第35話 巨人の谷の奇跡


貴女あなたがかつて、エルフの老師に言われた言葉を覚えていますか?」


 ヴァイスに言われ、レイアはかつての老師の言葉を思い出した。

――お前が本当に悔い改め、今までの罪を償えば、呪いは解け、精霊達の声が聴こえるようになる――


「……その言葉の通りです。あなたがカノアを想い、助けたその心。それこそが、あなたの能力ちからの封印を解き、真の力を甦らせたのです」


 老師は言っていた。レイアに本来備わっている魔力は、封印されていると。彼女の行ってきた非道な行いのせいで、精霊たちは彼女に語り掛けてくれないのだと……。


 だが、いま初めてレイアには精霊の姿が視えるようになっていた。ヴァイスの言う通り、本当に彼女の封印が解けたのだとすれば。


「精霊達が私をゆるしてくれたのか……?」

「その通りです。今のあなたには大地の精霊の声が聴こえるはずです。……精霊の囁きに耳を傾けてみてください」


 ヴァイスに言われ、レイアは静かに目をつむった。心を静めて神経を研ぎ澄ます。ぴくり、と耳が何かを捉えて反応した。


「感じる――声が……」


 思わず瞳を見開いて、ヴァイスを見つめた。

 その囁きは、言語化された音ではなかった。柔らかな音楽のような、風の揺らめきのような、荘厳な響きのような……。ただ胸の中に、様々な感覚が拡がっていく。

 その感覚を何と伝えてよいかわからず、もどかしさに唇を噛んだ。


「大丈夫。焦る必要はありません。心に浮かんだ言葉を発してみてください。――あなたならできます」


 静かに、しかし明瞭な声で、ヴァイスがそう告げた。


*

 うなずき、静かに地面にひざまずく。

 大地に手を置き、意識を集中する。

 ヴァイスの手がそっと背中を支えるように添えられた。


『――遥かなる大地の精霊よ 我が言葉を聞け

 我が名はレイア 我と契約せよ 我に汝の力を貸せ

 地の底に眠る生命いのちの種よ 我が前に芽吹け

 清き水よ 湧き上がれ

 曇りなき風よ 吹き渡れ

 不浄なる地を清めよ けがれをはらえ給え

 汝 我が精霊よ 我が名の前にその力を示せ』


 心の奥深くから湧き上がる囁きをかたちに変えて。

 ゆっくりと、言葉をつむいでいく。


「これって……」


 ノエルが驚いたように周りを見回した。

 レイアの言葉に反応して、大地の精霊の光が次々と地面から湧き上がっていた。


「なんだ?!」

「ニャニャッ?!」


 精霊の姿が視えないカッツェとカノアは、変わり始めた森の気配に動揺している。

 ごごごごご、と地鳴りの音が地の底から聴こえ、地面がわずかに振動し始めた。


「地震っ?!」

「ニャッ!!」


 カッツェが驚いて声を上げる。カノアも右往左往して、結局一番頑丈そうなカッツェの足元にしがみついた。


「――っ!!」


 目をつむりうつむいたまま、思わず息が漏れた。

 きぃぃぃんと高く鳴り響く耳鳴り。地の底から響く低周波の波長。様々な音と、光と、感覚が混ざり合って、眩暈めまいを覚える。

 額に汗がにじみ、ぽたり、と地面に落ちた。


 レイアの背中に手をかざすヴァイスが、静かな声で補助の呪文を唱え始めた。


*

 ぱぁあああっ、と次第に辺りが淡い光に包まれ始めた。


「木が、草が……光ってるニャ!」


 緑の光に包まれた木々が、まるで生き物のようにしなり始めた。

 どす黒い緑色に濁っていた樹葉が、青々とした色に甦る。

 枯れていた幹が、生命を吹き返す。


 草花が芽吹き、大地が生き生きと盛り上がり始めた。

 どこからか風が吹き、残っていたガルーア達の残香ざんかを、洗い流す。


 ぽつり、ぽつりと雫が落ちて来たかと思うと、さぁああっ、と優しい雨が大地に降り注ぎ始めた。


*

「凄い……。こんなの、僕にもできないよ!」


 ノエルは思わず感嘆の声を上げた。

 先ほど唱えたレイアの呪文。その冒頭で彼女は自分の真名を名乗り、土の精霊と契約していた。……つまり彼女が魔導術を使うのは、これが生まれて初めてだったはずだ。


 それにも関わらず。レイアとヴァイスの二人で行った所業は、通常の魔導術の範囲を超えていた。まるで山全体がエルフの二人の言葉に反応して、動き出したかのようだった。


 エルフ族はもともと魔力が高いと言われているが、こんなにも高いポテンシャルを秘めていたのだろうか? 思わず考え込むノエルの隣で、カッツェが声を上げた。


「おい、あれを見ろ!」


 カッツェが指さす方向を見ると、巨人オークの谷の方に向かって、山のふもとから一筋の細いきらめきが流れていくのが見えた。

 蛇行する白銀の光を追うように、緑の絨毯じゅうたんが谷を覆って拡がっていく。


「川だ!!」


 月光に照らされた水流は、きらきらと輝きながら、オーク達のいる谷へ、そして遥か向こうの海へと向かい、勢いを増しながら流れていく。

 ヴァイスが、ずっとひざまずいて集中していたレイアに声を掛けた。


「……もう大丈夫ですよ」

「あぁ……」


 ようやく目を開けて立ち上がったものの。膝から力が抜けてしまい、そのまま倒れ込む。

 意識を失って倒れ込んだレイアを、ヴァイスが支えた。

 片方の手を背中に回し、もう一方の手で静かに目元を覆う。


「……お疲れさまです」


*

「凄い凄い! やったね!!」


 神の御業みわざのような奇跡の光景を目の当たりにして、ノエルは興奮冷めやらぬまま後ろを振り返った。

 ……と、その目に飛び込んで来たのは。かなりの至近距離で寄り添うエルフ二人の姿だった。ヴァイスの腕に抱えられたレイアが、苦しそうに息をしている。


「……って、なに二人でいちゃいちゃしてんの!」

「ちっ、違いますよ!」


 ノエルのツッコミに、ヴァイスが慌てて否定した。彼の額にもまた、レイアと同じようにびっしょりと汗がにじんでいた。


 冷静沈着なヴァイスは、今までずっと白魔導術を使い続けていた。彼だけがただ一人、この作戦の最初から最後まで集中を途切れさせずにいたのだった。



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◆冒険図鑑 No.35: 魔導術と精霊の力

 精霊の力は、果たして有限なのか無限なのか?

 一般的な魔導術において、精霊は、人間が想像できる範囲のことしか実現できない。だが時に、精霊の想いと術者の想いが一致したとき、人が想像し得なかったような現象すらも発現させることができる。

 現実のことわりすらも超越する御業みわざ。人はそこに、神の意思を見出すという。

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