閑話

第36話 死神に抱かれた村

 奇跡を起こし、ついに巨人の谷を抜けたノエル達。いよいよ谷を超えた先の〈南部地方〉へと足を踏み入れていた。


 大陸の南部地方に差し掛かったことで、気候はだいぶ暖かくなり、過ごしやすくなっていた。北部地方と違い、広葉樹が連なる森や、背の低いなだらかな丘の斜面などが、ノエル達の目を楽しませてくれる。


 巨人たちが近くで目を睨ませているからだろうか。未だ手強い魔物にも遭遇していない。

 そんな穏やかな景色のなか、ノエル達はとある山間の村を訪れていた。

 温暖な気候で少しのんびりした気分になった一行は、この村で久しぶりに宿を取ることにしたのだった。


*

「ニャ……?」

 村に入ってすぐ、ノエル達は妙な違和感に気付いた。

 カノアがくんくんと空気の匂いを嗅ぎ、首を傾げる。

「なんニャ、この匂い……?」


 村の中を見渡しても特に変わったところは無い。

 よく整備された綺麗な用水路が広場を通って村の中央を流れ、女たちが大きな洗い桶を出して黙々と静かに洗濯をしている。空は晴れ、洗濯物も良く乾きそうな日和だ。

 だが――何かがおかしい。正体不明のその違和感に、ノエルは眉をひそめた。


「おっ、この村には良い武器屋が揃ってるな! 俺の武器もいでもらうか!」


 一人だけ違和感に全く気付いていないカッツェが、武器屋を見つけて機嫌良さそうに向かっていった。どうやらこの村には、武器や防具を鍛える鍛冶場がいくつもあるようだ。この村の特産品として、趣向を凝らした数々の武具が武器屋の軒先に並んでいた。


「ねぇヴァイス、ここって……」

「……はい、ちょっと後で話を聞いてみましょうか」


 不安を感じて話しかけるノエルに、ヴァイスも心得たという様子で周りを見渡している。


*

 村の住人は、とても親切に旅の五人を迎え入れてくれた。

 宿屋の女将は愛想も良く、部屋の設備や注意事項を丁寧に説明してくれる。


「旅人さんがこの村を訪れるなんて、久方ぶりだねぇ。見ての通り何もない村ですが、どうぞゆっくりしていってくださいな」


 しかしそう話す女将の顔には、どこか疲れが滲み出ていた。

 宿の説明を聞き終えたヴァイスが話しかける。


「あの、もし差し支えなければなのですが……」

「はい、なんでございましょう?」

「この村にどなたか病人の方はいらっしゃいませんか? 私は白魔導師です。こちらのカノアは見た目は幼いですが、薬師の勉強もしています。何か私達でお役に立てればと思いまして」


 ヴァイスの言葉を聞いて、カッツェが小声でノエルに話しかけた。


「病人がいるかどうかなんて、どうしてわかるんだ?」

「この村の精霊達が、なんか元気ないんだ」

「精霊が? 元気ない??」

「精霊の力が弱い地では、土地のエネルギーも不足しちゃうから、人間や動物も病気にかかりやすくなるんだ。カノアも何か妙な匂いがするって言ってたし……」

「そうなのか?」


 精霊と病気の関係について、初めて聞く話だとカッツェが驚いている。自然とともに暮らす北部地方では当たり前の常識なのだが、南部地方ではそう教えられないのだろうか? 大陸の北と南で、多少文化の違いがあるようだ。


「白魔導師様に薬師様! なんと……これは神様の思し召しかしら!」

 女将が驚嘆の声を上げた。

「そうなのです。今この村には、ある奇病が流行していまして……こちらに来ていただけますか?」

 そう言って、女将はとある部屋へと案内してくれた。


*

 部屋では男がベッドに横たわり、苦しそうに腹部を抱えていた。

「うぅ……痛い……腹が……」

 その体はやせ細り、肌は病的な土気つちけ色。額には脂汗が滲んでいる。


「ほら、あんた。旅の白魔導師様が、あんたを見てくれるってよ。しゃんとしなさい」

 女将が病人の男の背中を叩いて励ます。しかしその女将の横顔は、どこか悲嘆にくれていた。


「……失礼します」

 ヴァイスは掛け布団を慎重にどかすと、男の体に手をかざした。

 カノアもちょこちょことヴァイスの周りを動き回り、男の頭の上から足の先まで調べて回る。


 ヴァイスが呪文を唱え終わると、すぐに男の表情が和らいだ。


「おぉ……痛みが引いてきた! な、治ったのか?!」

「すみませんが、これは一時的なものです。あと何度か、薬や魔法で治療しなければならないでしょう。それに根本原因を解決しないと……」


 治療を終えたヴァイスは、複雑な表情をしている。

 病人を残して一度部屋を出ると、女将に尋ねた。


「病の症状は、どんなものですか?」

「実は……この村の男達だけが、数年前からあの奇病にかかるようになったのです」

「奇病、ですか?」

「ある日急にお腹が痛いと言い出し、それから半年か一年ほどで……皆、亡くなってしまいます。亡くなった方をお医者様が調べると”腸が腐ってしまっている”と……お医者様がいくら調べても原因がわからないのです」


