第12話 烙印(スティグマ)


「やめてよ! 何するんだ!」


 上ずった声でノエルが叫んだ。喉元に刃を押し当てられたカッツェの痛々しい姿を見て、思わず目を背けそうになっていた。


「動くな、と言っている」


 女は、静かだが凄みのある声でそう答えた。鋭く睨む琥珀色の瞳からは、警戒心がありありと見て取れる。ノエルたちを襲う気はないようだが、同時に解放するつもりも無いようだった。その場に一瞬の静寂が流れる。


 *

「……落ち着いてください。私達はあなたに危害を加えるつもりはありません」


 沈黙を破ったのはヴァイスだった。

 動揺するノエルをゆっくりと制して、女に語り掛ける。カッツェの冷静な立ち振る舞いを見て、ヴァイスも落ち着きを取り戻していた。慎重に言葉を選びながら女に向かって語り掛けている。


 ノエルはごくりと唾を飲んで、目の前の女を見据えた。カッツェを盾にしたまま、こちらと対峙する女。彼女は流れる銀色の髪を後ろで束ね、褐色の肌にごく軽装の鎧を身に付けていた。特徴的な尖った耳の形は、ヴァイスのそれとよく似ている。


「……あなたもエルフですね。このような場所で何を?」

「その問いに答える義務は無い」


 ヴァイスは両手を広げて敵意がないことを示している。だが女の答えは取りつく島もないものだった。


「あーー、わかったわかった。何もしないって。ほら、これでいいだろ」


 カッツェが会話に割って入り、自らの背負う戦斧をベルトごと外した。

 どすっ、と重い音を立てて戦斧が地面に落ちる。武器を捨てたことで安心したのか、ようやく女の手がカッツェから離れた。

 カッツェはそのまま数歩歩いてヴァイスとノエルの前に立つ。女を刺激しないようゆっくり振り返って、今度は彼女と相対する形となった。


 *

 女の武器は、二本の忍び刀だった。

 左右の手に細くて短い片刃の刀を握っている。柄はついておらず、持ち手に布のようなものを巻いて滑り止めにしているようだ。極限まで無駄を省き、軽量化されている。おそらく、音を立てないことにも特化しているのだろう。


 刀の長さからして間合いは短いはずなのだが、彼女は先ほど音も無くカッツェの背後を取ってみせた。その俊敏さを考えると、相手の懐に入って急所を狙う「忍び」タイプの戦士のようだ。

 特徴的に尖った女の耳の形は、エルフ族特有のもの。そして褐色の肌をもち、隠密行動を得意とする種族――ダークエルフ族だ。


「俺はカッツェ。こっちの白いエルフがヴァイス。後ろの小さいのはノエルだ」


 カッツェが、後ろのノエルとヴァイスを軽く指し示す。事を穏便に済ませるため、交渉を始めるようだ。


 落ち着いたカッツェの態度を見て、ようやくノエルの緊張も解けてきた。なにより戦士が間にいてさえくれれば、魔導師は呪文を放って攻撃することができる。今ならもし相手が不穏な動きもしても、充分に対処できるだろう。ただし無駄な争いは避けるに越したことがない。特に、相手が目の前の女性のようにダークエルフの戦士であるならなおさらだ。彼ら/彼女らは、美しくも素早い狩人でもあるのだ。一度狙った獲物は、決して逃がさない―—。


「俺たちは、南部サウス地方に向かっている。そこで最近出没する強力な魔物を倒すためだ。嬢さんと戦うつもりはない。ここを通してくれないか」

「南の地の……魔物……?」


 ダークエルフの女が呟いて、何かを考える素振りを見せた。

 それから顔を上げ、カッツェに向かって尋ねる。


「もしかして、お前達は〈聖杯〉のを知っているのか?」

「嬢ちゃん、聖杯の話を知っているのか。ならば話が早い。俺たちは聖杯の場所を知っている訳じゃないが、今まさにそれを探して旅をしているところだ」


 カッツェの言葉を聞いて、女が少し驚いた表情を見せた。

 そしてわずかな間を置いて発した次の言葉に、今度はノエル達が驚く番だった。


「――私も、聖杯を探している。お前達の行き先に、同行したい」


 *

「待ってください。あなたは何故、聖杯を探しているのですか?」


 ヴァイスが警戒の声音で女に問いただした。女が聖杯の伝説を知っているというのも驚きだが、それを探す理由は何なのか。まさか一人で魔物退治をしようとしているわけではあるまい。もしかしたら、「伝説のお宝」のような安易な発想で聖杯を探してるのかも知れないからだ。

 ヴァイスの問いに、女は無言で左腕を持ち上げると、肩の甲冑をずらしてみせた。


「このしるしを、消すためだ」


 女が見せた左上腕には、複雑な紋様の印が刻まれていた。

 紋様――それはノエルの知識にある「魔方陣」とよく似ていた。

 魔方陣とは、呪文スペルの代わりに複雑な術式を図形や記号で描き、精霊の力を発動させるものだ。魔導術はその場限りで効力を失ってしまうため、一定期間効力を発し続ける必要のあるまじないには魔方陣が使われる。ある部族では、体に紋様を刻んで精霊の加護を強化したり、身に降りかかる災いを予防したりする習慣があるとも聞いたことがある。


 ノエルもいくつか基本的な魔方陣のパターンを勉強したことがあるので、模様を見ればその意味や効力をある程度解釈することができる。だが女の左腕に刻まれた紋様はノエルが見たこともないパターンを描き出していた。

 その印が意味するものとは――


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◆冒険図鑑 No.12:魔方陣まほうじん

 言葉には、魂が宿っている。それは術者の込めた"想い"の力である。

 魔方陣はその"想い"を場に留め、固定する力を持っている。

 近くに魔導師がいなくても特殊効果を発動することができるため、様々な戦略や生活全般に用いられる。術式や紋様には特定のパターンがあるが、組み合わせることで様々な効果を生み出すことができる。

 魔方陣がよく用いられるのは、魔物を寄せ付けないための結界、それに治癒空間や転移門トランスゲートなどである。また、召喚術師が契約する幻獣を呼び出すのにも魔方陣が使われる。

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