1-7

 タクシーの中で、亀浜氏はンブー・イナグを歌った〝朱浜節〟を訳してくれた。

 空が歌っていたあの沖縄民謡である。


〝エー、夜の浜辺で女は泣いたユルヌ ハマウティ イナグガ ナチヨーン誰も一緒に笑ってはくれないからターン トゥムニ ワラワンクトゥ

〝エー、ただ一人笑ってくれたのはタダチユイ ワラティ クィタセー朱いサンゴの盗っ人だけよアカサングヌスルー ビィケードゥヤル


「〝ンブー〟っては重いって意味の沖縄方言ウチナーグチさ。〝イナグ〟は女。朱いサンゴを盗んだ人におぶさって、汗を流させるわけ。障り人は疲弊して、やがて寝込むことになる」


「それで、どうなるんですか……?」


「ンブーの気が済んだら解放されるけどね。気に入られたなら、死ぬまで一緒さ」


「脱水症状を起こして死ぬんでしょうか……。変死扱いになるのか……?」


「大和で死んだらね。ここで死んだら〝罪死トゥガシ〟ってなるよ。罪人の不名誉な死に方さ。島の人たちだけで使われてる言葉だからね。あまり人の前で言わんよ」


 罪人は罰を受けて死ぬ。まるで死刑だ。いや神による私刑か。

 のどかな島の恐ろしい一面を垣間見たような気がした。


 外灯のない一本道を走っていたタクシーは、ふいに雑木林沿いの路肩へと止まった。

 そこには懐中電灯を持った警察官たちが立っていて、車内の亀浜氏と短い会話を交わしていた。僕たちは雑木林を進む許可を得られたようだ。目的地はその先にある。

 空たちが縁切りの舞台に選んだ〝亀の甲羅カーミヌクー〟とは、赤瓦区にある海岸であった。浅瀬に大きな畳石が敷き詰められており、その石の一つ一つが、五角形や六角形で亀の甲羅のように見えることから、この辺りを亀の甲羅と呼ぶようになったのだという。

 僕は亀浜氏に言われるがまま車椅子を押し、切り開かれた雑木林を進んだ。

 月明かりは厚い雲に遮られ、辺りは暗かった。

 ほどなくして雑木林を抜け、目の前に浜辺と真っ黒な海が広がる。

 僕の身長よりも高い松明が六本、浜辺の上に、六角形を描くようにして立てられている。その中央に若い女がいた。ビキニに上着だけを羽織った姿で、老婆のように腰を曲げていた。その顔色は青ざめている。あれが話にあった、朱サンゴを持ち帰ろうとして祟られた女子大生であろう。障り人だ。

 松明が彼女を取り囲み、あの辺りだけ炎に照らされていて明るい。

 亀浜氏に訊けば、六本の松明は悪神を閉じ込めるためのものだという。

 この世のものでない神様は、あの松明と松明の間を通れない。無理に通ろうとすると、炎に巻かれるのだそうだ。つまり、結界である。ファンタジーである。


 どこから乗り入れたのか、二台の乗用車と一台のバンが浜辺に停車していた。車のそばには、かりゆしウェアを着た中年の男たちが立っている。見学者だろうか。みな口を噤み、緊張感を持って浜辺を見つめていた。

