第3話 生死の葛藤
魔界から地上へと、一っ飛び。
悪魔ゲンノウはあっと言う間に人間界へと辿り着く。
空から地上を眺め、流石のゲンノウも大きく息を呑んだ。
かつて見知った人間の世とは似ても似つかぬ光景だ。
「驚いたぜ。人間の発展のスピードってのはこれ程の物か」
建ち並ぶビルや行き交う車を見て、いや、何より人間の多さに圧倒された。
「おっと、とにかく体を調達しねえとな。このままじゃ半日もたねえ」
ゲンノウは冷静さを取り戻すと、地上で活動するのに適した体を探し始めた。
ただの人間では駄目だ。かと言って死んでてもいけない。
生きてるが死にかけて弱っている体が必要だ。
元気な体は悪魔が入るには抵抗が激しく、下手すれば死んでしまう。
死体には入れても生き返らせる力は無い。
死後硬直や腐敗が直に始まり、人間に混じって活動する事は出来ない。
生きていて、尚且つ抵抗が出来ない程弱っていなくてはならない。
まあ、そんな都合の良い物件はそう簡単には落ちては居ないが、これだけ人間が多ければ昔に比べて多少は探しやすいだろう。
ゲンノウは空から地上をジッと見つめた。
「居た!あれだ!」
目ぼしい体を見つけたゲンノウは目標目掛けて急降下する。
そこにはトラックに跳ねられて、もう間も無く息を引き取ろうとしている男の体が有った。
肉体の損傷が酷い。間違いなく死ぬな。
ゲンノウは打ってつけの肉体に思わず小躍りした。
肉体に入って、先ず傷を治す。
それから人格を奪い完全に自分の物にする。
簡単である。
トラックの運転手が倒れている男を棒立ちで見つめていた。
或いは女が子供を抱き寄せながら、泣いている。
どう言う状況かは知らないが、ゲンノウにとっては知った事では無い。
早い者勝ちだ。
「あらよっと!」
真っ黒な影の様な状態になると、ゲンノウは男の体へと入って行く。
ほんの一瞬の出来事である。
周りの誰も気付かなかったに違いない。
「クックックックッ。良いタイミングだったぜ、やはり日頃の行いが大事よな」
ゲンノウはほくそ笑んだ。
さて、先ずはこの肉体の傷を直さなければならない。
「?」
ゲンノウは何か違和感に気付いた。
何か思うように体が動かない。
それどころか力も巧く発揮できない。
何かが変だ。
「何だ?どうなってやがる?」
ゲンノウは困惑してあれこれ試そうとしてみた。
『悪しき者よ、出てお行きなさい』
突然、耳元で女の声がした。
ゲンノウは驚く。
「誰だ!」
俺の存在を見聞き出来る者が居るのか?
聖者か祈祷師か、はたまた退魔師か。
いずれにせよ、邪魔者は生かしておけない。
「何処に居やがる、女!八つ裂きにしてやるぜ!」
ゲンノウは大きな声で叫んだ。
驚いたのは運転手と母親である。
血まみれで腹や胸から折れた骨が飛び出ている男が、突然叫んだのだ。
夕方とは言え、まだ明るい。
だが状況は完全にホラーである。
『解りませんか。私もこの青年の中に居るのです』
「何だとッ!」
女の言葉にゲンノウは驚いた。
先客が居たと言うのか。
だが、そうであるならば相手は祈祷師や退魔師等と言う生易しい存在では無い筈だ。
「チッ……同類か。おい、この体は俺のモンだ。諦めてテメエは出ていけよ。今なら見逃してやる」
ゲンノウはドスの利いた低い声で言った。
その度に男の口からは鮮血が噴き出す。
運転手と母親はますます怯え腰を抜かした。
よもや、この男の体の中で葛藤が繰り広げられているとは夢にも思うまい。
「に、兄ちゃん……何を言ってんだ?直ぐ救急車が来るからよ、もう少しの辛抱だ」
運転手が恐る恐る男の顔を覗きこんで、震える声でそう言った。
「うるせえっ!テメエは黙ってろ!この人間風情がッ!ぶっ殺すぞ!」
ゲンノウか運転手に対して罵声を浴びせる。
当然それは男が発した物として周囲には認知された。
鮮血を噴き出しながら男が大声で罵声を浴びせる、その光景ははっきり言って恐ろし過ぎる。
運転手も母親も顔面蒼白である。
コンビニでは店長らしき人物が、何処かへ電話を掛けているのが見える。
おそらく警察か救急車の手配だろう。
『貴方に見逃して貰う必要はありません。貴方が速やかに出て行けば良いのです』
「何だと……このアマ……!調子に乗るなよ。雑魚は殺されねえと解らねえらしいな」
『誰が雑魚ですか。良いから早く出てお行きなさい。貴方が居るとこの青年の傷を直すのに邪魔なのです』
言われてゲンノウは思い出した。
そうだ。早くしなければこの肉体は死んでしまう。
見たところ、かなりの重傷だった筈である。
死んでしまっては元も子も無い。
ここは一旦離れて傷を直させ、それから改めてこの女をぶちのめせば良い。
それから肉体を奪っても遅くは無い。
元の人格は恐らくもう死んでいるだろう。
ゲンノウはそう判断した。
「チッ……仕方ねえ」
ゲンノウは舌打ちして肉体を離れようとする。
「?あれ?……ん?ん?んんー?」
出ようとするが出られない。
『どうしました、早くなさい』
「っせえ……やってるよ、だが……」
『だが、何です?』
「……出られねえんだよ」
『何ですって?』
女も驚いた様な声を上げた。
『急ぎなさい!早くしなければ本当に死んでしまいます!』
「解ってるよ!けど、出来ねえモンは出来ねえんだから仕方ねえだろうよ!ならテメエが出て行けよ、俺が治してやらあ」
女の声は一瞬言葉に詰まった。
