第46話 力の暴走


「――っ!!」


 ――静寂。

 ノエルの肉体からだは、衝撃ダメージを受けていなかった。


「――――?」


 思わず閉じていたまぶたを、恐る恐る開けてみる。

 視界に飛び込んで来たのは、赤銅色の見慣れた鎧。


 両手を広げて、目の前に立つカッツェ。

 こちらを向くその顔が、いつものように笑ったかに見えた。


「カッ……ツェ……?」

「うぐっ……!」


 ゆっくりと、カッツェが前のめりに倒れこむ。

 その手から力なく戦斧が滑り落ちた。

 ノエルの顔に生暖かい何かが触れた。


 ――血。

 カッツェの吐き出した赤黒いそれはノエルの顔と身体をゆっくりと伝って、白のローブに跡を残した。まるで涙のように。


 ノエルに覆い被さるように、カッツェが膝から崩れ落ちた。

 その背中に見える、切り裂かれたばかりの三本の傷跡。

 流れ出した鮮血が、地面に黒い染みを作る。


「カッツェ……!」


 どすっ、という音が聞こえて見上げると、頭上にいたガーゴイルにレイアの短刀が突き刺さっていた。


けろっ!」


 レイアがもう一方の短刀で、スピードに乗せた一撃を叩きこむ。

 その勢いで、ガーゴイルは後方に向かって吹っ飛ばされた。


 だが、倒れたままのカッツェはぴくりとも動かない。


*

 ――これまでカッツェが敵の攻撃に倒れたことはなかった。

 屈強な身体を持つ彼はどんな時でもノエルの前に立ち、敵から身を守ってくれた。ノエルはカッツェのたくましい背中を見て、いつも安心感を覚えていた。


 ――呪文さえ放てば、敵は討てる。

 ノエルは、自身の魔導術で倒せない敵などいないと自負していた。たとえどんな強敵が現れようとも、必ず倒せる、と。実際、今までその事実が覆されたことはなかった。だからこそ、どんな敵を目の前にしてもどこか楽観的に構えてきたのだ。


 魔導術が発動するまでの、わずかな時間。その間だけ前線の戦士が敵の攻撃を防いでくれれば、あとは自分が倒せる。北のギルドにいたときには、いつもそうやって自分がメンバーを守ってきたつもりだった。

 以前のノエルにとって、護衛の戦士は「呪文詠唱の隙を埋めてくれる」というだけの存在であって。戦士達もまた、ノエルの強力な魔導術を頼りにしていた。


 けれどカッツェは違った。彼だけならば、さっきのガーゴイルの一撃など簡単に受け止め、避けられたはずだ。それなのに。己の防御を捨て、前線からノエルの前へ飛び込んで来たのだ。

 

 ノエルを守る、そのためだけに。


*

 それに気付いた瞬間。

 喉の奥から熱い塊がこみ上げてきた。

 ノエルの視界が涙でにじみ、〈境界さかい〉を失う。


「うぅ……う…あぁああぁああ゛あ゛あ゛あ゛!!!」


 震える声が、絶叫へと変わった。


 びりびりと空気が震え始める。

 びしりと音を立てて地面が放射線状に割れ、足元の小石が浮き上がった。


 ノエルは、生まれて初めて感じる怒りに我を忘れていた。

 カッツェを傷つけた、敵への怒り。

 仲間を守れなかった、自分への怒り。


 その想いの全てがどす黒い憤激の渦となって、奈落の底へと引きずり込む。

 怨嗟うらみ呪念おもいは既に彼の制御を超えていた。


 バベルの塔を包む瘴気が、彼の心を暗く、重く、むしばんだ。


ゆるさない……!

 お前たちに 裁きを……

 悪魔に 制裁を!!』


 自分のものとは思えない声が、低く響くのを聞いた。

 ノエルの怒りが、バベルの塔を包む邪悪な氣と交ざり合う。


 黒い閃光が体からほとばしった。

 ノエルは体の奥底から湧き上がる力の全てを、激情にまかせて発動していた。


「――ノエル様! いけません!」


 ヴァイスの声が、周囲に反響こだました――。


*

 どごぉおおおん!!という轟音とともに、地面が割れ、岩石が弾け飛んだ。打ち付ける荒波が弾け、突風が巻き起こる。その衝撃で、塔の一部が崩壊し始めた。


 慌てて魔物達が逃げ出す。だが塔の崩壊は止まらない。下にいるノエル達の頭上めがけて、巨大な壁石が剥がれ落ちてきた。


(しまった、石が――!)


 ノエルは自分が発動した術の効果を考えていなかった。無意識のうちにあの呪文ことばを吐いていた。ノエルが唱えたのは破壊の呪文だった。「全て」を壊す、破壊の呪文。その対象は敵だけに留まらない――


*


「……カッツェ、無事か!」

「すぐに止血するニャ!」


 気付けば、壁石の崩落から まぬがれたレイアとカノアが、意識を失ったままのカッツェの元に駆け寄っていた。

 その声にノエルはようやく正気に戻り、辺りを見回した。魔物こそ撃退したものの、辺りは瓦礫がれきの山だった。


 ノエル達を中心として、同心円状に瓦礫が防がれている。ヴァイスが咄嗟に発動した障壁バリアにより、すんでのところで惨事を免れたのだった。


 立ち上がったヴァイスが、足早に近付いてきた。その足は、倒れたままのカッツェではなく、ノエルの元に向かっていた。


―――ぱぁん!!


「――っ!」


 突然鋭い音が響き渡った。

 頬に、鋭い痛みを感じた。

 その場にいる全員が、驚いてヴァイスとノエルを見つめた――。



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◆冒険図鑑 No.46: 瘴気しょうき

 瘴気。それは「負」の性質を持つ魔導エネルギーのことである。そこには邪悪な思念が籠っており、人が触れれば体調を崩す。

 薄い瘴気は紫色であるが、濃くなれば黒に近い色に変化する。

 魔物は瘴気の渦からは生み出される。それだけでなく、獣が大量の瘴気に晒され続ければ魔獣に、人ならば魔人になってしまうという。

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