「巨人の谷」編

第29話 荒れた大地

 カッツェので無事に関所を通り抜けた一行。

 彼らは街道沿いにあった小さな町で馬を借り、平野を馬で駆けていた。


 カッツェとヴァイス、レイアはそれぞれ一人一頭の馬に乗っているが、ノエルはカノアと二人で一頭の馬に乗っている。獣人猫族であるカノアは動物の扱いに長けているから、手綱は彼女が握っていた。獣人族というのはヒト族より少しだけ獣に近いため、動物の言葉がわかるらしい。


* 

 しばらく平野を駆けていると、ある地点でカッツェが馬を止めた。


 見渡す限り草木も生えない赤茶色の大地。その大地を切り裂くように横たわる巨大な渓谷。深く、広く、遥か地平線まで続くその谷が、一行の行く手を阻んでいた。


 通称〈巨人オークの谷〉と呼ばれる谷である。

 話には聞いていたが、初めて目にするその圧倒的な存在感に、ノエルは言葉を失っていた。


「ここが、巨人オークの谷……」

「あぁ。南部サウス地方へ行くには、どうしてもこの谷を抜けねばならん」

「ここって巨人がたくさん住んでるんでしょ? カッツェはここを一人で通って来たの?」

「あぁ……俺はもっと東の海岸近くを一気に抜けて来た。だが、それは一人だからできたことだ」


 ノエルは深い谷底を覗き込み、周囲にオークがいないか恐々こわごわと見回している。カッツェはいつものごとく、難しそうな顔をしていた。


 巨人族オークはかなり野蛮な種族として知られていた。身長は平均的な人間の二~四倍で、岩のように固い体を持つ。また縄張り意識が強く、よそ者の侵入を嫌う。許可なくオークの縄張りに立ち入って怒りに触れた者は、瞬く間にオーク達に打ち殺されてしまうという噂で恐れられていた。


*

 巨人の谷は、ノエル達のいる西大陸の中央部を東西に渡って大きく横断している。今でこそ辺り一帯は荒涼とした大地だが、かつては大きな川が流れていた跡だと言われている。


 谷は先端は、北西にある〈暗き森〉の険しい山岳地帯に端を発している。そこから徐々にその幅と深さを広げながら、南東側の海まで続く。谷の絶壁の高さは西の山側が最も低く、東の海側にいくほどその高さを増していくのだった。


 ここ西大陸において、南部地方と北部地方でほとんど人の往来おうらいがないのは、主にこの〈巨人の谷〉と〈暗き森〉があるせいだった。

 大陸の西側は山脈にはばまれ、中央には巨人の闊歩かっぽする谷と深い森がある。人々はそれらを避け、大陸東側の航路を主に利用していた。だが南の地に〈竜の巣〉が現れて以降、その航路も海から来る魔物の影響で運休となってしまっている。


*

 南部地方に辿り着くためには、この谷を避けては通れない。

 カッツェは今回、正攻法でこの谷を抜けることを全員に伝えた。


 彼一人であれば、オークの縄張りの切れ目を探し出し、体力に任せて一気に谷を昇り降りすることもできただろう。実際、一月ひとつきほど前に彼はそのやり方でここを突破した。


 だが今やパーティーは女子や子供、非力な魔導師を含む五人だ。

 最も安全かつ確実にこの谷を抜けるには、きちんと巨人族オークに話を通して、堂々と領地を通してもらうのが一番だった。


 巨人族とて、亜人族の一種である。人族と同じように、話が通じないわけではないのだ。

 カッツェには秘策があった。

 それは……


の出番だ」


 そう言いながら、馬に背負わせた大量の荷物を指さしてニンマリと笑う。

 彼らは獣人村でたくさんの酒や土産物を持たせてもらっていた。


「……まさか、また、お酒で通してもらおうとしてる?」

「そのだ」

「嘘でしょ……」

「大人の社会ではな、こういうのも大事ななんだぞ」


 カッツェ以外の全員が、次々と不安を露わにした。 

 果たして、そんな邪道がまかり通るのだろうか。

 が、どうやら彼は本気らしい。カッツェは俺に任せておけ、と胸を反らしている。


*

 慎重に谷を降り、オークたちの縄張りに足を踏み入れる。

 ちょうど通りかかった見張りらしきオークの一人に、カッツェが声を掛けた。さっそく土産物を差し出して、通行の交渉をしている。

 ……しかし、やはりすんなりとは受け入れてもらえなかった。


「通るには 長老の 許可が いる。ついて こい」


 まだ若そうに見えるオークが、ゆっくりとした声で喋った。オーク族の発音は非常に癖があって聴き取りずらい。彼らが同じ種族同士で喋る時には、唸り声のような響きだけで会話するのだそうだ。


