第9話 バレた
「み、みんなー!びっくりした?」
僕は園児達に向かって精一杯明るく振る舞った。
「これは先生達のお芝居でしたー!みんなを驚かせようと思って。怖かったかな、ごめんごめん」
僕はそう言って泣いている子の頭を撫でた。
「いまのうそ?おしばい?」
「そうだよ、怖かった?」
不安そうに聞いてくる子が居る一方。
「ぼくはこわくなかったよ!へっちゃらだよ!」
そう強がる男の子も居る。
「そうかー、じゃあ先生達もまだまだだね」
僕はそう言いながら何とか子供達を誤魔化した。
昨日の今日である。
また騒ぎを起こしたとなれば、また保護者達が黙っていない。
「みんなはお絵描きしててね。先生少し違うお仕事してくるから。何かあったら呼びに来て」
「はーい!」
何とか誤魔化した僕は園長を担いだ。
何故なら遥先生は木崎先生が担いでいるからだ。
こんな時に何だが、何か納得がいかない。
まあ、それはともかく二人を再び職員室まで運ばなければ。
途中、他の先生達が何事かと顔を出す。
「いや、ちょっと立ち眩みみたいです。ちょっと休みたいと言うので、二人とも休ませます」
先生達も誤魔化して一路職員室へ。
「はあ」
僕は大きくため息を吐くと園長をソファに寝かせる。
木崎先生は仕方無く、遥先生をその横の床に寝かせた。
朝っぱらからこの調子でドタバタし通しである。
まだ昼前だと言うのに流石にもうクタクタだ。夕べも寝られなかったと言うのに。
「……で、一体何だったんだ」
木崎先生が僕を見る。
「さあ……なんなんですかね」
僕に言われても解る訳無い。
「そうじゃない。君の中に居る悪魔と神様に聞いてるんだ」
意外な言葉に僕は驚いて、木崎先生を見た。
信じるって言うのか。
「勘違いしないでくれよ。僕はまだ信じた訳じゃない。ただ、さっきの君は明らかにおかしかった。君がおかしい事と、園長がおかしくなる事が偶然なのか……」
そこまで言って木崎先生は言葉を濁した。
信じていないと言ったが、『関係がある』と思ってしまったのだろう。
矛盾する答えに自分でも苛立っているのが解る。
だから、もし本当に居るなら出てきて答えてみろと言う事なのだろう。
「……残念ながら私にも解りません」
鶯姫が静かに答えた。
「だがよ、掴まえた感触はしっかりあったぜ。霊的な物とは違って実体があった」
ゲンノウも加わる。
僕の一つしかない口を三人で交互に使っているのだ。
口の中が渇いて仕方がない。
僕はテーブルの上に常に用意されているポットからお茶を湯飲みに注いだ。
ほうじ茶だ。
僕は一口飲むと、ほうっと一息吐いた。
我ながらこの短時間で随分図太くなったなと思う。
やはり木崎先生に吐き出したのが大きかったのかも知れない。
今もこうして鶯姫とゲンノウを交えて話している。
木崎先生が信じているかどうかはあまり関係が無かった。
「となれば、精霊や悪霊の類いとも違う……」
「俺達の同族ってのも違うな。感触がもっと物質的だった」
鶯姫とゲンノウの会話に、僕はふと思い出した。
「そう言えば昔、異次元から得体の知れない存在がやって来るって話を読んだ事がある」
僕は思い出した事をそのままポツリと呟いた。
「異次元の得体の知れない存在?何だそりゃ?」
ゲンノウが反応した。
「子供の頃読んだ話だからうろ覚えだけど、この世界とは別の世界があって、そこから見た事も無い生き物が現れるって話」
僕は記憶を手繰りながら簡潔にそう答えた。
児童向けのホラー小説だったのだろうが、怖くてしばらく一人でトイレにも行けなくなった事を覚えている。
ただの小説だが、今この状況になっては存在してもそれほど驚かない。
だって神と悪魔が居るのだ。
ならば異次元生物だって居ても良いだろう。
「で、そいつは君が握り潰したんだからもう問題は無い、と?」
木崎先生が口を挟む。
だが、確かにそう言う理屈になる。
「正体不明のまま一件落着って事か」
僕は何気無く呟いた。
「……所がそう上手く行くかは解りません」
「どうして?」
鶯姫の意外な言葉に、僕は思わず反問した。
「ゲンノウが握り潰した時に霧となって消えたあれが、死んだ様には思われないからです」
