあったが。

「――というわけで、今の王様のご先祖である、マウト王とスクデットリア女王率いる龍戦師たちと真龍たち、そしてイラストリアより降臨されし戦乙女たちが魔神を封印して、めでたしめでたし」

 語り終えて、クロイツは自分の寝台で隣に腰掛けるアリシアの変化にやっと気づいた。語り始めたときはさほど実を入れた聞き方ではなかったのに、今は目を閉じ、語られた歴史の重みと余韻に浸っているように見える。

 油節約のため灯火を灯さず鎧戸を開けた室内。そこに零れる月明かりが彼女を白く柔らかく浮かび上がらせ、その印象を補強していた。

(クロイツ……)

「ん? なに?」

 名を呼ばれたことに反応すると、アリシアはパッと目を見開いた。

「ご、ごめんなさい、なんでもないわ」

 そして彼女はゆっくりと微笑んだ。

「ねえ、クロイツ。龍戦師って何?」

 アリシアの質問は、講義の時にも出た物だった。また記憶を手繰る作業が始まる。

「えーと、真龍が選ぶんだよ。んで、龍の力っていうのを与えられて、魍魎と戦うんだってさ」

「ふーん。じゃあ、その力があったら、クロイツも苦労しなかったのにね」

 一瞬、アリシアが何を行っているのか分からなかった。先日の魍魎熊のことだろうと検討をつけたが、

「そうだな――なんで知ってんだ?」

「おばさんから聞いたもの」

 そう答えたアリシアが、こちらの眼をのぞきこんできた。

「クロイツなら、欲しい? その力」

 少し考え込む。あの魍魎を退治できるほどの力。もしこれから奴らが増えてくるのなら、

「うん、もらってもいいかな。手柄も立てれるだろうし」

 そこまで話したところで、それにつながる記憶の一片が浮かび上がってきた。

「でもな、ヒルダとかいう真龍が選んだ龍戦師は、名前も戦歴も伝わってないんだとさ。教官が持ってる本には理由が書いてなかったって言ってたな」

 もしかしたら、今単純に考えたほど、龍戦師というのは良い境遇では無いのかもしれない。そこまで考えて、まだのぞきこみをやめていなかったアリシアに気づいて、その瞳を見返した。切れ長の眼に収まった、以外と赤みの多いそれを。

 彼にはよく分からない複雑な心情を反映しているのだろうか、揺れていた瞳は、すぐに定まった。すっと姿勢を正されて、

「教えてくれてありがとう。とっても興味深いお話だったわ」

 興味深いなんて言われると気恥ずかしい。さほど口がうまくないという自覚があるクロイツとしては。

「なあ、アリシア」

「なぁに?」

 自分の寝台に行きかけたアリシアを呼び止めた。

「いや、大した話じゃないんでけどさ……その……」

 聞くべきかどうか迷って、でも確かめてみたくて。クロイツは思い切って口を開いた。

「デメティアのこと……どう思う?」

 夕方のお遣いで、デメティアの家に行った。そして出くわしたのだ。侍女のコーリンを連れてどこかへ出かけるところと思しき彼女と。

 お互いに軽く挨拶をしあって、それで彼女は行ってしまった。後ろ姿を目で追おうとしたが、召使が屋敷から出てきたため、お使いを優先せざるをえなくなってしまった。それが夕方のほろ苦い顛末である。

 アリシアの答えは明快だった。

「綺麗な人ね。でも、あなたに興味が無いわ」

 じゃ、おやすみ。衝立を引っ張ってきて、またこちらを眺めながらの就寝の挨拶など耳に入らず、クロイツは容赦ない断言に胸を貫かれて寝台の上に倒れた。

 まだ開いたままの窓から見える受け月までが、クロイツを嘲笑っているように見えた。


2.


 3日後。

「よーし学生諸君、準備はいいか?」

 守備隊長の掛け声に30名が威勢のいい応答をして、2泊3日の巡察研修は始まった。正副の守備隊長が率いる守備隊員を前衛に、その後ろを学生隊が進む。

 守備隊とは、街や砦をただ守っていればいいわけではない。定期的に付近を巡察し、盗賊や馬賊の類に我が物顔で闊歩させないこと。そういう輩が潜みそうな地点を探り、隠れ家など設営されていないかを注意すること。これも守備隊の重要な務めなのだ。

