22.Zarathustra(超人たる道のりは、未だ遠く)
戦隊ヒーローでも超能力者でもバブル・バベルをどうこうできるとは思えないが、案外、魔法少女ならばこのクソッたれな世界を救えるのかもしれない。
今どきの魔法少女は、世界の
「どうだ、魔法少女になってみるってのは」
コーヒーカップの向かい席に座るミユが、やれやれとため息をつく。
「おにいちゃんがこのまま三十歳の誕生日を迎えて魔法使いになる方が現実味のある案だね」
その隣ではユキが「永遠回帰ー」とはしゃぎながら、ハンドルを容赦なく回す。俺たちのコーヒーカップは狂ったように回転し、ともすればカップごと空の果てへと吹っ飛ばされそうだ。
ふらふらになって出てきたところをランドセルの少女と長身の外国人男性が駆けつける。冷凍イカ研究所の研究員、モモ。そしてアダルベルト・バーデン博士だ。
簡単に自己紹介は済ませたのだが、まだ詳しい話はできていない。というのも、俺たちは遊園地で遊ぶのに夢中で、彼らと話す暇がなかったからだ。
メリーゴーランド、ジェットコースター、オバケ屋敷、サーキット、コーヒーカップ……と、アトラクションはひととおり回った。
ミユの体への負担が心配だった。しかし「これが人生最後、人類最後の遊園地になるんだよ!」と気を昂ぶらせるミユを前に、ただ妹の望みを叶えたい気持ちで一杯になってしまう。
「ミユー、大丈夫?」
モモに問われたミユは、車椅子に戻ってゼエゼエと息を切らしている。ミユは満足そうな笑みをたたえて「もう何も怖くはないよ」と不吉な台詞を口走る。
ちょうどそのとき、遠くで不気味な爆発音が聞こえた。港のある方角から煙の立ち上るのが見える。世界は刻一刻と終わり支度をしているようだ。
「みんな、今日はありがとう」
唐突にミユが言う。その口調がまるで永遠の別れを思わせる響きで、ぎょっとして視線を向ける。ミユはなぜか自分の乗る車椅子を俺たちから遠ざける。ユキが押すのを手伝おうとするも、声が制止する。
わずかな違和感、元より今日の妹たちには違和感の塊しかないが、そうではないもっと根源的な恐怖を覚え、顔をこわばらせる。
よく見れば、ミユの左目が少し腫れぼったいような――。
ほとんど反射的な危機判断。
俺は妹に向かって走り出す。十メートルもない。
ミユがポケットから十徳ナイフを取り出すのと、俺がそれを蹴っ飛ばすのは、ほぼ同時のタイミングだった。
蹴られて手のひらからこぼれ落ちたアンティークなアーミーナイフは地面を滑り、道路脇のプランターにぶつかって鈍い音を立てる。
「ミユ!!!!」
「ふふ、よく気づいたね。さすがは……」
目は虚ろで意識が白濁としている。万が一を考え妹の両手首を固く掴むが、抵抗はなかった。しかしミユは深い辛苦に顔を歪めて、おのれの中の希死念慮と戦っているようだった。
おそらくユキのときと同じ症状だ。
バブル・バベルめ。空気の読めない死神め。
妹の幸せなひとときすら滅茶苦茶にしやがって。
「ごめんね。ぼくがプレッシャーをかけ過ぎたせいで、おにいちゃんを苦しめたんだよね」
赦しを請うかのような悲痛な声音に、俺は目尻に涙を浮かべて首を横に振る。そんな台詞を妹に吐かせる、愚かな兄があってたまるか。
「馬鹿言うな。悪いのは俺だ。間違っていたのは俺だ。妹たちが命がけで戦っているときに、ハローワークにも行かずにぐーたらニート生活を送っていた俺が、すべての元凶だったんだ」
ハローワークに行くべきだった。いや、ハローワークに行ったところで何かが解決するわけでもないが、とにかく俺は現実から逃げ続けていたんだ。
未来どころか、目の前の現実さえ見えていなかった。
自分が何を為すべきかも知らず、ヒーローを夢見て。
堕落した姿を隠そうともせず、妹たちを苦しめていたのは、自分の方だ。
「ぼくがね、バブル・バベルに気づいたのは、おにいちゃんがきっかけだったんだよ。ぼくの尊敬する、優秀な兄が、就職活動で内定をひとつも取れないのはおかしい。おかしいのは、世界の方だ。そう思って調査していたら《現象》に行き当たったんだ」
やめてくれ。
俺はそんな立派な人間なんかじゃない。
なにせユキが窓から飛び降りたあの日、何も知らない俺はチューリップを食らうイノシシのように、二次元萌え画像掲示板を漁るのに夢中だったのだからな。情けない話だ。
「人間は、克服されなければならない。克服されるべき存在である。つまらない。虚無である。同じことの繰り返しであり、何もかも報われない。知れば知るほどに絶望し、自分勝手に死んでゆく。世界に救いなど、ない」
