第1章 来訪者

1.


 あの事件から1週間後。クロイツは、武術学校にやっと通えるようになった。もう少し寝ているべきだとは思うが、卒業生対抗仕合まで、あと約1カ月。あまりだらだらしてもいられない。座学もあるし。

 そんなことを考えながら学校の門をくぐると、さっそく声をかけられた。

「ようクロイツ! もういいのか?」

「おぉ、魍魎殺しだ! 魍魎殺しが出たぞぉ!」

「あはは、大層な二つ名が付いたね? クロちゃん」

「オドロオドロシイにもほどがあるね……」

 好き勝手な放言を無視して、最初に声をかけてきた少年に挨拶を返す。

「よう、ケビン。まだちょっと痛いけどな」

 ケビンは暗褐色の髪をかきあげながら、きらりと眼を光らせた。

「ほう? じゃあ、今日の手合いは俺が相手だ」

「……お前、人の話を聞いてたか? まだ痛いから、手合いは無理だってば」

「じゃあ、俺だな。魍魎殺し殺しの二つ名は、俺のものだ!」

 また勝手なことをまくしたてるのは、アルクという知的な風貌を漂わせる青年だ。ケビンともども腕は悪くないなのだが、諸事大げさな嫌いがあって、教官によく怒られている。

 その隣で蜂蜜色の髪を揺らして目を輝かせ、サーシャが笑い始めた。

「閃いた! その手合いで勝ったほうに勝てば、2人まとめて片付けられてお得じゃん!」

「ごめん、意味が分からない」

 そう返す合間にもケビンやアルクに負傷箇所を突かれ、サーシャがそれをたしなめている。

 クロイツを『クロちゃん』呼ばわりするこの2歳年上の幼馴染は実は結構な美人で、18歳の時乞われて他所の街の大商人宅に女中奉公に行った。だが、様々な不手際を発揮して半年と持たずに暇をもらい、実家にいたたまれず武術学校に逃げこんだという、どうにもこうにもな経歴の持ち主でもある。

 つつきから無理に逃げた報いで顔をしかめたクロイツに、もう1人の少女が心配顔で近寄った。

「ほんとに大丈夫? 医務室、行ったほうがいいんじゃないの?」

「大丈夫だよ、ミリア。というか、座学をこれ以上休めないから」

 ミリアは剣の腕はそこそこだが、機敏に立ち動けるため、手合いの時などは油断できない。

 彼らとは学校に入って以来なにかと縁があり、たいていこの5人でつるんでいるのだ。

 なおも心配そうなサーシャとミリアであったが、始業を告げる鐘の音が鳴り響き、5人は急いで校舎へと走る羽目となった。


2.


 武術学校は、大きな街なら存在する2年制の教育機関で、全て王や貴族が運営者であり、実際の切り盛りは平民が校長として行っている。

 午前中の座学を終えて、昼食を取っていたクロイツのところへ、学校の小間使いが来た。主任教官が呼んでいると告げられる。

 慌てて立ち上がり、ではこの残りは俺が、いやわたしが、とにらみ合うケビンとサーシャを横目に見ながら食堂を後にする。廊下を歩いて2分、教官控室は人いきれでムンムンしていた。

 校長と5人の教官以外にも、クロイツには見覚えのある人物が上座にいる。

(市長? なぜここに?)

 この街の市長兼商人頭であるキアボとその側近らしき男女が計5名、控室に入ってきたクロイツを注視してくる。と見る間に、市長が立ち上がって両手を派手派手しく広げた。

「やあクロイツ君! 先日はうちの息子を助けてくれてありがとう!」

「いえそんな市長――」

「いやいや」とキアボ市長はあくまでクロイツの謙遜を許さない。

「市長としてではなく、一人の父親としてお礼を言っているんだよ。本当にありがとう」

 大人に、それもこの街きっての大物に手放しで褒められると、なんだかむず痒いクロイツであった。

「いやさすがは市長! そのようなお言葉、なかなかおっしゃれるものではありませんぞ!」

 お追従であることくらいクロイツにも明らかなこの発言は、市長の横に座を占めることができてうれしそうな、この学校の校長のものだ。まるで左右に尻尾を振り立てる犬のように、作り笑顔でまだ何か言おうとしたとき、クロイツの横合いから声がかかった。

