第7話 闖入者

 一体何が起こったのか。

一昨日から訳の解らない事ばかりである。

やはり頭を打った後遺症だろうか。

流石に心配になってくる。


「おい……一体何をしたんだ……」


 木崎先生が力の無い声で静かに言った。

そんな事を言われても困る。

一番困惑しているのは僕自身だからだ。


「金もコネも無く、顔もイマイチでどん臭くてモテないモブキャラの君が、どうして!?」


 木崎先生は息継ぎ無しで一気に捲し立てた。

いくら本当の事でも、本人に面と向かってここまで言うのか。

いっそ清々しい。


「さ、さあ……」


 僕はそう返すのが精一杯だった。

我ながら情けないが、説明して欲しいのはこっちである。


「見てろ、必ず君を追い出して見せるからな!」


 僕がまだ狐につままれたままだと言うのに、木崎先生はそう言うと僕を指差した。

嫌われているのは知っていたが、ここまで敵意を剥き出しにされる理由が解らない。


「……お、追い出したかったんですね」

「ああ、追い出したかったんだよ。実に残念だ」


 木崎先生が前髪を掻き上げる。

しかし随分ハッキリと言ったな。

こんな意地悪な台詞をこうもカッコ良く言える人も珍しい。

僕はちょっと感心していた。


「これ以上君に時間を使いたく無いんで失礼するよ」


 木崎先生はいつもの木崎先生に戻っていた。

それだけ言うと木崎先生もさっさっと応接室から出て行った。


 とにかく僕も教室に行かなければ。

クビにならなかった以上、仕事はいつも通りあると言う事だ。


 僕はパタパタと廊下を急いで、もも組へ向かった。


「はんぺん先生おそーい!」


 教室へ入るなり子供達の声に迎えられた。

見れば園児達が男女ペアで仲良く座っている。

見慣れない光景だ。


「みんなどうしたんだ?いつもと席が違うぞ」


 僕は不思議に思って園児達に問い掛けた。

男女ペアで座る席順は、お楽しみ会やお誕生日会などレクリエーションのある時の座り方である。


「だって仲良くした方が良いって、はんぺん先生が昨日ゆったー」

「好きな女の子を横に座らせたのー」


 園児達が口々に理由を挙げた。

確かに昨日の僕はそんな事を言っていた。

ただ僕の意思では無かったが。


 毎度、子供達の素直さには驚かされる。

大人の僕が乗り越えられない壁を、易々と乗り越えて来るのだ。


 僕にもそれが出来ていれば、今頃とっくに彼女の一人や二人は居ただろう。たぶん。


「はんぺん先生も遥先生に好きってゆったんだから、優しくしなきゃメーだよ」


 建斗の横に座った心美ちゃんがそう言った。

僕は内心ギクッとする。


 思い出したくない。


 あれは僕であって僕じゃ無い。

昨日の光景が思い出される。

だが冷静に考えてみれば、あんなに遥先生に接近したのは初めての事である。


 両肩を手で掴んでいた。

手のひらに温もりが甦る。

僕はじっと自分の手のひらを見た。


 ま、まあ、とにかく仕事だ。

今は就業中である。

僕は頭を振ると気持ちを切り替えた。


 席順はもうこのままで良いだろう。

午前中はお遊戯の練習だ。

もうすぐお遊戯会がある。

保護者達が園児達の練習の成果を見に来るのだ。


 「大きな栗の木の下で」と「どんぐりころころ」。

保育園の定番中の定番だ。

僕が保育園生だった頃から変わっていない。

たぶんもっと昔から変わっていない筈だ。


 もっとポップな曲を踊る所も多いが園長の方針なのか、うちは童謡を踊る事になっている。

まあ、珍しい事では無い。


「さあ、みんな立って。大きな栗の木の下でを大きな声で歌ってみよう」


 僕はそう言うとオルガンの前に座った。


「いくよー。1、2の、3、はい」

「おーきなくりのーきのしたでー」


 園児達が元気良く歌い出す。

振り付けもバッチリだ。


『子供は可愛いですね』


 鶯姫の声が聞こえた。


『ケッ。ガキのお守りなんてしてられるかよ。はんぺん、早く終らせろ。出掛けてえ』


 ゲンノウが横からつまらなさそうに文句を言う。


『無茶言うな。せっかくクビにならずに済んだのにそんな事出来るか』


 僕も負けじと心の中で突っ込んだ。

ようやくこの状況にも慣れてきた。

幻聴と掛け合いをする余裕もある。


「山田先生!」


 唐突に遥先生が駆け込んで来た。

僕は3㎝ほど椅子から飛び上がった。


「は、遥先生……!?」


 僕は万引きを見付かった子供の様に、口と目を見開いて固まった。

恐らくアホ丸出しの顔である。

だって、まだ心の準備が出来ていない。

なんせ昨日の今日である。


「あ、ああ、あの……き、昨日は……」


 これが動揺ですよと、まるでお手本の様に動揺しながら口を開く。

上手く言葉が出てこない。


「急いで来て下さい!木崎先生が!」


 そんな僕の様子にはお構い無しに遥先生が叫んだ。

僕は遥先生のただならぬ様子に、何か緊急の事態が起こっている事を察した。


「木崎先生がどうしたんです?」


 僕はオルガンの前から立ち上がると遥先生に向かった。


「とにかく来て下さい!大変なんです!」


 遥先生の表情は恐怖と焦りが混じった様な顔だ。

それでも可愛い事は言うまでも無い。


 僕と遥先生は急いで階段を駆け下りる。

そして表へと出た。

そこで僕は、あっと息を呑んだ。


 木崎先生が顔を手で押さえて立ち上がる所だった。

指の間から血が流れている。

鼻血だろうか。出血しているのは間違いない。


「一体どうしたんです!?何事ですか」


 僕は木崎先生に声を掛けた。


「……山田先生か。君じゃどうにもならんよ。早く警察を呼んでくれ」


 警察を?