 一人だけスーツを着ているのは、昼間、亀浜さしみ店を訪れていた役人。田中だ。

 そして彼らの視線の先にいるのが、空だ。ツインテールに動きやすい体操着。肩からショルダーバッグをさげていた。

 ざっと辺りを見渡してみたが、例の泥男の姿は見えない。しかし月の隠れた浜辺は思いのほか暗い。岩場の陰や雑木林の深淵に、息をひそめているとも限らない。

 六角形に配置された松明の向こうがわには、流威奈が立っていた。あちらは腰に帯を巻いた空手着である。体操着の空よりも、いくらか気合いの入った戦闘服ではないか。


「……あの眼鏡の子も戦うんでしょうか。花人ハナンチュじゃないんでしょ?」


「花人じゃないが未熟な空を支える盟友さ。わかりやすく言えば、ジャッキーにおけるサモ・ハン・キンポーのようなものさね」


 いやまったくわからない。スマホでウィキペディアを開き検索してみた。ジャッキーとよく共演していた映画俳優のようだ。「動けるデブ」と書かれていた。

 空と流威奈の二人は、松明の外側から女子大生を注視していた。じっと黙ったまま。まるで何かを待っているかのように。空の横顔は真剣味を帯びており、緊張がうかがえる。

 車椅子の押手を握る僕の手にも、汗がにじんだ。

 今すぐにでも泥男の存在を教えてやりたかったが、この張りつめた空気の中で声を上げるのもはばかられた。聞こえてくるのは、寄せては返す波の音だけ。静かだ。


「ンブー・イナグを待っているのでしょか……?」


 亀浜氏は答えてくれなかった。目を閉じて、杖を抱いたままじっと耳を澄ましているかのようだ。よもや眠ってはいまいな? 僕は焦れてつぶやいた。


「なかなか出て来ませんね……。ってか肉眼で見えるものなのかな」


「いるさ」


「え?」と聞き返した僕に、亀浜氏は教えてくれる。


「ンブーは女に取り憑いているんどぅや。女がそこにいるんなら、ンブーもずっとそこにいる。あれは恥ずかしがり屋だからね。その姿を見せるのは、月の光が差すときだけよ」


 一陣の風が吹き、六本の松明が轟と揺れた。

 厚い雲が風に流され、海原に月明かりが差し込む。

 キラキラと水面みなもが煌めきだし、白い砂浜が月光を浴びてぼんやりと輝きだした。

 直後に、バンのそばの見学者たちから、どよめきが上がった。僕もまた、松明に囲まれて立つ女子大生に――女子大生の背負っているものに、目を見張った。

 その背にべったりとおぶさる、奇怪な女。緩く羽織っただけの着流しから、病的なまでに白い肩を覗かせた神様。それはまるで――。


「タコ……?」


 まるでどころではない。その髪の毛は、まんま鈍色のタコであった。月の光を浴びてテラテラと艶めく八本の腕が、うねうね、うねうねと休むことなく動き回っている。

 ファンタジーだ。ふわふわとした奇妙な感覚に襲われる。まるで月明かり差すこの白浜自体が、幻想的な一つの夢であるかのような――。

「ひぃ、ひぃっ!」と自分のおぶっているものに気づき、泣きわめく女子大生。

 タコ足の下からのぞく、真っ青な唇が開いた。

『きいぃぃぃぃいっ――!!』

 耳をつんざく金切り声が、現実であることを主張する。僕や見学者の連中が顔をしかませ耳を塞ぐ中、空はショルダーバッグから裁ち切りバサミを取り出した。


「いくよっ、流威奈っ!」


「ほいさっ」


 二人は同時に足を踏み込み、松明の内側へ飛び込んだ。

 かくして僕は、花人の弟子たちによる〝縁切り〟を目撃する。



 女子大生の背中におぶさったまま離れようとしないンブーに対し、挟撃の陣形で二人は挑む。真っ先に突っ込んでいったのは流威奈だった。足を大きく踏み込んで、前蹴り回し蹴りのコンビネーション。


「空手っ……! って、物理が神に効くのか」


 蹴りを恐れて、女子大生が逃げようとする。その手足に、八本のタコ足がからんだ。ンブーはタコ足を使って、女子大生の体を操作する。涙目の女子大生を、自分の盾となるよう操って動かす。可哀想なのは女子大生である。流威奈の拳や蹴りが目の前に迫るたび、「きゃあ」だとか「いやあ」だとか悲鳴を上げていた。