「クロイツ、そこに座れ」

 初老を迎えてなお張りのある声での主任教官の命令に、クロイツは反射的に従った。その隣の女性教官が、なにやら古びた書物を広げる。

「クロイツ、お前が戦ったというのは、こいつか?」

 教官が指し示す先には、1週間前にクロイツが戦ったあの魍魎に似た姿絵があった。クロイツが黙ってうなずくと、大人たちはなにやらひそひそと黙話を交わし始める。

(熊、ですよね……)

(うむ。そんな大物まで出るようになったか……)

 などと囁きを交し合うどの顔にもいささか険しい色が伺えるのは、クロイツの気のせいなのだろうか。

「クロイツ、ほかには魍魎の姿は見なかったのだな?」

 そう問いかけてきたのは、市長の横に座る具足姿の女性。街の守備隊長だ。この問いにも黙諾すると、それきり守備隊長は考え込んでしまった。

「クロイツ、ご苦労だった。戻ってよし」

「! はい。失礼します」

 主任教官の号令に、また反射的にクロイツは応えて立ち上がる。回れ右をして去り際に、何か声をかけられるかと少し期待したがそれもなく、クロイツはできるだけさりげなく教官控室を辞した。

 教室には戻らず、午後の教科である実技訓練のため中庭に出る。すると、いかにも興味津々といった表情の学生仲間たちに出迎えられた。

 顛末を説明する。『なぁんだ』と期待外れだった様子の者、『ふむ』と何やら賢しらだった様子で考え込む者、あるいは――

「クロイツ! なぜ市長様がいらっしゃっていると早く言わないんだ!」

 ロアークの取り巻きが、クロイツに詰め寄ってきた。

「? お前たちに言ってどうなるんだ?」

 クロイツの心からの疑問に答えず、それどころか蔑むような横目で一にらみすると、取り巻きたちは建物の中へ駆け込んでいった。教官控室での例えではないが、まさに飼い主を見つけて駆け寄る犬のように。

「父上も気まぐれでいらっしゃる。あまり気軽に動かれないほうがいいと思うのだがな」

 とロアークが亜麻色の長髪をかき上げながら鷹揚に笑う。整った顔立ちと、クロイツにはわずかに及ばないものの他を圧する上背はすらりと伸びていて、物腰も爽やかとくれば、彼の実体を知らぬ者ならば思わず見惚れるほどであろう。

「なあクロイツ。ほんとにそれだけだったのか?」

 ケビンが絡んでくる。意図がわからないが、眼のきらめき具合からすると、『何かひと騒動起きてくれないか』といったところか。

「ほんとにあれだけだよ。答え終わったらすぐ退室命令が出たし」

 むう、と不満げなケビンのうなりは、複数の男子学生の嘆きと悲鳴でかき消された。さっき校内に走り込んでいった犬もといロアークの取り巻きたちが、実技教官たちに追い立てられてきたのだ。

「おら! 実技の時間だ!」

 取り巻きたちにとっては、実技より市長へのあいさつらしい。なおも不満げな空気を漂わせる彼らに、教官の言葉が投げかけられた。

「お前たちの学資は、市長から出てるんだろ? なら学業をきちんとこなして一人前になることが、市長へのなによりの御奉公になるんじゃないのか?」

 彼らは、ただロアークの家へのお追従で取り巻きをしているわけではない。大商人の次男であるロアークが将来的に武官として身を立てた時、その脇を固めるべき存在として見込まれ配されているのだ。

(まあでも、あれじゃあねぇ)

