第10話 2035年問題

 いわゆる2035年問題がニュースで話題になる頃、国際社会では色々な事件が重なった。(何が起きたらそんな事になるのか僕には想像できない)

 それが日本政府にある決断をさせた。難民の受け入れ、二重国籍、更には、入国10年を超える不法滞在者にも国籍を与えるという法律が国会で決議されたのである。


 中国では労働者減少を食い止める為に、ビジネス出国者を制限する政策に出た。会社は新しく人員を雇えないと困っていたが、この会社でずっと働いている中国人もそれは同様である。旧正月に帰省しようにも、それをしてしまうと出国出来ない可能性が出て来た。


 国へ帰るか、日本国籍を取得して帰化するか、とても悩んだ社員は僕の周囲に沢山いた。そして、それぞれの事情に合わせて選択した。

 中国へほんの少しでも帰国すると、こちらへ戻れなくなるのではと心配していたが、法律というのには、どこかに抜け道があるのが普通らしい。

 中国の会社の社員が日本へ出張するのは問題ないという事だった。所属を大連支社に配置転換、長期出張という扱いにして対応した。


 東大お嬢は、二重国籍や難民受け入れについて、日本もやっと国際的な国への第一歩を踏み出したじゃないと評価した。

 東大お嬢は、いわゆる不法滞在者の保護活動をする人達とも付き合いがある。国内を転々としつつ、十年以上も日本の為に働いている人達が、病気になっても病院にも行けないというのは、どう考えても人権無視だと思っているようである。

 母国があっても、危険だと分かっていて帰りたい人は少ないという言葉も納得できる。


 彼女は日本が戦争や政治の問題で難民となった人について、『道具箱の会』で話が出るまで全く考えた事が無かったと語った。

 ベテ女史から子供の頃にニュースで見たボートピープルの話を聞いたそうだ。ろくな食べ物もないまま、小さな漁船に乗って、命がけで国を脱出して来た彼らを日本はほとんど受入れはしなかった。

 昔は今ほど日本も裕福では無かったとベテ女史は言った。調べてみると、それでも1万人程は受け入れたとなっている。では、今はと調べてみて東大お嬢は驚きと共に怒りがこみ上げたという事だった。


 しかし、ネットでは犯罪者を国民にするなんて許せないという反論も出ている。危険な国に生まれたのは運が悪いんだから、ずっとそこにいろってか・・・。それはないよなあ。島国根性ってこういう事を言うんだろうと僕はぼんやりと考えた。皆が言う様に、僕はのんびりしているんだろうな。


 ベテ女史はワーキングプアの問題にも深く感心があったようだ。東大お嬢は何もしないのかと聞くと、自分に出来る事はとても小さい事だけなので、小さな石ころを一つだけ社会に投げ入れてみようと思うと笑って言ったらしい。


 それが何だったのか、自分は詳しくは知らないのだが、大手ソフトウェアハウスが、高校生に無返還奨学金を始めた事と何か関係があったらしい。

 結局、サギまがいの事件で幕を閉じてしまった。被害に会ってしまった高校生はニュースの取材で、自分だって大学へだって行きたかったと泣きながら言った。


 東大お嬢はこの様子を見ていて、父親に会社は何かしないのかと問い詰めたそうだが、様子を見ながら何か考えると重役は語ったそうだ。


 かの事件の食事会の時、ネット対策室長は、会社を辞めて国へ帰ったはずの台湾女子二人が混じっているのに気付いた。韓課長に聞いた所、彼はそれを知っていた。

 我儘姫にメイドの様に扱われ、彼女達は怒った。しかし、だから辞めて国へ帰りたくもない。韓課長は李君とも相談して、彼女らを日本人のいる普通女子寮に移した。

 普通女子寮も一人部屋ではあるが、自分達が住んでいた部屋よりはずっと狭いし、通勤にも不便な場所である。それでも、急にやって来て掃除をしろだとか、買い物をして来いなどと言われるよりずっとマシだったので、二人で部屋を移った。

 同じ様に扱われていた中国女子も一緒に部屋を見に行ったのだが、通勤が遠くなるのが嫌だったらしく、もう少し我慢する事にした。

 台湾女子がいなくなってしまうと、この中国女子に我儘姫の要求は集中してしまった。戦うと決めた彼女だが、要求に応じないとドアを蹴り続けるなどという行為をしていたらしい。

 騒音は迷惑なので、中国人女性リーダーも困り、韓国人女性技術者に相談し、彼女は韓国人の多い寮へ引っ越しした。

 とりあえずの処置であるが、事件解決まで心が折れるのは防げたようである。


 台湾女子二人は仕事場でも我儘姫に意地悪をされており、仕事も変わった方が良いかもしれないとベテ女史に相談した。ベテ女史から就職サイトを教えられ、それに登録。ついでに彼女の会社も教えて貰った。

