第22話 彼女とお風呂(その2)(改)
凛さんが部屋を飛び出してから数秒後、リビングの外からバタンっとドアが閉まる音が聞こえた。
どうやら凛さんは部屋に行ったようだ。
彼女はいつも優しく、凛としていて、今日のように感情を露わにした姿を今まで見たことがない。加藤の事を凛さんに心配させないように、話さなかったことが裏目に出てしまった。結果、彼女に余計な心配をかけ苦しめてしまうことになるなんて。
どうしたら凛さんへ俺の思いを伝え、わかってもらえるのだろうか。
ぎくしゃくした今の状況、俺には耐えられない。
だから――俺は立ちあがり、リビングを出て、凛さんの部屋へ向かった。
彼女の部屋の前に行き、深呼吸をして「コンっ、コンっ」と2回ノックする。
「………………………」
凛さんからの返事はなかった。
聞いてもらえないかもしれないけど、今話さなければ絶対後悔する。
俺はドア越しに凛さんに話しかけることにした。
「さっきはちゃんと話せなくてごめんね。凛さんに聞いてもらいたいことがあるんだ」
「………………………」
家の中はしんと静まり帰り、重々しい雰囲気が包み込む中、俺は続けて、
「加藤のこと相談できなくてごめん。凛さんに余計な心配をかけたくなかったし、巻き込みたくなかったんだ。それが凛さんのことを苦しめることになるなんて思ってなかった。だから、ちゃんと謝りたい」
「………………………」
「本当にごめんね。だけど、嬉しかったよ。凛さんが俺のこと心配してくれてたんだなってわかったから」
「………………………」
「だから凛さんを傷つけた自分が許せないんだよ。嫌な思いさせちゃって本当にごめん。相談できなくて、ごめん」
すると、部屋の中から声が聞こえてきて、
「恭ちゃんは悪くないの……恭ちゃんが私のことを思って、そうしてくれたってわかってるから。でも気持ちの整理がつかないの。私のことはもういいから。放っておいて」
凛さんの涙交じりの声が聞こえてきた。
「そんな寂しいこと言わないでよ。凛さんのこと放っておけるわけないじゃん」
しばらくの沈黙があって、
「どうして?」
「それは……」
凛さんは俺の紡ぎだす言葉を待っているかのように言葉を発しない。
ここは俺の気持ちをちゃんと伝えないと。
「り、凛さんは俺にとって大事な人だから」
「大事って簡単にいうけど、そんな言葉じゃ……私には伝わらないよ」
不安と緊張が入りじまった声が聞こえてくる。
俺と凛さんはドアを隔てて話している為、彼女の表情を確認することはできない。
どんな表情をしているのだろうか。
悲しんでいるのだろか。
怒っているのだろうか。
それとも……
俺はずっと心の奥にしまっていた気持ちを凛さんに伝える。
「凛さんは知ってると思うけど、俺は小学5年生の時に事故に合って。記憶障害になって苦しんでた時期があった。その時隣に引っ越ししてきた凛さんが俺を気にかけてくれて、毎日、毎日励ましてくれたよね。優しく、あったかくて、安心できる言葉をかけてくれた……俺は凛さんに優しくして励ましてくれたことを絶対忘れない。今もまだその時の障害が残ってるけど、ちゃんと生活できてる。今俺がこうやって生活が送れているのもおじさん、おばさん、そして凛さんのおかげだと思ってる」
「恭ちゃん……」
湧き上がってくる感情が、俺を後押しする。
「だから、凛さんは俺にとって、家族のようにあったかくて安心できて…… 」
俺は振り絞るように、凛さんの部屋に向かって叫んだ。
「かけがえのない大切な人なんだよ!!!」
ばんっ!