 クロイツを見上げて、サーシャが苦笑とともに囁いてくる。"あれ"。つまり取り巻きたちの出来の悪さを言っているのだろう。

「さあ! 今日は槍を使っての手合いだ! まず青組と緑組に分かれろ!」

 学年主席であるロアークの指示が飛んで、生徒たちは別の教官が引いてきた荷車から槍を取るべく三々五々に動き出す。1年次の成績で学生の順位が決まっていて――といっても学内序列を形成するわけではなく、主席が学生集団の指揮を取り、次席はその控えということになっているだけである。

 参加すべきかどうかクロイツが迷っていると、教官に声をかけられた。

「どうした? まだ痛むのか?」

 黙って頷くクロイツに、教官は言った。

「怪我をした状態でどうやって戦うか、やっておいたほうがいいぞ。剣闘士になるなら別だがな」

 この王国全土に大小合わせて30カ所あると言われる武術学校。その目的は、武事で身を立てようと決心した平民の若者たちに武術や小隊規模までの戦術を教え、一人前の戦闘者として世に送り出すことである。

 就職先は大きく分けて4つ。地元の守備隊、傭兵稼業、王侯貴族の軍、そして剣闘士だ。この中で最も戦闘者を吸収してくれるのが、1番目の選択肢である地元の守備隊である。

 先述の就職先以外にも、5つ目の"山賊や追い剥ぎ、強盗団"という世を拗ねた選択肢(就職と言うには語弊があるが)もあるのだ。それら不逞の輩から人や財産を守るために、守備隊は常に人材を求めている。

 第2の大きな選択肢は傭兵家業だ。といってもこの20年余り、周辺諸国とのあいだに小競り合い以上の戦火は上がっておらず、傭兵はもっぱら国内の治安を守る仕事で糊口をしのいでいる。

 大きな街には傭兵を部隊単位で雇って守備兵力の補填とする場合も多く、また街から街への道中を行きかう人や荷駄を警護するためにも傭兵団が用いられる。実力次第で高給を取り、諸所を渡り歩けるし、人望と資金さえあれば傭兵団を興すことだって可能だ。が、その代わり怪我や加齢により引退した後の保障は無い。

 では保障があればいいのかというと、王侯貴族の軍には確かにそれ、つまり恩給がある。あるが、こちらは逆に出世の見込みがほとんどない。なにせこの平和で貴族様ご一党の頭数が減らず、分隊長にまでそのご子息が配される有様なのだ。

 では第4の選択肢、剣闘士はどうか。民衆が日ごろの憂さを晴らす場としての剣闘士試合は、近頃開催件数が増え続けていることに間違いはない。剣闘士を抱え、その世話をする業者も新規参入が多くなっているようであるため、卒業生の受け入れ先として有望……とはいかない。

 なにせ剣闘士は死なない。試合で使用する武器は主に刃引きの剣と盾、もしくは刃など付けずに製造された穂先の槍だ。40年ほど前、余りに嗜虐性を極めた興行を強いられていた剣闘士たちを守るべく、勅令が発布されたためである。怪我をしそうな試合展開になった時点で判定負けとなるのだ。

 もちろんそれでも金属製の得物であることに変わりはなく、骨折や打撲などの怪我が耐えない仕事ではある。当たりどころが悪ければ死者に、運が良くても不具者になって引退を余儀なくされることは言うまでもない。それを差し引いても、剣闘士はだぶつき気味なのである。

 それでも、剣闘士は人気の職業だ。理由は単純、"金と名声が得やすいから"である。大抵の人は、眼に見えるものしか認識しない。守備兵や傭兵、軍団兵など社会の基礎を支える名も無き人々より、目前で華々しく勝利を掴む強き男女に耳目と金が集まるのは自然だろう――

 クロイツは、進路を決めかねている。母のことを考えると、この町で守備隊に志願するのが一番いいだろうし、楽をさせたいなら地元の貴族が有している歩兵隊に入るか傭兵になって、仕送りをするのが順当のように思える。剣闘士は、柄じゃない。