 しかし、やって貰えたのはそこまでである。二人は最初、とても冷たいじゃないかと思ったのだが、技術者として再就職するのなら、自分の力を信じて応募を繰り返すようにと諭された。それが出来なければ、いずれにしろ国へ戻らねばならなくなると言われると、甘えていてはだめだと気付いたらしい。


 ベテ女史の会社も人は募集しているので応募はしても良いと言われた。技術力が高いと聞いていたので、彼女らはベテ女史の会社に応募して採用された。

 ついでに言うと、台湾女子の引っ越し先の女子寮には韓課長の部下である高卒の庶務の女子社員も住んでいた。彼女は韓課長に自分もそういうカッコイイ仕事をしたいと何度も言っていたのだそうだ。


 昔、作ったツールは社内でも使う人が随分多い。スマホ盤が欲しいと言う声は以前からあり、どこかでやらないかと重役は声を掛けてみたものの、完全に無視されてしまった。

 韓課長は庶務で仕事をやりながら、効率アップを図ったし、庶務というのは仕事に波があり、暇な時はお茶を飲んで帰るなんていう時もある。

 元ネタはあるし、こういう時間を使えば庶務で作れるかもしれないと考えた。


 庶務課の彼女らに聞くと、全員が欲しいと答えた。特に商卒事務女子(商業高校卒の事務の女子社員の略)は家にパソコンを持ってないという理由からやる気満々だったそうだ。

 しかし、何事もやる気だけで、成功するとは限らない。韓課長は使っていない教育用パソコンの使用許可を彼女らに与え、技術職が最初にやるIT教育プログラムに合格したら、一緒に作ろうと言ってみた。

 商卒事務女子は、こういうのをやってみたかったと言い、驚くほどの速さで、事務職3人は教育プログラムを終了してしまった。

 韓課長はこれならイケると確信し、彼女らが教育プログラムをやっている間に、作った設計書を渡すと、一緒に実装を行った。

 新しく、文例表示機能をつけ、社内コンテストに応募すると、グランプリを取った。


 体育会系部長は『お前らがやらないうちに庶務の女子に取られてしまったじゃないか』と笑っていたが、その時は商卒事務女子の事は全く考えてはいなかったらしい。彼が考えていたのは韓課長の現場復帰である。


 商卒事務女子は技術者に交じって『有志中国語勉強会』にも参加するようになっていた。ベテ女史の会社に転職した台湾女子二人とはその後も交流をしていて、応募してみればと勧められ、社内コンテストのプレゼンビデオを片手に面接に臨み、そのまま採用された。

 その後は、中国人向け下宿の様な部屋を借りて、自分でマンション買えるまで頑張るという事だ。


 すごいパワーだなと僕は感じた。雲の上の人達は彼女の事は暫く知らなかったのだが、後から知って、ソフトウェア開発部に人事異動をしていたら、取られずに済んだぞと言ったそうだ。

 何か考える所はあったようである。


 3年後、会社は通常の採用枠とは別にソフトウェア部門の研修制度を始めた。カリキュラムは専門学校の夜学そのまま。9時から13時までが研修。その後、配属先で14時から18時位までが、勤務時間。時給1000円。寮完備、食事つき。

 手取りは5万円ほどだが、他にアルバイトはしないで良い。専門学校卒の資格になり、他へ就職したいならそれでも良いという事である。


 このプログラムに参加するには、ただ応募すれば良いだけで、試験はない。ただし、2年間で専門学校を卒業出来なければ、一般職として就職が条件である。

 条件が良いのか悪いのか、僕には判断が付かなかったし、応募者なんていないと噂されたが、前日から行列が出来、初日の1時間で応募は締め切られてしまった。


 行列の中には業界経験者もいて、すぐに契約社員採用となった人も大勢いたという。技術者が集められずに受けられなかった案件を受ける事が出来て、営業はかなり喜んだ。


 くだんの詐欺事件もあって、研修には調査が数回入ったが、問題なしと判定され、2年後の入社式には、本来なら事務職としてしか採用されなかっただろう高卒女子や高卒男子も大勢いた。しかし、人数は半分に減っていた。

 その専門学校は厳しいので有名な専門学校で、本校でも卒業者の割合はその程度だそうだ。


 住む場所もあるし、食事もある。他にアルバイトをしなくても良いが、小遣い5万円のみというのは、厳しかったのだろう。研修所へ出て来ないので見に行ったら、出ていきますというメモが残されていたという事もしばしばだとか。

 逃げ出さなかった人は全員が卒業したから、本当にやる気のある人間だけが残ったという事かもしれない。


 人生って厳しいんだなと僕は感じた。

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