『きぃぃぃぃぃいいっ!!』

 その背中で、ンブーがまたも奇声を上げた。


「あの笑い声を耳元で聞くと、その夜は夢でうなされるよ。懐かしいさ」


「……取り憑かれたこと、あるんですか?」


「祓ったことがあるのさ。失礼な子だね」


「というか、あれ……笑っているのですね」


「やさ。あれが笑うときは、誰もが耳を塞ぐ。あの神は、いつだって一人ぼっちだわけ」


 女子大生に当たる直前で、流威奈の蹴りや正拳突きはぴたりと止まった。寸止め、寸止めと繰り返し、ンブーが女子大生を前に踊らせたところを、その腰に飛びつく。


「つかんだよ、空っ! 今っ」


 その合図で、ンブーの背後にいた空がショルダーバッグから取り出したのは、サンゴだった。女子大生が盗んだとされる、小さな朱いサンゴの欠片だ。


「こっちだよ、ンブー・イナグ! あなたのサンゴはこっち」


 その声に反応し、ンブーが顔だけで振り返る。

なるほどハァーヤ」と亀浜氏が口の端を釣り上げた。

 なんだ、はあやって。僕には空の意図がわからない。一人で納得しないでいただきたい。


「障り人から祟り人を離そうとしているわけさ。おぶさられたままだったら、縁の糸が見えんでしょう」


 なるほど。二人の目的はンブー・イナグの撃破ではなく、ンブーと女子大生の間にある糸を切ること。流威奈の蹴りや正拳突きは陽動。目的は女子大生をつかんで離さないこと。その上でンブーに空を襲わせ、祟り神と障り人を引き離すこと――しかし。


「――しかし、サンゴに食らいつくんですか……?」


 僕が思い出していたのは、亀浜氏の訳してくれた〝朱浜節〟の歌詞だ。

〝エー、夜の浜辺で女は泣いた。誰も一緒に笑ってはくれないから〟

〝エー、ただ一人笑ってくれたのは、朱いサンゴの盗っ人だけよ〟

 その歌がンブーのことを歌っているのなら、ンブーの欲しいものはサンゴではない。

「やさ」と亀浜氏はうなずく。


「神は動物やあらんど。なんでンブー・イナグが盗っ人に罰を与えるのか。花人は神の声を聞かんといけん。あれは朱いサンゴなんてどうでもいいのさ。サンゴはただの口実。本当に欲しいのは、一緒に笑ってくれる人間の方――」


 ンブーは空の持つサンゴを一瞥しただけで、標的を移したりはしなかった。女子大生にしがみつく流威奈へ、触手のようなタコ足をうねらせる。


「流威奈っ! やばい離れてっ」


「ぎゃ、きも、きもぉっ!!」


 流威奈の体に、次々とタコの足がからみつく。手首に巻きつき腕を取って、足首に巻きつき逆さまに釣り上げる。胴着がめくれてさらされた脇腹に、首筋に、ヌメヌメとタコの足は吸盤を貼りつけていく。

 そしてンブーは宙に浮かせた流威奈を、松明と松明の間に押しつけた。その空間には、見えない結界が張られているはずだ。流威奈が体を体を押しつけられたことで、防壁に沿って光が波打ち、その壁を肉眼でも確認できるようになった。