「いてっ」
勢いよく開いたドアが俺の顔面に直撃する。
これってラノベでよくある展開だよな。
まさか現実に起こるなんて……
凛さんは状況がわからずきょろきょろしている。
俺は凛さんに抗議する。
「凛さんいきなりドア開けるなんて、ひどいよ」
俺が鼻を押さえてもがいているのを見て凛さんは、
「きょ、恭ちゃんごめんね。まさかドアの前に立っているなんて思ってなかったから」
と言って、俺の顔に己の顔を近づけてくる。
加えてうるうるした表情のおまけつきだ。
「凛さん近いって、もう大丈夫だから」
鼻は今でもズキンズキンしているが、こんな至近距離に顔を近づけられたらドキドキしすぎて心臓が爆発してしまう。
今まで凛さんをお姉さんのように思っていた……だけど、今日イメージチェンジをした凛さんを見て何かが俺の中の何かが変わったような気がする。
「駄目。ちょっとおとなしくしててね」
そう言うと、凛さんは俺の両頬に手のひらで触れ、じっと俺を見つめる。
え、まさか……このタイミングでキス?
と、俺の予想は見事に外れ。凛さんは真剣な眼差しで、キスよりもすごいことを俺に、
「未来の旦那様の顔に傷がついたら大変だから」
ん?
今旦那様って言わなかった?
いやいや絶対聞き間違いだ。
凛さんが俺なんかを未来永劫旦那様って呼ぶわけがない。
俺は凛さんに疑問を問うた。
「えっ、今旦那様って言った?」
「言ったよ。だって今私にプロポーズしたんじゃないの?」
慌てて俺は凛さんに、
「プロポーズなんかしてないって、俺には彼女がいるんだし」
「え……じゃあ……私の勘違い?」
顔をかぁーっと赤くする凛さん。
「もうっ恭ちゃんのばかぁばかぁばかぁ。あんなに一生懸命で誠実な言葉をかけられたら誰だって勘違いしちゃうよっ!!! もう勝手に勘違いして、盛り上がって、私一人でばかみたいじゃない」
凛さんは「どうしてくれるの~」とポコポコ俺の胸を叩いてくる。
いや、しかし。こういっちゃなんだが、なんか今日の凛さんはいろいろと新しい面がみえて、新鮮だな。
こんなに可愛い人だったなんて。
俺は凛さんをまっすぐ見つめ、
「さっき言った言葉は嘘じゃないよ。俺はこの気持ちをずっと凛さんに伝えたかった。だから彼女ができたって、凛さんを大事にしたいって気持ちはなくなったりしないよ」
ゆっくりと彼女は頷き、
「恭ちゃんってずるい。だけど昔からそういう人だよね。恭ちゃんの言葉信じていいんだよね?」
「ああ。あたりまえだろ」
「なんか恭ちゃんいつの間にか、すっごく頼もしくなったよね」
「そうかな?」
凛さんがぼそぼそっと、
「それって如月さんのおかげなのかな、なんか悔しい。恭ちゃんが成長してくれるのはとっても嬉しいけど」
よく聞こえず、凛さんに聞き返すと、
「なんでもないもん」
凛さんは話題を変えるかのように、ぱん、と手を合わせて、
「あっ、そうだ、恭ちゃんの家お風呂壊れたんでしょ。お父さんから聞いたよ。沸かしてあるから入ってね」
凛さんのことで頭がいっぱいになって忘れていたが、実は昨日俺の家のお風呂が壊れてしまったのだ。
おじさんに相談して修理することになったのだが、工事は週明けになるとのことで。
その為、土日は凛さんの家のお風呂を借りることになっていた。
余談となるがお風呂だけじゃなく、これまで洗濯機やら、トイレやら壊れたら、お隣さんのよしみで借りている。
しかし、借してもらう身で俺が先に入るのは良くない。
「凛さんまだ入ってないんでしょ? 俺は最後でいいよ」
「いいって、恭ちゃんが先にはいって。ねっ」
こういうところ、凛さんは絶対ひかない。
俺は素直に受け入れることにした。
「わかった。先にお風呂をいただくね」