『解りました……仕方がありません。私が出ましょう。ただし、必ず生かしなさい。死なせたら承知しませんよ』
女はそう言うと出て行こうとする。
『……!?こ、これは……!?』
「どうした、早くしろよ。マジで死んじまうぞ!」
『……出られません』
「何てこった……ッ!」
ゲンノウは頭を抱えた。
お互いの存在が邪魔をして力は巧く発揮できない。
その上、一人の肉体に同時に二人入ったものだから、ぎゅうぎゅうに詰まって出る事も出来ないらしい。
「クソッ!二人でハマるとか聞いた事もねえぞ」
ゲンノウが毒づいた。
『そうですね。二人なら出られたでしょう』
「……どう言うこった?現に出られねえじゃねえか」
『それは二人じゃなくて三人だからでしょう』
「三人?……ま、まさか」
『この青年の人格は死んではいません。ちゃんとここに居ます。だから三人です』
「クソッ!クソッ!クソッ!」
ゲンノウは可能な限り舌打ちをした。
じゃあどうすれば言いと言うのか。
操る事も出来ず、さりとて出る事も出来ず、普段通りの力も発揮出来ない。
封印されているも同然である。
「こうなったらこのガキに死んで貰うしかねえな……」
折角の肉体を手放すのは惜しかったが、こうなってしまった以上仕方がない。
『肉体に留まったまま死を経験すれば、貴方も私も一緒に死んでしまいますが、それでも構わないならお好きになさい』
「何だと?それは本当か?」
『大きな口を利いていた割にはご存知無いのですね。今、私達は肉体を得ている状態。死を体験すればそのまま死んでしまうのは至極当然』
「何てこった……一万年以上生きて来たこの俺様が、こんな最後を迎えるとは笑えるぜ」
ゲンノウはそう言って笑った。
もはや笑うしかない状況である。
『一つだけ方法がありますが』
「何でえ、そりゃあ」
ゲンノウは当てにせず訪ねた。
『私と貴方で力を出し合うのです』
「さっき見たろ?力は封じられている。とてもそんな力は出ねえよ」
『私の見たところ、この状況ではお互いに本来の力の二割……良いとこ二割五分しか発揮出来ないでしょう』
「二割ねえ……そんなんじゃあ鼻くそもほじれやしねえ」
『二人が全力で力を使えば、二割五分と二割五分で合わせて五割は出るでしょう。残念ながら今の我々にはこれが限界』
「……なるほど。それでコイツの怪我を治すって訳か」
『そうです。それでも確率は半々と言った所でしょうが、やらなければさっき話した通りここで私達も死ぬだけです』
「解ってるよ、やるしかあるめえ。他に選択肢がねえんならよ」
先ずは生き延びる。それから先は生き残ってからでなければ話にならない。
ゲンノウはこの提案に乗るしかなかった。
『では行きますよ。出し惜しみせずに本気でおやりなさい』
「うるせえよ。テメエこそ死ぬ気で全力出しやがれ」
どうせ、この女の力は大した事は無い筈だ。結局は俺の本気に掛かっているのだ。
ゲンノウは内心そう思っていた。
自分が二割五分、この女が五分、合わせて三割。
それがゲンノウのイメージだった。
だが、三割でもやるしかない。
『ひいー、ふうー、みいー……はいっ!』
女が掛け声を掛ける
聞いた事の無い掛け声だった。
とにかくゲンノウは持てる力の全てを出す。
「オオオオオオオオアアアアッ!クソッ!どうだアアアアアアアアアッ!」
振り絞るように力を込める。
『むううううううううううううんんんっ!』
女も力を振り絞っている。
どれくらい当てに出来るのか解らないが、せいぜい頑張って貰わなければ困る。
二人はこの男の肉体の治癒に全身全霊を傾けた。
先ず、折れた骨が飛び出ているヶ所が元に戻り始めた。
ゆっくりと肉の中に戻っていき、割けた肉が塞がり、皮膚が再生していく。
吐血が収まり、出血が止まる。
体内で折れた骨がくっつき元の形へと戻っていった。
体内で骨が元に戻る時に、時折バキッと鈍い音を発てた。
それを見守る運転手と母親は口をパクパクさせている。
「へえっ、思ったよりやるじゃねえか」
ゲンノウは予想したよりも傷の治りが早いのを見て感心した。
これだけの力。この女、一体何者だ。
ゲンノウの脳裏を疑問がよぎる。
だが、今はそれどころでは無い。
数十秒後、この男の肉体はほぼ元通りになった。
あっと言うまである。
流石にゲンノウも面食らった。
この女の力がそれだけ強力だったと言う事だ。
血圧、酸素、体温。
バイタルの全てが正常に戻った。
かくして男は一命をとりとめた。
ゆっくりと、起き上がる。
もはや運転手と母親は卒倒寸前である。
「お兄ちゃん……大丈夫?」
母親の腕の中から出てきた少女が心配そうな顔で半平に訪ねた。
「……あ、うん。何故か大丈夫みたいだ」
半平の言葉に少女はニコッと微笑む。
「良かった。お兄ちゃん、ありがとう!」
「どういたしまして。無事で良かったね」
「うん!お兄ちゃんもね」
そう言うと少女は半平に手を振った。
「お兄ちゃーん!ばいばーい!」
「ばいばい」
半平は手を振り返すと、急いでその場を離れた。
何が起こったのか解らないがややこしい事になる前に急いで家へ帰りたかった。
「ばいばーい!」
遠くでまだ少女の声がした。
半平は振り返らずに手だけを振って、そのまま帰路を急いだ。
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