第3章 武術学校の午後

1.


 昼飯を食って、大きく伸びをしたついでに大あくび。

 ケビンは午前中の魔神大戦史講義で積もりに積もった気怠さを体から追い出し、ついでに小難しい歴史知識をも忘却の彼方へ――

「だめじゃん!!」

 サーシャに怒られた。

「ミリアに今日聞いた事を教えろ。教官に言われたでしょ?」

 そう、午前中の講義を欠席した生徒に、その内容を話して聞かせるよう指示が出たのだ。ちなみに、指名された生徒以外は家族か友人に話して聞かせることになっている。教わったことを教わって終わりにしないための課題で、時々採られる手段である。

「ったく、なんで俺がミリアに……」

 午後の実技訓練に向けて中庭に移動しながら、ケビンはぼやいた。

 確かに家も近いし、幼いころはか弱かった彼女を助けてやったこともある。あのころの可愛らしい面影はまだ残っていて、それでも成長とともに芯の強いところも垣間見えるようになった。

 というかそもそもまだ16歳なのに武術学校に入って傭兵になりたいなんて、一体ナニを考えてるんだ――

 そこまで思索して、ケビンは複数の視線に気付いた。

「……なんか、表情がクルクル変わっておもしろいな」とアルクが感心している。

「途中なんかやらしい顔にもなったけどね」とサーシャがクツクツ笑い出す。

「なんだよケビン――」とクロイツに肩を抱かれた。

「俺と組打ちやるのがそんなに楽しみなのか?」

「違うだろ!」

 ケビンが手を払いのけるより早く、アルクとサーシャがクロイツに蹴りを入れた。

「ま、そういうわけで、ミリアによろしくね」

 何がそういうわけだか分からないが、とりあえずうなずいておく。あくまで渋々といった顔を作って。

 組打ちの授業は、卒業を控えた実戦的稽古である乱取りであった。

 さっそくクロイツと対峙する。奴の腕は長く、うかつに踏み込めば拳が唸りをあげて飛んでくる。もしくは、捕まえに来る。

(だがそこを敢えて突っ込む!)

 案の定、クロイツの右手に左の肩を掴まれた。左の拳で殴りに来る――その前に、

「ここだ!」

 目一杯踏み込んで腰を捻り、クロイツの左脇腹目がけて右拳を叩き込む! 掴まれた肩のせいで勢いは割り引かれたが、クロイツはくぐもった声を吐いて上体を折り曲げ、おかげで奴の左拳はケビンの後頭部をかすめるに終わった。

「よし!――ぐふぉっ!」

 腹にずしんと衝撃が襲ってきて、ケビンもまた体をくの字に折り曲げた。クロイツが空振りした左手でケビンの首筋を押さえて、膝蹴りを繰り出してきたのだ。

 更なる膝蹴りの襲来を、ケビンはクロイツに抱き付くことで封じた。そのままお互いに脇腹への拳を続けようとしたところで、教官の怒声が飛んできた。

「お前ら! なんで真剣勝負してるんだ!」

 つい、力が入ってしまった。一斉に注目を浴びて、クロイツと二人照れながら離れる。

「まったく……おらそこ! 真面目にやれ!」

 今度は逆に不真面目な態度を指摘されているのは誰かと眺めれば、ロアークだった。彼はいつも組打ちを真面目にやらない。曰く、『私はそのように生まれついていない』だとか。

 要するに、もう気分は侯爵家の家士であり、格闘など下々のやることという意識であろう。

 大仰に困惑した仕草をされて、歯軋りをする教官。ロアークの主張など、『人の行く末など判るわけがない』が持論の教官にとっては笑止千万であるにもかかわらず、まったく――形だけでも――真面目に取り組もうとしないのだから。

「ケビン、もう1回やろうぜ」

 坊ちゃまのことなどどうでもいいという表情のクロイツに誘われて、今度は彼の左手首を握っている状態から始めた。ケビンが隙あらば腕を極めようとし、クロイツはなんとかして脱しようと腕に力を込める。結局、教官の終了の合図まで、お互いの何度かの仕掛けは不発に終わってしまった。

「やっぱ完全に握られると厳しいな」とクロイツが手首をさすっていたので、

「お前、また力が強くなったな」

 と素直に褒めてやる。実際、軽い体重の相手なら振り回してしまいかねないほどの腕力を感じたのだ。

「クロイツ! 今度はあたしとやろ!」

 女生徒の一人が彼に声を掛けてきた。彼が快諾するのを横目に見回せば、もう既に次の組み合わせが決まりかけている。

 ケビンが慌てて声を上げると、一人が不承不承といった顔つきで手を挙げた。ロアークの取り巻き・ゲータだ。

(へっ、こいつはやらされてんのか)

