1-8
「いらっしゃあいっ」
僕が再び亀浜さしみ店を訪れたのは、翌朝のことである。
店前にいた空は体操着にゴムエプロンをつけて、ブラシでタイルを磨いていた。僕の訪問に弾けるような笑顔を見せるが、僕がクバ笠を外すと一転してむすっと唇を突き出す。
「……なあんだ、ゲロんちゅか。お客さんがよかったなあ」
「悪かったな。あと三鷹春秋だ。何度も言わせるな」
その後ろで流威奈が冷房ケースに肘を乗せ、またもちんびんをかじっている。
「何しに来たの、あんた。またさしみを腐らせに?」
「う……なぜ腐らせたこと知っているんだ。いや、今日は改めて依頼をしに……来ました。僕に取り憑いた悪神を、二人に祓っていただきたく――」
「え~? でも忙しいんだよねえ」
流威奈はだらだらと、ちんびんを食べながら答える。ここは耐える。二人の力が本物だと知った僕に迷いはない――と、軒下に新たな来訪客が現れた。
「失礼。昨夜はお疲れさまでした」
眼鏡に昨日と変わらないスーツ姿の男。役人の田中である。
「障り人は無事、祟り神に関する記憶を消失。今日の午後には島を経つそうです」
亀浜氏に聞いた通り、縁を切られた人と神は、お互いのことを忘れてしまったようだ。
昨夜、亀浜氏に縁を切られて消滅したンブー・イナグは、明確に言えば消滅したわけではないという。人との縁を切られて現世にとどまれなくなったため、神の国へと強制送還されたのだと聞いた。
神も記憶をなくすのならば、もう二度と、あの女子大生を襲うことはないのだろう。
あの女子大生が再び、朱いサンゴを持ち出そうとしない限り――。
「では、今回の神祓い手当です」
「わあい! 待ってました。神祓い手当だぁい好きい!」
田中は取り出した封筒を、バンザイする空へと渡した。
「ええ! ちょっと、私のは?」と冷房ケースの向こうから手を伸ばす流威奈。
「あなたはアシスタントでしょう。わたくしどもとあなたとの間に、雇用契約はございません。ただ、気持ちばかりカサ増しさせていただきましたので、お二人でご相談してお分けください」
「わあ、すごいこんなにっ!?」
早くも封筒から抜き取った紙幣に、空が目を輝かせる。僕はその背後から空の手元をのぞいた。神祓いの相場とは一体いくらなものか――。
仰天した。封筒に入っていたのは、一万円が一枚だけである。
「安っ!」
「半分こでも五千円あるよ流威奈! どうしよう!」
「ええっ、何買う? 〝しらゆきストリート〟でパフェとか行っちゃう!?」
命を張って人を助けて、それでたったの五千円なのか。割に合わないと思うのだが、二人は大喜びである。僕は本当にこんな子どもたちに頼るしかないのか? 再び迷いが生まれたが、やはりぐっと飲み込んだ。頼るしかないのだ。僕はもう、吐きたくはない。
「よし、ならば一人五万ずつ出そう! だから頼む。僕の依頼を優先して受けてくれ」
声高に宣言してみせたが、二人とも怪訝に表情をゆがめた。
「ええー……? さすが
「出たよ出た。これだから金持ちは。なんでも金で解決できると思ってんのさ、きっと」
「くっ……意味がわからない。なぜそこで引くんだ、お子さまどもめっ」
流威奈はいじのわるい笑みを浮かべ、眼鏡を光らせる。
「さしみを腐らせるようなやつは、信用できないねえ!」
「悪かったよ、もう腐らせない。――この、ちんびんに誓おう!」
僕は冷房ケースの上に置かれたプラスチック容器から、ちんびんを一本つまんだ。
食べればのちに吐くことになるが……信用を勝ち取るべく。
二人の見つめる中、得体の知れない〝ちんびん〟なる焼き菓子をかじる。
黒糖の甘い風味が口内に広がって……ああ、めちゃくちゃうまかった。
かりゆしブルー・ブルー 空と神様の八月 角川スニーカー文庫 @sneaker
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