 元気よく歩を進めるクロイツのもとに、ケビンとアルクが近寄ってきた。

「張り切ってんなぁ、クロイツ」

「ああ、肉食ったからな」

「やっぱりか、肌ツヤツヤだもんな」とケビンが一人うなずいている。

 2泊3日の野外宿泊ということで、実に10日ぶりに夕食に肉が出たのだ。アリシアというお手伝いを得たことで家事と店番の負担が減って、母が上機嫌であったのも大きい。

 その話をすると、さっそく親友たちがニヤつき始めた。

「なんだよなんだよ、あんなこと言っといて、やっぱ結婚すんじゃん」

「美人だもんなぁ。ひょっとすると、もうお手付き済みか? クロイツ」

「んなわけねぇだろ」

 実際の話、そのために母が呼び寄せたのかと密かに考えたこともあった。ほんの2日ほどで考え直すことになったのだが。

 なんとなれば、隙が無いのだ。あの2つ年長の美人は。

 朝クロイツが起きた時には既に着替えを済ませているし――というか相変わらず衝立の縁からこちらを凝視しているし、その服装もきっちり襟元を合わせてチラリも無い。不用意に体を寄せてくることもないし、意味ありげな笑みも投げてこない。

 これでは邪念すら湧かない。それがクロイツの抱いた目下の感想だった。

 それらのことも素直に打ち明けて、それでもなお食い下がって囃し立てようとするケビンたちに、朝一の雷が落ちてきた。

「こらそこ! 野遊びに行くんじゃねぇんだぞ!」

 副隊長が眼を怒らせて怒鳴っている。研修参加学生のまとめ役であるクロイツを叱ることで全体を引き締めるという算段だろう。それは図に当たり、ほかにそこかしこで起こっていた雑談まで一気に已んで、クロイツたちは黙々と行進に専念した。

 口を動かさなくなった分、考えに集中できるようになったクロイツのまなざしは左右に振り向けられた。

(やっぱ思ったより多いけど、聞いていたより少ないな)

 それは、守備隊員の数であった。

 クロイツたち学生が同行する巡察は、守備隊にとって最大の人員供給元である武術学校の生徒たちの体験入隊のようなものであり、ゆえに『研修』と付けられている。

 もちろん、盗賊が体験入隊に配慮して大人しくしてくれるわけではない。ゆえにそれなりの数の守備隊員が同行しているわけだが、今回はその数について論議があったとクロイツは漏れ聞いていた。

 原因は、魍魎である。

 5日前に起きた旅の一団襲撃の一件により、このたびの巡察研修も守備隊員の数を増やして対応すべきではないか。守備隊と市当局、武術学校の緊急討議の結果がこの16名という、"例年よりは多く、緊急事態にしては少ない"人数となったのだ。

 同行人数減を言い立てたのは、市当局である。

『街の守備と警備を手薄にする気か』

 ごもっともであると手を叩くのは、物事の一面しか見ていないことになる。少なくともあの街に住む者にとっては。いや、武術学校の関係者としては。なぜなら――

(ロアークたちは不参加か、なるほどな)

 以前からロアークはこの巡察研修には不参加を表明していた。理由はと問えば、『わたしはこの町の守備隊に収まる器ではないからだ』とは、よくもまあ臆面もなく言えたものだ。実際に鼻で笑って取り巻きと乱闘沙汰になったのは、あの狩猟に荷物持ち兼勢子として雇われる数日前のことであった。

 つまり、『商人頭の御曹司が参加しないのなら、さほど人数をかける必要はあるまい』という市当局(という名の商人組合)の本音に武術学校が抵抗した結果、というわけである。

 ……正直、守備隊を就職先の選択肢として入れているクロイツとしては、気が重い顛末である。ただただ街の防衛に専念し、腕を磨いていればいい、そう思っていたのに。

 ザリザリと足裏が踏む地面の感触が、1時間ほどで変わった。踏み固められた土の街道を外れ、木立の中を一団は進む。いつの間にか横を歩く仲間の足音が軽くなったことに気づいた。この足音、

(どうした? サーシャ)

 また怒られないように前を向いたまま小声で話しかけると、遠慮がちな小声が返ってきた。

(……横にいちゃ、だめ?)

 黙って首を振ると、安堵の吐息を漏らすのが聞こえた。そのまま不整地を越え続けながら、思考はまた別のことに飛ぶ。

(サーシャは、本気なんだろうか?)

 クロイツについていきたいと言っていたことである。彼に対する彼女の普段の言動は、年上らしいからかい半分なものが多い。今回もそれなのだろうか。いやでも、肩を貸すなんていう状況で、そんな……

 クロイツはそこでまた、あの記憶が蘇った。サーシャの柔らかい肩の感触や微かな息遣い。クロイツ自身のか、サーシャのものか分からない汗と、何かが混じった良い匂い――

「おーい! 隊列を乱すなとは言わんが、遅れずにひとかたまりになれよ! それから、周りに目を配れ。巡察に来てるんだぞ!」

 副隊長の叱咤が、学生たちに向かって飛んできた。クロイツが振り返れば、出発時は学生隊の中段にいたはずなのに、いつの間にやら先頭集団に――それもたった5人で形成している――いるではないか。不整地を歩いているとはいえ、甲冑着用の重みからか、確かに縦長に延びてしまっている。

 その指摘を幸いと、クロイツは学生たちをまとめるために動くことにした。今、サーシャと目を合わせるのは、ちょっと気まずい。


2.