 ケビンは口の端を上げる。ロアークの従者になることが目標であるからには、親分のやらない組打ちをやらねばならないようだ。そしてそのことが不満らしい。

 教官の掛け声で、2戦目が始まる。と同時に、ケビンは動いた。低く構えたまま突進して、むやみに蹴り上げてきたゲータの脚を難なく避ける。そしてそのまま膝裏に手を添えて、脚を持ち上げると前に押したのだ。哀れゲータはひっくり返ってしまった。

 そのまま馬乗りになって殴打――をやらなかった。下手に反撃されて怪我をしてもつまらないし、校外でからまれるのも面倒だ。ケビンにもそれくらいの生活の智恵は働く。

 ゲータのつぶやきも聞き流してやる。

(けっ、馬方の息子風情が)

 お前こそ、商人頭の家に出入りの仕立屋の息子じゃねぇか。

「さあ、まだ時間がある、さっさと立てよ」

 ケビンに言われてますます不満げにつばを吐いて、ゲータが立ち上がるのを待ってやる。別に余裕からではない。こいつとやっても鍛錬にならない。そういう意識が働いたからで、残りの時間は形だけ構えを取って牽制を仕掛ける練習に費やした。


2.


 アルクは弓の実技の時間が好きだ。この時だけは、心を空っぽにできる。

 ゆっくりと弦の感触を確かめながら矢を放つ時間はもう終えていた。守備隊への就職が第一目標のアルクにとって、弓は必須科目であり、のんきに『弦の感触を確かめ』ている時間は、実戦ではないだろうから。

「相変わらず目がいいな。よく当たる」

 教官の褒め言葉に礼を返しながら弓を引く。無造作に放った矢は的の中心を少しだけそれた。

「アルク、また賭けやろうぜ」

 ボードが自分の弓を下げて、話しかけてきた。アルクと競えるくらいの弓の上手は弓職人の息子であり、弓の時間になると俄然張り切りだすのだ。

 明日の昼飯を賭けたところで、アルクは別のことを思いついた。

「なあボード、お前、親父さんの跡は継がないのか?」

「ん? 継ぐよ? でもなぁ――」と言いながら第1射を構えるボード。

「親父が仕事できなくなるまでは、守備隊に籍を置くつもりさ。そっちのほうが見入りはいいしな」

 そう言って放たれた矢は、見事的の中心を射抜いた。周囲のどよめきに軽く手を挙げて応えるボードが小面憎い。

 アルクも矢をつがえ、願いを口に出して祈る。

「ならば、矢よ、俺に幸運が来るなら、中れ」

 一拍おいて放った矢は、これまた中心を外さなかった。歓声に気づいて見回せば、皆が注目している。

「ボード、お前の番だぜ」

「ならば、矢よ、俺に富貴を恵みたまえ」

 これは力んだか、中心の左上に逸れた。周囲の落胆と励ましも気にならぬほど、高揚していることを力に変えよう。アルクはもう一度声を張った。

「矢よ、いや――」

 つがえた矢を外して、目を閉じる。

「弓矢の神、カワサヤ女神よ、俺に弓矢もて栄達を遂げさせ給うなら、この矢中れ」

 神の御名を唱えたことで、心静かに定まる。ひょうと放った矢は、あやまたず中心を射抜いた。

 観衆の声に応え、そして教官に渋い顔をされた。

「小僧ども、余興は終わりだ。速射の練習をしろ」

 実際の戦場でただ一人の敵を射抜く場面など、ほとんど無いらしい。戦は数であり、その数を揃え、その数に対処するために、弓兵は一塊の分隊として組織される。そこで要求されるのは『全員が、揃えた距離の限定された面積の場所に、一斉に矢を放つ』いわゆる公算射撃である。速射ができるなら、なお良いのだ。

 そのことを念頭に、もはや無駄口を叩かず専心する。

(ぐ、やっぱ速射ではボードのほうが上手か)

 よし今度こそ、とアルクは弓を持つ手に力を籠めた。


3.