自分の口から飛び出した鶯姫の言葉に、僕は更に自分で驚いた。
まったく我ながらややこしい。
「存在する物には『気配』と言うものがあります。生き物ならば尚更、我々神はそれを鋭く感じられるのです。あれの気配は消えずに霧のまま遠ざかって行ったように感じました」
つまり……どう言う事だ。
潰されて消えたけど、死んではいないって事か。
意味が解らない。
「私にも解りませんが、例えば蜥蜴の尻尾の様に体の一部だったのかも知れませんし、使い魔の様な存在だったのかも知れません。いずれにせよ分身の様な物ならばまだ本体は居る可能性があると言う事です」
鶯姫はそう言った。
正直、相手の存在が謎過ぎてピンとこない。
ただアニメに出てくる悪魔的な存在を思い浮かべた。
少しは想像できたが、うん、気持ち悪い。
沢山目が付いてて、真ん中に大きな一つ目が有って、全身チアノーゼ風の深い紫色で、ヌメヌメしてて、触手が沢山ウネウネしてて、目玉を飛ばして偵察してくる様なイメージか。
僕は想像して背筋が寒くなった。
「まあ、どっちにしろもうここには居ないって訳か。ここに居たのが偶然ならもう僕達には関係が無い。子供達にも危険は無い。一安心だ」
木崎先生はそう言って肩をすくめた。
確かにその通りだ。
その訳の解らない物が何かは知らないが、取り敢えず保育園に平和が訪れたのは間違いない。
「おいはんぺん。あのボール野郎を探しに行こうぜ」
ゲンノウが突然とんでもない事を言い出した。
僕は自分の口から飛び出した言葉に目を丸くする。
「な、何を言うんだ。嫌に決まってるだろ!」
僕は間髪入れずに否定した。
あんな気味が悪くて気持ち悪い物、嫌に決まってる。
しかも人間に取り憑いて暴れるのだ。
危険極まりない。
万が一、これ以上何かに取り憑かれたら僕はもう生きていけない。
僕の体は完全に定員オーバーである。
「まあ、そう言うなよ。な?良いじゃねえか、俺が付いてるんだから平気だぜ」
ゲンノウがしつこく食い下がる。
「まあ、僕にはもう関係が無い。後は君の勝手にしたまえ」
木崎先生はそう言ってノータッチを決め込んだ。
当然と言えば当然か。
「実を言うとな、俺はこの辺りに滅茶苦茶強い波動が有るってんでわざわざ魔界からやって来たのよ」
ゲンノウは事も無げにさらりと言った。
悪魔がそんな込み入った事を人間に話して良いものなのか。
僕は他人事なのにドキドキしながら話を聞いていた。
「それがよお、魔王の野郎よりも強いかも知れねえ奴がこの辺りに潜んでるなんてジノバが言うからよ……あ、ジノバってのは魔界の軍団長やってるヘナチョコなんだが……じゃあそれがどの程度のモンか俺様が見てやろうじゃねえか!ってんで人間界に来た訳だ。お前がついうっかり死にかけてるから、体を貰おうと思ったんだが、まあ後は知っての通りよ」
こいつ、重大な事を幾つもさらりと言ったな。
何から問い質せば良いのか、僕は逆に口ごもった。
「そんな理由で人間界に……」
鶯姫が呆れたような声で言った。
「うるせえ!良いじゃねえか。俺より強い奴なんぞ居る訳ゃ無いが、居ないなら居ないで退屈なんだよ。何千年も雑魚の相手しか出来ねえんだぞ。もう魔界に興味はねえ、こうなったら後は天界に殴り込みに行くしかねえって思ってた所だ。丁度良かったんだよ」
僕はやっと自分の口の発言権を取り返した。
「丁度良かったじゃ無いだろ!アホ!馬鹿!ヤンキー中学生か!誰が誰より強くても関係無いだろ!こんな事で僕の体を使いやがって、僕の体を返せ!」
僕は一気に捲し立てた。
「何だとこの腐れ人間風情が!捻り殺すぞ!」
「殺れるもんなら殺ってみろ!その時は君も死ぬんだぞ!馬鹿!」
「あ、こいつまた馬鹿って言いやがった!」
木崎先生は呆れた顔で僕を見ていた。
演技にしろ、本当にしろ、一人で喧嘩する光景を見るのはさぞ珍しかったに違いない。
「確かに半平が危険な目に遭う事には反対ですが、ただそんなに危険な存在なら放置しておく事もまた危険。その存在を見極める事は必要かも知れませんね」
鶯姫が言い争いに割って入った。
「ほら見ろ。お前ら人間の大好きな神様もこう仰ってるぜ」
ゲンノウが邪悪な笑みを浮かべながら言う。