 雲が増えてきた昼。クロイツの母は、自身が経営している小間物屋の奥で、一息入れていた。家事を終えたあと、アリシアが店の手伝いに来たためだ。

 店頭に並べた種々の雑貨を売り、あるいは立ち寄った客と世間話をし、客や冷やかしを装った人が商品をくすねていかないようさりげなく監視する。ゆえに店番は、基本的に夕方まで店頭から離れられない。

 アリシアは実によくやっている、と母は満足げにうなずいた。実家でも家事をちゃんと仕込まれてきたのだろう、軽々とこなし、終われば寄り道せずまっすぐ店まで来る。客への受け答えもそつがなく、なにより、代金の合計やお釣りを間違えたことがない。今まで雇ってきた小娘たちの体たらくを思い起こせば、まさに驚異の能力である。

 値引きを要求する客は、店主である母が対応すればいい。逆に言えばそれ以外は任せておけるのだ。

(むしろ、怖いくらいだね)

 なにが怖いといって、店頭に座り始めてから閉店まで、お手洗いに行く時以外は身じろぎもしないのだ。初日にその揺るがぬ背中を疑って、居眠りしているのではないかと肩を小突いたほどである。

 今もそうだとその細い後ろ姿を眺めて、母は目を細める。常連客に訊かれた『クロイツの嫁にするのかい?』を、現実に考慮に入れてもいいかもしれない。クロイツもあんな高嶺の花なんぞいい加減すっぱりあきらめて、サーシャか、あるいはこの娘と――

「いらっしゃいませ」

 アリシアが元気な声を発し、母は黙考から引き戻された。が、様子がおかしい。なにやら戸惑っている様子が見てとれるのだ。

 立ち上がって近づいていくと、

「あ、おばさん。ユービンってなんですか?」

 虚を突かれて、母は言葉を失った。同様に瞠目している目の前に立つ男を見て、ようやく理解ができた。それは馴染みの郵便配達夫だったからである。

「郵便を知らない? フェックネル村には来なかったのかい?」

 言われて赤面するアリシア。そういえば兄・アチェットへの手紙は人づてに送っていたことを思い出した。郵便局経由で送ると時間がかかるため、アリシア無事到着を報せる手紙はアリシアに旅人を探させたが、どうやらフェックネル村自体に郵便局がないようだ。

 少し申しわけなく思った母は、郵便配達夫に礼を言って帰らせると、受け取った封書をアリシアの目の前で開封して見せた。ついでに差出人も確認する。

「これは、ケイシーからだね。うちの長男からだよ」

「ケイシーさんからの……お手紙ですか? さっきの人がケイシーさんに頼まれて……」

「違うよ」と笑う。真顔なところを見ると、本当に意味が分からないらしい。

「どこから出したのかは知らないけど、そこの郵便局に封書を預けると、宛先の郵便局まで荷馬車を使って届けてくれるのさ」

 それを郵便配達夫が、と言いかけて、母はアリシアの表情の変化に気付いた。顎に片手を添えて、考え込み始めたのだ。その瞳は、思索の色を漂わせながらもキラキラと輝いている。

「遠隔地に……通信できる……荷馬車……あの時のがそうなのか……」

 おばさん、と勢い込んで呼びかけられて、つい反射で返事をしてしまった。

「そのお手紙、どのくらいで届くんですか?」

「……どうしてそんなこと訊くんだい?」

「知りたいんです。とっても」

 勢いに押されて、渋々ケイシーからの手紙にざっと目を通す。

「ええと、カラバリからって書いてあるけど、幾らくらいなのかねぇ……というか、カラバリってどこ――」

「そうじゃなくて、何日くらいで届いたんですか?」

 手紙の日付は、15日ほど前だった。

「カラバリ……どこなんだろう……」

 妙なことに関心を持つ娘だと呆れて、母は封書の中にもう1枚紙片が同封されていたことに気が付いた。

「あらあら、仕送りまで。ありがたやありがたや」

 カラバリの方角に向かって――本当はどっちにあるのか知らないが――紙片を押しいただきしばらく、アリシアの視線に気がついた。

「その紙が、仕送りなんですか?」

「……もしかして、手形も知らない?」

 またキラキラした瞳で見つめられた。市中の銀行に持ち込むと現金が引き出せることを説明してやる。熱心にその説明を拝聴するアリシアを見ると、なんだか自分が偉くなったようでむず痒い。

