第8話 謎の物体X

 僕は警察が来るまで職員室に居た。

勿論、木崎先生と園長も一緒だ。

捕まえた暴漢はガムテープでグルグル巻きにされ、部屋の隅に横たわっている。


 木崎先生は顔を氷嚢で冷やしている。

出血も止まったようだし大事に至らなくて何よりだ。


 しばらくすると警察がやって来た。

僕らは暴漢を引き渡すと共に、事情聴取を受ける。

他の先生方も目撃している事だ。

正当防衛は間違いない。


 あれこれ聞かれたが、状況からも僕らに落ち度が無いのは明白だと言う事で、警察は早々に暴漢を連れて帰って行った。


「ああ恐ろしかった!木崎先生と山田先生が居てくれて本当に良かったわ。どうもありがとう」


 園長はそう言って頭を下げた。


「いえ、子供達に被害が無くてなによりでした」


 木崎先生はそう言って笑った。

こう言う大人な受け答えもさらりと出来る所が木崎先生のスマートな所だ。

一歳しか変わらないとは思えない。


 単に僕が情けないだけなのだろうが。


 園長は父兄らへの対応を考えると言って、しばらく話すとすぐに何処かへ行ってしまった。


「ずいぶん喧嘩慣れしてるんだな」


 沈黙が訪れて気まずいなあと思っていた所に木崎先生が口を開いた。


「え?あ、あれは……ええと……」


 僕は口ごもる。

自分でも良く解らないのだ。

突然、訳もなく涙がこぼれる。


「何だ?泣いているのか君は?」


 木崎先生が僕の涙に気付いて驚いた。

僕は思わず、この自分の身に起こった理解不能な出来事を口走った。


『ちょっと!お待ちなさい!半平!』


 頭の中で鶯姫の声がした。


『別に良いじゃねえか、いざとなりゃあぶっ殺せば済むこった』


 ゲンノウが相変わらずな意見を述べる。


 僕は不安だったのかも知れない。

独り暮らしで、家族も友達も居ない。

誰にも相談する事も出来ず、怪奇現象に振り回される事に無意識の内に過剰なストレスがあったのだと思う。


 木崎先生は僕をどういう訳か嫌っている。

これ以上軽蔑されても笑われても、最初から嫌われているのであればあまり関係が無い。

そう言う部分が逆にぶっちゃけ易かったのかも知れない。


 僕は今までの事を一気に話した。

話し終えた僕は肩で息をする程だった。

そのくらい全てを吐き出すように話したのだ。


 全てを聞き終えた木崎先生は無表情で僕を見ていた。

信じてくれただろうか。

普通に考えれば、信じる者など居る訳が無い。

だが、信じてもらいたくて話したのでは無い。

僕が話したかったから話したのだ。


 例え信じてくれなくても、相手が木崎であればどっちでも良い。いや、どうでも良い。

何とも自分勝手な理由である。


「……それを僕に信じろと言うのか」


 木崎先生は静かに言った。


「確かに君の喧嘩強さには面喰らったが、それが自分の意思じゃ無いと?」

「……僕の意思じゃ無いです。きっと僕はおかしくなってしまったんです」


 僕は疲れ果てて、力無く答えた。

木崎先生は呆れた様にため息を吐く。


「幻聴かと思ったら本当に神様と悪魔が自分の中に入っていた、と?」


 僕は涙を拭いながら黙ってコクリと頷いた。


「そんな馬鹿な」


 木崎先生はそう言って鼻で笑った。

やはり信じてはくれない。

当たり前だ。

別に何かを期待していた訳では無い。

僕は特別落胆したりはしなかった。


「じゃあ、その悪魔をここへ出して見せろ」


 木崎先生が言う。

そんな事を言われても僕が操っている訳では無い。

どちらかと言えば僕の方が操られているのだ。


「僕の意思では無理ですよ、彼らは勝手に自分の意思で行動していますから……」

「ふん。なるほど、良く出来た設定だな」


 木崎先生が馬鹿にした様な口調で言う。

明らかに軽蔑している顔だ。


「……彼らとは何ですか。半平。私は勝手に自分の意思で行動などしていません。こんな悪魔と一緒にしないで下さい」


 突然、例によって僕の口から鶯姫の言葉が飛び出した。

僕は慌てて口を押さえる。


 木崎先生の目が見開かれている。

こっちを驚いた顔で見ている。

僕は首を横に振った。

違う、僕の言葉じゃない。


「なぁにが一緒にするなだ。そりゃあこっちのセリフだ。大体てめえだってさっき勝手に力を使って人間の牝どもを魅了してたじゃねえか」


 今度はゲンノウだ。

駄目だ。僕がどんなに抵抗しても、二人の行動を止める事は出来ない。


「さっき……?」


 木崎先生が反応した。

母親達が僕に対する反応を急に変えた事をゲンノウは言っているのだ。


 木崎先生の表情が変わる。

何かに気付いた顔だ。


「まさか……本当に?」


 木崎先生が疑う様に僕を見ている。


「おいお前。俺だって出られるモンなら出てえんだよ。けどこうなっちまったモンはしょうがねえ。出られるまではこのドン臭え男が俺の入れ物なんだよ。こいつに何かしてみろ……マジでぶっ殺して豚の餌にしてやるからな」


 今度はゲンノウである。


「……え、演技力もあるんだな。一瞬驚いてしまった」


 木崎先生はギリギリの所で信じなかった。

まあ、これで良かったのかも知れない。

木崎先生にはこれからより一層馬鹿にされるかも知れないが。


きゃあああああ!


