第47話 心に吹く風

 ノエルは茫然ぼうぜんとしていた。頬にじわりと熱い痛みが拡がっていく。その痛みでようやく、ヴァイスに思い切り頬を叩かれたのだと気が付いた。


「――自分が何をしたのか、わかっていますか」


 ヴァイスの声は、低く、震えていた。

 ノエルが無意識のまま発動しようとしていたのは、呪いの呪文ことばだった。あらゆる代償と引き換えに、術者の全ての力をもって周りを破壊する禁術。


 正確に言えば、呪文を全て唱え終えていなかったため発動はその一部に留まっていた。もしノエルが己の全ての魔力を込めて呪文を発動していたら、この島ごと破壊されて沈んでいたかもしれない。術者自身の身の安全をも捨て去り、破壊だけを目的とした術なのだ。


「――あなたは、自分を守ろうとしてくれている味方までも、危険に巻き込みました」


 ヴァイスの肩が震えている。その眼鏡にもひびが入っていた。普段温厚なヴァイスがここまで怒りに打ち震える姿を見るのは、初めてだった。

 茫然としたノエルの目に、他の仲間の姿が映る。戦士達が倒れた仲間を助けて身を起こしていた。


「ぁ…………」


 北の地で、自身の強力な魔力ひとつで千人規模のギルドを束ねて来たノエルは、いつの間にか『自分が皆を守らなければ』と思っていた。そして『自分ならば守れる』とも――。しかし、守られていたのは自分の方だった。

 カッツェが、ヴァイスが。レイアとカノアが。いつも彼を守り支えてくれていた。自分は非力だ。一人では何もできない。それなのに、大切な仲間を傷つけてしまった。


*

「……ごほっ」


 誰かの咳き込む音が聞こえた。はっとして音のした方を見ると、レイアとカノアに支えられてカッツェが身を起こしていた。カッツェは無事だった! 無我夢中で、カッツェの元に駆け寄る。


「……カッツェ! 良かった、死んじゃったかと…思っ…た……」

 言葉に出しながら、初めてノエルの目から涙が零れ落ちた。

「う…ひっく……僕……。ごめん、なさい…皆を危険な目に、合わせて……」


 拭っても拭っても、涙が止まらなかった。


「……馬鹿野郎、勝手に殺すな。言っただろう。お前のことは俺たちが守る」


 カッツェの大きな手がノエルの頭に乗った。背中の痛みに耐えながらも、わしゃわしゃとノエルの頭を撫でている。その手は父親のように優しかった。


*

「……で。お前でも誰かをぶっ叩くことなんてあるんだな。びっくりして目が覚めたぞ」


 カッツェがニヤリと笑って、ヴァイスを見上げた。多少無理はしているのかもしれないが、いつものカッツェだ。今の今までぼうっとした様子で立っていたヴァイスが、その言葉にはっと我に返った。


「はっ……も、申し訳ありません! 私は一体何を……? すぐに治療をしなければ!」


 我に返ったヴァイスが、慌ててカッツェの治療に取り掛かった。もしかしたら彼も、この島の瘴気で一瞬だけ我を忘れていたのかもしれない。

 だが、彼の怒りはノエルにとって必要なものだった。ノエルはごしごしと涙を拭い、ヴァイスに言葉を向けた。


「ううん、僕こそ目が覚めたよ……。ありがとう、ヴァイス」


(――敵を倒すことが強さじゃない。仲間を想う力こそが、強さなんだ)


 ノエルは、今まで自分が間違った力を追い求めていたことに気が付いた。

 そして、身をもってそれを教えてくれたカッツェとヴァイスに素直な心で感謝していた。


――あなたを、いつも愛してくれている者たちのことを、思い出しなさい――


 ノエルの耳に、どこからかそんな優しい声が聴こえた気がした。

 強力な魔導術を発動した後にも関わらず、ノエルの心は穏やかな気持ちで透き通っていたのだった。



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◆冒険図鑑 No.47: 黒魔術・呪術

 悪魔と契約して発動する術は、黒魔術や呪術と呼ばれている。

 大抵は、何らかの生贄や代償を支払い、願いを成就してもらうという契約形態をとる。

 時には、術者の魂を代償にして呪いを発動することもある。

 ただし……人を呪わば穴二つ。実行した者には、それ相応の報いが訪れると言われている。

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