「じゃあ、大事なものなんですね」と突然きょろきょろしだすアリシア。

「どうしたのさ?」

「え、いや、誰かに見られてたら……」

 自分もそういえば若いころ、同じ危惧を抱いたことを思い出して、吹き出した。

「大丈夫。持参人のあたしが直接行かないと、受け取れないのさ。強いて言えば、受け取った帰り道に気をつけないといけないくらいだね」

 そこで思いついたことを口にした。

「じゃあ、クロイツが帰ってきたら、一緒に引き出しに行こうかね。あいつに護衛させてさ。肉食わせてやるって言やあ、ついてくるだろ」

 石鹸を買いに来た常連の接客に向かうアリシアを眺めながら、

(行ったことなかったけど、フェックネルってド田舎だったんだね。銀行も無いなんて……)

 アリシアをクロイツの嫁に迎えるかどうかはともかく、ここでの暮らしにもう少し馴染ませてからのほうがいいかもしれない。母はそう考えながら、常連と世間話をするために店頭へと歩を進めた。


3.


 おお、吐く息のこの白さよ!

 夕食は既に終わって、明日の行軍に関する簡単な確認を、守備隊長や副隊長としてきたのだ。守備隊長の陣幕から出ると、不寝番が囲む焚き火の暖色がことのほか好ましく見えて、知らずそちらに足が速まる。

「よぉ、ごくろーさん。学年次席は大変だな」

 火の回りには、いつもの仲間がいた。アルクの"学年次席"強調を無視して、その隣に座る――

「もぉ、クロちゃんはこっち!」

 手首を取られて、強引にサーシャの横に座らされてしまった。ケビンのおどけた口調が始まる。

「いやあ、お熱いこって。焚き火も涼しくなっちまうぜ」

「じゃあこの火の中にお前を突っ込んでも問題無いな」

「男ケビンの火踊りか。一晩中踊り続けられたら、俺のこの弓をやるよ」

 クロイツとアルクの連携にケビンが反応しようとした時、黙然と焚き火を突いていたミリアがぽつりとつぶやいた。

「やめてよ、そんなの……縁起でもない、こんなところで……」

「こんなところ、って?」とサーシャが顔を向けた。

「だって、盗賊と遭遇するかもしれないし、それに魍魎だって……」

「大丈夫だよ、そんなの」

 ケビンがミリアの肩に手を置いた。

「巡察研修が盗賊に襲われたことないし、魍魎なんて俺でもやれるぜ!」

「……今日はケビンがアルクみたいだね」

 サーシャのつぶやきに苦笑して、クロイツは彼女を横目で眺めた。とたんにその視線とぶつかって、慌ててそらす。

「へっ、ケビンだけに手柄は立てさせないぜ。残念ながら一番乗りはクロイツに取られちまったが、魍魎殺しの名は俺がいただく」

「アルク対偽アルクか」

「なーんか、戦う前に大言壮語しあうだけで日が暮れそう」

 サーシャと言い合って、今度は顔を見合わせて笑えた――なんてこと、昔はあっさりできたのに、サーシャのあの告白を聞いてからいろいろ戸惑ってしまう。

「ほんと、やめなよ」

 今夜のミリアはなぜか怒りっぽく、そして驚愕の発言をしてこの場の流れを変えようとしたのか、

「アルクはもう結婚するんだから」と言い出した。

 焚き火に放り込んだ薪の爆ぜる音がよく聞こえるくらい、静寂が訪れた。

「……本当かよ? アルク」

 ケビンに問われて、アルクは鼻の頭を掻いた。父親の同業者の娘と結婚するらしい。

「ああ――」とサーシャがにやにやしだした。

「ゲルタちゃんか。なるほど」

「ゲルタちゃんって、あれ?」

 クロイツは首をかしげる。

「まだ13歳か14歳じゃ……」

「だからな」とアルクは紅潮した顔のまま、火を見つめて語りだした。

「来年の春にゲルタの成人の儀をやったあと、祝言を挙げるんだ。この研修が終わったら、晴れた日を選んで婚約の儀さ。守備隊に入隊できなかったら破談だって向こうの親父さんには脅されてるけどな」

「おめでとう、アルク!」

 笑顔で祝ったサーシャにならって、皆で祝福の言葉を投げかける。その後の彼女の一言は余計なものだったが。

「守備隊ならそれ以上出世しないだろうから、さっさとお嫁さん見つけて正解じゃない」

 人の婚期は、大きく2つに分かれる。

 1つは、アルクのように10代で結婚する場合。近隣や近縁の者とお近づきになり、安定した家庭を築くことを求めて、早々に相手を決める。あるいは王侯貴族のように、物心ついたときから許婚が決まっている場合もある。これも"お近づき"という意味では下々と変わらないと言える。