 ……クロイツが割り当てられた青組の指揮官役の生徒が、早くしろとうるさい。クロイツは思索を断ち切ると、槍を握った。

 槍の柄の硬質な感触が傷の痛みを薄れさせ、敵――向かい合う生徒の集団に集中させてくれる。そしてそのことに驚く間もなく、手合いは始まった。

 お互いの指揮官役の号令で、一斉に槍を構える。

 横隊を組んだ槍兵の役割は、とにかく列を乱さないことと、周りと揃って槍を繰り出すこと、これに尽きる。昨年春の入学当初は夢見る生徒――恥ずかしながら、クロイツもその一人だった――が列を乱して敵陣に踊り込もうとして串刺しになったり、そうなるまいと踊りまわった挙句同士討ちに果てたりとにぎやかだった。もうそんなかぶき者はいない。

 だが、それではお互いにチクチク突き合うだけで日が暮れてしまう。そこをどう打破するかあるいはどう守るかが指揮官の腕の見せ所であり、個々人の武勇を発揮すべき時となるのだ。

 接近してお互いに目前の相手が繰り出す槍を払ったりかわしたりしているうちに、クロイツの対面する生徒・ニクロが払われた槍に釣られて身体を揺らした。

「そこだっ!」

 払った時の脇腹の痛みがさほどでもない。そのことに改めて驚く。そして、クロイツは槍を素早く構えなおすと、他の敵の繰り出す援護の槍すら押し退けて、目の前の敵の胸を突いた。

「ニクロ、お前は死んだ」

 教官の一人が大声を上げ、ニクロは悔しそうに槍を立てると引き下がっていく。代わりに後列からクロイツの面前に繰り上がってきたのは、

(アルクか……)

 2年生40名を二手に分けて行っているため、横隊にすると備えは2段しかない。つまりアルクが倒されれば、横隊に穴が空いてしまうのだ。むろん、指揮官はそこの手当をすべく指示が飛ぶ。

「アルクの左右! かばい合えよ!」「アルクを潰せ!」

 聞いて途端に緊張の色を隠しきれなくなるアルクに、少しだけ同情する。あまり槍が得意ではないのだ。

(悪いな、アルク)

 にやりとしたクロイツだったが、今度はこちらが危機を迎えた。自分の右隣とそのまた隣がほぼ同時に突かれて退場となったのだ。2人が後段から繰り上がってくるまでの好機到来とばかりに、クロイツに緑組右翼の槍先が集中する。アルクまで勇んで一歩踏み込んできた。

 仕方が無い。クロイツもまた一歩踏み込むと同時に一声雄叫びを上げると、槍を斜め下から大きく一薙ぎした。今度は脇腹だけでなく各所に痛みが走るが、『死ぬ』よりはマシ。

 槍の柄や穂先が激突する甲高い音が連続し、続いて悲鳴が上がる。払いきれず頬を掠めた1本以外は、4本ほどまとめて穂先を高く弾き上げることに成功した。

「よし――ぐっ!?」

 成功の喜びも束の間、クロイツの腹に、槍が突き当たっていた。

「おお、さすがはロアーク様!」「さすがです!」

 などとお追従に気をよくする態のロアークを嗤って、死の宣告を受けたクロイツは槍を立てた。

 こいつ、バカじゃねぇの?

「敵の陣形が乱れたぞ! 繰り込め!!」

 此方の指揮官の檄が飛ぶ! なんとなれば、ロアークはわざわざ自分の持ち場を離れてクロイツを突きに来たのであり、その後ろ備えがお追従を優先して繰り上がりを忘れたティボルなのだから。

