第33話 心の宝石


「危ない!!」


 上空から真っ逆さまに落ちるカノアを見て、ノエルとヴァイスが咄嗟に術を発動した。風の精霊の力で、身体を支え、落下の速度を和らげる。


 ふわっとカノアの体が空中で浮き、ふわ、ふわ、ふわ、と少しずつ上下しながら降りて来た。


『風の精霊よ 我が子カノアを守れ

 幼き子を支えよ

 風を抱け 身を包め

 体を・・・浮かせて・・・』


 ノエルは必死に全神経を集中させて呪文を唱えていた。が、その持久力も限界を迎え始めた。


 「離れた場所の物体を風の魔導術で支える」というのは、ノエルが思った以上に難易度が高かった。もともと彼は、瞬発的に大量の魔力を放出するのは得意だが、その魔力を維持することは苦手だった。ここに来てノエルは自分の力不足を痛感していた。


 カノアはまだノエル達の頭上、巨大な木々の遥か上空にいる。いくら身軽な獣人猫族ケットシーといえど、あの高さから落ちれば無事では済まない。

 だがノエルの風魔導の威力が落ちてきた今、ヴァイスの白魔導だけではカノアの体を支えきれそうもなかった。


(間に合わない――!!)


 誰もがそう思ったその瞬間。黒い疾風が、脇を駆け抜けた。


*

「カノア!! 大丈夫?!」

 どさり、とカノアが落下した地点に、ノエル達は慌てて駆け付けていた。


「ふにゃーーー。目が回ったけど、大丈夫ニャ」

 カノアが弱々しく応えた。

 そして、力強く自分を抱きしめる褐色の細い腕の主を見上げる。

「レイアが受け止めてくれたから、痛くなかったニャ」


 木々の間から落ちてきたカノアを地上で受け止めたのは、レイアだった。


 カノアの小さな体がガルーアから落下するのを見た瞬間、考えるよりも早くレイアの体が動き出していた。気が付けば、乗っていた馬を飛び降り、木々の間を旋風のように駆け抜け、カノアの体を受け止めていたのだ。

 それは、レイア自身の身体能力の限界すら超えた速さに見えた。


「カノア……無事で良かった」


 腕の中のカノアを、きつく抱きしめる。その姿はまるで子を抱く母親のように見えた。


*

 ――カノア。

 親と離れ離れになっても健気に生きるその小さな少女に、レイアは幼き日の自分の境遇を重ねていたのかもしれない。


 レイアは、自分の親の姿を見たこともない。見ず知らずの他人に育てられ、それでもその中で自分の力を役立てようと、必死に生きて来た。


 カノアの無邪気な笑顔。気付けばその笑顔が、レイアの暗く固まった心に暖かさと柔らかさを呼び起こしてくれていた。

 その気持ちを何と呼べば良いのかわからない。だが少なくとも、レイアにとって彼女は、失いたくない大切な存在になっていたのだ。


 あの巨人の谷で。人質に指名されたのは、自分だった。

 それなのに、カノアは。この幼い猫族の少女は、レイアのために危険な作戦を実行すると、名乗り出てくれたのだ。


 レイアは、自分の命など惜しんではいない。生まれてすぐに盗賊に殺されていてもおかしくない命だったと思っているからだ。

 そんな彼女が誰かに命を守られたのは、これが生まれて初めてだった。


 もしもカノアがいなくなってしまったら――。そう考えた瞬間、レイアの心臓は張り裂けんばかりの痛みを感じた。氷のように鋭く、冷たい、痛み。

 その瞬間、彼女の心と身体が、カノアの「死」を全力で否定した。


 だからこそ、己の肉体の限界すら超えた早さで、カノアの元へ辿り着くことができたのだ。

 レイア自身も気付かないうちに、彼女の潜在能力の全てを発揮してカノアを助けようと、その体は動いていた。


 落ちて来たカノアの体をその腕で受け止めたとき。

 決して離さないと、固く誓った。


 見上げるカノアの頬に、ぽたり、と雫が落ちた。

 それは、レイアが初めて「誰か」のために流した涙だった。



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◆登場人物コンビ紹介:レイアとカノア…森の民コンビ

 二人とも〈暗き森〉の出身という共通点があり、森の生活ついてなどで話がよく合う。特にレイアはカノアに一番心を開いており、姉妹のように仲が良い。

 〈巨人の谷〉の一件以来、レイアにとってカノアは唯一無二の存在になっている。カノアも、頼れるお姉さんとしてレイアを慕い、時に甘えている。

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