 発光する防壁から煙があがって、流威奈が悲鳴を上げる。


「んやああああああっ!」


「なんでっ。結界は神にだけ作用するんじゃ!?」


 現に先ほど流威奈と空の二人は、普通に境界線をまたいで松明の内側に入ったのに。


「……あれは結界の仕組みを知っているね。反応しているのは、タコ足の方さ」


「タコの足?」


「流威奈自身は結界をすり抜けても、流威奈にからむタコの足が熱を帯びる。あの子は熱を感じている。発火するよ」


「はっ……か!?」


 流威奈の空手着から黒い煙が上がり、いよいよ小さな炎が上がる。空が助けに走るが、残りのタコ足に阻まれ近づけずにいた。

 寄せては返す波の音に、流威奈の悲鳴が重なった。


「やああああああああっ!」


「亀浜氏っ! 助けに行かないと!」


 しかし亀浜氏はじっと目を閉じて黙ったまま。動く気配はない。遠巻きに見ている大人たちもまた、顔をしかめるだけで、誰一人助けに行こうとしない。

 なんだこれは。「亀浜氏っ! 早く……」このような地獄を前にして、なぜ誰も動かない。――ダメだ、僕は見ていられない。

 車椅子を置いて駆け出した僕の背に氏が叫ぶ。


「あんたに何ができるわけ」


「いや、でも、見てらんないでしょっ。あんな子どもが苦しんでるのに――」


「子どもじゃない。花人どぅや。流威奈も覚悟の上であそこにいる花人の相棒ど。神との渡り歩き方を知らない人間が、手ぇ出したらならん。あんたも神に障りたいわけ?」


「……けど」


「見ときなさい。この島で神と対峙できるのはユタだけ。神に障らず人を助けられるのは花人だけ。神と対峙できるのは、神と全力で遊べるものだけどぅや」


 ンブーの背後に空が迫った。裁ち切りバサミを使って、なんとかタコ足を一本裁ち切る。

 気づいたンブーが振り返り、絶叫を上げた。

『ひぃぃぃぃいいいあっ!!』

 すると氏は、シワを寄せて邪悪とも取れる笑みを浮かべた。


「それでいい。怒らさんね。場を支配さんね。タコじらーぬ醜女しこめでも髪は女の命やさ!」


 ンブーは流威奈を防壁に押しつけるのをやめ、女子大生の体を空へと向ける。

 空は襲いかかってくるタコ足から逃げて、松明の間から防壁の外へ飛び出した。


「うまいぞ、逃げたっ!」


 しかしンブーは、すかさず流威奈を松明の支柱へと投擲した。

 流威奈は松明を倒し、砂の上へ転がる。結界が、破られる。


「うわっうそ! 来たっ!」


 女子大生の足に触手をまとわりつかせ、結界を出てくるンブーを見て、空が逃げ出す。畳石の敷き詰められた浅瀬まで駆けて、バシャバシャと海水を跳ねさせる。


「やだ、来ないでっ。こわっ!」


『きいいぃぃぃぃぃぃぃいっ!』

 女子大生の走るスピードは速くはないが、策が破られ逃げるだけの空は、どう見ても劣勢だ。先ほどまでの勢いはどこへやら。ぐだぐだの展開に、見学者たちも困惑している。

 あのスーツ姿の男などは、首を振ってあからさまな失望を示して――と、それどころではない! 僕は彼らの後ろのバンの上に人影を見つけた。


「よりによって、今かよ……。亀浜氏っ、やつだ!」


 バンの天板に屈み込む、泥にまみれた仮面の男。その手に握られた長い槍。まるでこの時を待っていたかのようにバンの上からジャンプして、砂浜に着地する。そして浅瀬へと駆け出した。ンブー・イナグとの逃亡劇を演じている、空に向かって――。


「やっぱり、他の人には見えてないのかっ」


 駆け出そうとした僕は、手首を亀浜氏がつかまれた。


「待たんね」


 その手を僕は、振り払った。


「かまいませんよ障っても! もうすでに障ってるし。それよりも、目の前であの子が殺されることの方が厳しいです!」


 初めて呪われていてよかったと思った。すでにいなり寿司しか食べられない僕は、ある程度の呪いなら受け止められる……ような気がする。

 砂浜を全力で駆けながら、浅瀬の空に向かって声を上げる。


「空っ! あいつだ、ストーカーが君を狙っているっ」


 距離的には僕の方が近い。泥男が空に接触するよりも早く、僕は飛沫を上げて浅瀬に足を踏み入れる。きょとん、と目を丸くした空の肩をつかんだ。


「空。僕が見たストーカーは神だった。ずっと君をつけていたんだ」


「え、ゲロんちゅ? なんでここに――」


「いるんだ、あいつがっ! 僕には見える。もうすぐそこまで来てる――」


 空の肩越しに、泥男が近づいてくるのが見えた。空の手首を取ったところで、反対側からンブーが近づいていることに気づく。前門の虎、後門の狼。否、どちらも悪神か――。

 空の背後に迫った泥男が槍を引く。そのまま突き刺すつもりだ。

 横に飛び出そうと手を引いた――が、空は抵抗した。


「ははん。心配してくれたんだね」


 言って空はこの危機的状況の中、大きな目を三日月型にゆがめて――笑った?


「ンブーだけを狙って! パーントゥっ!」


 突き出された槍が、僕と空の間を割って通り抜ける。その鋭い先端が突き入れられた相手は、ンブーだった。女子大生におぶさるンブーの肩に喰い込む。

『んぎぃぃぃぃぃぃいいいっ!?』

 耳をつんざく悲鳴と同時に、ンブーの口から大量の墨が吐き出される。まるで煙幕だ。瞬時にして辺りは闇に包まれ、僕は水飛沫を上げて尻餅をついた。

 煙幕が辺りに散ったとき、すぐそばには、月明かりを浴びて立つ空の姿があった。

 背後に槍を構えるパーントゥを従え、逃げて行く悪神を見据えている。


「さあっ。反撃開始だよっ、パーントゥ!」


 言ってにんまり、いたずらに笑った。


「どぅーららあっ!!」


 バシャバシャと水飛沫を上げて、空とパーントゥは同時に駆け出す。

 パーントゥが先行して、女子大生の背におぶさったまま逃げるンブーに迫る。ンブーはタコ足を駆使し、パーントゥの槍をいなしていく。月明かりに煌めく水面の上で、神同士の攻防が繰り広げられる。その少し後ろで、空が裁ち切りバサミを構え、隙を探している。