「うん、バスタオルと着替え後で持っていくから。ゆっくり入って疲れを癒してね。恭ちゃんの好きな入浴剤も用意してあるから使ってね」
「わかった」
俺はそう言って、お風呂場に向かう。
しかし、なんだ最近ドキドキが続いているせいなのか、胸の中がもやもやしている。
駄目だと思いつつ俺は、洗面室に向かう途中妄想をしていた――凛さんがもし俺の奥さんになったらと。
俺が家に帰ると凛さんが玄関で出迎えてくれる。
『恭ちゃん、今日もお仕事お疲れ様』
と、凛さんが嬉しそうに微笑みかけてくる。
『凛さん、なんてエッチな格好を!? 裸じゃんっ』
『ちゃんと着てるよ』
「うっ、着てると言えば着ているのか……」
確かに着ている……布一枚だが(着てるというのか)、きわどいところもばっちり隠れている。
しかし裸エプロンが似合う女の子もそうはいないだろう。
こんな可愛い奥さんが家で待っていてくれたら、喜んで家にまっすぐ帰るな。
俺が鞄を渡すと、すっと受け取る凛さん。
正面からではわからなかったが、少し角度がずれただけで、凛さんの豊満な胸が裸エプロンから露出しているのが見えた。
思わず直視できず目を背ける俺。
凛さんは続けて、
『ご飯にする? お風呂にする?』
まさか、これは伝説の……
恥じらうように顔を赤らめ凛さんは、
『それとも……わ・た・し♡』
俺は我慢できず、凛さんの腰に手をまわし、
『だ、駄目、こんなところで、あっ』
「恭ちゃん? 恭ちゃん? 恭ちゃんってばっ」
「あっ、り、凛さんなんでここに?」
突如凛さんが現れて、現実に引き戻される。
「あとでバスタオルと着替え持ってくっていったじゃない」
「あっそうだったね。妄想の世界に入ってたからいきなり凛さんに声かけられてびっくりした」
「妄想?」
首を傾げる凛さん。
「恭ちゃん顔赤いよ?」
「なんでもない、なんでもない」
「変な恭ちゃん」
凛さんに裸エプロンを着せて妄想していたなんて言えるわけがない。
100%嫌われる。
「バスタオルと着替えありがとね。使わせてもらうよ」
「うん。ゆっくり入っていってね」
俺は凛さんからバスタオルと着替えを受け取り、洗面室へ慌てて向かった。
ばかばかばか。俺は一体何を考えているんだ。
凛さんを汚しちゃったよ、俺はゴミだ。
自分の妄想にドン引きだよ。
今はそんなことを考えている場合じゃないんだよ。
妄想よりも大事なことがある。
今の良い雰囲気で如月さんの事を話したい。
俺は洗面室に着き、服を脱ぐ。
お風呂に入ろうとした瞬間にスマホに1件のメッセージが届いた。
「ミスターXかよ」
『恭介くん、今大丈夫かな?』
電話じゃあるまいし、メッセージ交換なんだから、俺の状況なんか聞く必要ないだろう。
そんなミスターXにあえて俺は、
「今からお風呂はいるから、無理」
だって、今俺は裸で仁王立ちしスマホをいじっている。
この状況で凛さんが洗面室に入ってきたら大変なことになるだろう。
『そう言わずに、少しだけ頼む』
ちょっと意地悪だったかな。
「少しだけならいいよ」
『おっありがとう。それじゃあ早速』
こいつには俺の夢を妨害される可能性もあるし、容赦する必要はないのだが、今日のミスターXは物腰がなぜかやわらかい。
そんなことはどうでもいいか。
早速に続く言葉をドキドキしながら待っていると、ミスターXは、
『2つ目のミッションをお願いしたい』
ついに2つ目がきたか、一つ目がキスだっただけに何を命令されるのか非常に怖いし、嫌な予感がする。
俺の嫌な予感は無常にも的中することになるのだが、
この時の俺はいまだかつてない修羅場がこの後やってくること、そしてお風呂場で起こる出来事のことをまだ知らない。
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