 もう1つは、30代、40代で結婚する場合。これは、立身出世を夢見る人が多い。なぜなら、文字どおり身一つでこの世間の荒波を乗り越えて高みを目指すことは至難の業であり、そのための有効な手段の1つが『結婚相手、あるいはその実家の力を利用すること』だからだ。

 そして当然のことながら、力を持つ異性やその実家に自分を固体識別してもらうためには、まずがんばって自力で出世しなければならない。その結果として婚期が遅れるということになる。

「いいなぁ……」

 暗に気にしていたところを突かれたのだろう、サーシャをにらむアルク。それがミリアにかかると今の発言になるのだろうか。それを横目でチラ見して、ケビンが胸を逸らした。

「俺はそんな小さくまとまらないぜ! 成り上がって、いいとこのお嬢様をいただく!」

 クロイツはアルクとケビンを複雑な眼で眺めた。正味の話、そこまで具体的なことを考えたことが無い。デメティアに対してのあれは、そんな打算でない……つもりである。

 ようやく焚き火のほうに向き直ったアルクが、大きなあくびをした。

「眠い……俺あんまり寝てないんだよな昨日……」

 その発言にケビンが鋭く反応した。

「なにっ! ま、まさか、ゲルタちゃんとお楽しみ?」

「んなわけねぇだろ! 成人前だぞあっちは!」

「おやぁ?」

 と口を歪ませるケビン。正直気持ち悪いが、クロイツも嫌いな流れではないので止めない。

「俺は乳繰り合ってたなんて一言も言ってないぜ?」

「……下品」

「クロちゃんもニヤついてんじゃないよ!」

 赤面のサーシャに思いっきり肩をはたかれてしまった。

 彼ら不寝番の仕事は火を絶やさないことと、夜半に交代となる歩哨役を起こしに行くこと。夜はまだ長く、厚い雲で星も月も見えない。


4.