 オークにそう言われた一行は、馬を降りてオークの男の後に続く。この谷を統べるオークの長老の元へと連れて行かれるようだ。


 どしり、どしり、と歩くオークに先導され、乾いた谷底を歩く。

 見上げた空は両側から迫りくる絶壁に挟まれて、小さく切り取られていた。


 そろそろ夕刻だろうか。西側の空が橙色に色づき始めている。

 ノエルがあおとオレンジのコントラストについ見とれていると、遥か上空を飛ぶ大鳥ガルーアが見えた。

 遠くからでもはっきりと見えるほどの巨大さ。大地に影を落としながら、ガルーアは西の空へと向かって飛んでいく。

 そういえば彼らは、この谷の西側――ノエルの住んでいた〈北の村〉との間にある高い山脈――に巣を作っているのだ。ぼんやりと、そんなことを考えながら歩いていると、やがてオーク族の長老の元に辿り着いた。


*

 オークの長老と謁見した一行は、まずその巨大さに驚いた。

 大きな岩に腰かけているから正確には測れないが、大人を縦に五人積みあげてもその身長に届かないかもしれない。横幅は、寝そべった大人がちょうど二人分で届くくらいだ。「人」というよりも、そのものが動いて喋っているような錯覚すら覚えてしまう。


 オークの長老が口を開けた。

 地の底から響くようなその声が、低く、谷全体を震わせる。


『お前たちを、通してやろう。ただし――』

『そのエルフの女は、置いていけ』


 長老は、レイアのことを指で示していた。

 カッツェが長老に負けじと、大きな声で怒鳴る。


「なぜだ?! 土産物なら十分なものを用意したはずだ!」

『――今年は、既に雨季だと言うのに、この谷に水が流れて来ない』

『このままでは、この谷は枯れ果ててしまう。女を生贄いけにえにして、雨乞いをするのだ』

「生贄だと?!」

『――西の地に芽吹く大樹の根元に女を埋めれば、雨が降るという言い伝えがある』

『エルフならば、なお良い供物となるだろう』


 ゆっくりと話す長老の声が地鳴りのようにとどろき、大地を揺るがしてこだました。

 それを聞いたヴァイスが、怒りの声を上げた。


「そんな……、なんと残酷なことを考えるのですか!」

「生贄なんか捧げても、雨は降らないよ! 雨乞いなら、僕たちがする!」


 普段は冷静で温厚なヴァイスが、ここまで声を荒げるのは珍しい。同じエルフ族として、断固抗議する構えのようだ。

 ノエルも〈生贄〉という言葉にぞっとしながら、思わず怒りが口をついて出ていた。


 生贄を捧げて雨乞いをするなど、ただの気休めの「まじない」に過ぎない。専門家であるヴァイスとノエル、魔導師二人が言うのだから間違いはない。素人がそんなことをしても、雨など降るはずがないのだ。

 いくら愚かで残忍なオークといえど、そんなくだらない理由で他人の命を奪って良いことにはならない。


 根拠のない雨乞いに頼るくらいならば、ノエルとヴァイスが協力して精霊に呼び掛け、この地に雨を降らせるほうがよほど現実的だ。

 雨乞いをやったことはないが、魔導術なら何もない空気中から水を発生させたり、炎天下で氷の柱を出現させたりできるのだから。やってやれないことはない……はずだ。


『ほう……お前達は魔導師か。ならばその力、見せてみよ』

『本当に雨を降らせることができれば、この谷を通してやろう』


 オークの長老は二人を見下ろしながら、試すように語った。



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◆冒険図鑑 No.29: 巨人族オーク

 身長3~5mほど。岩のように固い、頑丈な体を持つ。あまり賢くはないが、その破壊力は相当なもの。一般的に好戦的な性格をしていて、たびたび傭兵として戦争等に駆り出されることもある。

 縄張り意識が強く、縄張りに余所者よそものが入ることを嫌う。獣ですら、普段はオークを恐れてめったに近付くことはない。

 今でこそヒト族と巨人族オークが関わることはあまりないが、かつては領土を巡り、両者の大戦争が繰り広げられたこともあったという。

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