21.Ich liebe(生の絶対肯定)

「ユキ! ミユ! どこにいるんだ!!」


 人混みを掻き分け、デタラメに遊園地の敷地内を走り回る。焼けるような夏の日差しが降り注ぎ、蝉たちがオーケストラを奏でている。気分はメロスの如く昂っていたが、周囲の視線は完全に不審者を見届けるような冷たいものだった。


 遊園地に居る者が皆幸せとは限らない。けれどピンクのゾウの風船を手に持つ少女や、その少女を撮るミラーレス一眼レフカメラを構えた父親や、その二人をほのかな笑みで見守っている母親や、あるいは髪をブロンドに染めて首からお揃いのネックレスを垂らす若いカップルや、孫に手を引っ張られて歩く老夫婦、行き交う人々のざわめきと賑やかな騒音は此の世界にある刹那の幸福を切り出しているようであった。

 八月最後の週、絶賛夏休み期間中の遊園地だ。どれだけの人間でごった返しているかは言わずもがなである。


「ええい、何が人類滅亡だ! 人だらけじゃないか!!」


 自分の声にどこか喜びの色があることを感じた。

 妹たちには合流できていない。ミユの携帯電話はあれから音沙汰がなかった。本人にしか解除できないロックがかかっているし、下手に弄って爆発させるわけにもいかない。


 結局、当ても無く俺は、遊園地のマスコットキャラのきぐるみと一緒に、パレードの中を踊りながら走り回っていた。

 スピーカーから音程の外れたテーマソングが流れ、やはり調子の外れたリズムに合わせてみんなが気恥ずかしそうに踊りだす。愛する恋人、愛する家族と手を取り合ってステップを踏む。俺はひとりきりだったので、ひとりでクルクルと回転していた。


 やがて俺が華麗なる空中一回転ジャンプを決めたとき、スピーカーからゆっくりと丁寧な女性の声が聞こえた。


『ヒノ、アキラさん。ヒノ、アキラさん。妹様がお待ちです。北館一階、総合インフォメーションコーナまでお越しください』


 おいおい、妹には"様"づけかよと心のなかでツッコミながら、俺は迷子の妹たちに会うべく北へ駆けていった。


 ◆


 ◇


「やあ遅かったね。人生が迷子のおにいちゃん」


「ミユ、ユキ!!」


 俺はその場で二人を抱きしめてやりたかったが、周囲の目が憚られた。

 ミユは車椅子に乗っていて、その後ろにはユキが立っている。白いワンピースが、夏の吹く風にそよぎ、海を泳ぐイカのように揺らめいていた。


「おにいちゃん、久しぶり」


「ああ、今日はプーさんのシャツじゃないんだな」


「がんばるためのあしたが無くなったもの」


 聞きたいことがたくさんあった。ユキが自殺を図った理由、あの日の事件のこと、バブル・バベルとは何であるのか。しかし今は、妹が目の前に生きている、ただその一点のみが重要だった。


「似合わないね。こんな夏の日に、人が滅ぶなんて」


 ユキが涼しい顔で言う。どこか大人びていて、俺の知る妹と少し違う。

 それに左目は、今までに見たことのないくらい瞳だった。


「おにいちゃん、あれ乗ろ!」

 ミユが高くを指差した。


 カラフルな観覧車が見える。直射日光を浴びたゴンドラが、灼熱に煌めいている。


「うわぁ、暑そうだな……」


「えー、乗りたいよー」


「ミユ、なんかキャラが変わったな。インテリぼくっ娘少女はどこへ消えたんだ」


「ふふふ、今日のぼくは純粋な妹キャラだから!」


 自分で言うなと思った。観覧車の券を買ってくると、行列ができていておよそ十五分待ちといったところだ。灼熱の観覧車に乗るがために炎天下で佇むというのは、つくづくオツなプレイである。


「俺たちはこれからどうするんだ。そして人類はどうなるんだ」


 待ち時間が耐えられなくなって、俺はつい封印していた質問をしてしまう。


「今を楽しんだらいいんだよ。未来や過去といった虚構は、もはやこの世界では崩れ落ちた。"われはかく望むがゆえに、かく命ずる" こうせよ!という心から湧き起こる命令を信じて、為すべきことを為していくしかないんだよ」


 ミユは車椅子から立ち上がると、俺の腕を掴んだ。小さな手が小刻みに震えている。ミユは顔を上げて笑いかけるが、額を流れる汗は暑さだけによるものとは思えなかった。


「大丈夫か。体の具合が悪いならすぐ病院に……遊園地なんかで遊んでいる場合じゃ」


 ミユは腕を強く掴んで、首を横に振った。


「おにいちゃんは心の底から遊園地に行きたいって思ったんだよね。だとすればその願いはとても大事なことに違いないんだよ。もちろん、ぼく自身にとっても」


 観覧車待ちの列が次第に短くなってきた。


「ねぇ。おねえちゃんは、これからの未来についてどう思う」


 心配する俺をごまかすように、ミユが話を振る。

 ユキは漆黒の左目でちらりと一瞥し、うんと頷いた。


「未来は、崩れ落ちたわけではないの。正しく云えば《世界が不完全であった》ただそれだけ。過去が完全ではないように、未来もまた完全ではない。未来が完全であると云う虚構が露見して、人間が勝手に絶望しているだけ。死と再生、破壊と創造の間を行ったり来たりしながら、世界はそれでも良くなろうと意志している。だからわたしたちは何も恐れることはない。仮令たとえ、世界が滅びても、明日は来るもの」