 突然、悲鳴が聞こえた。

遥先生の声だ。


「遥先生!」


 僕は瞬間的に立ち上がった。


「なに!?」


 木崎先生が立ち上がった僕を見上げた。

そんな事には少しも構わず、僕は脱兎の如く駆け出していた。


 間違い無い。あれは遥先生の悲鳴だ。

この僕が聞き間違える筈が無い。


 職員室を飛び出し二階の桜組の教室へと向かう。

階段を三段ずつ駆け上がる。

我ながら速い。


 後ろから木崎先生も着いてきているが、圧倒的に僕の方が速かった。


 桜組の教室へと駆け込んだ僕は、目を疑った。


「え、園長先生……何を……」


 目の前では園長が遥先生を両手で持ち上げ、首を締め上げていた。

遥先生の両足が床から浮いている。


 信じられない。なんて馬鹿力だ。

プロレス技のネックハンギングツリーだ。


いくら華奢な女性とはいえ、持ち上げている園長もまた細身の女性である。

しかも五十代半ばだ。

とても人一人を吊し上げられる力が有るとは思えない。

だが実際に園長は遥先生の首を掴まえて、頭上高く持ち上げている。


「園長先生!何をしてるんですか!」


 僕は咄嗟に園長に掴み掛かった。

何とか止めさせようと必死に抑え込もうと試みる。


 だが、びくともしない。

信じられない怪力である。

園児達は異常な光景にすっかり怯えていた。

中には泣いている子も居る。


「園長先生!」


 遅れて駆け付けた木崎先生が、光景を目の当たりにして叫ぶ。


「山田先生!」


 木崎先生が僕に加勢する。

二人掛かりで園長を抑えるが、それでもびくともしない。


「何なんだ、この力は!?」


 木崎先生が必死に食らい付きながらも、園長の常識はずれの怪力に焦っているのが解る。


「……これはさっきの中身だな。この人間じゃねえ」


 ゲンノウが意味ありげに言う。

と言っても、例によって僕の口を使ってだ。

木崎先生が驚いて僕を見た。

僕は慌てて首を横に振った。

自分の言葉じゃ無いと言う意味だ。


「何だよ、どう言う事だ!」


 木崎先生が理解したのかどうか解らないが僕に尋ねた。


「解らねえか?さっきの男の中身だよ。今度はこのババアに取り憑いたって訳だ」

「園長をババアって言うな」


 僕がゲンノウに突っ込んだ。

ゲンノウはふんっと鼻を鳴らした。


「だがこいつは何なんだ?こんな真似が出来るのは限られているが、感じる気配は知ってる物のどれとも違うな……」


 そう言ってゲンノウは訝しんだ。


「私にも解りません。神でも悪魔でも無い。霊的な物とも思念の様な物とも違う。何か生き物の様な感じがしますが……」


 今度は鶯姫が言った。

結局正体不明の何かって事らしいが、こんな生き物は聞いた事も無い。

そんな得体の知れない『何か』に取り憑かれた園長に、僕らは今抱き付いていると言う訳だ。

考えてみれば普通に気持ち悪い。


「何か方法は無いのか!信じられない力だ、このままでは遥先生が死んでしまうぞ!」


 木崎先生が必死に園長を掴まえながら言う。


「そう言われてもな……」


 ゲンノウが珍しく口ごもる。


「何だか解らねえのにどうしろってんだ。殺しても良いなら簡単だが」

「良い訳無いだろ!」


 助ける為に殺したんじゃ、本末転倒だ。


「お前、段々慣れて来たな。お前は知らねえだろうが、こう見えても俺は魔界じゃ魔王も怖れる……」

「そんな事はどうでも良いから!」


 僕はゲンノウの自慢話を斬って捨てた。


「チッ、この野郎……」

「上手くいくか解りませんが、私がやってみましょう」


 ぼやくゲンノウを遮って、鶯姫が言う。

流石は神様だ。悪魔なんかとは違う。


「お、おい。山田先生。君、光ってるぞ……」


 木崎先生が僕を見てギョッとする。

確かに僕の腕や体が光を放っている様に見える。


「山田先生!君、後光が差してる!」


 木崎先生が叫ぶ様な声で言った。

後光が射してる?そんな馬鹿な。


 ふと見ると、園児達がみんな僕を不思議そうな目で見ている。


「ああああ!」


 そこで突然、園長が苦しみだした。


「ゲンノウ、もっとしっかり押さえ付けなさい。追い出す前に、絞められてる女性の方が死んでしまいます」

「うるせえ!やってるよ!俺に命令するんじゃねえ!」


 苦しさからか。

園長はもがきながら口から泡を噴いていた。


「園長先生!気をしっかり!」


 木崎先生が園長に必死に呼び掛ける。


「ああああああああ!」


 叫ぶ園長の口から何か黒い物が現れる。

結構大きい。ソフトボールくらいの大きさだ。

それがゴムの様にグニャグニャと形を歪ませながら園長の口の中から這い出て来る。


「な……何なんだ、これは」


 木崎先生が呆然とそれを見つめる。


「ゲンノウ、それを捕まえなさい」


バシュッ!


「あ?もう殺しちまったけど?」


 ゲンノウは鶯姫が言うのと同時にそれを握り潰していた。

潰れたその黒い『何か』は、霧のように細かな粒子になって僕の……いや、ゲンノウの指の間から消えていった。


「……何と言う事を」

「結局正体不明じゃないか……」


 僕と鶯姫は落胆した。


「まあ、良いじゃねえか!問題は解決したんだからよ!これでババアも一安心って訳だ!」


 ゲンノウがそう言った瞬間、ババア……もとい園長は崩れ落ちた。

そして遥先生も。


「遥先生!」


 僕は慌てて遥先生を受け止めようとする。


ガシッ!


 遥先生の華奢な体を受け止めたのは、木崎先生の腕だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る