「……だから、ナメんなって言ったじゃん。ただの中学生じゃないんだよ? 空は」


 呆然とする僕のそばに、焦げてほつれた空手着を着た流威奈がしゃがみ込んだ。

 眼鏡が片面ひび割れているが……復活早いな。


「君は、大丈夫なのか?」


「まあ死にかけたよね。でも大丈夫。花人の相棒ナメんな」


 立ち上がって「せやっ」と正拳突きをしてみせる流威奈。


「けど……あの子の本当の相棒は、あいつなんだよね。悔しいけど」


「……見えてたのか、君たちも」


「もちろん見えてたよー? 見えないふりしてただけ。パーントゥは私たちの……ってか、空限定の味方なの」


 パーントゥの攻撃をさばききれなくなったンブーは、いよいよ女子大生の背中から飛び降りた。パーントゥを恐れ、がむしゃらに浜辺へ駆けていく。

 ふらりと昏倒する女子大生とンブーの間に、月明かりを受けて煌めく糸が見えた。

 あれが、縁の糸……?

「見えたっ!」と空がハサミを開いた。しかし――。シャキン、シャキンと刃を合わせるが、ぐにゃりと糸は曲がるだけで、切れる様子がない。


「あれっ……。切れない。えっ……!?」


「何をやっているんだ、あいつ」


 その間もンブーは浜辺を駆ける。後を追うパーントゥ。しかし女子大生の背を降りたタコ女は、タコのくせに、速かった。ンブーの逃げる直線上に車椅子がある。そこには当然、死にかけた老婆が座っていて――。


「亀浜氏っ! やばいっ。今度はあっちが――」


 僕は立ち上がり浜辺へ駆けた。しまった、氏のそばを離れるべきではなかったか。しかし到底間に合うはずもなく、ンブーは亀浜氏にタコ足を広げる。

 その向こうで亀浜氏が――「やれやれ」……と、ため息をついたように見えた。

 スッと杖をついて立ち上がった氏はその杖を振り上げ、踊るような所作でタコ足をいなす。その一挙動で、流れるようにンブーの足を払った。

 つんのめったンブーの首の後ろに杖を持ち上げ、宙で何かを引っ掛ける。恐らく、糸だ。

 その霊験あらたかなな花人は、縁の糸を指で切る。チョキの形にした指先を、そっと合わせる。ただ、それだけだった。

『ぎああああああああああっ!!』

 瞬間、悲鳴を上げたンブーの体がねじれ、夜の帳に吸い込まれていった。

 それと同時に、無数の花びらが夜空に弾けた。一体どこから湧いて出たのか、亀浜氏の体を見えなくするほどの大量の花弁が氏を中心に渦を巻き、海風に乗って夜空へと舞い上がる。真っ白な花びらが、月明かりを受けてひらひらと煌めいていた。

 その息を呑むような美しい光景は、夜桜を思わせる。南国の海に散る桜吹雪である。

 誰もが言葉を失う中、波間に口を開いたのは亀浜氏である。


「空っ、流威奈っ! 何してるわけ、あんたたちは」


 浜辺に向かって杖を差す亀浜氏。二人は「ひっ」と背筋を伸ばした。


「いつになったら安心して死なしてくれるのかね」


 言って車椅子に深く腰かけ、「まだまだやさ」と言って息をついた。

 パーントゥは、いつの間にか姿を消していた。

 あんなにも大量に舞い上がった花びらも、地面に散ると同時に掻き消えてしまった。

 静謐を取り戻したカーミヌクーに拍手が起こる。見ればバンのそばで、かりゆしウェアの見学者たちが口々に喝采を上げている。

 ただ僕としては、縁切りの余韻が残る浜辺は静かすぎて、手を叩くなど不粋に思えた。

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