 翌日は朝から風吹きすさぶ寒い日となった。守備隊員たちもさすがに寒いのか、どことなく縮こまり気味に、かつ昨日より早足に見える。学生たちはというと、

「おーい! もっと固まれよ!」

 昨日よりさらに縦長、というより切れ切れの隊列となってしまい、昨晩の打ち合わせで学生をよりしっかりとまとめるよう指示されたクロイツは忙しくなってしまった。

「みんな、動きが鈍いね。昨日寝てないのかな?」

 後ろからの風に蜂蜜色のほつれ髪をなびかせながら、サーシャがクロイツにならって後方を見やる。

「サーシャは大丈夫なのか?」

「うん! だって――」と気丈に笑う幼馴染。

「クロちゃんについていくんだから。そう決めたんだから」

 素直にありがとうと言えない、自分が嫌だ。

 なんとかお礼を小さくつぶやいたクロイツはごまかすために、最後尾から仲間たちを追い立てるべく走った。

 甲冑や戦装束から露出した肌を切り裂くような寒風を避けるため、林に立ち寄って昼食となった。多数の学生がへたりこんでしまったのを見て、副隊長が嘆きの声を上げる。

「今年の学生は鍛え方が足らんなぁ! まともについてきたのは5人かよ! 昼食当番! きびきび配れ!」

「あの、ちょっといいでしょうか?」

 サーシャが手を挙げた。

「元気な5人で配るのを手伝うというのは、いけないんでしょうか?」

 間の悪いことに、当番は全員へこたれ組なのだ。

 副隊長が振り返って、隊長の判断を乞う。隊長は少しも疲れを見せない様子で、ゆっくりと話し始めた。

「現実的には、手伝うべきだ。足手まといになりかけの者をさらに追い込みかねないから。だが――」

 隊長はそこで言葉を切り、腕組みをした。

「教育的には、そのまま当番に任せるべきだ。安易な手助けはなんの成長ももたらさない」

 隊長は腕組みのまま、クロイツを見た。

「お前が決断しろ」

 学生隊の統率者は迷わなかった。

「サーシャ、キリル、ネーニャ、ボード。悪いが手伝ってやってくれ」

 短く承諾の返事をして、昼飯である干し肉とチーズの切れ端を配る手伝いにかかる4人。クロイツもそこに加わろうとしたが、副隊長に呼び止められた。

「なぜ、手伝うほうを選んだ?」と。

「作業的には大した労力ではありません。しかし、救援が得られないことに対する気落ちが全体の士気を下げますし、出立の時間がますます遅れます。それから――」

 クロイツは少し考えて、言葉を継いだ。

「万が一脱落者が出た場合、馬も馬車も無い現状では、行軍速度に致命的な遅滞が出ます。だから、手伝うことを選択しました」

「分かった。それもまた良い選択だ」

 それが、にこりとした副隊長の評価だった。だが、と続く。

「これから現場に立てば、やむを得ず仲間を切り捨てなければならない時が来る。その時のお前の判断が適切であることを祈るよ」

 一礼して、クロイツもサーシャから昼食を受け取ると、彼女とともに大木の下に腰を下ろした。

 水筒から水を喉に流し込み、それからチーズを一口頬張って、よく噛む。またすぐにまとめ役として忙しくなる。最初の一口くらい、ゆっくりとしたかったのだ。

(アルクとミリアは、へばってるな……ミリアはあれからずっと気落ちしたままだし……)

 あれからとは、先日の欠席のこと。学校が終了した後の顛末は、サーシャから聞かされていた。

 お年頃の女の子が、お祭りでもない昼日中に着飾って母親にどこかへ連れて行かれる。それの示す意味が分からないクロイツではない。

「サーシャ――」

「ん?」

 昼食配付手伝いのことに礼を述べたあと、ミリアのことを切り出そうとしたその時。

 クロイツは突然立ち上がった。驚く周囲の人間に構わず、ずれかけた兜を押さえて気を研ぎ澄ませる。この気配――

「どうしたの? クロちゃ――「魍魎だ」

 クロイツの発言に数瞬、沈黙が場を支配した。誰もが『こいつはいきなりなにを言いだすんだ?』という顔つきで。

 そしてそれが、事態の悪化を招いた。

 クロイツが振り向いて何秒か経って、林の彼方、30歩ほど向こうから雄叫びを上げて突進してくる者たちがいた。姿形はヒト同様ながら、2本の角が生えている膨れ上がった顔は硬化したうえにひび割れ、服の下のはち切れんばかりの筋肉が躍動していることは遠目からでも分かる。手に持つ長剣や槍を視認して、ようやく此方は事態の急展開に意識が追いついた。

 守備隊長が声を張り上げる。いささかの悔恨と焦りをにじませて。

「得物を取れ! 密集体型だ!」

 すかさず、槍を構え、あるいは抜剣しながら魍魎の前面に走り寄る守備隊員たち。一方学生は腰を下ろした時に兜を脱いでいた者が多く、慌てて他人の兜を被ってしまう者、地面に放置されたそれを踏んで転んでしまう者が続出した。

 見たところ、魍魎の数はざっと30鬼ほど。すべてヒト型だ。守備隊16人で蹴散らすには、彼我の戦力差がありすぎる。学生隊も戦闘に加わらねばならない。

 クロイツは声をことさら大きくして、指示を発した。まとめ役などというお優しい役柄は終わり、学生隊指揮官という大役が始まる。胃がかすかに痛い。なんといっても初陣なのだ。

「一昨日の訓練を思い出せ! 各自持ち場に! 隊列を整えろ!」

 そう、いざ戦闘になった時のために隊列を組む訓練を、2日前にしたのだ。それでもキョロキョロ、すぐそこまで迫り来た魍魎勢とクロイツや仲間との両方に目を泳がせる仲間がいる。

 『一度言って理解できない奴に、優しく教え諭す時間は無い。力で言うことを聞かせろ』

 それが、主任教官の訓示だった。

 仕方が無い。クロイツは惑う仲間をまず一人、腕を取って彼の場所へ押し込んだ。クロイツの背中に、剣戟が始まった音が届き始める。

 クロイツの仕儀に、ほかの惑い人たちも急いで――足がもつれ気味の者もいたが――隊列に入り、準備は整った。次は、いよいよ前進だ。

 戦場に背を向けて、仲間たちの顔をぐるりと眺める。

 ケビンは、ニヤけている。あれは緊張を隠している顔だ。

 アルクは逆にガチガチだ。味方や自分の脚を斬らなきゃいいけど。

 ミリアは怯えている。無理も無いことは、怯え顔の仲間が一番多いことで分かる。

 サーシャは、笑っていた。

「クロちゃん、行こう!」

 ああ、と応えて、クロイツはもう一度声を張り上げる。『指揮官は強くあれ。それが虚勢であっても』という、主任教官の訓示に忠実に。

「半信半疑の奴も多いだろう」

 と始める。守備隊に損害が出始めたようだ。聞き覚えのある声の悲鳴が背中越しに聞こえ、仲間たちの目が泳ぐ。

「俺が魍魎を殺したことを。見せてやるぜ。お前たちも、俺や守備隊に見せてくれ。魍魎が殺せるってことをな」

 仲間たちの上げる喚声に笑って、サーシャをちらりとだけ見て。

(死ぬなよ、サーシャ。みんな)