 その穴から傷口を拡げて、手合いは青組の勝利に終わった。

「クロちゃん、大丈夫?」

 心配そうに見上げてくるサーシャに笑いかけて手を振る。ケビンが息を切らしながらも早速絡んできた。

「さすがの豪腕もあそこで突かれちゃだめだな。修練が足りん――「お前も最後の乱戦で死んだろうが」

 と教官に軽く尻を蹴られておどけながら逃げるケビン。一同と教官の笑いを誘ったが、それで罰が減るわけでなし。負けた緑組と青組の戦死者は中庭3周駆け足を始めた。

 さすがに走ると痛い。やられた失意も加味されているのだろうか。

 苦い顔で走り続けるクロイツに、生徒の一人が寄って来た。さっき槍にかけたニクロだ。

「クロイツ、この後の手合い、付き合ってくれよ」

「ああ、やろうぜ」

 今さら傷がどうのとは言わない。すると、他の生徒も寄って来るではないか。

「その次、あたしね」「おいおい、オレの番まで回してくれよ」「ちょっと、あたしもあたしも」

 ……これは人気なんじゃなくて、手負いの俺をいたぶりたいだけだな。クロイツは希望する生徒の顔を見比べるまでもなく、そう察した。

「分かった」

 騒々しい周囲に告げる。

「全員まとめてだ。それなら時間もかからないしな」

 その"全員"の顔つきが変わる。そうこなくっちゃな。



「くそぅ、どうしてこうなった」

「化け物かよクロイツ」

「手負いで4対1を完勝って……」

 手合い終了後の講評が終わって解散した後、同期生たちは口々に悔しがり始めた。手負いだから手加減したんだろ、と言いかけてやめる。そんな情けをかけている暇は、彼らにもクロイツにもないのだ。

 それにしても、張り切り過ぎたおかげで身体の各所が痛い。しばらくうずくまって痛みをやり過ごしているあいだに、同期たちは教室へ入っていってしまった。幸い次は座学だ――

「クーロちゃん!」

 バンと音高く背中をドツかれて、激痛が走る。

「大変でしょ? 肩貸してあげる」

「……サーシャ――」

「なに?」

「……なにが狙いなんだ」

 うずくまった姿勢から見上げると、サーシャの満面の笑顔が憎い。だが座学に遅れるわけにもいかない。舌打ちすらこらえて、素直に肩を貸してもらった。

 6バイラル(約13センチメートル)の身長差ゆえ、ひょこひょこと2人で歩いていく。他の生徒は既に引き上げて誰もいない上に、窓も小さいゆえ肌寒い廊下を。

「背、伸びたね。クロちゃん」

「サーシャもな」

「筋力も付いたんだよ? 槍で薙げるようになったし」

「……なあ、サーシャ」

 痛みに顔をしかめながら、クロイツは幼馴染に問うた。

「なんで戦闘者なんかになりたいんだ?」

 それは、幾度尋ねても答えてもらえない問い。どうせ今回も答えてもらえない、ゆえに場つなぎの会話として持ち出したのだが。

「クロちゃんは進路どうするの?」

 答えではなく反問が来た。

「……守備隊か、傭兵だよ。それかできれば、伯爵家の歩兵隊かな」

「だからだよ」

 クロイツが見つめても、サーシャは前を見たまま。

「クロちゃんに、ついていきたいから」

 かなり恥ずかしいことを言っている自覚はあるのだろう、頬を桃色に染めたまま押し黙ってしまった。

 クロイツも虚を突かれて、前を見る。教室まであと10歩ほどが、やけに遠く感じた。


3.


 今日の授業も終わりを告げて、三々五々に帰宅する。いや、今日はまさに三々五々に帰りたかった。

「もうサーシャの肩は借りなくてもいいのかねクロイツ君? んー?」

「サーシャの特訓も兼ねて、おんぶしてもらったらどうかねクロイツ君? んー?」

「……もういっそサーシャの部屋に転がり込――「なんでミリアが一番過激なんだよ?!」

 このざまである。

 2人の着席が遅いと様子を見に来た女子たちによって、そしてよりによって先の会話の直後、両人が頬を染めた状態で発見されてしまったのだ。

 夕飯時までもう少しとあって、街の目抜き通りは混み始めていた。それに加えて、旅装の男女もそこかしこにそぞろ歩いている。どこかからの旅の一団が到着したのだろう。

 散々にからかわれながら、そこを押し割って歩いてゆく。クロイツが単身魍魎を退治したことは街中に知れ渡っていて、なおかつその図体のでかさも加味されて、わざわざ因縁をつけてくる酔狂な輩はロアークの取り巻きくらいしかいない。