ミユの声が一段と低くなる。死んでしまったように冷たくなる。変質は無慈悲に唐突に訪れる。どうすれば、どうすればいいんだ俺は。
「おにいちゃん、邪魔」
後ろから声が投げかけられ、直後に体を真横へとぶっ飛ばされる。どうやらユキが回し蹴りを放ったようだった。
「未来が視えなくなったら、恋をしましょう」
ユキがミユにそっと顔を近づけ、そしてキスを交わす。一瞬、ミユの瞳に光が戻る。
呆気にとられる間もない。
すぐそばに駆け寄ったモモが、ランドセルから注射針を取り出す。慣れた手つきで、ミユの細い左腕に針を刺した。
「イカの瞳は、おにいちゃんに……未来を託し……」
ミユは最後にそう言って、目を閉じる。車椅子に体をうずめたまま、動かなくなった。
気がつけば俺たちの周りを白装束の集団が取り囲んでいる。
白衣に身をまとった十数名の謎の人間達は、ミユを中心に円を描き、アスファルトに跪く。彼、彼女らは口々に祈りを捧げる。
「
遊園地の観光客たちが、怪訝な顔でこちらを見て通り過ぎてゆく。異様な光景を目の当たりにし、くらくらと頭が痛い。
「アダルベルト、どうしよう」
モモが空の注射器を片付けながら言った。アダルベルトは隻眼を細めて深い息を吐いた。
「やれやれ《組織》のおでましと来たか。すぐに眼球の移植手術を始めなければいかん。海悠博士無くして、ノアの方舟計画は実現し得ない」
「でも、ミユーはお兄さんに眼球を移植するようにと言っていたわ」
「残された瞳はひとつだ。そして優先順位ははっきりとしている」
バーデン博士は地面に這いつくばる俺を鋭い視線で射貫く。モモと博士はドイツ語で会話していたが、大意の半分くらいは掴める。
「お願いです。眼球移植だか何だか知りませんが、それで妹が助かるのなら、どうかミユを救ってください。頼みます」
「もちろんだ」
バーデン博士は厳かに即答し、しかし言葉を後に続けた。
「だが、それは君が助からないことを意味する。君は妹のために自分の命を捨てるのかい?」
俺ははったりの笑みを浮かべて、頭を振る。
「死にませんよ、俺は。ミユとユキのハッピーエンドを見届けるまでは、絶対に。たとえゾンビになってでも、生き残ってやります」
たしかに未来はないのかもしれない。過去も虚無へと化したのかもしれない。それでも、今ある《生》を絶対的に肯定せよ。それが、妹たちの教えてくれたことだから。
俺は、軽やかに笑うのだ。
「そうか。ならば最後の人間として、世界に抗うといい。あるいは君のような愚者こそが、
バーデン博士はそう言って、大きな手を差し伸べた。礼を述べて掴み返すと、その手にはたしかな人間のぬくもりがこもっていた。
「アダルベルト様、モモ様。もうじきここに警察の足が入ります。おそらく我々の動きが読まれたのかと」
白装束のひとりが博士に耳打ちする。警察はもしかしなくても俺を追って来たのではないだろうか。全身が冷や汗で包まれるのを隠しながら、ゆっくりと立ち上がる。
「わかった。撤収する」
バーデン博士が合図をすると、取り囲んでいた白装束の一団が一斉に散り散りになって走り出した。
「我々が囮になって海悠様をお守りするのだー! 撹乱せよー! 錯乱せよー! 混乱せよー!」「冷凍イカの瞳に祝福のあらんことを!!!」「うりゃあああああ!!!!」
白装束たちは狂気の奇声をあげて、踊り狂う。あたりが騒然とした空気に包まれる。一体何の組織なんだ、これは……。
そういえば大学に訪れたとき、山吹教授が仮説を立てていた。ミユは宗教の力で世界を救おうとしている、と。その読みは、当たらずとも遠からずと言ったところだ。
さらに思い返せばユキが自殺を図った翌日、ワイドショーでは某人気アイドルの自殺と宗教団体の繋がりが示唆されていた。あれもミユがかかわっていたのだろうか。
まさか自分自身を教祖にしていようとは、さすがに考えなかったが。
「今のうちに逃げるの。さあ、アキラもついてきて。私たちと共に、世界を敵に回したいならね」
「世界は敵も味方もしない。問われているのは、人類が世界に寄与するかどうかなのだから」
モモとユキが口々に言葉をかける。
ミユは車椅子に体をもたれかけ、死んだように眠っている。
ともあれ、俺は不安と恐怖を心のゴミ箱へと押し込め、生きる喜びを奮い立たせ、人生最後の遊園地を後にしたのだった。
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