戸をたたく音
「夜這いの時の戸をたたく音が良かったのでございます。」
夏子が、しずめが夫を決めた決めてをきくと、ちょっと頬を染めてしずめが答えた。
「乱暴にどんどんたたくようなのは、戸を開ける気にはなりません。かといってこそこそされてもわざわざ開けて見ようとは思わないものです。風の音でも聞き間違っているんだと嫌ですしね。丁度、戸を開けたくなるような、ほどあいのたたき方ってのはあるものでございますよ。」
なるほど、言われて見れば夏子にも心当たりがないでもない。
派手に騒がれたり、ガサツだったりしてうるさいと、朋輩の耳が気になって嫌になるし、こそこそされすぎると気づきもできなかったりする。女心を程よく揺らす戸のたたきかたというのはあるような気がする。
源氏はどうだったろうかと思うと、戸をたたいた事などなかったのではないかと気がついた。夏子の内側にはいつでも源氏の気配に耳をすませている部分があって、源氏の気配をかすかにでも感じ取ると、ざわざわと騒ぎ出す。だから源氏が戸の前に立ったときには、すでに気づいているのが普通だった。
「さあ、できた。」
しずめは糸を噛み切ると、出来上がった繕いものをを軽くはたいた。少々くたびれた感じの男物の綿入れだ。
夏子の見た目だけが麻の綿入れのような上等なものではないが、しずめたちも綿入れを着る。綿は真綿ではなくて、春先のぜんまいの綿毛やすすきの穂などを集めたものだ。綿が寄らないように表と裏を荒い刺子のように縫っているのが簡単な模様になっている。
汚れて傷んだ衿のあて布を外し、新しいものに取り替える。傷んだ袖に裏から布を当て、刺子にして補強する。
それだけでも着物は驚くほどにしゃっきりした見た目になるのだった。
真綿をたっぷり使った夏子の綿入れからすると、単に厚手の着物という程度にしか見えない綿入れだが、これでも結構暖かくなるのだという。
夏子は新しい麻糸を紡いでいる。鮮やかな手つきでしなやかな糸を紡ぐところは、生まれたときから麻を扱ってきた人のようだ。
夏子が糸紡ぎや機織りを手伝うことを、最初しずめは固辞したが、夏子が是非にと言って説き伏せた。
夏子にとって糸紡ぎなどの手仕事は、好きでもあり得意でもあるが、麻糸や麻布を作っても、夏子に使いみちはない。夏子自身の衣類は満が届けてよこすし、麻を纏うものも夏子のまわりにはいない。かと言って今更満に頼んでまで絹を紡いだり織ったりする気にもなれなかった。結局しずめに押し付けでもしなければ、全て無駄になってしまう。
それにこうしてしずめとおしゃべりしながら手仕事をする時間が、夏子には楽しく好もしいのだった。
しずめの糸紡ぎ、機織りは、単に家族の用を足すだけではない。しずめが織り上げた布は都の市に運ばれて、庶民の着物になっているのだ。下官に下賜される麻布なども、しずめが織ったものが使われていることがあるという。しずめの夫は竹の細工の名手で、そんなものを売る他に、小さな田畑を耕して生活の糧を得ているらしい。
夏子や源氏のために庵の世話をするのは、彼らにとって片手間の仕事なのだった。
「尼御前さまに教えていただいた麻布で、来年は久しぶりに晴れ着を作るのもようございますね。」
しずめの晴れ着は夫と共住みすることになった折に拵えたものだとかで、まだまだ十分着られるとは言っても、新しくはないのだった。
二人の間には何人か子供も生まれたようだが、育った子はいないということで、しずめはその話をあまりしたがらない。夏子は子を産んだこと自体なく、そんなところもお互いに気安い理由なのかもしれない。
もっとも夏子は子を産まなかったことでそれほど肩身の狭い思いをしたことはなかった。通い所の多さの割に源氏の子供自体がとても少ない。
最初の正室の産んだ満と、冬の御方の産んだ大姫、そして出家した女三宮の産んだ末の男子。それで全員なのだ。つまり源氏の数多い女たちの殆どは子供を産んではいない。それほど頻繁に通われたわけでもない夏子に子がいないのは、むしろ当たり前の事だった。
「こちらも出来たわ。」
夏子は手をとめ、糸で太った
糸巻きに紡錘から糸を巻き直す。部屋の隅には同じような糸巻きがいくつも積まれている。そろそろ布に織っても良さそうだ。