 なんのかんのと言い立てながらも、みんなはクロイツに歩調を合わせてくれている。

「ありがとな」

「ん? ああ、まあな」

 荷物を持ってくれているケビンに、聞いてみる。進路はどうするのかを。

「そりゃお前、決まってんじゃん。傭兵よ傭兵」

「無理っしょ」とミリアは冷たい。

「あんた、字読めないし書けないじゃん。契約どーすんの?」

「書けるよ! ……名前は」

「終身奴隷契約まっしぐらだな」とアルクが笑う。

「っせーな! そういうお前はどうなんだよ?」

 ケビンの突っかかりに、アルクは鼻の頭を掻きながら澄ました顔で言った。

「俺は守備隊だよ。お袋の容態も悪いしな」

「あー、そーいやそーだっけ。ミリアは?」

「……分かんない」

 ミリアはうつむいてしまった。サーシャが気遣うも、そっぽを向いてしまう。いつもやや控えめな態度を取る彼女だが、話題を振られてここまでかたくなな態度を取るのは珍しい。

 問いただしてみようか迷っていると、ふいに正面から声がかかった。

「あの、クロイツさんですよね?」

 それは、見たところクロイツたちと同年代の女性の声だった。

 身なりは貧民のクロイツから見ても粗末な旅装で、土ぼこりを被っていることがそのみすぼらしさを増す要因となっていることは否めない。

 だが、黒髪を肩で切りそろえ、化粧っ気もないその顔は思わず凝視してしまうくらいの美人と言えるだろう。背筋をピンと立てて、初対面のクロイツに対して物怖じをしている様子も無く、その姿勢もまた彼女の凛とした美しさを補強しているように思えた。

 傍にいるサーシャの雰囲気が、たちまち剣呑なものに変わる。そのことをクロイツは敏感に察知したが、それを確認する間もなく、正面の女性から二の矢が飛んで来た。

「始めまして。わたし、アリシアといいます。フェックネル村の」

 その村の名前を記憶の片隅から呼び起こすのに少し時間を要して、クロイツは声を上げた。

「ああ、叔父さんの」

 はい、とにっこり笑うアリシア――に見惚れることすらできず、クロイツは足を踏まれた。

「誰? クロちゃん」

 サーシャだけでなく、早速ニヤつきはじめたケビンたちにも求められて、仕方なく説明を始めた。往来のど真ん中から脇に寄りながら、頭を掻きながら。

 この街から7日ほど旅をしたところにあるフェックネル村に、叔父が住んでいる。その末娘をこの街で奉公に出したいと手紙が来たのは1ヶ月ほど前のこと。

 見知らぬ娘を奉公させる酔狂な商家やお屋敷はさすがに無いし、クロイツの母にはそこをあえてねじ込むようなツテも無い。そこでいったんクロイツの家で預かって、その人物や働き具合を見ることになったのだ。

 説明を終えたところで、アリシアがサーシャたちにもう一度挨拶をした。皆それぞれに挨拶と自己紹介を返したが、サーシャの声が硬い。

「さ、行こうクロちゃん」

「いや、俺ここで」

 もう夕刻のため店ではなく、自宅に帰ることにした。荷物をケビンから受け取ってアリシアを手招きすると、皆に別れを告げる。アルクの振る手がいつもより大きい気がするが、まあいいか。

