第45話 荒れ果てた聖域

 魔物との激しい攻防を繰り広げながらの船旅のすえ。一行はついに〈バベルの塔〉がそびえる島に到着した。

 途中で合流した戦士も合わせて、有志の一行は50名ほどになっていた。


*

「ここが、バベルの塔……?」


 船から見上げたノエルが、不安げに声をあげた。

 島に近付くにつれ、バベルの塔がその細部をあらわにする。


 今にも崩れそうな石壁、大きくひび割れた石柱。建物のあらゆる場所にツタが絡みつき、柱ではなくその蔦が建物を支えているのではないかとすら思える。辺りの空気は重く淀み、存在する世界そのものを悲観するかのように悲しみに包まれていた。

 

 これが、バベルの塔――。

 かつて人類が最も栄えていたと言われる時代の、高度な文明の象徴。それが陰鬱な空の下で、崩壊寸前の姿を無残にもさらしていた。


 塔からかもし出されるその不気味な雰囲気に、船上の戦士たちも気圧けおされている。彼らから口々に不安の声があがった。


 〈バベルの塔〉は本来、各国の協定により不可侵の領域とされていた。それは神話と伝説に基づく〈聖域〉として、人々に信仰されていたからだ。

 それが、どうだ。

 今や塔とその周辺は、魔物の巣窟そうくつとなり果てていた。

 かつての〈聖域〉など、見る影もない。


 何千年という歴史を経て荒廃した巨大な塔は、黒々とした雲を背景に禍々しくそびえ立っていた。


*

 島に降り立った一行は、すぐに異様な気配に包まれた。


「うぇっ……、何ここ……」

「クラクラするニャ……」

「……っ、気分が……」


 ノエルとカノア、レイアが口々に身体の不調を訴えた。

 口には出していないが、ヴァイスも相当苦しそうな顔をしている。

 それもそのはず、おびただしい量の瘴気しょうきが島全体を覆っていた。


 最も激しく消耗しているのは、土地のに敏感なエルフのヴァイスとレイア。そしてノエルを含む魔導師達の中からも、体調を悪くする者がすぐに出始めた。


 魔力の高い者は、体内に多くの魔素を抱えている。そして呼吸をするように、自然とその魔素を大気中の魔素と交換しているのだ。だから魔素を取り込む際にそのエネルギーの質が悪ければ、当然体にも悪影響が出てきてしまう。


 逆にカノアのような獣人族は、魔力は高くないが動物的直観に優れている。彼女は本能でこの土地を「近付いてはいけないもの」と感じているようだ。


 ある意味鈍感なカッツェや他の戦士たちは、幸運にもその難を逃れていた。


*

 だが上陸してしまった以上、もう後に退くことはできない。

 ここにいる全員が、不退転の覚悟でここに来たのだ。


 準備した食糧や回復薬アイテムには限りがあった。魔導師達の消耗も激しく、刻一刻と体力を削られていく。一度上陸したが最後、一気にここを突破して〈竜の巣〉へ向かうほかなかった。


 一行は陣形を組み、塔を廻り込むように慎重に進んでいく。


 カッツェや他の戦士が交代で先頭を務め、カノアが作った大量の回復薬アイテムを中央の戦士が先陣と交代で守る。魔導師も中央に集まって、陣全体に結界を張っている。

 全員が緊迫した面持ちで、息を詰めながら進んでいた。


*

――シャアァアアアッ!!


 突然、崩れた壁の裏から魔物が飛び出して来た。

 蝙蝠コウモリの羽に、羊のような角を持った小さな頭……嘴魔ガーゴイルだ。


 前線の戦士が敵の攻撃を防ぎ、隙をついて魔導師が後方から攻撃を仕掛ける。


「今だっ!」


 戦士達の連携した動きにより、被害を最小限に抑えて敵の間を強行突破する。


 途中、ノエルは塔の下に散らばったの存在に気付いた。

 錆びて朽ち果てた武器、切り裂か枯れた鎧、ぼろ雑巾のような布切れ――

 魔物に喰い散らかされた


(――先駆者達の亡骸なきがらだ……)


 魔物の足元に転がる無数の屍に、一行は嫌でも気がついていた。

 既に白骨化した遺体をとむらうこともできず、ノエル達は涙をのんで先を急ぐ。


*

 再びガーゴイルが目の前に襲い掛かってきた。

 すかさず前線の戦士達が応戦する。


 がぎっ、という音とともに、ガーゴイルの腹が割られた。だが敵は不敵な笑いを見せながら、まるで痛くもないというようにその腹を撫でてみせた。


 しゅう、という音と黒い煙とともに、ガーゴイルの傷は既に塞がっていた。

 南の町で応戦した魔物よりも、さらに回復が桁違いに早い。島を覆う瘴気の力が強すぎるのだ――。


 魔物の体は、ほとんど瘴気でできている。瘴気の濃い場所では魔物はどんどん増強され、強化されていく。これでは、いくら武器を振るおうとも魔物の数を減らすことはできない――。


*

 それでも、覚悟を決めた戦士たちは連携を崩さず果敢に戦っていた。

 カッツェとレイアも、前線の戦士に交ざって敵と交戦している。


 陣形の左右に配置された魔導師が、光の魔導術の詠唱を始めた。

 この土地の魔物に対しては光属性の術が効きやすいと、何度かの戦闘でわかってきていた。


 前線よりやや後方に配置されていたノエルも、さらに強力な光の魔導術を発動すべく、詠唱に全神経を集中さる。


 その時。


――バリンッ!!!


 突然激しい音がして、魔導障壁が鋭い光を放った。

 なんとガーゴイルの一匹が障壁を破り、突っ込んで来たのだ。


(魔導障壁が、破られるなんて――!!)


 ヴァイスや他の白魔導師が何重にも魔導障壁をかけていたにも関わらず、それを魔物が突き破ってくるなど、誰も予想していなかった。


 魔物は、魔導師たちの固まる場所――ノエルの方へ一直線に向かって来ていた。

 屈強な戦士との戦いを避け、弱そうな魔導師を狙ったのか。

 あるいは、魔力の高い魔導師に目を付けてそのエネルギーを喰らおうと思ったのか。


 とにかく魔物は目前に迫っていた。

 三又の槍を頭上に掲げ、獲物を狩る残酷な喜びに眼をきらめかせて。ガーゴイルが、ノエルの肢体からだを貫こうと襲い掛かる。


 武器を持たないノエルには、魔物の攻撃から身を護る手段がなかった。詠唱中の呪文を破棄して魔導術で対抗しようにも、もう間に合わない――!



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◆冒険図鑑 No.45: ガーゴイル

 蝙蝠コウモリの羽に、羊のような角を持つ魔物。子供ほどの大きさの体格に見合わず、高い攻撃力を持つ。

 悪魔の使いとして信じられ、侵入者を防ぐ番人として屋根にガーゴイルをかたどった石像が取り付けることも多い。

 なお、作中に出てくる嘴魔ガーゴイルという漢字は、樋嘴ひはしから取った当て字である。

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