麻の綿入

 しずめの言っていた通り、しばらくすると朝晩にきつく冷え込むようになってきた。

 楓の葉が鮮やかに色を変えてゆく。

 麻の衣を重ねて被っても寒さで夜明け前に目が覚めるようになった頃、京の満からの荷物が届いた。

 麻の褥に麻の大袿。それから袷や綿入れの麻の衣。

 包みを開けて、夏子はふふ、と笑った。

 源氏の時は夏子が用意した品々だ。どれも表は麻だけれど、袷は間にしっかりとした厚手の絹を挟み、綿入れや大袿、褥はさらに絹地の間に、真綿をたっぷりと入れてある。どれも夏子の工夫だった。

 出家した源氏は粗衣、粗食にこだわり、麻の衣しか身に着けようとしなかった。

 しかし、それこそ真綿で包むように育てられた源氏が、冬を麻の衣で乗り切れる訳がない。そこで麻の間に絹を挟み、更に真綿も入れた綿入れや大袿、褥などを作った。

 麻はどうしても風が抜け、暖かいというわけに行かない。そこでキメの細かな厚手の絹地で風を止める事を考えついたのだ。

 見た目は麻の袷でも、実際の暖かさにはかなりの違いがある。

 まして真綿をいれたものは、驚くほどに暖かい。

 源氏は気付いていたのだろうか。

 気づいていなかったとはおもいにくいけれど、何も言わずに使っていたところを見ると、やはり寒かったのだろう。これが普通に絹地を表に出した品物なら、源氏は送り返したのかも知れないが、見た目が麻であることで、受け入れる事ができたらしい。

 その、夏子が作ったのと同じ麻表の品々が、いっぱいに用意されていた。

 着てみるとやはり暖かくありがたい。

 夏子は喜んで、満の心尽くしを受け取った。

 荷物は衣類の他にも米や炭、香木や紙に墨、筆など生活や仏道の修行に必要な品がたっぷりと用意されていた。添えられた手紙には、夏子を心配する言葉が満の字で書かれている。

 夏子は経机に向かって返事をしたため、荷を運んできた男たちに託した。

 庵での夏子の生活は静かだ。

 朝、目覚めてまず経を誦す。

 それから朝餉を頂いたあとは、辺りを歩いたり、麻糸を紡いだり、布を織ったり、香を合わせたりする。

 夏子が竈に火を入れる事を覚え、湯を沸かしたり粥を温めたり出来るようになったので、しずめは昼過ぎから現れるようになった。時には一緒に糸を紡いだり、布を織ったりもする。

 夕方、暗くなる前に写経をし、夕闇が落ちる頃に夕餉をいただく。夕餉が終わればあとは眠るだけだ。

 夏子は多くの事をしずめに学んだが、夏子が教える事もあった。例えば細い糸を紡いでしなやかな麻布を織る方法や、糸や布をきれいに染める方法などは、夏子がしずめに教える事のできる事だった。

 出家後の源氏の用に供すために、夏子が工夫した麻布は、麻とは思えぬしなやかさでしずめを驚かせていたらしい。

 手作業を一緒にするということは、おしゃべりをするということだ。夏子はしずめとよく話した。

 「入道さまはとにかく修行にご熱心でしたよ。」

 源氏のことはよく話題にのぼる。源氏の時も庵の世話は、しずめ夫婦がやっていたからだ。

 「朝から晩までとにかくお経を読んでいらしたり、ひたすらに写経なさったり、ずうっと座って何やら考えておられたこともございましたね。割りとなさる事が極端というか。」

 しずめの評には吹き出してしまった。

 確かに源氏にはそんなところがあった。思いついたらとにかくやみくもに実行してしまうようなところが。

 「尼御前さまは入道さまの奥方さまと伺っておりますけれど、随分と入道さまと雰囲気が違うのでございますね。」

 「そう?」

 夏子は首をかしげる。

 「入道さまはいつでも眉間に皺を寄せて、難しい顔をしておいででしたけれど、尼御前さまは笑っておいでになります。」

 夏子はふふと笑った。いたずらな、少し少女じみた笑いだ。その笑みは禿頭の老尼に不思議によく似合った。

 「私は、難しいことは苦手なのよ。だから出来ることをやりながら、御仏にお仕えしているの。」

 糸を紡ぐこと。

 布を織ること。

 布や糸を染めること。

 夏子にとっては全て、物心ついたときからこなしてきた作業だ。夏子の乳母がこういう手仕事に堪能な人で、幼い頃から厳しく仕込まれた。夏子自身も手仕事は嫌いではない。

 ひたすらに作業をこなしていると、意識がしん、と透き通る瞬間がある。

 たどたどしく経を読み、あるいは経を写すよりも、そのしんと済んだ感覚のほうが、よほど御仏に近づけたよう感じるのだ。

 路傍の草を刈り、糸に紡ぎ、それをやはり草や木の皮などで染める。

 一枚の布は多くの恵みの重なった末に織り上がるのだ。

 その、人の手仕事と自然の恵みの、幾重にも重なっているところに、夏子は御仏の御心を感じる。

 自分は生かされている。

 その静かな実感は好きだ。

 世界の片隅で自分も生かされている。


 「小夏というのはそなた?」

 二倍織物の表着をまとった美しい女性が、お殿様が入内させた二人目の姫君敏子さまなのだと言うことは知っていた。

 頷いた小夏−夏子にその人は微笑んだ。

 「後宮に戻ることになったの。今上の女御としてお姉様が賜っておられたのと同じ麗景殿を賜ることになったわ。あなたも一緒にいらっしゃい。」

 その言葉は夏子にとってとても嬉しいものだった。

 お殿様が急死して、お邸は入内した一人目の姫君である昌子さまが相続する事となった。夏子も自動的に昌子さまの保護下に移る。ただ、夏子は昌子さまに嫌われていた。

 夏子はお殿様が小女房に産ませた子供だった。とても若かった夏子の母は、夏子を身籠ったことをお殿様に言い出せない内に早い陣痛を迎え、お邸で夏子を産み落としてそのまま薨じた。

 早産のか細い赤ん坊でもまさか捨て置くことも出来ない。夏子の母にお殿様が手を付けたことは、誰もが知っている状況でもある。

 たまたま、下女の一人が赤ん坊を亡くしたところで、彼女が夏子の乳母を務めることになった。

 夏子が昌子に嫌われているのは、夏子が腹違いの妹だからだ。同じく腹違いの妹である女御敏子もやはり嫌われている。

 当時夏子は七歳だったが、自分の立場が微妙なものであることには気づいていた。乳母の下女よりは立場が上だが、姫君と言うよりは女童のような扱いをされている。そうなるとこの先そば近く仕える昌子に嫌われているのは辛い。敏子の申し出がうれしかったのはそれが理由だ。

 夏子は敏子に妹として引き取られたが、相変わらず女房たちに姫君として扱われる事はなく、ただ小夏君とだけ呼ばれて育った。一応女御敏子のことはお姉様と呼ぶが、だからといって女房たちの扱いは変わらない。夏子は相変わらず女童のごとく動きまわり、やがて小女房と呼ばれる年頃になった。


 

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