第8話
嫁の沙都子は、確かにあの時妊娠していた。
翌年誕生した二番目の孫は待望の男の子で、逆算するとあの時期の子という事になる。
前田は再び歩き出した。
……あの話はよく似ているけど、でも違う。だって、あれは十五年前の話じゃない…… 。
前田は否定しながら、歩いている道に気づいて背筋を寒くした。
「ここは……」
「あれ?お帰りになられたんじゃなかったんですか?」
さっきの坂下の喫茶店の前で立ち尽くしていると、ボードを抱えた長身で細身の男が言った。
「か……」
帰ったはずだ……。
帰っていたはずだ……。
この目の前の坂を登ったのは確かだ。最近膝が痛いから、痛みを覚えながら登ったのだから……。
なのに何故戻って来てしまったのか?
「丁度今皆さん帰られたんですよ。美味しい珈琲とケーキがあるんです、少し入って行かれませんか?」
前田が怪訝そうにしていると
「遅くなりついでですよ」
冨樫はニヤリと笑うと店内に促した。
店の中を覗くとさっきの小太りの男だけが、カウターン席に座ってこちらを見ている。
前田はカッとなって、なんであんな嘘の話をしたのか、聞き正さなくては気がすまなくなった。
前田は睨み付けるようにして、男の側までつかつかとやって来た。
「誰に聞いたの?」
前田は男の側で怒鳴るように言った。
「ですから、うちに来る猫ですよ」
「嘘!奥野さん?沢木さん?それとも一緒にいた矢部さん?」
「いいえ猫ですよ」
小太りの男は前田の剣幕に動じる事も無く、じっと見て言った。
「向かって右側が茶色で、左側が黒で殆どが白なのに、所々茶や黒が点在している、ちょっと珍しい三毛猫の……」
「……………」
前田は体を震わせながら両目を見開いて、ゾッとする形相を作った。
「誰に聞いたの?」
確かにあの親猫だ……。
うちの物置の下で子供を産んで、仔猫の内の一匹を、うちの孫に殺された……。
三毛猫にしては珍しく、白が多いから覚えている……あの親猫だ……。
「あの猫は、うちに迷い込んで来ましてね。私は猫が大好きなので、飼ってやりたいと思いましたら、ああいう事情があるので、飼われたくないというんで、自由にさせてやっていたんですが、直ぐに病気になってしまいましてね〝うちの猫〟になりました。それからは平穏に暮らしましたが、野良の時代に酷い事をされたので短命でした。最後に、どうしてもあなたの悲惨な姿を、見れないのが悔しいと言いながら、息を引き取りましてね」
小太りの男は、仁王のように立ち尽くす前田を、立ち上がって見下げるような格好をとった。
座っていると気付かなかったが、以外と大きな男だった。
「私は残念で残念で、仕方がなかったんです。そこで、ここのこの催しをお借りして、あなたに猫が話して聞かせた事をお話ししたんです」
「嘘ばっかり!あの話はうちの事じゃない、第一あれは十五年前じゃない」
「ええ……母親と祖母殺しは、最近のニュースを加えてみただけ……。ですが、その他の事は本当の事ですよ。おたくの可愛い孫は、おたくの孫娘が殺した仔猫の、生まれ変わりなんです」
「う……嘘ばっかり!」
「嘘じゃありません。おたくの孫の首の後ろには、猫が咥えた
「ば……」
前田は馬鹿にしようとして言葉を呑んだ。
言われなければ思わないが、確かに猫が噛んだらできるかもしれないような間隔に、あざのようなほくろが首の後ろにある。
「あれは母猫が見て、一目で分かるように〝
「あなたは大嫌いな猫の子を、孫として目の中に入れても痛くない程に可愛がり。あの時話に夢中になり、子供を見ていなかった母親は、我が子が殺した仔猫を大事に育てているんです。それも二十年も生きない我が子を……」
「ど……どういう意味?」
前田は顔色を変えて冨樫を見た。
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