 5分ほど歩いて、近所の人に挨拶と説明を繰り返し、ようやく家にたどり着いた。先に玄関をくぐる。

「ただいま」

「お帰り、クロイツ」

 母は夕食を作っている最中だった。アリシアが到着したことを話していると、旅の埃を払ったアリシアが入ってきた。

「始めまして、おばさん。アリシアです。よろしくお願いします」

 先ほどもそうだが、母とも初対面のはずなのにまったく物怖じしていない。

「ああ、始めまして。……アチェットは?」

 そういえば、叔父が連れて来るはずだったのを思い出す。アリシアの説明によると、出発から2日ほどで早馬が追い付いてきて、慌てて帰って行ったとのことだった。

「これが父の手紙と、おばさんへの預かり物です」

 そう言ってアリシアが母に手渡したのは1通の手紙と、やや大きめの革袋だった。一目でお金が入っていると分かる膨らみに、母は取り澄ました表情を作るのに失敗。慌て気味に手紙を開いて一瞥すると、

「相変わらず忙しいこったね。まあいい、さっそくだけど皿を並べておくれ」

 そんないきなり。クロイツは思わず声を上げようとして、眼を見張った。アリシアがすっと棚に寄ると、3人分の汁椀と木皿を取り出して机上に並べたのだ。もう一度棚に戻ると、今度は木匙も取ってきたではないか。

 その、まったくためらいやまごつきがない動きに驚愕を禁じえない。まるでどこに何が置いてあるか、あらかじめ知っているかのような行動だったのだから。

「おばさん?」

「! なんだい?」

「その……焦げますよ?」

 息子と同じく唖然としていた母は慌ててぐるぐると大なべの中を掻き回すと、かまどから下ろして机に運んできた。いつもの、菜っ葉屑が入った塩味のみの簡素な汁。それと雑穀粥を、アリシアがおたまですくって取り分けてくれた。

 食事前の地恵神への感謝の祈り――の前に思いついて、クロイツは自分の椅子をアリシアのほうへ持っていった。

「これ、使ってよ」

「いいえ、クロイツさんが使ってください」

 客人が来たら、クロイツが立つ。それがこの家の決まりごとである。それ以前に、長旅を経てきた女の子を座らせてあげたい。単純にそう思ったのだが。

「クロイツ、お前が座りな」

 母は冷たくそう言うと、アリシアのほうへ眼だけ向けた。

「アリシア、悪いけど、食事はクロイツが食べ終わってからにしておくれ」

 素直にうなずいて、アリシアは部屋の隅に下がる。それを見て、クロイツは母に言った。

「アリシアは奴隷や召使じゃないんだから、座らせてあげればいいじゃないか」

「ならお前が椅子をどこかから手に入れてきな」

 お前の金でな。無理を承知で冷たく言い放つ母の顔に、奇妙な苛立ちを見てとる。

 クロイツのもらえる小遣いでは、時々空きっ腹を満たすための屋台での買い食いが精一杯なのだ。その現実をあえて突きつけてくるなんて。普段から金にうるさい母ではあったが、なにも新来の女の子の前でそんなことを言い捨てなくてもいいのに。

 憮然としたまま地恵神への感謝の祈りを済ませ、汁と雑穀粥を掻き込み、クロイツの夕食は終わった。


4.


 食事が終わって、特に針仕事なども無ければ、もう寝るしかない。そのためのアリシアの部屋を作るのに、クロイツは大層難儀した。

 別に部屋の荷物が多くて大変だったわけではないが、なんといってもまだ怪我から本復していない身である。アリシアにも手伝ってもらって、ふうふう言いながら荷物を動かしたのだ。

 というか、別の難儀はこれからだろう。なぜなら、クロイツの部屋を半分に仕切っただけなのだから。

 気まずい。

 母がどこからか『こんなこともあろうかと』拾ってきていた衝立でだいぶ隠れてはいるが、同じ年頃の女の子と同室なのだ。あんな綺麗な子と、衝立1枚隔てただけで――

(余計なことを考えちゃだめだ。余計なことを)