 今まで気丈に振る舞っていた女将だが、ついにこらえ切れなくなったのだろう。声を殺して涙を流した。


「お願いです魔導師様、うちの主人を……この村を助けてください!」

「私も助けたいと思っています……できる限りのことはしてみましょう」


 女将に深々と頭を下げられ、ヴァイスは神妙な面持ちで頷いた。


*

 いったん宿泊する部屋へと戻り、ノエルはヴァイスに話しかけた。隣では、カノアが早速、痛み止めと漢方薬の調合を始めている。


「でも……腸が腐っていく病気なんて、聞いたことないよ」

「そうですね……」

「それに、かかるのがこの村の男達だけって……なんでだろう?」

「ニャ~。腸の腐敗を止めるっていう薬も聞いたことがないニャ。自己治癒力を高める薬で、様子を見るしかないニャ」

「えぇ。まずは薬の準備をお願いします」

「でも、それだけでは治らないニャ。それで治るなら、今までの患者さんもとっくに治っているはずニャ……」


 話を聞いていたレイアが、口を挟んだ。


「村の男達が口にする食べ物に毒がある……もしくは、男達が通った場所に毒気の強い場所がある、という可能性は?」


 長年の森暮らしで、森に生える野生の毒草のことなら、レイアも詳しい。

 ヴァイスは、難しい顔のまま頷いた。

 今のところ、ヴァイスの白魔導術でも、カノアの薬でも、この病気の根本的な完治には至らなそうに見えた。まずはこの奇妙な病気の原因を特定しなければならない。


「えぇ。という可能性も含めて……もう少し、村の周囲を調べてみなければいけませんね」

 ヴァイスが顔を上げ、ノエルとレイアに目線を向けた。

「ノエル様、レイア、手伝っていただけますか?」


 こうして精霊の声が聴ける三人は、この土地の精霊の声を聴くため、夕刻の村に散っていった。


「カッツェは、ここでボクとお留守番ニャ」

「お、おう……なんか、俺だけすまん」

「じゃぁ、カッツェは薬を煎じるのを手伝ってニャ♪」


 こういう時に一人だけ何もできず恐縮するカッツェを、カノアがばしんと平手で叩いて励ますのだった。


*

 翌朝。


「……こっちだね」


 村を流れる用水路の、水源となる上流。その方向をノエルは指さした。


「この川の水から良くない気配が出てる。上流に行くほど、その気配が強いみたい」

「川の上流に向かってみましょう」


 五人は集まって、川のせせらぎを辿った。

 川の上流は、森の中に入り込んでいた。ノエル達は、川に沿って森を進んでいく。

 森の中は綺麗に手入れがされて整っているが、しんと静まり返っていて鳥のさえずりもほとんど聞こえてこない。


 森の生活に慣れているレイアが、周りを見渡して驚いたように口を開いた。


「……なんだか、この森はすごくな」

「うん。ここには、精霊が全然いない。どういうことだろう」


 ノエルも少し不安になりながら、森を見渡す。


 通常、これだけの木々が生えた森と山であれば、大地の精霊や木の精霊がそこかしこに漂っているはずだった。しかし、ノエルがどんなに意識を集中してみても、この森と山からは精霊の気配が感じ取れない。綺麗に整備されているにも関わらず、まるで死んでいるような状態だ。こんな状態の土地は、見たことがなかった。


 これではまるで、魂を抜かれた生物のようだ――。魂がない肉体は、徐々に形が崩れて腐っていく。このまま精霊がいない状態が永く続けば、この森と山も、魂のない屍骸と同じように崩れ去ってしまうかもしれない。


*

 川に沿って山を登った五人は、やがて山の上の開けた場所に出た。


「!! ここは……」


 目にした光景に、思わず声を上げた。

 岩で覆われた山肌には、木とトタンで組まれた足場や建物が立ち並んでいた。

 斜面には深いトンネルが開けられ、トロッコががたがたと出入りしている。つるはしやスコップを持った男たちが、大声で喋りながら行き来していた。どこからかはわからないが、もくもくと黒い煙を上げている場所もある。


「なるほど、鉄鉱石の採掘場か」


 カッツェが納得したように呟いた。その言葉に、村の武器屋に並んでいた質の良い武器を思い出す。鉱山の近くの村であれば、あの村の名産品が刀や剣であるのも頷けた。


 ノエルはしゃがみこんで、辿ってきた川の流れに手を浸してみた。川の精霊の様子を確かめようと思ったのだ。

 が、川に手を入れた瞬間。そこに棲む水の精霊が、噛み付くかのように怒りの意思を伝えて来た……ように感じた。


「うわ、こりゃ酷いな。なんか、川の精霊が凄く怒ってる……気がする」

「もしかして、鉱山から出た有害な何かが、川の水に含まれているんじゃないのか?」

「確かめてみるニャ!」

「おいっ、飲んだら危ないぞ!」


 川に近付くカノアとレイアを、カッツェが慌てて止めている。

 だが二人は慣れたもので、カッツェの制止など気にしていない。


「いや……。毒は含まれていないようだ。川の水自体は、澄んでいる」

「ほんとニャ。美味しくもないけど、不味くもないニャ」


 嗅覚と味覚の鋭いカノアとレイアは、水の匂いを嗅いだり舐めたりしている。が、特におかしなところはないと首を傾げた。


「わかりました。みなさん、ちょっと水辺から離れてみてください」

 話を聞いていたヴァイスが、全員を川から上がらせた。

「川の精霊の記憶を……聴いてみます」


 そう言って彼は、紫水晶アメジスト色の瞳を静かに閉じた。



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◆冒険図鑑 No.36: 白魔導師

 白魔導師とは、治癒や回復、補助の魔導術を専門とする魔導師のことである。

 光の精霊の加護を受け、病人や怪我人を治療する。医者の少ない地域では、医者と同じかそれよりも貴重な存在として尊ばれる。


 白魔導師が行う治療は、主に二種類に大別される。一つは、精霊の力で病人の潜在能力に働きかけ、自己治癒を促進するもの。もう一つは、自分の魔力を直接他人に分け与えて、回復を促すものである。ただし後者の方法は、相当魔力量が多い魔導師でないと使用できない。魔導師自身の体力を著しく奪うからである。

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