 振り向いて、剣を振り下ろす。

「駆け足! 進め!」

 学生隊は前進した。守備兵が戦っている場所まで15歩ほど。後詰を急いだのだ。鎧が常に無く軽く感じ、高揚している自分を認識する。

「クロイツ!」

 これは守備隊長の声。最前線で剣を振り回しながら、さすがに余裕の無い声だ。

「そこの位置で保持しろ! 負傷兵を逃がす!」

 負傷兵を前線から後退させて逃し、止めを刺されないようにしようという狙いだ。クロイツが全体止まれを指示すると、ぴたりと止まった。学生隊は錬度の高い集団では無い。これは、

(魍魎を恐れている。いや、戦闘を、か)

 クロイツだって恐れ知らずではない。だから甲冑を着込み、重い剣を構えているのだ。

 守備隊員の負傷兵が、隊長や副隊長の指示で離脱を始めた。当然、密集陣に隙間ができ、ついにその時は来た。

 浸透してきた魍魎の一部が、勢いそのままに突進してきたのだ。速い! その速さを剣に乗せて、斬撃を繰り出してきた。

 その剣を横薙ぎに払う。鋼と鋼のぶつかり合う音が響き、魍魎の剣は本来の剣筋から大きく逸れたが、クロイツの手には結構な衝撃が走った。

「くっ! すごい力だな!」

 思わず叫びながら、体勢を崩して泳ぐ魍魎に突きを繰り出す。基本に忠実に、敵の腋の下を狙って。

 剣先は思っていた以上に狙いを逸れ、魍魎の脇腹に突き立ってしまった。先の衝撃による痺れが邪魔したのだろうが、あばら骨に邪魔されて剣先がそれ以上食い込まない。

「みんな! 思ってた以上に力が強い! 複数で囲んで――」

「危ない!!」

 聞き慣れた声に続いて、別の魍魎の絶叫が聞こえる。クロイツに向かって剣を振り下ろしたそいつの腕を、サーシャが斬り飛ばしたのだ! 両肘から先を失って血を吹き出し、魍魎が尻餅を突く。

 それに構わず、やたらめったらに振り回す先の魍魎の剣を鎧の肩甲で受け流し――いくら魍魎でも、その振り方では鈍器と同じである――、クロイツは魍魎の胴に足をかけて押し、剣を抜いた。そこに付着した赤黒い血の色に、逆に冷めながら。

「くそが! 小僧! 死ねぇ!」

 たたらを踏んで、脇腹の痛みに憎悪の声を上げる魍魎は、選択を間違えた。クロイツに斬りかかる余裕を与えたのだ。気合とともに唸りを上げた袈裟懸けが魍魎を斜めに両断する。

 だが、クロイツには余韻に浸る間も、自分の相手に止めを刺しているサーシャに感謝する暇も無かった。

 仲間の悲鳴が聞こえたほうを向くと、2人が地に伏せているではないか。守備隊の陣を抜けてきた魍魎は5鬼。そのうちの大柄な1鬼が、鉄張りの棍棒を縦横無尽に振り回して学生たちを襲っていたのだ。残る2鬼は、学生隊の右翼が囲んで一進一退の攻防を続けている。

 女声の悲鳴が、クロイツの耳をつんざいた。

「ミリア!」

 サーシャが叫んで、鉄棍の旋回に引っかかって弾き飛ばされたミリアの元に駆け寄る。その向こうで咆哮を上げるは、兜を跳ね飛ばされて暗褐色の髪を振り乱した、

「このクソがぁぁぁ!」

 怒れるケビンが、怯む仲間を押し退けて突進した! 鉄棒に唸りを上げさせて立ち向かう魍魎。行きがけの駄賃で別の学生の胴を薙ぎ払った豪風が、怒りの剣風と激突! ケビンは剣を弾き飛ばされてしまった!

「がっ!! ――まだだ!」

 怯まず、いや怒りに我を忘れているのか懲りずに短剣を抜いて踊りかかろうとするケビン。

(届かないぞ! ケビン!)

 もう1鬼の右腿を薙いで戦闘不能にしたクロイツと他の学生が棍棒の魍魎を牽制しようと駆け寄る――その時。

 角笛と思しき低音が、林のどこかから響いてきた。これは、

「ふん! 引き上げか!」

 こちらも棍棒を油断無く構えながら飛び退って、ケビンの突進を交わした魍魎が一声吐き捨てると、棍棒を旋風の如く振り回しながら林の奥へ向かって一散に駆け出した。

「待てこら!」

 とケビンががなる。追いかけようか一瞬迷ったクロイツに、隊長の指示が飛んできた。

「クロイツ! 隊をまとめろ! 負傷者の確認! 追わなくていい!」

 了解と叫び返して、息を整えながら隊を見渡す。倒れ伏したまま動かない者、2名。腕を押さえてのた打ち回り、仲間に取り押さえられている者、3名。頭から血を流して、呆然と木にもたれかかっている者も見受けられる。