 視線を、感じる。

 必死に邪念封じをしてうつむいていたクロイツが顔を上げると、アリシアが衝立の縁から顔だけ出して、こちらを見つめていた。その顔に浮かぶ表情は微笑みと表現するには瞳が輝き過ぎ、歓喜と形容するには眉間に厳しさが漂う、不思議なものだった。

「あの、アリシアさん……なんか用ですか?」

 コクコクと、縦に首を振られる。

「……あの、もう灯、消していいですか? もったいないってお袋に怒られるんで」

 またコクコク。

「呼び捨てでいいよ」

 名前の呼び方のことのようだ。話の飛び方についていけず戸惑う。タメ口になってるし。

「じゃ、消しますね――「教えてほしいことがあるんだけど」

 灯を吹き消したクロイツに、アリシアから問いかけが来た。

「クロイツはどうして戦闘者を目指しているの?」

 先ほどの夕食のあと交わした会話で、彼が武術学校に通っていると話したからだろうか。

「親父と兄貴が傭兵だから、かな。親父は……過去形だけど」

 クロイツは寝台に腰掛けると、衝立から顔だけ出した状態のアリシアに向かって話し続けた。

 父はクロイツが10歳のころ、つまり8年前まで傭兵をしていた。大怪我をして引退に追い込まれ、近所に住む大工のところで力仕事を手伝っていた。

 が、次第に飲酒の量が増え、やがて昼夜を問わなくなり、母との喧嘩も激しさを増してきた6年前のとある朝、郊外の小川に浸かって冷たくなっているのが発見された。泥酔しての事故として処理されたが、身体に殴打されたような痣があり、母はいまだに喧嘩の末殺されたのだと信じている。

 兄は3年前に武術学校を卒業し、傭兵として身を立てるため街を出た。75年前の内乱の結果、傭兵の登録は国王直轄領にある登録所でしかできなくなり、この街から一番近い登録所は王都にあるからである。以来、3ヶ月に一度くらい手紙と仕送りを送ってくる以外は音沙汰が無い。

「俺、書記とか学者になれるような頭もないし、計算も簡単なのしかできないからさ。それに――」

 クロイツは自分の身体を指さして言った。

「せっかく図体もでかいんだから、親父と兄貴を真似て戦闘者になるのが一番手っ取り早いと思ったんだ」

 そして、首をかしげた。

「あのさ、聞いてる?」

 三たび縦コクコク。

「素敵よ」

「え?! な、なにが?」

 アリシアは先ほどからの姿勢のまま、うっとりとした顔で微笑んだ。

「クロイツのその決断が」

「そうなの?」

 面と向かって褒められるというのは、とても気恥ずかしいものだ。それをごまかすために、クロイツは話題をそらした。

「あのさ、そろそろ寝たいんだけど」

「うん」

 はっきり言わなければ、分からないのだろうか。

「その……もうそこから離れて、自分の寝台に行ったら?」

「大丈夫よ」

 変わらない姿勢で、告げられる。

「わたしのことは気にしなくていいから、お休みなさい。明日も学校でしょ?」

 つまり、どうあっても凝視し続ける気らしい。

 気になる。だが、眠い。

 諦めたクロイツは灯を吹き消すと、壁のほうを向いて横になった。眼を閉じると、午後の記憶が蘇る。

 1対4での槍の仕合。同期生たちの咆哮と威嚇をいなして、体の痛みに耐えながら槍先を交わして、その身にこちらの穂先を突き込んだ時のずしりとした得も言われぬ手応え。

 そのあと肩を貸してくれたサーシャの蜂蜜色の髪から漂う、汗だくでも隠し切れない良い匂いと、手を回した肩の柔らかさ。

 デメティアも、あんな良い匂いなんだろうか。恐らく匙より重い物を持ったことが無い彼女は、もっと柔らかいのだろうか。

 そんな妄想に引っ張られて、睡眠の深みへと沈んでいったクロイツは聞き逃してしまった。

 いまだ微動だにせずクロイツを見つめ続ける、アリシアのつぶやきを。

「やっとここまできたわ……」

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