「はあ……」

 キーマル教官のついた溜息を、主任教官が聞き咎めた。何事かと問えば、1年生の書き方についての成績が芳しくないという。

「どれどれ……なんだ、皆それなりによくできてるじゃないか?」

「皆、じゃありません」とキーマル教官が首を振る。

「1年生の半数はまだ字が書けないんです。さらにその半数は読むこともできません」

 それでも、受け入れているのが武術学校だ。いや、だからこそと言うべきか。改めて現実を知らされて、主任教官も嘆息を禁じ得ない。

 女性教官のシャルリが水を飲む手を止めて、会話に加わってきた。

「名前は書けるようになったんでしょ? 全員。十分じゃありませんか」

「それじゃ終身奴隷契約を防止できないじゃないか」とキーマル教官が反論する。

 残りの人生を全て契約主に捧げるのが、その類の契約である。引き換えに大金を得られるのは良心的なほうで、字が読めない相手なのをいいことに騙して契約するというのが多く、王立裁判所に持ち込まれる訴訟の3割近くを占める。キーマル教官が危惧するのはむろん悪質なほうの事例である。

「まぁね」とシャルリは再反論せず、水を飲んだ。

「主任教官、そういえば、1年生が2人辞めるって話はどうなりました?」

「ん? ああ、男のほうは昨日親が来たぞ。明後日からまた来させるとさ」

「あら、フィリは退学ですか?」

 シャルリの質問に少し言いよどんだあと、主任教官は事情を説明した。2人が1週間前に忽然と姿を消したのは、駆け落ちだったのだと。しかも、

「フィリが身籠ってるのが分かって、2人で話し合ってるうちに盛り上がってしまったようだな」

 口笛を吹いて驚く仕草の二人に苛立ちを覚える。教官が若者と同じような態度を取るのは、彼のような老境に差し掛かった人間には軽薄にしか見えない。

「なるほど、レサウーはぶん殴られた腫れが引いてから通学再開ということですね」

 言わずもがなのキーマルの発言に肩をすくめて同意する。レサウーはさして成績がいいわけではないが、これが弾みになって実力を伸ばしてくれればいいのだが。

 キーマル教官に話を向ける。卒業生対抗仕合の件で。

「2年生の出場予定者はどのくらいになりそうだ?」

「24、5人ですね。今のところの感触だと」

「40人いて約半数か……やっぱり絶対的存在がいると延びませんね、数が」

 シャルリ教官の言う"絶対的存在"とは、あの学年の場合ロアークとクロイツのことである。1人ならともかく2人もいては、最高で3位、どちらかがこけても2位にしかなれないということなのだ。

 どうせ参加するなら、少しでも上の順位が欲しい。卒業生対抗仕合第何位というのは、傭兵団や貴族の歩兵隊、あるいは地元以外の守備隊に就職するための武勲と言えるものである。それが2敗確実というのだから、よほど武事しか能の無い生徒でない限り、別の働き口を考えたほうが利口であろう。

 武術学校は、戦闘者を育てるだけが存在意義ではない。治安が悪い場所では無論のこと、守備隊が巡邏する街中ですら身体を害される危険は常にあるのだ。そのための護身を学べる場でもあるのだから。

 教官控室の戸が勢いよく開いて、1年生が2人飛び込んできた。

「教官! 喧嘩です!」

「誰と誰だ?」

「ロアーク様の取り巻き連中とデリスです! クロイツさんが間に入って止めてるんですけど、デリスの野郎、頭に血が上っちまって」

 主任教官は自分にも注いでもらった水を飲む暇もなく、1年生たちに案内されて走った。


4.


 この街、ホローン・アルトゥーンは、街の中を東北から南西へと流れるスグヒ川で分断されている。

 そもそもはホローンとアルトゥーンという2つの街であった。王都とフィッツ港をつなぐフィデリーナ街道の中継地点の一つとして興ったホローンと、その衛星都市として人々が住み着くようになったアルトゥーンがスグヒ川に向かって互いに支配域を伸ばした結果、街が1つになったのだ。その過程でいろいろと血生臭い逸話もあるのだが、結果として市庁舎や神殿、武術学校や闘技場は街の北部に集中し、南部は新来の住民が住まい、あるいは広い仕事場を求めた職人たちの工房兼住宅がある。