「なるほど、ね」


 ミユとユキが互いに意味深な視線を交わすが、俺には何のことか分からない。自分の知らないところで、妹たちは変わってしまった。


「おにいちゃんはどうなの?」


「えっ、俺は、えっと、そうだな……」


 唐突に質問を投げられて、あたふたする。


 ねぇ。おにいちゃんは未来をどうしたいの? 世界をどう生きるの? 何のために明日に向かうの?

 ミユの言葉が、頭のなかをぐるぐると渦巻く。


 ちょうどその時、観覧車の順番が回ってきた。

 白色の塗装のゴンドラだった。


 係員がユキの手から車椅子を預かり、ミユは俺と手を繋いでゆっくりと歩いてゴンドラに乗り込む。後からユキが続く。


 ガタンと扉が閉められ、ギイと軋む音を立てながら浮遊し、地上が遠のく。

 ミユとユキが隣に、俺が対面に座る。


「パンドラの匣だね」「ノアの方舟だね」


「いや、ただの観覧車だろ……」


「わーい、ただの観覧車ー!!」


 ミユが窓の外を眺めてはしゃぐ。

 実際にはひとり七百円も取るボッタクリ観覧車であった。


「せっかくの観覧車だし、キスとかしたくなるよね」


 唐突にユキが言った。ハイライトのかかった方の右目が、いたずらっぽい光を宿す。


「少女漫画の読み過ぎだ」


「だから、おにいちゃんは目をつむってて」


「お、おおう……」


 まさか、ここで来るのか。観覧車、妹との禁断のファーストキス。

 ツッコミを入れるのも忘れて、俺は言われるがままに瞼を閉じる。

 世界が闇に包まれる。

 心臓がばくばくと脈打っている。熱い血液が循環するのを感じる。


(落ち着け、俺。キスだぞ! 妹と!!)


 これは罠だ。夢落ちか、キスの瞬間に夢落ちするに違いない。


「準備はいい?」

 ユキが甘い声で囁く。今までに聞いたことのない、恋する乙女といった声色に、兄として戸惑いを隠しきれない。


「あ、ああ」


 狼狽しつつも、期待の入り混じった声で答える。いや、期待してどうする。目をぎゅっと瞑る。


「お、おねえちゃん大胆すぎるよ……」


 ミユもあまりの出来事に声が裏返っている。

 どうせ人類が滅びるのだし、妹とキスくらいしても神様は許してくれるよな。


「いい? いくよ」


 暗闇のなか、俺はその瞬間が訪れるのを待つ。

 今にして思えば悪くない人生だった。俺は遠くのことに気を取られすぎて、目の前に大切な存在があるのを忘れていたのだ。これからどんな苦難が襲いかかっても、妹とともに生きていこう。妹と生きるんだ! とそんな格好良い台詞で最後を締めくくろうとして、いつしか俺の顔はニヤけていた。刹那、




 チュッ――――。

 ――――。

 ――。




「目を開けていいよ」


 視界を取り戻してから、俺は首を傾げる。


 おかしい。

 音は聞こえたが、キスされた感触がまったく無いぞ。

 

 いや、この透明感こそがファーストキスの証なのだろうか。何にせよ、心のうちから燃え上がるような喜びが溢れてきて、まるで生まれ変わったかのように俺は生き生きとした感覚に包まれた。


「おねえちゃんの、ばか」


 前を見ると、ミユが顔を真っ赤にして俯いている。

 ユキがミユの頭を撫でて、可愛いねと呟いた。まるで恋人同士のような姉妹のやり取り。


 観覧車が天頂に達する。昼間だから景色もへったくれもないが、自分の住んでいる街がよく視えた。山と海に囲まれた、平和な街だ。

 真下に小さく見える人波のひとつひとつに、人生がある。


「あちゃあ、アダルベルト発見ー」


 ミユが窓を覗いて言った。

 どこかで見覚えのあるような、しかし知らない人物の名前だ。


「あちゃーって何よ。あ、モモも隣にいるね。降りたらジェットコースター乗ろうよ」


「えー、ぼくはメリーゴーランドがいい」


 俺はそんな姉妹のようすを微笑ましく眺めていた。

 ユキ、ミユ、俺の大切な妹――。



 ある夏の日、人類がまだ繁栄を留めていた時代、揺れる観覧車のなか、兄とふたりの妹がいた。大学卒業後も就職できずニートとなった長男には、未来がなかった。慕っていた兄の零落した姿にショックを受けた妹には、未来が視えなかった。地球規模で進行する人類滅亡の危機を知った末妹には、未来を救う手段が無かった。



 だがそれでも、俺たちの生きた瞬間が、今此処に確かに存在したのだ――。

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