「終わった……」

 とアルクが言った。魂が抜けるような息を吐き、もう限界なのだろう、ガクガクと震えを隠せない脚で立つこともあきらめて、へたりこんでしまった。

「ミリア! しっかりして!」

 アルクのすぐ近くでは、サーシャたち女生徒がミリアを取り囲んで揺さぶっていた。頬から血を流した彼女は目の焦点が定まらず、異様なほど震えているのが見て取れる。

 別方向からボードに呼ばれて近寄ってみれば、惨い状況だった。のた打ち回っている学生の一人が急におとなしくなったと思ったら――

「クロイツ、これ、もう……」

 右目が潰れ、腹を切り裂かれている。そこからする吐き気を催す異臭と口から零れる大量の血。それは、もうこの学生が長くないことを明示していた。

 それでも、彼は口を動かす。

「ひ……クロイツ……いやだ……」

 いつのまにか副隊長が傍に来ていた。彼のごつい手が、肩に置かれる。

「止めを刺せ、クロイツ。楽にしてやれ」

 学生の誰もが息を飲む中、目を見開き、唇を噛み締めて。

 クロイツは、腰の後ろに付けた短剣を引き抜いた。

 動かないように頭を押さえてくれ、と言おうとして止めた。俺一人だけでいい。こんな"仲間殺し"をこなすのは。

「ごめんな、ウィル」

 片膝を突いて、真上から首の横に突き立てて、ウィルの頚動脈を切断した。

 噴き出た大量の赤い血がたちまちのうちに、林の黒い土に吸い込まれていく。ウィルは眼を見張り、その表情のまま死んでいった。

 うなだれた肩に、今度は柔らかい手が置かれる。サーシャであることは言われなくても――

 クロイツたちから少し離れた右手の藪から黒い物体が飛び出したのは、その時だった。

 低く、跳ぶように地を駆けるそれは、

「犬?!」

 クロイツがとっさに踏み込んでの横薙ぎをかわした山犬は速度を落とさず、へたりこんで重そうに首を向けたアルクの喉笛に跳びかかった!

 耳を塞ぎたくなるような絶叫が林にこだまする。魍魎と化していた山犬はその強化された力で難なくアルクの喉笛を噛み千切ると、そのまま向きを変えずに走り去ってしまった。それは他の学生が追撃の剣を振るういとまもないほどの速攻であった。

「アルク! アルク!!」

 駆け寄って抱きかかえたクロイツの手の中、アルクの眼は既にこの世の全てを見ていなかった。

「アルク! おい! アルク!」

 ケビンが半泣きで呼びかけると、何事か唇が動いたが、全く聞き取れない。血しぶきを上げる首の中央でブクブクと赤い泡が立っていたが、やがてそれも収まり、アルクの体は脱力して戻らなかった。


5.


 林の中を北に向かって走りながら、男は笑った。木々のあいだを縫いながら、高々と笑う。

 後続の集団から、鉄棍棒を担いだ男が追いついてきた。

「何がそんなにおかしいのですか? ニカラ様」

「うむ」

 とうなずくその男の顔もひび割れており、鉄棍棒の男と同じく魍魎であることは一目瞭然だ。

「なかなかに骨のある一団であった。恐らく――」

 ニカラと呼ばれた男は、走る速度を緩めずに、南のほうを指し示す。

「ここから1日ほどの所にある街の守備隊だな。面白い。だから笑っておるのよ」

「守備隊にしては、小僧や小娘が大勢おりましたが」

 疑念を述べる棍棒の男に、ニカラは笑いかけた。

「守備隊の新入りかもしれん。あれの指揮官はなかなかの男であったな」

 ふん、と鉄棍棒使いは面白くないらしい。まあ、見込みと違って商人の一団ではなかったため、予想外の反撃をくらい、戦利品も無かったのだから笑えぬのも当然か。

 戦死に果てたのは5名ほど。恐らく殺したのは3、4名ほど。甲冑も着込んでいない当方としては、まずまずの戦果だろう。

 左後方に気配を感じて振り向くと、彼が飼いならしている山犬であった。その赤黒い口元を見て、頬を緩める。

「もっと魍魎を増やさねばならぬ。あの街を蹂躙するために。あれだけの戦力があるのだから、さぞかしたっぷり貯めこんでいるであろう」

 そう、とニカラは厳かに告げた。

「ヒトどもの集めた財貨で我らをさらに増やすために。ヒトを殲滅するために。我らが永遠の王妃に栄えあれ」

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