「なんでついてくるんだよ」

 ケビンの問いに、サーシャは含み笑いで答えた。

 学校が終わって、家事の手伝いがあるクロイツとアルクはすぐ帰り、ケビンも居残り練習をする気にはなれず、腰を上げたのだ。そうしたら、

「家に帰るな! もう忘れたの?」

 ……すっかり忘れていた。

 指摘するだけで寮に帰ればいいのに、なぜサーシャはついてくるのだろう。その理由を問うと、

「やっぱ気になるじゃん? 休んだ理由が、さ」

「実家の用事って話だろ?」

 それだけでは不満らしく、口を尖らせるサーシャの表情が、険しいものに変わった。

 ケビンたちの行く手に、ゲータとその仲間が3人、立ちふさがったのだ。

「ケビン! 今日はよくも恥をかかせてくれたな!」

「あ?! 訓練に恥も何もあるかよ」

 実際、学生たちはそれぞれに得手不得手がある。

 剣と槍ならクロイツが一番抜きんでていて、次点がロアークだろう。あの坊ちゃまが首席なのは、文章と弁舌が上手いというだけに過ぎないとケビンたちは考えている。

 弓の上手はアルクとボードで、確かこのゲータもなかなかの腕前のはずだ。

 そして学生は、得手を伸ばし、不得手を少しでも補うべく、平日は武術学校に通ってお互いに切磋琢磨しているのだ。

 それゆえ、授業の手合いの結果で勝った負けたと騒ぐ奴はいない。少なくとも、本気では。だが、目の前にいるゲータはどうやら本気で怒っているようだ。小さな目を血走らせて口から出た言葉は、

「ロアーク様に呆れられたのだぞ! 『お前がそんなに弱いとは思わなかった』と仰せられて!」

「……はあ?」

 本当にこいつらは、ロアーク様とそれ以外で世間が完結してるんだな。もちろんそんなことはケビンの知ったことではない。サーシャにとっても。

「じゃあ強くなりなさいよ」

「んだと?!!」

「だってそうでしょ。ロアーク坊ちゃまに見捨てられたくなかったら、強くなるしかないじゃない」

 "坊ちゃま"に過剰な抑揚を付けて煽るサーシャにゲータたちが詰め寄ろうとした時。

「あら、こんにちはサーシャさん」

 ケビンの記憶が確かなら、角を曲がって近づいてきたのはアリシアとかいう名前の、クロイツの親戚のはず。サーシャの顔に表れた戸惑いを一顧だにせず、ゲータはアリシアに顔を向けた。

「誰だお前? 見かけねぇ顔だな」

「あら、奇遇ね」と微笑むアリシア。

「私もあなたを見かけたことなんてないわ」

「……てめぇ、オレを侮辱すんのか?」

 顔がみるみるうちに真っ赤になって、すごむゲータ。通行人や露店の客たちがざわめき始めるのも構わず、仲間もアリシアを囲むように動き始めたのを見て、ケビンとミーシャはすっとそのあいだに割り込んだ。

 アリシアの、よく聞けば棒読みっぽい叫び声が往来に響く。

「きゃーくろいつたすけてー」

「あんたなぁ……」

 呼ばれて角からのっそりと現れたのは、呆れ顔のクロイツだった。その姿を見て、ゲータたちが口撃を始める。やや腰が引け気味ではあるが。

「なんだよクロイツ、お前の知り合いかよ」

「知り合いっていうか、従妹だけど?」

 その言葉に過剰に反応したのか、ゲータの勢いがまた盛り返した。

「お前の親戚がオレを侮辱したんだぞ! 謝れよ!」

「お互いにお前なんか知らないって言い合うのが、なんで侮辱になるんだ?」

 ケビンの疑問に、サーシャもクロイツも肩をすくめる。が、ゲータにとっては自明の理のようだ。なんと、鼻を鳴らしてそっくり返り始めたではないか。バカなお前らに教えてやるよ、と。

「オレはロアーク様のご学友だからだ。つまり――」

 見下すような姿勢のまま、膨らみに膨らんだゲータは言ってのけた。

「オレを知らないということは、ロアーク様を知らないということだ!」

(……なあ、俺たち、もう行っていいかな? ミリアの家)

(ダメでしょ! クロちゃんたちほっとけっての?)

「お前ら!! なにコソコソ話してんだコラ!」

 ゲータとしては、決め台詞のつもりだったようだ。また真っ赤になって怒り始めたところに、アリシアが進み出て頭を下げた。

「あらそうなの。ごめんなさいね、ロアーク様の子分さん」

「子分じゃねぇ! ご学友――」

「ゴガクユウでもなんでもいいが、往来の真ん中で立ち止まって口論するのはそろそろ止めてもらいたいな」

 旧知の声に振り向けば、守備隊長だった。甲兵を5人、後ろに従えている。巡邏中のようだ。

 低く、しかし熟年女性とは思えない艶やかな声が続く。

「こんなところで油を売ってる場合じゃないだろ? 全員」

 守備隊長の投げかけは、ケビンたちにもゲータたちにも、そして野次馬たちにもこのいさかいを終わらせるいいきっかけとなった。それでもまだブツブツこぼしながら、ゲータたちは去っていった。