勿論、邪悪な笑みを浮かべたのは僕の顔でだ。
「あれがもし別に本体が居るとすれば、どれ位の人間が犠牲になるのか想像もつきません」
鶯姫の言葉に僕は思わず唾を飲み込んだ。
あんなボールサイズで園長を怪力に変えたのだ。
本体がどんな物かは知らないが、あれよりショボいと言う事は無いだろう。
普通に考えればもっと強力な力を持っていると考えるべきだ。
「……でも」
それでも僕は口ごもった。
やっぱり怖い、嫌だ。
喧嘩もした事が無いのに、ましてや正体不明の物体Xと対峙するなんて想像もつかない。
ゲンノウの事だ。対峙するだけでは済む筈がない。
必ず戦おうとする筈だ。
それだけは絶対に嫌だった。
「嫌だ」
僕ははっきりとNOを突き付けた。
仮にそんな化け物か怪獣が相手なら、それを倒すのは警察か自衛隊の仕事だ。
少なくとも保父の仕事ではない。
「大丈夫だ。俺がぶっ飛ばしてやるからよ、何の心配も要らねえって」
ゲンノウが食い下がる。
嫌だと言ってるのにしつこい。
まあ、悪魔だし。
「我々の力は今、ほとんど出せませんよ。お忘れですか」
鶯姫が言った。
「貴方が如何に力自慢であろうとも、お互いに力の大部分を封じられた今の状況では必勝とはいかないのではありませんか。ましてや魔界の長と同等の強さを持つと目されているのでしょう?」
「それは……」
初めてゲンノウが口ごもった。
流石は鶯姫様。
これでゲンノウも諦めざるを得ない。
「こんな時こそ、みんなで力を合わせましょう!」
突然大きな声が会話に割り込んできた。
驚いて声の方向を見る。
「は……遥先生!?」
そこにはいつから気が付いていたのか、遥先生が起き上がって両の拳を握り締めていた。
「山田先生!お話は伺ってました!私も協力しますから是非、力を合わせて怪物をやっつけちゃいましょう!」
話を聞かれていたのか。
どこからだ?最初からか?
僕は遠くで耳鳴りがしていた。
「まさか山田先生の身にそんな事が起こっていたなんて……なるほど納得です」
遥先生は一人頷いている。
納得?一体何に納得したと言うのか。
「昨日の山田先生からずっと、山田先生っぽくなかったですもんね!」
僕はギクッとした。
止めて下さい。もうその件は触れないで。
「だって突然私の肩を掴まえて愛……」
「わー!わー!わー!」
僕は慌てて遥先生の発言を掻き消した。
なんて事を言い出すんだ、この人は……。
やはりちょっと天然なのは間違いない。
「とーにーかーく!」
急に遥先生は大きな声を出した。
「この町のピンチにじっとしているなんて出来ません。この町は私の大好きな故郷なんですから」
そう言って遥先生は僕の目をじっと見た。
僕はドキッとする。
「鶯姫様ですね。いつもこの町を見守って下さって有り難うございます」
遥先生はそう言って僕の手を握り、深くお辞儀をした。
「いや。俺ぁゲンノウだが?」
遥先生がずっこけた。
「ゲンノウさんね。悪魔は怖いけど、見た目は山田先生だし鶯姫様も一緒にいらっしゃるから今は怖くないわ。あんまり山田先生を困らせないで下さいね」
遥先生はそう言ってニッコリ笑うと、僕の手をブンブンと振った。
「大丈夫!みんなで力を合わせればきっと怪物もやっつけられます!みんなでこの町を守りましょう!」
……やっつける前提で話が進んでいる。
それ以前にこんな現実離れした状況を全て受け入れている事に驚く。
「面白れえ女だな」
ゲンノウが呟いた。
「仕方がない。僕も力を貸そう」
何故か急に木崎先生がやる気になっている。
そう言うのは困る。今は反対派が欲しいのに。
「木崎先生……だってさっき」
僕は困った様に木崎先生に詰め寄った。
「遥先生を危険な目に会わせる訳にはいかない。僕も付き合う」
木崎先生の目には決意めいた物が見てとれた。
みんな、一番危険な目に遭うのは僕だと解ってるのだろうか。
「では、戦うかどうかはともかく正体を見極める事はしましょう」
鶯姫は静かにそう言った。
「山田先生、木崎先生。一緒に頑張りましょうね」
遥先生の言葉に僕は複雑な心境で頷いた。
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