僕は木崎先生の前に誰かが立っている事に気付いた。


 見掛けない男だ。

チェック柄のシャツにカーゴパンツ、スニーカー。

20代半ばくらいに見える。

その男の拳に赤い色が着いている。


 あれは……血か。

僕は木崎先生を見た。

鼻を押さえた指の間から血が見える。

木崎先生の鼻血が男の拳に付着しているのか。


 不審者。

いや、もう不審者では無い。

木崎先生を殴ったのだとすれば暴漢か。


 僕は心臓が大きくドクンッと脈打つのを感じた。

ヤバイ。怖い。


 自慢じゃ無いが僕は喧嘩とは無縁の人間である。

暴力を奮う人間が大嫌いだし、とても怖い。


 自然と手が震え出す。足も震えている。

それを木崎先生は直ぐに見抜いた。


「山田先生、良いから君は下がっていろ。そして警察を早く呼べ」


 木崎先生は怒鳴るように言った。

他の先生方も遠巻きに見ているだけである。

この保育園には僕と木崎先生の二人しか男は居ない。

他は園児か保母だと言う訳だ。


 他の保母がスマホで電話をしているのが見える。

恐らく警察にかけている筈だ。

となれば、もう僕に出来る事は何も無い。


 木崎先生もああ言っている事だし、僕はこの場を離れても問題無いだろう。

そう思った瞬間、視界に遥先生が入った。

不安そうな顔で僕を見ている。


 そんな目で僕を見ないで。

僕は何とも言えない気持ちになる。

一体どうすれば良いんだ。


 くそ、大体こいつは誰なんだ。


『なんでえ。はんぺん、おめえやらねえのか?』


 ゲンノウの声がする。


『……やるって、何を?』

『んなもん決まってんだろ。こいつをぶちのめして男を上げるチャンスじゃねえか。そうだろ?』

『無茶言うな。僕は喧嘩なんかした事も無いし、暴力は嫌いだ』

『カアーッ。情けねえ野郎だな、それで良く牝を自分の物にしたいと思えるな』


 僕の心にゲンノウの言葉が突き刺さる。

無意識に遥先生を見る。

泣き出しそうな顔で僕を見ている。

やめて、そんな目で僕を見ないで。


『……この者。何か妙です』


 鶯姫が割って入った。


『妙?何がだ?』

『……人ならざる者の気配を感じます』

『人ならざる者ぉ?同業者じゃねえのか?』

『もしそうなら直ぐに解ります。それに神仏はこの様な暴力行為をしません』

『ケッ、どうだか。神にも色んなのが居るからなあ。戦いを司る奴とか居るじゃねえか』

『戦神が一人の人間を個人的に殴るなんて真似はしません』

『あー、そうかよ。神の方が俺達悪魔より多く人間を殺しているんだがね』


 ゲンノウが吐き捨てる様に言った言葉に、鶯姫は何も答えなかった。


『おい、はんぺん。俺が力を貸してやらあ。こいつをぶちのめせよ。てめえのお気に入りの牝に良い所を見せてやれ』


 ゲンノウが囁く。


『……遥先生を牝って言うな』

『んな事ぁどうでも良いんだよ。ほら、やろうぜ。体の主導権をコッチに渡せ』

『無茶言うな。幻聴にどうやって体を渡すんだ』

『おめえまだそんな事言ってんのかよ。俺達は幻聴じゃねえ。よし、証拠を見せてやる』


 ゲンノウはそう言うと僕の口を操った。


「待てよこの野郎。俺のシマで勝手してんじゃねえよ」


 僕は慌てて口を押さえた。

だが、遅かった。

男の視線、木崎先生の視線、遥先生の視線。

それらが一斉に僕へ向けられる。


「……」

「……君は何を言ってるんだ」

「山田先生……」


 保育園は別に僕のシマ等では無い。

「職場」と言う意味で言うなら間違いでは無いが、そんな風に好意的に受け取ってくれる人はいないだろう。


「馬鹿な、君は下がってろと……」

「解った解った。もう良いぞ、ご苦労。後は俺に任せろ」


 木崎先生を押し退けて僕は前へ出る。


 何故だ。

口だけで無く、体まで勝手に動いている。

