レイアとの出会い

第11話 暗き森と黒いエルフ

 南の地を目指す一行は、数日間旅を共にしたトナカイを手放し、徒歩で〈暗き森〉と呼ばれる深い森へと入った。起伏の激しい森の中では、歩いた方が早いと判断したためだ。

 この森は西大陸の中央より少し北よりにあり、北部ノース地方と南部サウス地方を分断するように広がっている。森の一部、南西には火山があり、そこにガルーアたちが巣を作っていた。幸い、今は繁殖期でもないからガルーアと遭遇することも滅多にない。


 *

 木々の根元には落ち葉が積み重なり、柔らかな絨毯じゅうたんとなって男達の行く手をはばんでいた。赤・黄・橙と色鮮やかに散る葉は、見ている分にはたいそう美しい。だが、ひとたび足を踏み入れれば膝までずぶりと埋もれてしまい、進むのはなかなか骨の折れる行程だった。


「はぁ……もう歩き疲れたよ」

「おいおい、まだ二時間も歩いてないぞ」


 早々と愚痴を言い出すノエルに、前を歩くカッツェがやれやれという顏で振り返った。カッツェのように旅慣れた者にとっては、まだ序盤も序盤、ウォーミングアップにもならない距離だった。


「カッツェとヴァイスは、僕よりリーチが長いから! 僕は二人の二倍くらい歩いてる計算になると思うなっ」


 ノエルは伸長差を理由に、ぷりぷりと怒って主張している。同世代の少年よりもやや小柄で背が低い彼は、一足歩くごとに膝まで落ち葉に埋まってしまう。その分、森の中の移動は非常に体力を消耗するのだった。


「まぁまぁ……どこか安全な場所を見つけたら、一度休憩しましょう」

「まったく、近頃の若者は、なっとらんぞ」


 ヴァイスが間を取り持つが、カッツェは溜息をつきながら、呆れたようにひとりごちた。


 *

 ほどなくして適当な休憩場所を見つけた三人は、岩の上に腰掛けて束の間の休憩を取ることにした。


「どうした? 浮かない顔だな」

「いえ……先ほどから誰かに見張られているような気がするのです。でも姿が捉えられない。魔物なら精霊が教えてくれるはずなのですが」


 険しい面持で周囲を見渡しているヴァイス。彼は周囲への警戒を解かないまま、怪訝けげんな顔で眉をひそめていた。


「そうか? 俺には特に何も感じられないが……」

「エルフの耳はヒト族よりも優れています。普通なら、この私の警戒網に引っ掛からない生物などいないのですが。……取り越し苦労だといいんですけどね」


 ヴァイスは少し疲れた様子で息を吐くと、肩をすくめながら緊張を解いた。自分よりも野外での行動経験があるカッツェの言葉に、少しだけ警戒を緩めたようだ。カッツェが特に危険はないと言っているのならば、ヴァイスの取り越し苦労なのかもしれない。ふだんあまり荒野での行動などしないので、単に緊張しすぎているのかもしれなかった。そう結論づけたヴァイスは、自らを奮い立たせるように言葉を続けた。


「さぁ、少し休んだら出発しましょう。暗くなる前に、少しでも先に進まないと」


 *

 だが彼らはヴァイスの懸念をもっと重視すべきだったのだ。

 異変は、突然に起きた。


「――動くな」


 低く響いた声に反応する間もなく、カッツェの視界がぐるりと反転した。

 気付けばその喉元に、冷たい刃がぴたりと押し付けられていた。


(そんな――?!)


 あまりに一瞬の出来事に、カッツェとヴァイスが同時に息を飲んだ。

 熟練した戦士であるカッツェのみならず、エルフ族のヴァイスですらその気配に気付くことができなかったのだ。エルフ族の聴覚は、人族の五倍以上もある。野生の動物をしのぐほど鋭利な感覚だ。何者かに背後を取られるまで気付かないなど、普通であり得ないことだった。



 カッツェの目には、強張こわばった表情のまま固まるヴァイスとノエルの姿が写っていた。

 三人の中で最も高い攻撃力と瞬発力を誇るのは、戦士としての経験が長いカッツェだ。その彼がこうも容易たやすく捉えられてしまっては、他の二人では手も足も出せない。彼らは戦士よりずっと非力な魔導師なのだ。


 パーティーにとって、これは危機的状況である。

 だがカッツェは、自分達の置かれた状況を把握すると、すぐに冷静さを取り戻した。ゆっくりと、利き手と反対の左手を表に向け、頭の高さまで上げる。右手は既に、後ろの襲撃者によって抑え込まれていた。唯一自由になっている左手を挙げたのは、降参の意――そして敵意がないことを示すためだ。


「よぉ物騒だな。こんな森の中に、嬢ちゃん一人か?」


 努めて明るい声を出しながら、カッツェは背後の人物に顔を向けないまま語りかけた。そこにはノエルとヴァイスの二人を心配させまいとする意図も含まれていた。

 自らの真後ろに立つ人物の顔は、カッツェからは見えない。だが先ほど発せられた声は、明らかに若い女性のものだと気付いていた。目の端にちらりと映る細い腕は、褐色でよく引き締まっている。


 そうとうな手練てだれの者だな――とカッツェは考える。背後からきつく拘束する彼女の動作には、一分の隙もない。下手な真似をすれば、躊躇ちゅうちょなく喉元を搔き切られてしまうだろう。


 だが同時に、この女の目的が自分たちの殺害にあるのではないと、カッツェは気付いていた。もし殺害や追剥おいはぎが目当てなら、わざわざ拘束するまでもなく、さっさと一人ずつ殺してしまえばいい。彼女の腕なら造作もないことはわかっていた。それをしないということは、こいつは単なるぞくではない――理由はわからないが、何らかの会話を望んでいるはずだ。少々荒っぽすぎるやり方ではあるが。


 ノエルとヴァイスは固い表情のまま、固唾かたずをのんでカッツェの様子を見守っている。カッツェは二人を安心させようと、「慌てるな」という気持ちを込めて真っすぐ彼らに視線を向けた。ノエルたちも、どうやらその視線からカッツェの揺るぎない自信を読み取ったようだ。


 女は問いかけに答えず、ぐっ、と無言で拘束の手を強めた。

 女の手に握られた刃が冷たく喰い込み、カッツェの喉元に薄っすらと血がにじんだ―—。



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◆冒険図鑑 No.11: 暗き森

 西大陸の中央に拡がる深い森。鬱蒼うっそうと茂る木々のせいで陽の光もあまり届かないため、こう呼ばれている。人の手があまり入っておらず、様々な野生の獣が生息している。魔物も出没するため、森を通り抜ける人間はほとんどいない。

 森を大きく迂回するルートは比較的安全だが、その分時間がかかってしまう。西大陸の北部と南部で人の行き来が少ないのは、この森と、後述の〈巨人の谷〉が邪魔をしているせいである。

 実は大陸を縦断するより船で南下した方が早いのだが、南の地に〈竜の巣〉が現れて以降、その船も利用できなくなってしまっている。

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