冷たい風が御簾の間から吹き込み、一瞬首をすくめた。そのまま風の来た方を振り向き、白いちらちらしたものが無数に落ちてきているのに気づく。
「おや、初雪でございますねえ。」
しずめも気づいたようで外を見た。
雪は山を、散り残った紅葉を、白く染めてゆく。しずめが急いで火をおこしてくれた火鉢の傍らで、夏子は静かに雪を見ていた。
宵闇よりももっと深い闇のほうが、月明かりを映して降る雪は見やすい。雪が音を吸い取ってしまったかのようにとても静かだ。
ひどく冷え込んできてはいたが、綿入れを何枚も重ね、暖かな粥を食べた夏子には、耐えられないほどではない。
姉の女御敏子が亡くなったのも、こんな雪の夜だった。
姉妹とは言っても、年齢も親子程に違い、立場も違った。世間で言う姉妹の情がどの程度自分たちの間にあったのかはわからない。
それでもあの夜、とても悲しかったことは覚えている。
あれは源氏が須磨から戻った年の、年の瀬のことだった。
源氏が京に戻って以来、姉敏子には衰えが目立つようになった。
敏子もすでに五十も半ば、立派に老女と呼べる年頃だ。源氏が帰京後しばらくしてから姉妹の住まいを訪れた折は、本当に喜んでいた。
「これでもう大丈夫。本当に良かったこと。」
もとが女御であった敏子には、父から相続した屋敷も、幾らかの資産もあったけれど、夏子は何一つ受け継いでいない。敏子にしてみれば夏子のことは何より気がかりだったらしい。その気の緩みが体に出たということなのか、敏子は急激に弱り始め、その年の瀬には誰の目にも先は短いと見て取れた。
この人の生涯も幸せとは言われまいと、夏子は思う。
同じく入内した長姉の昌子は、皇子皇女を一人ずつ挙げ、皇子は一度は東宮の候補となった。皇子の立坊を逃して後も、父長時の本邸と遺産の大部分を受け継ぎ、皇子皇女への御封も厚く、経済的には豊かだったはずだ。昌子の死後、皇女は入内して皇子を産み、立后も果たした。
引き換えて敏子は正式に女御となった折には既に父もなく、さまで寵愛を受けることもなかった。当然御子を授かることもなく、帝の譲位を迎えて後宮を辞した。長時から相続したのも京のははずれの邸で、それほど大きくもない。もっとも、あまり大きくない邸は手入れの手間が少なくてすみ、その点では助かったとは言えるのだが。
後宮の麗景殿にあってさえ忘れられがちだった敏子は、里に下がってからは誰の口の端にものぼらなくなった。
敏子に届く殆ど唯一の便りは、皇太后からのものだった。
皇太后といえば敏子と同じ帝の寵を争ったはずだが、実際には何の争いもなかったらしい。かたや皇子皇女を三人あげた東宮御母女御、かたやいるかいないかもわからない廃れ女御。争いの起きる余地などそもそもありはしなかった。
それどころか。
東宮妃の間に父長時を喪った敏子を、正式に女御として入内できるよう後押ししたのが皇太后であったらしい。敏子が後宮を辞して後は折々の便りだけでなく、なにくれとなく生活の不如意のないよう手を差し伸べてくれてもいる。
静かな生活の中で皇太后からの便りは、敏子の慰めにもなっていた。
むしろ実の姉の昌子や、昌子所生の皇子皇女の方が係わりは淡い。仮にも同じ後宮にいて、中宮は女御の一人が実の叔母であることを、認識していたのかどうか。敏子の病状があつくなり、枕が上がらなくなってからも、見舞い一つよこすでもない。
たまさか病状をたずねてよこす源氏は帰京直後で忙しく、いつも気にかけてくれた皇太后も不予とかで、敏子の臨終は夏子の他には女房たちが控えるだけの寂しいものとなった。
臨終の静まり返った枕辺に、戸をたたく音がした。
それはおそらく折からの風に吹かれた木の枝なりが鳴らした音だったのだろうけれど、一瞬開いた敏子の目に喜色が走ったのを夏子は見た。
そのまま目は静かに閉じられて、ため息のような臨終の息をもらして敏子は事切れた。
ひやりとした風の吹き抜ける虚ろのような寂しさを胸に抱えながら、夏子は考えた。
姉は誰かを待っていたのだろうか。
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