これは、本当にゲンノウがやっているのか。

ゲンノウは僕が作り出した幻聴じゃないのか。


「おら、掛かって来やがれ。ぶちのめしてやらあ」


 ゲンノウは嬉しそうに言った。

……僕の口で。


 何だか目眩がする。

これは本当に僕がやっている事なのか。

とても現実とは思えない。


 チラリと二階へ目をやる。

塀の隙間からもも組の園児達がコッチをじぃっと見つめているのが見えた。


 とにかくこの暴漢を中へ入れる訳にはいかない。

子供達に近付けさせる訳には。


 暴漢はキャップのツバから目を覗かせた。

影の中から白く光る目が僕を見ている。


 なんて目だ。

人間らしい理性を感じない。

動物の様な眼差し。


ダッ!


 暴漢は突然飛び出した。

何の前触れも無く。

大振りのパンチが僕の顔面に叩き込まれる。


 驚いた僕は咄嗟に顔を両手で覆う。

まるで女子の様だ。


 だが、それは僕がそう思っただけに過ぎなかった。

実際には違っていた。

僕は、と言うよりもゲンノウは、僕の代わりに巧みに体を操った。


 ひょいと軽く首を傾げると、いとも容易くパンチを交わした。


「人間風情があんまり張り切るんじゃねえよ」


 ゲンノウは小さく呟きながら、懐に一歩進んで膝蹴りを見舞った。


 暴漢はくの字に体を曲げる。

下がった頭部、丸見えの頚椎、ゲンノウはそこを目掛けて肘を打ち下ろした。


ドサッ


 まるで時間が止まった様に感じた。

誰も声を上げなかった。

動きもしなかった。

あんまり静かすぎて、暴漢と僕以外居ないんじゃないかと錯覚しそうになる。


「山田先生……」


 ややあって、遥先生がようやくそれだけ口にした。


『チッ、もう終わりかよ。はんぺん、後は任せたぜ』


 ゲンノウはもう興味を無くしたとばかりにそう言うと、体を僕に返した。

そんなの困るのに。

どうするんだ、これ。


 困り果てた僕は、横目で倒れた暴漢を見た。


 その時。


 うつ伏せに倒れた暴漢の影から、別の影が分離した。

僕はギョッとした。


 ソフトボール大だろうか。

影から分かれたその影は、ネズミの様に走ると建物の影に溶け込むようにして消えた。


「なんだ今の……」


 本物のネズミの見間違いか。

僕は遥先生の方を見た。

遥先生は心配そうに僕と暴漢を交互に見ている。


 木崎先生の方にも視線を移す。

同じく木崎先生も僕と暴漢を交互に見ていた。


「……山田先生、早くそいつを縛り上げた方が良い」


 木崎先生はそう言うと暴漢に歩み寄った。

首の後ろに肘打ちが見事に決まった。暴漢は完全に気を失っていた。


「まさか山田先生があんなに強いとはね……意外だったよ」


 木崎先生はそう言うと遥先生に、ガムテープを持ってくる様に言った。


 誰もアノ影を見ていない?

僕は木崎先生と遥先生の反応を見て、二人がアノ不思議な影を見ていないのだと思った。


 やっぱり僕の見間違いなのか。

そうこうする内に遥先生がガムテープを持って走って戻ってきた。


 木崎先生はそれを受け取ると、暴漢をガムテープでグルグル巻きにする。


「これで警察が来るまで一安心かな」


 木崎先生はそう言うとゆっくりと立ち上がった。

そうして僕の方を軽く振り向くと、忌々しそうに僕を一瞥して去って行った。


「はんぺん先生ー!」


 子供達の声が聞こえた。

見上げると二階の塀の隙間から子供達が僕に手を振っていた。


 何とか大きな被害にならずに済んだ。

僕は子供達の笑顔を見て、あらためて安心した。


『さっきの影……気になりますね』


 鶯姫がそう言った。

僕はギクッとした。

見間違いじゃないのか。

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