 守備隊長に礼を言うと、鷹揚にうなずいてくれた。

「んじゃあ――ああ、君たち」

 何かを思い出したのだろうか、呼び止められて、

「守備隊に入る気はないか?」

「なんですか、いきなり」

「――って普段から声をかけておくのも、守備隊長の勤めなのさ」

 困惑顔がもろに顔に出たのだろう、笑われてしまった。

「人員が余ってるわけじゃないし、魍魎のこともある。新鮮な人材が常に必要なのさ」

 守備隊長の勧誘はそこまでで終わり、守備隊長率いる巡邏隊とは別れた。

「じゃあ、来週の巡察研修で」と言葉を残されて。

「ああそっか、来週だっけ?」

「さ、クロイツ。わたしたちも」

 アリシアがクロイツを促した。

「クロちゃん、それなに?」

「ん? ああ……」

「お届けものですよ。ディバッサさんちに」

 別れのあいさつを交わした後、道の端に置いてあった大きな布包みを抱えたクロイツを従えて、アリシアは往来を横断していった。

「むー……」

「気にイラネェって顔だな?」

「うん」

「そこは否定しろよ。お袋さんの店からの配達だろ? あれ」

 サーシャの気持ちくらい、ケビンにも分かっている。クロイツが今、言いよどんだわけも。

「あいつ、まだあきらめてねぇのかな?」

 サーシャと並んで再びミリアの家へと足を踏み出しながら、ケビンは首をかしげる。

「デメティアのこと?」

「ああ。どーひいき目に見たって、勝ち目無ぇのにな」

 クロイツたちが布包みを届けに行った先のディバッサさんとは、デメティアの父親、つまりこの街の副商人頭である。

「そうだよね! 早くスパーンとあきらめちゃえばいいのに」

「――お前さ」

「ん?」

 スグヒ川に架かる橋を渡って大通りを進んでいたケビンたちは、ミリアの家に至る最後の角を曲がり、職人町へと近づいていった。段々増してくる金づちやらなにやらの音に負けないように、声を大きくする。

「そこでクロイツのこと、応援してやろうとかならないのか?」

「勝ち目無いって言ったのはあんたじゃん!」

 意外と大声になってしまい、沿道の注目がこちらに向いてしまった。二人して赤面しながら早足に急ぐ。

 目的地は、やけに静かだった。

「留守かな?」

「サーシャちゃん、どうしたの?」

 彼女の顔見知りらしき老婆が語りかけてきたのを幸運として、事情を話す。

「ミリアちゃんならおめかしさせられて、朝一番におっかさんにどこかへ連れてかれたよ」

「おばーちゃん、"させられて"ってどういうこと?」

 老婆は考え深げに首を傾げた。

「あんまり嬉しそうじゃなかったからさ――あ」

 老婆が驚いて指を指すその先には――

「ケビン! てめぇ、何しに来やがった!」

 ミリアの親父がいた。小柄ながらいかついその肩に葛籠を重そうに担いでいるところを見ると、金物細工の材料を仕入れにいった帰りか、もしくは店に出した売れ残りを回収してきたのか。

「親父さん、久しぶり。ちょっとミリアに話が――」

「こっちはてめぇに話なんかねぇ! 帰れ!」

「ちょ、ちょっとおじさん!」とミリアが会話に割って入ってきた。

「ケビンは武術学校の課題で、ミリアに伝達をしに来たんだってば」

「武術学校だと?!」

 サーシャのとりなしは、どうやら逆効果だったようだ。親父のこめかみに青筋が増え、

「知るか! とっとと帰れ!」

 ケビンはとっさに、自分でも驚くような言葉を口走った。

「親父さん! せめて一目だけでもミリアに会わせてくれよ!」

 だが、それすら聞く耳を持たない。あまつさえ、地面に投げ下ろした葛籠から取り出した金づちを振り上げられては、不本意ながら引き下がるしかない。

 武術学校で習い憶えた『不用意に、敵に後ろを見せない』を忠実に守って、ケビンとサーシャは後ずさり、やがて踵を返すと、とぼとぼと家路についた。心からのボヤキが口を突いて出る。

「はぁ、なんだっつーんだよまったく……」

 隣で石ころを蹴飛ばしながら、サーシャがポツリとつぶやいた。

「辞めさせられちゃうのかな、ミリア……」

 サーシャに倣って石を蹴るも、ケビンの心は晴れなかった。

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